• 文革時代の殺人事件の審理開始と国家の犯罪の追求

    by  • February 22, 2013 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣 @HeQinglian 氏ブログ

    日本語概訳全文/@Minya_J Takeuchi Jun

    2013/2/22  http://twishort.com/XoWcc

    2013年2月18日、浙江瑞安裁判所で、80歳の老人邱ナニガシが文革時代に洪ナニガシを故意に殺害した事件の審理が公開で開始された。これを今後の風 向きを知る指標になるものとみたり、或はこの事件は国家の責任と考え、歴史の真実を公開することによってのみ公平な裁判になる、と考える人も居る。

    私は文革時代の殺人の追求は必要なばかりか、文革という重大な国家の犯罪的な過ちの歴史的背景との関連づけをして、民族全体の反省としなければならないと 思う。それは単に文革の中で何百万の非業の死をとげた霊を慰めるというだけでなく、社会正義を実現して行くひとつの過程であると。

    《文革で死んだ人の数はわからない》

    まずはっきりさせておかなければならないのだが、文革中に虐殺された人々の数は一体どれほどだったのか?私はかって無数の資料をあたったが、色々ありすぎ て確定できなかった。例えば1988年鄧小平はイタリアの伊のオリアナ・ファラティ記者に「永遠に統計はとれない。死んだ理由が色々ありすぎ、中国は広す ぎる。つまるところ、たいへんな数が死んだのだ」と言った。

    ハワイ大のR.J.Rummel教授はその著作 China’s Bloody Century 《中国血色百年》で、概ね773万人と試算している。一方、中共中央の党史研究室の編集した『建国以来の歴史政治運動の事実』では172万8千人といって いる。これらの死者の死因はすべて政府が決めたあいまいな「非正常死亡」とされている。

    《文革中の殺人罪はどんな種類があるか》

    死亡者の数は確定することはできないが、文革中の殺人罪の内容は分類できる。第一は国家の名に於いての殺人。中共イデオロギーに疑いを抱いたり批判した 人間、遠回しにでも批判した人は命を奪われる罰を受けた。『建国以来の歴史政治運動の事実』がリストアップしたデータでは13万5千人が反革命罪で処刑さ れている。有名どころでは林昭、遇罗克、张志新、王申酉、李九莲、鐘海源ら。 彼らは獄中で非人間的な侮辱を受け、最後に政府によって反革命罪で銃殺され た。鐘海源は行きながら内蔵を抜かれて殺された。中国政府は文各終了後、原判決の誤判決以外はこれらの罪行にはなにも責任をとっていない。

    第二は殺人罪である。複数の地区で「地主、富农、反革命、悪分子、右派」「21種」(*爺注;中共が敵とした階級・職業分類)とその家族を集団屠殺され た。資料のあるのは湖南道県、湖南邵阳県、湖南、広東、広西、北京大興県。政府はこれらを「貧・下中農」の革命行動だ、としている。しかし、研究によれ ば、この種の殺人は地方政府行政機構の命令で、邵阳県の大屠殺では命令は県の武装部隊長、革命委員会主任の柴春澤がだしたのだし、大興県は警察当局の命令 だった。

    カリフォルニア大学の蘇楊教授がかって1000件以上の県史や内部資料を研究し、文革時に中国農村では少なくとも75万人から150万人が迫害死したが、 そのなかには大量の集団殺戮が行われたケースもままあった。この種の犯罪は今に至るまで政府による検証はおこなわれていない。 それどころか意図的に資料 が廃棄されている。中共の階級教育によって、かっての殺人者達の眼中では「地主、富农、反革命、悪分子、右派」「21種」は政治的賤民とされ、生きていて も侮辱と損害を受けたが死んでもまだ足りない連中とみなされているわけだ。

