• ノーベル文学賞の中国における善し悪し

    by  • October 18, 2012 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣 @HeQinglian 氏ブログ

    日译 Takeuchi Jun@Minya_J

    日訳全文(拙訳御免)何清漣 @HeQinglian 氏ブログ

    中国政府にとっては、文学芸術は政治と切り離す事ができない。もし、中共中央統一戦線部管理下の全国作家協会副主席であり、政治的な立場上、共産党を支 持している作家がノーベル文学賞を獲得したならば、中国政府は中国の政治文化に対して、国際社会が受け入れ、承認したのだ、という観点で解釈する。

    まさに人々が中国の18回共産党大会と薄熙来問題でお疲れの時やってきたノーベル賞に全ての中国語メディアは沸き立った。様々な中国政府の立場や各界の人々の違った見方の感想がアワの用に吹き出し、莫言本人が授賞した理由はその下に埋まってしまった。

    【18回党大会は”お祓い”を獲得】

    疑いなく、莫言の授賞は中共の18回大会にとっては”呪い払い”的効果があった。何故かって?中国政府の眼中には、文学芸術はもともと政治の一部でありる。

    例えばもし、中共中央統一戦線部管理下の全国作家協会副主席であり、政治的な立場症共産党を支持している作家がノーベル文学賞を獲得したならば、中国政府は中国の政治文化に対して、国際社会が受け入れ、承認したのだ、という観点で解釈するからだ。

    この国際社会の受け入れは当面、中共中央にとっては極めて重要だ。内政についていえば、様々な矛盾が表面化し、胡錦濤は大会前の様々な政治闘争に苦しみ、”輝ける10年”の讃歌を決めたけど、さっぱり盛り上がらないでいた。

    去年から中共は国際社会において様々な原因で”光栄ある孤立”状態。まさにこのとき、莫言がノーベル文学賞を獲得したのは、胡錦濤の”輝かしい10年” にひとつの”錘り”を付け加えるに等しい。丁度、江沢民の退位前に、その13年にわたる成績表に五輪開催決定とWTO加盟が華を添えたようなものだ。だか ら莫言のノーベル賞受賞は中国宣伝部によってさまざまな政治的意義を付け加えられることになり、これは莫言自身もネット世論がどうこうできることではな い。

    だから莫言のノーベル賞受賞は中国宣伝部によってさまざまな政治的意義を付け加えられることになり、これは莫言自身もネット世論がどうこうできることではない。

    【微簿では政治道徳が話題に】

    中国内の微簿やツィットでは、賞が発表される前に話題沸騰してた。あるブログは莫言は「謎あて」ゲームのトップになり、「もしノーベル賞を莫言がとったら、世界に中国政府との関係で3つ有名になる」

    一つは、2009年、フランクフルト書道展で莫言と中国政府の役人が作家の戴晴、贝岭、徐星らの出品に抗議して退席したこと。二つにはノーベル賞受賞者の劉某氏についてのコメントを拒否(劉暁波のこと)、三つ目は毛沢東の「延安文芸講話」を手書きで筆写したこと。

    中国人はこれまで、ノーベル賞は普遍的人類の価値観である民主主義や人権を重視するものだと思っていたから、多くの人が莫言の政治姿勢では受賞は無理だとおもっていた。

    だから受賞の報せを聞いて微簿上にはその政治道徳を問うもの様々な意見が発表された。たとえば騰訊微簿には『人物紹介;莫言;手書き居士、あざなは「口封じ」、英語名は「シャラップ」とか、

    『問;次の国家主席は誰? 答;「禁評」問;ノーベル文学賞受賞者は? 答「言うな」(*習近平の”キンペイ”にひっかけたり、莫言を古文で読むと「言う莫れ」になるシャレ)。

    【私の見方】

    莫言の政治姿勢から、すでにノ賞委員会のいう「現実と幻想、歴史と社会を結合させ、フォークナーとマルクスの作品的融合、中国伝統文学と口語文学の出発点」というその受賞理由は大して注目されなくなっている。

