• 民主の毒薬;軍人が背後に居る専政主義の論理

    by  • July 9, 2013 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣氏 @HeQinglian

    2013.7.07

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/kL4dc
    2013.7.8

    エジプトの政変は世界に深い不安を与えた。産まれたばかりの民主制度に軍人が干渉して打撃を与えたからである。過去2年半の間にエジプト軍は国家の文官指導者を二度に渡って罷免し、その超強力な力量を見せつけた。この干渉を政治のイスラム化を終わらせたと擁護する論者もみかけるが、二十世紀の世界史から見ると軍人の政治干渉は民主の毒薬である。

    《軍人政治はラテンアメリカ、東南アジアで行われた》

    第二次世界大戦後、アジア、中南米、アフリカで規模は様々な民族解放運動が始まり、多くの西側列強の植民地、半植民地が次々に独立して新興国家になった。これら新興国は植民地統治を脱した後、多くが”独立の英雄”による独裁政治に陥った。アジアではベトナムのゴジンジェム、インドネシアはスハルト、フィリピンはマルコス、韓国は朴正熙、アフリカはウガンダのアミン、中央アのボカサ、コンゴのモブツ、リビアのカダフィらだ。

    中でも中南米は独裁が長く広く続き、最も有名なのがチリのビノチェット、ハイチのデュバリエ親子、ブラジルも長く軍人独裁時期が続いた。第三世界で軍人独裁になるのは歴史的理由がある。軍が最初に改革され西側技術文化に接触する特別な集団だからだ。彼らは時代の先端にいて組織性が強く、集中力と戦闘力があるから、ひ弱な文官政府は根本的にこうした軍事集団の力を制限するには無力だったのだ。

    《これら軍事政権の共通する特徴》

    ❶ 軍事クーデターで政権掌握。例えば1955年10月、ゴジンジェムは投票操作でバオダイ皇帝を廃し共和国初代大統領に。1971年1月、ウガンダのアミンは元首外国訪問中にクーデターで1973年9月、チリのビノチェットはアジェンダ政権を倒し軍事独裁政権樹立。

    ❷ 閨閥関係の独裁政治を敷き、家族メンバーが法を枉げ、私欲私利を貪る。

    ゴジンジェムは大統領に成ると家族全員がベトナム政府の要職につき、コメ密輸、阿片、不動産、インチキ宝くじ等経済領域の至る所に手を伸ばし、流通を支配し、商業界からカネを強請り取り、国家情報を利用して外貨投機に。

    フィリピンのマルコス負債は更に腐敗し日本の5億㌦の戦争賠償、日本の50億㌦援助、世界銀行の数十億㌦の借款、すべて夫妻の個人口座に流れ込んだ。マルコス在位の20年、フィリピンは元々無債務国家だったのが、256億元の債務を抱え、5500万人のフィリピン人の7割が貧困に苦しみ、おおくの娘達が売春婦でなければ、写真だけで”夫”に嫁ぐ”外国人花嫁”となった。その間マルコス夫妻は莫大な富を築いた。大統領就任前3万㌦の財産が1986年には数百億㌦。汚職だけでも30億㌦に達した。

    フォーブズ誌は2011年11月の「アフリカの富豪は全員独裁者」の記事でナイジェリアの前軍事独裁者サニ・アバチャ、Ibrahim Babangida、ケニアの前大統領モイ、コンゴの独裁者もぶつ、赤道ギニアのオビアン・ンゲマを列挙した。この記事はリビヤで42年間も統治したカダフィとその家族が国家の全ての重要部門を抑え、リビア中の国家資源がカダフィ一族の好き放題の贅沢品になっていたことに触れていない。カダフィの資産は二兆㌦以上だったといわれる。

    ❸《反対派鎮圧では文民政府より遥かに残酷》

    ウガンダを8年統治したアミンは透明度で世界最悪の腐敗政府のひとつだっただけでなく、30万人が殺されるか失踪している。多くの人々が国外に逃亡した。アミンは人肉を、特にライバルの肉を食べたと言われ、コンゴのモブツとともにアフリカ3大食人悪魔といわれる。(爺;あと1人は誰だろう(・・?))。