    殺戮の有った地域では未だに少数の生存者が殺されるのではないかと脅えて居る。1968年に邵阳県の「黒殺風」(*爺注;www.21ccom.net/articles/lsjd/lccz/article_2010110523744.html  など参照されたい。)を体験。 この種の虐殺の不正義と血腥さは見るだに比べ物のない恐ろしい心の痛みを覚えずにはいられないものだった。なぜなら、それ は人類の歴史上例をみない同一民族が行ったジェノサイドであり戦争の勝者が敗者に対しておこなったものではなく、殺された人々は精神も肉体も地元の集団と その他の社会構成員によって凌虐されたのだ。そして、そのよってきたる源は当時、中国を支配していた”神”であった毛沢東がこれらの人々を『敵』と定義し た事によってなのである。

    文革中の第三の殺人は、異なる”造反派”と”組織間”の武闘である。文革が終了した時できた中共中央文化大革命武闘事件調査班は「1978年6月から79年8月まで関連資料と調査し以下の統計を出した。

    1966年から1975年の間、地元革命委員会、政法部門、軍管会に届け出があった10人以上死亡、又は武闘事件は57222件あり、死傷者が百人以上 の武闘事件は9790件。地方軍が命を受け介入した事件は2355件。届け出があった失踪者は227300余人。これらの数字は『建国以来の歴史政治運動 の事実』で列挙された「武闘死亡者23万7000人」に近い。

    こうした大規模な武闘が発生した原因は各”造反派”組織の正統争い。つまり”偉大な指導者毛沢東”の覚え目出たくなろうとするものだが、その実質は中央文 革の激励を受けて”走資派”から権力を奪取したあとその分配をめぐる争いだった。この種の権力奪取闘争は毛沢東をして「この連中はダメだ、統率しきれん わ」「革命の大業に害がある」と感じさせ、やがて彼らは見捨てられることになった。かくて文革中も後も武闘殺人は処罰された。浙江の邱某の罪もこの類い だ。

    《国家の罪を明らかにすることは中国の未来の為である》

    「文革」は「反右派」「天安門事件」同様、国家の犯罪である。それは国家の最高政治権威および各級の政治権力が関わっており、通常の自然人の刑事犯罪な どではない。この種の戦争に原因しない大規模な迫害と虐殺は、これまで国際社会ではただカンボジアのポルポト政権だけが比肩しうるもので、必ずや追求しな ければならない。それは過去の為ではなく、中国の今日と未来の為に必要である。

    私はずっと中国人はダグラス・ノース(*爺注;ノーベル経済学賞受賞者)の合理的選択制度論を銘記するように言って来た。この理論は国家の制度改革の過程 に与える歴史的習慣が産む影響を強調している。ノースはもしある国家が自己の過去が何処から来たのか、自らが直面する現実の制約、伝統の影響、文化の慣性 に無智ならば、将来自らがどこへ行くべきかも知ることができない、と述べた。

    中国人は「前を向いて前進」という言葉を使って自分をごまかし慰める習慣がある。中国の指導者が今に至るまで「改革をもって、改革前の30年を否定しては ならん」という以外にも文革時代の虐待を行った連中がいとも軽い調子で、自分の罪を「あれは時代のせいなんだ」などといってのけるのを数多くみてきた。こ のような自分自身と民族の悪行に対するまったく無原則な”寛容”こそが、まさに今の中国が陥った堕落と腐敗の原因である。

    それが、生存環境の安全と食物の安全すら最低限の保証さええられず、そして政府は自分の利益だけを考える巨大なものと化し、自らの利益を最大化することを無限に追求すし、官僚のとどまるところをしらぬ生活と権力への要求を満足させようとする悪事の根源なのだ。

    自身が平和な時期に自国人民を屠殺した国家の罪をいささかも悔いる事無く、歴史の真相を覆い隠そうとする政権が、どうして国家を光明に導く責任などを果たせようか。(終)

    原文はvoachineseblog.com/heqinglian/2013/02/state-crime/
    拙速翻訳御免。

     

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