    選考委員諸氏が思い及ばなかったのは、中国では賞が高度に政治的な意味をもたされちゃう、ってこと。

    彼らも賞の価値観や理念を強調したけど、莫言の行為と小説がそれぞれ中国作家たちのなかで普遍的に存在する行為とその価値観の分裂を示していることには わかってなかった。莫言の小説は確かに生命への思いやりがあり、幻想的な現実主義で中国歴史の現実や醜悪な面を考えている。けれども、政治姿勢では執政者 に忠実だということをしっかり表明している。

    このようなフクザツな中国式”生存の智慧”は、もともとスエーデンの選考委員会の老人諸氏の認識や理解力を越えていたものだった。私は受賞時にちょうど衛星テレビのインタビュー受けてて「意外か?」と聞かれて「ノー」と3つの理由を挙げた。

    まず、ノーベル賞委員会の好みからいうと、幻想的手法で現実を表現するってのが好き。欧州文壇と映画はもとから、そういう傾向が有る。

    怪異を、それも発展途上国の文学や映像作品が表現する異国情緒ある怪奇談がね。それに莫言の作品はピッタリ。「檀香刑」からずっとこの手法にとても達者。

    第二には、ノーベル文学賞は世界的な賞だけど、アジアでの受賞作が極端に少ない。これまでタゴール(1913)、川端康成(1968)、大江健三郎(1994)とイスラエルのシュムエル・ヨセフ・アグノン (1966)だけ。

    中国は高行健が受賞したとき『中国人民を敵視』と文句をいってるし、こうした現状にバランス感覚を働かせたら、丁度今、中国人作家に賞をとらせる恰好の時期なのね。

    第三の理由は莫言は他の中国人作家に無い有利さがあった。多くの作品が翻訳されていたし、それも特に一貫して英語とスエーデン語にね。翻訳は再創造だけど訳者の Goldblattの実力が大きい。彼の莫言理解と表現はすごい力だった。

    【中国人はノーベル賞の”道徳的正しさ”の呪縛から逃れた方がいい】

    中国のネット友は怒ってるけど、それってノーベル賞に道徳を期待し過ぎが原因。他の国の受賞者だってべつにそんなわけないんだけど。今の中国の政治の暗 黒や、文学界の病気に対しては良くわかってるし、普段はそれを考えていろいろ評価するんだけどね。こうした状況で、莫言だろうが似た様な作家だろうがノー ベル賞なんて貰うとみんな色々、非難される。

    莫言も分かってるわよ、今の中国で、自分のやり方で、ノーベル賞なんて目立つ薔薇をもらったら、当然、刺がチクチク刺さるなんてこと。これが莫言の運命ね。

    だから、今回の莫言の受賞で中国人が”ノーベル賞の呪縛”から逃れることができるいい学習機会。国際社会への理解って点じゃ、中国政府だろうが人民だろうが、みんなダメ過ぎ。

    例えば中国政府は「西側勢力は中国が平和的に変化させようと企図してる」なんていうけど、中国人は誰もこんな宣伝を本気にしない。ただ、国際社会に対して高望みなのね。ここ数年、ノーベル平和賞のダライラマとかスーチー女史があったから余計にね。

    (ま、この二人、とくにダライラマはノーベル賞貰ったから、民族のリーダーになった、なんてことはないわけだが)。中国人はノーベル賞を通じて、一人かふたり、本当に国民が必要としている民主化のリーダーが産まれてほしい、と願っているのね。

    でも、ノーベル賞が中国人のこの願いを満足させることはできないわ。だから、みんなをガッカリさせた。がっかりした分だけ、いろんな意見が出る。

    西側社会は、こういう中国人の言動をみて、中国人は内輪ケンカが好きだ、嫉妬心が強い奴等だなあ、なんておもうより、これらの言動こそ中国人が民主化を望んで叶わぬとき、国際社会に手伝ってほしい、という切実な中国国民の願いだ、とおもったほうがいい。(終)

    (原文は《中国人权双周刊》第89期   2012年10月5日—10月18日,http://biweekly.hrichina.org/article/2738

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