• 中国のコインの両面;独裁の罪と凡庸の悪

    by  • June 17, 2013 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣氏

    2013.6.16

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/1gzdc

    2013.6.17
    最近中国で起きているいくつかの事柄について書いておこう。

    《凡庸の悪とは》

    独裁の罪については中国人にとってもうあたり前になっている。毛沢東に対する見方が一致しないのを除けば、ヒトラー、スターリン、カダフィ、金正日の様な独裁者の罪悪については皆が承知している。それは最近、カメラマンの杜斌が北京の警察に「公共秩序擾乱罪容疑」で逮捕されたのが例証である。杜斌の作品を知ってる人はみな、政府が彼の最近の作品が気に入らなかったことを承知している。最初の写真集「上訴難民;中国法治国における幸運にも生きた化石」から「上海骷髅地」、「天安門屠殺」、そして最近暴露された馬三家労働教育所の「陰道混迷」まで、一貫して中共統治のミレニアム時代の暗黒面をますます露骨に暴露してきた。(*爺注;p.tl/sB9g)民主国家の人民が出版の自由、言論の自由を生まれながらの権利と見なしているとき、中国人は社会の暗黒面を批判すると政治的に逮捕入獄や、専政機関の意のままに弾圧される。これは典型的な独裁の罪である。

    しかし中国人は凡庸の罪に対してはほとんど厳しく問いただすことはなかった。伝統文化では「法は衆を責めず」は現在既にこれ以上堕落しようのないほど酷い状態になり、人々は徹底的に羅針盤を失っているのだが、「貧しい底辺層はいつも清く正しい存在」というポピュリズム的心情は知識人への悪口と相まって、この種の厳しい考察を進める事を大変難しいものにしてしまった。

    所謂「凡庸の罪」というのはHannah Arendt(ハンナ・アーレント)の『イエルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』(爺注;大久保和郎訳、みすず書房、1994年 p.tl/CTud )が言い出したことだ。その意味は思考と判断能力の欠乏した人は一般に権力に対して機械的に従順になり、責任を負わず鈍感になり、ナチスの大量虐殺は独裁とこのような「凡庸の罪」とが結合した産物である、ということ。

    アーレントのこの本の核心は;歴史上の巨悪は珍しく無いが、ナチスの大虐殺は特殊な現象で、それは熱狂的な人々や反社会的な人々によるものではなく、自分の行為がごく正常だとおもっている普通の人々によってなされた、ということだ。彼女は普通の人だったアドルフ・アイヒマンのユダヤ人虐殺過程の分析を通じてひとつの重要な結論をえた。それは専政独裁主義運動が降臨したとき、全ての人々は事実上無意識のうちにその波に参加し押し進める、ということだった。

    アイヒマンは大虐殺で数万人のユダヤ人を死に処する命令に署名した。まさにこの命令によって百万の無辜のユダヤ人が強制収容所で、毒ガス室で惨死し、焼却炉で死体を焼かれた。アーレントは、アイヒマンは邪悪な目的に献身する悪人というわけではなく、1人の思考する事の出来ない、正邪の判断の能力のない人間だったことを強調している。「アイヒマンは陰険で奸悪でもなければ、凶悪横暴でもない。おそらく自分の出世に大変熱心だったという以外に、なんの他の動機も無かった。この種の熱心さ自体は決して犯罪ではない。しかしそれは彼があの時代の最大の犯罪者に成る要素だった」と。

    これがすなわち「凡庸」である。この種の現実から乖離した無思想が、すなわち人類に潜在するすべての悪の本能の巨大なエネルギーを発揮させてしまうのである。中共統治の歴史と現状はすべて上述の観点が正しいことを示している。「反右派闘争」「文化大革命」や各種の大衆動員運動は独裁の罪と凡庸の悪が結合した産物であった。もし「自分の昇進に熱心だった以外に」という部分を「いかに多くの銭を稼ぎだすか」に変えたならば、今日の「五毛(爺注;政府からカネをもらってブログやツィッターをやる人々)」の大群や、国家保安員になって人々を強制疎開させている人々の分析にも当てはまる。

    《独裁の罪と凡庸の悪の相互補完》

    中国の現状をコインに譬えれば、多くの人がコインの一面しかみていない。つまり一党専政政治体制が社会の全ての矛盾の根源だ、と。そしてもう一つの面で有る「凡庸の悪」が一党専政社会の心理の基礎を構成することを見ようとしない。

    近頃起きた葉海燕(流氓燕 @liumangyan )と艾暁明(博士、大学教授)両女史の事件は中国人の「凡庸の悪」をよく表している。葉海燕は海南万寧小学校の校長が女子児童を犯した事件に抗議すると奇怪な十数名の男女に自宅に押し掛けられ、警察は連中を捕まえずに葉海燕を十三日間勾留したのだ。葉が釈放されて帰宅すると、たちまち百人もの住民が「葉追放運動」を起こして、葉に「博白(地名)からでてけ!」の横断幕をもって要求したのだ。このどちらも社会底辺層に属している。最初の騒擾に参加したのは「葉が”10元店”を暴露したから商売に影響を受けた」と称する妓楼の女主人連、後の追い出し運動のほうは、役人の言うままにスローガンを書いていた。

    当地の役所が葉海燕に地元にいてほしく無いので、この種の「民意」をつくりだして、葉に圧力をかけたといわれている。参加者は何に参加しているのかもよくわかっていなかったようで、おそらく政府のくれる小額の報酬が目当てだったのだろう。薄熙来の「革命歌」が流行ったときは参加一回で50元だった。これが「凡庸の悪」だが、葉艾事件はもう一つのレイヤーで総論を引き起こし、他の階層の「凡庸の悪」も体現してみせた。

