• 中国人の無政府主義コンプレックスは何処から来たか?ー政府と公民の関係ーを考える(その1)

    by  • July 1, 2013 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣氏 @HeQinglian

    2013.6.28

    日本語全文概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/ou2dc

    2013.6.29

    現在、「自由追求の旅」に逃亡中のスノーデンは、自分が中国で左派や憤慨青年層、過激反対派人士の英雄になっているとは夢にも思わなかったろう。左派や憤慨青年達は彼を反権力の英雄とみなし、中国の政府反対派の人々もプリズム計画反対で感情移入して、全ての権力は悪で反対の対象であり、かって”民主の灯台”だった米国も中国と同じ様なもんだ、とたちまち思う様になった。
    二つの問題を討論しよう。ひとつは人類は結局のところ、政府が必要なのか否か。これはつまりはロビンソン・クルーソーのように孤島で生きられるのかということ。もう一つはもし人類が社会的存在で孤島では生きられないならどのような政府ならいいのか?ということだ。

    《ロビンソン物語はなぜただの文学上の世界なのか》

    人類は束縛を嫌う天性があり、政府が好きだという人は少ないから19世紀後半には無政府主義思想が世界で流行した。現代社会になっても、世界を見渡しても人民に熱愛されている政府などいくつもない。欧米の人々だって話が納税に及ぶととたんにしかめっ面になって、政府は一種の「必要悪」だと受け止めている。独裁国家の人民ともなれば政府に恨み骨髄で、何時の日か選挙が実現し、自分達の気に入った指導者を選出し、自分達の意に叶う政府ができることを希望している。ただ、今やブラジル人は選挙権を持ち、やっと自分達が気に入った左派政府を選んだが、最近、わずかな公共交通費の為に全国的な大抗議運動をおこし、ルセフ大統領は丁寧極まる対応で民衆を慰撫して、なんとか辛うじてコントロールしている始末。

    中国人がブラジルの様子を見てもただ「羨ましい、妬ましい、恨みがましい」で有る.自分達は選挙で政権政党を選べないし、憲法上保証された批判する権利(言論の自由)も奪われている。もし政府を批判したり役人を罵ったりしたら省を越えて国中で追われる身になる。記者保護委員会の発表ではこの1年だけで中国では26人の記者が逮捕され、今年はさらにフォトグラファーの杜斌(爺注;労働教育所を取材してこの6月に逮捕された)らが加わった。政府は経済発展といいつつ、多くの庶民は強制立ち退きで家を壊され、橋は壊れ、道路は崩れ、汚染は地に流れ、食物も空気も汚染され役人は身分に応じて富を得る。

    中国の教科書の特徴は、政治については「米国に代表される西側の民主は嘘っぱちで、発展途上国は欠点が有るが、中国の人民民主専政体制だけが最高で、人権状態も一番良い」というのだ。中国人は長年の経験からこの「最高」の意味をどういう意味かしっかり教えられている。今、米国人スノーデンが世界に米国人民もビッグブラザーの監視の暴政の下で暮らしていると告発した。そこで、反政府の人士たちもついにはじめて、左派(*爺注;中国の左派は毛沢東信奉者など)や憤慨青年達と認識の軌を一にして、「天下の烏は皆黒い(悪い奴ばかり)」、「全ての政府は悪である、民主政府がなんで情報システムの特務など存在させるのか。対内監視でもケシカランのに外国までやるとは。国と国の間は誠実であるべきで、盗聴などとんでもない、007どころじゃないじゃん」、ということになって多くの人が90年前の無政府主義の革命予備軍の青年のようになった。

    政府は望ましく無いが、でも必要だ。

    結局のところ人類はグループでしか存在できない。近代になって都市生活が日々、発達するに従って、人々は遂に「政府は必要悪」だと発見した。18世紀の英国小説「ロビンソン・クルーソー」が流行した。主人公が孤島に1人流れ着き、人類社会と切り離され生きる為に極限の力と智慧を発揮する物語に、人々は社会から離れ、他人に責任を負わず、拘束も受けぬ状態をうらやましがった。ロビンソンの話は経済学者が理論に良く使う。つまり人類社会は孤島ではなく、ロビンソンを1人の生産者とみなし、一つの製品だけを作る存在で必ずや交換を通じて他の人の品物を入手しなければならず、その交換用に創造されたのが貨幣。で、その生産品の交換規則が必要となり、すなわち法律であり、執行規則であり、政府はこの為に産まれた、と。早期の政治学も人類の存続の為に政府の存在が必要になったとし、それが国際関係に発展し、政府は必要な悪で、社会の生存の為に必要だ、という共通認識に至った。個人は例えば納税や、一部の権利を政府に譲り渡し、個人の権利責任を確定し個人と社会の関係を決め、公共の安全や国防の為に政府は暴力装置、つまり軍や警察、情報機関を持つ。

