• 中米関係を描写する言葉の路線変遷図

    by  • July 18, 2013 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣氏 @HeQinglian

    2013年07月16日
    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    2013.7.18

    http://twishort.com/uA7dc

    世間には心を込めても花が咲かず、適当に植えたら苗が育ったなんてことはよくある。この度の中米第五回戦略経済対話の91項目の成果は中国政府は多いに宣伝したがネットでは反響はまったくの低調。ただ、そのなかで中国の副総理汪洋の言った「中米関係は夫婦のようなもので離婚できない」はネットで様々に解釈され、スポットライトを浴びた。政府側はその「ユーモア」を褒め讃え、世論は嘲笑と悪罵でいっぱい、という形で。

    《”同床異夢”から”夫婦”になった》

    汪洋は会談を活発に盛り上げる為に”夫婦”とい比喩を使ったのであって、「離婚出来ない間柄」と言ったときに、まさかこんなにいろいろ連想を産んで、大きな反響があるだろうとは思わなかったろう。遠慮したツッコミでは「で、どっちが夫でどっちが妻で、誰が稼いで誰が切り盛りするの?」と。無遠慮な輩は「中米が夫婦なら、台湾はなんだろ?妾か?」。環球時報が「中米が夫妻の仲で、日本がヤキモチ」という文章に至ってはボロクソ。「米国は世界中に”女房”もってるぞ。中国が日本と”妾”の地位を争ってどうするねん?国の体面をしらねえ恥知らず」とか。

    こういう反応は当然、中国文化の夫婦関係のある種の感情というのが反映されているわけで、1949年以前は、中国は一夫一妻、沢山の妾制だったのが、今は一夫一妻、沢山の情婦が流行っている。”成功者”の結婚では夫が強い地位にあり、主導権を握り、女性は婚姻の尊厳などきれいさっぱりないときている。というわけで、中国のネット上では、「中米が夫婦なら誰が夫でどっちが妻だよ?」ということになる。西側文化だと、まあこういう反応がここまでおこることにはならないだろう。…というような話は実はどうでもいいことで、ここではただ、汪洋が中米関係を夫婦にたとえた理由と、中共の文化習慣が「虚構の血縁関係と虚構の親族関係をいろいろなところで使っているが、なにがおかしいのか」について論じてみたい。

    中米関係を夫婦関係に譬えるというのは、汪洋は引用しただけで発明したのは別の人だ。本当の発明権は米国のポプキンス大学の国際関係学院にいる中国研究者のDavid M. Lamptonに帰せられるべきである。1988~1997年の十年間、ランプトンは米中関係全国委員会の議長を務めた。その職を退いて後、2001年に「同床異夢の米中関係1989~2000」( Same Bed, Different Dreams: Managing U.S.- China Relations, 1989-2000)という本を著した。この著書は1989天安門事件以後10年の中米両国と台湾、経済、安全、人権等各方面の利害関係をまとめて、両国の指導者がいかに新たに共同の利益を追求する中で共存していくかということをまとめて述べている。執筆当時、その後の両国のトラブルを見通してたわけではないが、しっかりと本質を捉えて、「同床異夢」なる中国語で巧みにこの「敵でも友でもない関係」を描写した。

    この本の影響は大きく、以後、中米関係で摩擦がおきると、チャイナウォッチャー達やメディアはこの「同床異夢」の表現を使うのが当たり前の習慣のようになり、中国の米国に置ける宣伝紙の「僑報」でも「同船共済か同床異夢か?」とかいった記事をかいたものだ。ただこの場合の「同床異夢」は多くの場合、「表面上は共同で事にあたっているが、実際はそれぞれの打算があって気持ちは別々」という意味あいで使われており、中国式に「どっちが夫でどっちが妻か」といった用法ではなかった。

    ましてや、米国は世界各国と「一夫多妻」関係であるとか、他の国家と中国とが米国との関係において、はたして「妾」であるか「正妻」であるか、などといった意味ではなく、環球時報の「中米がうまく夫婦の関係なら、日本がヤキモチを妬く」などという奇怪なコンテクストでの意味はなかった。汪洋に近い立場の消息筋によると、汪洋は様々な情報を集めるのが好きで、2007年12月から広東省省委書記をつとめていたとき、省内の各大学の件研究機関や米英の訪問者と図書館で長く時間を過ごし、中国政治経済や対外関係の情報を収集し各部門に渡したという。ランプトンの本は香港中文大学で2003年に翻訳出版されており、多くの書評にも載った。汪洋は全部読んだかどうかはともかく、多分、その内容は承知していたろう。「同床異夢」が「夫婦関係」に発展したのは汪洋自身が考えたのか、ブレーンのアイデアかはわからないが。