    ビノチェット独裁のチリでは、前政権支持者や左翼反対派に残酷な弾圧が加えられ、数千人が監禁殴打され、三千人以上が殺害された。大量の失踪者や人権侵害問題はいまもって「未解決事件」である。

    《軍人独裁は民主的発展を阻害する》

    軍の政治干渉は重大な危機に置いて発揮され、特定の社会環境下では確かに実用的ではある。だから発展途上国では各種の尖鋭な矛盾解決の「非常事態法」になっている。軍人政権はいくつかの傾向がある。

    ❶政治的過渡期であり、国内情勢が回復したら権力を文官政府に移管する。
    ❷執政を継続するにあたっては一定の政治綱領と一定の経済推進、社会政策を提出し、同時に一定の政治勢力を吸収する選択の余地を与える。この方面の傑出した模範といえるのはトルコの国父といわれるケマル・アタチュルク治世(1923〜1938)で、彼はトルコを全面的に現代化の方向に導き成功させた。

    ある種の独裁者は残酷ではあっても国の経済社会発展の促進には成功した。チリのビノチェットは教養もあり、国務を重視し、任期中、「プロレタリアの国ではなく、企業家の国家に」をスローガンに多くの資本主義的新自由主義経済改革を行い、経済を自由化し、私有化への道を開き「チリの奇跡」を作り出した。朴正熙は韓国大統領を18年務め経済発展に積極的役割を果たした。国民を頑張らせ、日本植民地統治と朝鮮戦争の傷跡から韓国を成長させ五輪を開催し「漢江の奇跡」を実現した。

    しかし多くの軍事独裁者は国家権力をただの軍人的な戦利品とみなし、国家権力壟断を通じて、他の政治グループを排斥して軍人集団の特殊利益を維持拡大しようとする軍事色の濃い、民主主義発展を抑えるカダフィ方が多いのだ。

    二十世紀の80年代は民主体制が固まった時期で、ブラジルは1988年、チリのビノチェットは1989年に文民に政権委譲し、ラテンアメリカの民主体制の基本を確立し、文民執政、三権分立、禁止事項解放、普通選挙のモデルチェンジを実現した。

    ただラテンアメリカの民主化の進行は他の発展途上国より激しく、特に一部の国家では国内の経済発展、民衆の政治素養、政治的力量がまだ全面的に成熟していないのに全面的にモデルチェンジが進んだため、その後も政治的な動揺が隠れた危険性を産み、二十世紀90年代の軍人の政治干渉は繰り返し起きた。一部の民主化過程の信仰は緩慢で、政党と選挙制度が脆い国では軍人の干渉が度々起きた。ハイチ、ベネズエラ、ガテマラなどではクーデターが発生した。しかしこうした事件も民主化の過程を逆転するようなことはなく、軍政府が復活したりもせず、危機は最後には法制の範囲内で解決していることは軍人の干渉は減って来ていることを示している。

    エジプトは独特の軍事利益集団を形成し、その力は膨大で軍事、政治、経済各方面に及び、政治上の力以外にエジプト経済の命脈も握っている。ナセル、サダトからムバラクまですべて軍人出身だった。ムバラクは三十年の長期にわたって統治したが、その背後に有ってこれを支持していたのは軍部だった。今回のエジプト軍が民選のムルシ大統領を退陣させる動きは人民の意思を体現したものだと称しているが、しかしエジプト軍は以前から民主主義を守る力を持っているわけではなく、60年間、国家安定と軍隊の保証、エジプト体制内で自分達の特権が侵されないことだけを目標として来たので有る。

    軍人が政治に干渉するのは民主にとっての毒薬だといえる。それと社会進歩は正反対の発展を示すものだ。社会が遅れている程、軍人は進歩的な役割を演ずる。社会の進歩がおおきくなればなるほど、軍隊の役割はますます保守的・反動的になる。国家の軍人政府の民生返還が不徹底なら民主体制の進行も順調にはすすまない。その国の政治の変遷は軍人の政治干渉と劣勢の民主の間を行ったり来たり、繰り返すことになる。(終)

    拙訳御免。
    原文はwww.voachinese.com/content/he-qinglian-demo-poison/1696744.html

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