    葉海燕は「エッチするなら、私を呼んで」と(上半身裸で書いて抗議 p.tl/jxVY )したのは、自分が元性労働者だったというイタズラっ気に特徴があったわけだが、(爺注;@liumangyanさんは数年前から自分の経歴をツィッターで公表している)。艾暁明女史はおそらく葉が性労働者であったことはその抗議の正当性となんら影響するものではないとして、きっぱり自分も裸になってその抗議を支持したのだろう。私はこの方法が最上とはおもわないが、彼女達の抗議の正当性は必ず支持する。

    私は多分多くの人々が自分同様におもうだろうと信じている。しかし少なからぬお上品ぶった方々が、彼女等の非伝統的な抗議方法が中国の女児童の権利と尊厳を守る為のものだということをみようとせず、葉がかって性労働者だったことや、艾教授がそんなことをするなんて、ということばかりゴチャゴチャ言い続けた。(爺注;『血の禍 ある中国エイズ患者の軌跡』www.digi-hound.com/bk/ は中国のツィッタラーの依頼で爺らが作った無料電子ブックだが、葉さんはこの喜梅さんを支援しつづけておる方です。)どうやら、この人達はは性労働者の経歴をもつ葉女史が「社会的業績」で名をあげたり、艾暁明女史が教授にもかかわらず裸になるのは教師らしく無いとか考えて受け入れを拒絶してるらしいのだが、これは実際にはまた一つの「凡庸の悪」で、社会の良心を殺そうとしているのである。

    《スノーデン事件が中国で呼び起こした『人間動物園の歌』》

    独裁の罪と凡庸の悪が最近中国で合奏した曲が「人間動物園の歌」である。(*爺注;一部の「人間」が劣った生き物として展示されて見せ物になった時代があり後に人間動物園と総称 wiki参照;p.tl/T3GQ)米国人のスノーデンが米国の政治制度を好まず、「同じ価値観を持つ国家に庇護を」と北京管轄下の香港に避難。「米国政府は巨大な監視装置でプライバシーを侵害し、中国や他の国を攻撃する最大のハッカーだ」として、米中両国に異なった反響を引き起こした。米国人は自分達の独立した思考精神をもって、驚きのうちにもすぐ平静を取り戻した。ワシントンポストの最初の激昂した記者の筆致は米国人を引きつけず、多くの米国人がブログにあらためて個人の自由と市民のプライバシーと国家の安全のバランスについて書いた。

    さらに多くの人々がオーウェルの「1984年」を改めて読みなおし、米国の現状と作品の舞台となるオセアニアとの相違を比較した。この種の討論は私が米国に来てから何度も、たとえば9.11事件とかウォール街占拠運動とかでなんども出会った。米国では一旦大きな事件が発生すると中国ではほとんど政府系メディアが狂った様に喜ぶが、今回もそうだった。『環球時報』が唱導する政府系メディアはこの事件を米国の自由と民主の見せかけがバレて、中国と同じように市民を全方面から監視していると証明したと。

    この「独裁」と「凡庸」の共同演奏した「人間動物園の歌」はこうだ。「米国も監視検閲してるなら、我等中国がやっている事は正しい」「米国にネットの自由などよびかける資格は無い」「米国人が香港に避難を求めたなら米国の方が政治迫害は深刻だ」と。五毛と盲従者たちの結論は「天下のカラスは皆黒い(何処も一緒、みんなワルイヤツ)」で「米国はダブルスタンダードで唱えている自由民主はニセモノだ。だから民主自由は追求するに値しない」。これは北京が一番引っ張りだしたいと結論だ。普段「民主人士」をもって任ずる人々の多くもこの大合唱に加わった。この熱狂の合唱参加者たちはみんな米国のプリズム計画と中国のグレーとファイアウォール(「金盾工程」)の本質的な違いを考えようとしなかった。

    米国のプリズム計画の目的は反テロと自国の公共の安全のサービスであり、その法的根拠は911以後に国会で批准された「愛国者法案」にある。一方、中国の「金盾工程」の目的は一切の政府批判を封じ込め中共政権の安定であり、いかなる法律を根拠としているか一切、国民に告げた事はないのである。五毛と盲従者達は、米国ではネット監視は10年以上にわたって行われており、一度も政治迫害事件は起きていない。だが、中国のネット監視はすでに少なからぬ批判者を牢獄にほうりこんでいるのである。

    ノーベル文学賞受賞者のペルーの作家マリオ・バルガス・リョサはかって「独裁政府は社会全てを汚染し毀損する。たとえ政治に無関係な、家庭生活だろうが愛情だろうが、汚染される。君の職業も生涯にわたって腐敗した政治とかかわり君が望もうと望むまいと、生きる為には必ずや、道徳的な譲歩を余儀なくされる」と述べた。

    独裁と凡庸を相互に用いて、中共の暗黒政治は今日まで延々と続き、環境汚染がかくも深刻なのは中国人が「凡庸の悪」に対して眼をむけようとしないことと大きな関係があるのだ。(終)

    拙訳御免;原文は www.voachinese.com/content/heqinlian-china-crimes-20130616/1682810.html

    何清漣氏のこれまでの評論の日本語訳はこちらで読めます。heqinglian.net/japanese/

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