    《”虚構血縁関係”の濫用は自信欠如の表現”》

    中国の伝統文化の核心は宗族主義文化である。宗族文化は各種の社会関係の中の位置とそれに対応する責任と義務を強調する。人と人との交際で疑似血縁関係を使って、双方の利益の関係を強化する(*爺注;「義兄弟」とか)のは、宗族文化の派生産物である。共産文化は本来、人と人の結びつきは理論的には血縁関係ではなく、「同士的連帯」の筈だが、 実際にはしばしば、共産党と自国の民、他の組織とか国家関係でよく使われる。中共は常に人民と自分を母と子に譬えるし、文革時にはこんな歌もあったっけ。文革の前後に流行った「党への山歌」では「党は我が母」だとか、80年代には「党よ、いとしのママ」とか。国際関係では毛時代は社会主義国家に対してはずっと「兄弟」で、各国の共産党は「兄弟党」。ベトナムとアルバニアは「同志兄弟」で特別扱いしたし、ソ連は「兄貴」で 「弟として兄に仕える」といった「長幼の序差別」も受け入れていた。

    20世紀の80年代には対外開放で、中共は時代にあわせて、新しい名詞をつかって仲良し度のちがう国々との関係をあらわしたが、しかし、その心理は別に変わらなかった。「兄弟国家」は北朝鮮だけ、アフリカ、ラテンアメリカの独裁国家は「中国人民の良き朋友」と区別。しかし、米国に対しては「核心的利益」(つまり、中共の執政権の維持)の思惑から、中共は米国を信用したことはなかった。EUが落ち目になる前はだから、中国、米、EUで「多極関係」で世界を牛耳ろうと構想した。2008年、EUが落ち目に成ると、中国は又、再び米国と「戦略的仲間関係」をつくり、様々な摩擦があっても、つねに「中米は”戦略的信頼関係”が必要だ、と強調してきた。

    中米第5回戦略経済対話の開かれた時、うまく北京はスノーデン事件を利用して米国をこっぴどく蹴っ飛ばしたあとで、会談の雰囲気は中国メディアが宣伝したような結構なものではなかった。汪洋は会談の挨拶で硬軟両様の構えで、「中国とアメリカは夫婦の関係」等と言いつつ、同時に「中国は対話を望み、異なった意見、正確な意見を受け入れたいが、中国の基本制度、国家の利益を損なう意見は絶対受け入れない」とも強調するのを忘れなかった。「中国はこの点では米国と同様で、自らのギリギリのラインは守る」と。そして習近平がオバマ会談でのべた「兔だって必死になれば鷹を蹴っ飛ばす」(*爺注;窮鼠ネコを噛む、かな?)を引用し、北京の固い決心を表明した。

    だから、大局的な観点から言えば、汪洋の「中米は夫婦の様なもので離婚できない」は、米国と親密な関係を築きたいという願いを表明したいというより、北京のトップ層が中米関係に自信が欠如していることを表しているといったほうがいい。 汪洋が表明したかったのはその実、「両国はどちらもこの先も上手くやって行かねばならず、別れてもどちらにもいいことがない」ということだ。

    中国国内では中共は疑似母子関係で中共自身と人民の関係を表現したがる。これは人民の気持ちが実は離れてしまっているからだ。国際社会では中共は「利」をもって無原則外交をおこない自らの本当の”友好国家”はない。だから、相手を呼ぶのにえらく苦労していろいろな工夫をしている。疑似親戚縁者関係で中米関係を譬えるのは、その背後に深い自信の欠如があるからである。(終)

    拙訳御免。
    原文は;voachineseblog.com/heqinglian/2013/07/us-china-relations-2/

    何清漣氏のこれまでの論評は;Webサイト 清漣居・日文文章 heqinglian.net/japanese/ に収録されています。

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