    《無政府主義思想は個人の権利の剥奪が原因》

    政府はキライだが安全と秩序の為には必要とせざるを得ない。政府と人民の関係の構築で中国と西側は異なった政治的智慧を発展させてきた。数千年来、中国での人民と政府の関係は、「我慢」→「反抗」→「失敗」か「王朝交替」というサイクルの繰り返しだった。

    しかし資本主義文明は別の道を見つけた。資本主義文化は人類の政治文明に最大限の成果で貢献した。300年の時間をかけ改良してきた結果、遂に政府を統治者の暴力鎮圧装置から、公共サービス機能の実施での「必要悪」に変えたのだ。

    18世紀後半から、英国フランス等の知識人は一世紀半に渡る資本主義批判を開始し、中でもマルクスのそれは資本主義の頭蓋骨をかち割るほどのもので、また鏡の様に資本主義の醜悪さを映し出してみせた。そして様々な運動、労働運動、婦人運動などが起こり、1948年以後には人権の概念も加わった。チリも積もれば式に絶えず進歩してついに現代の民主政府と市民社会を形成するに至ったのだ。この社会の特徴は政治上の三権分立、法治によって人の権利と責任が個人の自由の上明確にされていること。この形式の政府は公共サービスを履行する職能を中心として、公民は政府や他の公共サービスに様々なルートを通じて批判でき、選挙を通じて政府を変えることができる。

    中国の状況は完全に異なる。私は随分前に「改革30年ー国家能力の奇形的発展とその報い」(2008)で指摘したが、中国政府は早々と自分の利益の為のサービス機関型に堕落しており、国民は重税を負わされるが、如何なる権利も無いのだ。社会の富と分配と福利政策はすべて利益集団に向かって傾斜配分されており、国民は利益を訴えるパイプがなく、法律はただ統治する側がされる側を押さえ込む道具にすぎない。特権者たちは往々にして法律の上に君臨する。各種の失敗国家の特徴は大変明白だ。公共の権力を私物化して、政府の行為は暗黒街化し、政治暴力は合法かつ普遍的。社会は弱肉強食のジャングルとなり、生存の基礎の生態環境はボロボロ。

    中国のこの暗黒の専政下では民権が発達しないというだけでなく、人々の心を毒するもの。ネットの言葉の暴力と野卑化はただその表現にすぎず、更に深刻なのは政府に対する不満が方向の定まらない暴力となってバス爆破事件のようになって、それに拍手喝采が起きたりすることだ。

    このような税をとるだけで弾圧し、汚職腐敗まみれの政府に直面した中国人は公共サービスを受けることなく、自らの重負担しかないから当然、ないほうがマシだとおもうようになる。もともと多くの中国人はたいして米国のことなど知っちゃいない。いま、「世界人民の自由」のために、香港に来た”英雄”のスノーデンが「天下の鴉は皆黒い」ことを証明し、米国人民も暴政の下にあるなら、人類はなんで政府等要るのか?となる。

    実のところ中国人にとってみれば、スノーデン問題による反省の考え方としては、「一切の政府に反対する」、ではなく「中国はいかなる政府が必要なのか」であるべきなのだ。

    しかし、政府と人民は社会の中で相互に依存し合っているわけで、政府と公民の関係ーを考える(その2)では中国の未来社会の「依存し合う道」を分析してみたい。

    拙訳御免、あくまで概訳です。
    原文は www.voachinese.com/content/where-does-chinese-peoples-anarchism-compex-comes-from/1690038.html

    何清漣氏の他の文章の日本語訳は;heqinglian.net/japanese/ にあります。

    Share Button

    About

    Leave a Reply

    Your email address will not be published. Required fields are marked *