• ”中間パワー論”は何故、政治的”非売れ筋商品”に?

    by  • August 11, 2013 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣氏 @HeQinglian

    2013.08.10

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/VCGdc

    最近、「公盟咨询有限责任公司」(*爺訳;「市民の権利コンサルタント有限会社」?)の許志永が拘禁された事件が引き起こした社会の反応は複雑でした。この事件は政府当局が「中間勢力」を拒絶・弾圧したのですが、ツィッター上でみるこの事件の反応もまた”中間勢力”に対して、同様の政治的反対と排斥の声だったのでした。

    《政治的幻想の1;中産階級は大きくなると必然的に権利を要求する》

    ”中間パワー”という言葉は20世紀の40年代、国共内戦の頃に各民主党派が組織した”第三勢力”を指す言葉として出現しました。誰が中国の覇権を握るか競争していた当時、誰が第三勢力の支持を得るか、ということは誰が人心を得るかを意味しました。しかし、今日ではこの言葉は昔と違う意味で使われます。その意味は「改良や改革だけ要求する」、中間路線ということで、政治上は政治改革を拒否する政府の立場でもないし、かといって激しく革命を目指す者でもない、ということです。

    社会の変化という観点から見ると、大規模な社会的混乱、革命が齎すおもちゃばこをひっくりかえすような混乱を避けるというこの種の主張はなにも間違ってはいません。ただこの主張は実行にあたって一つ条件があります。それは政権を握っている者が改良主義的な主張を受け入れる、ということです。この条件がいまだに備わっていないのにもかかわらず、3つの政治的幻想がずっと”中間勢力”の行動を支えてきました。

    第一の幻想は「中産階級は日々大きくなっており、人数も増加し、彼らの政治的権利要求が高まるのは目前だ」というもの。この幻想は2008年以来次第に消滅しました。それは中産階級(特に外資系サラリーマン)の失業が増加し収入が減少するとともに税負担が逆に増え、その上、大学の新卒の就職難で、中産階級の夢が実現しがたくなり、中産階級の人数は3億人ちょい程度にしか維持出来ないからでした。中産階級の人数が増えなかったのがポイントではありません。中産階級に自らを組織して行く政治能力と参政への意識が無かったことが鍵となります。

    作家の笑蜀が提起した「中間の道」を例にとれば、彼は中共が制御している政治社会の外に「中間社会の共通認識を凝集し、全中間社会の力を結集し、最大限に力を合わせて中国のモデルチェンジを迫る」としたが 「すべての中間社会」といっってもあまりに膨大かつ漠然としたもので、本人から許志永、大学教師、小中学校校長、医者、中小企業主、映画俳優、歌手など全部”中間社会”というなら、その「政治共通認識」ってなんだかわけがわかりません。そんな存在の「認識」をどうやって「結集」できるでしょうか?経済が高度に政治に依存する社会の中で許志永の提唱する「新公民社会」はどうやって政治社会と別に成立することができるでしょうか?昼間、政治的な社会の中でひがな働いて、夜になってから毎晩、集まって酒や飯でオダをあげたって、そんな社会が成立するはずもありません。

    《政治的幻想の2;党内改革派は中間勢力の政治的同盟相手》

    中共党内の改革派、または”体制内の健全な勢力”と中間パワーが政治改革上、同盟を形成する、というのは中国でも国外でも共通の認識ですが、私は2002年に「中国改革の得失」で「そんな勢力は存在しない」と指摘しても無駄だったばかりか、自分の文章がなんと改革派が党内にいる証拠として軍人の劉亜州の文章として掲載されたこともありました。(2012年2月 21, 介绍钱理群《对老红卫兵当政的担忧》并厘清一段文字公案 voachineseblog.com/heqinglian/2013/08/xu-zhiyong-case/ 参照 爺注;何清漣名義のホンモノの文章は反響が少なく、改革派将軍の名前をつけたとたんに、”民主人士”が「素晴らしい批判精神」と絶賛したとか。)

    この幻想の最も盛んだったのは2008年から2011年。劉暁波がノーベル平和賞を獲得した年で、ポーランドの共産時代の闘士・アダムミフニクが北京を訪問し、知識人達との晩餐会で「共産党内の改革派に頼ってこそ非暴力型の政治転換が可能」といいました。これが中国の今後の平和的転換の方法にアップグレードして論争となり、「ミフニクの北京での論争の私の見方」p.tl/K0cI を書いたのでした。私はこの文で「党内に本当に改革派が存在するというのなら、誰が代表なの?」と問いかけましたが答えはありませんでした。でも2か月後、温家宝が改革のことを盛り込んだ談話を発表したために、このあと2年間は温家宝が「党内改革派」の代表的人物とみなされました。人々は虫眼鏡で探す様にして温家宝の談話のなかから改革の希望をみつけようとしました。そしてこれはニューヨークタイムズによって、温家宝の家族が27億㌦にものぼる巨額の財産を隠し持っている、と報道されるまで続いたのでした。(爺参考;gendai.ismedia.jp/articles/-/35518)許志永が拘束されて以後、笑蜀も許を応援したとして当局に拘束され48時間後に釈放されました。彼は取材に対して、「体制内には健全な勢力などなかった」と語りました。ずっと「党内改革派」の存在を信じて、頼りになるとおもっていたのでした。彼の失望はつまり、この政治的な幻想が消滅してしまったことを表しています。

    《政治的幻想の3;国際社会が中共に対して圧力をかける》

    この幻想が産まれるには根拠はあります。第三の波による民主化の過程で米国が後押ししたのはよく知られていますし、アラブのジャスミン革命では米国、EUは多くの援助をしました。しかし中国に関しては不幸にして幻想なのです。中国政府は20世紀90年代にかって「法に依る治国」のスローガンを唱えたことがあります。そして1997年から1998年にかけての米中サミットでは人権から法治に至る方針が話し合われ、きまったのです。

    米国はこれで中国が将来民主的にモデルチェンジするとおもいこみました。2000年から2010年にかけて、米国は多くの方面で中国の人権と法治に関する方面で資金援助を行いました。中国側を安心させるためにこれらのプロジェクトは政府機構、人民大会やその他の中国政府がOKしている機関を援助対象にしました。「米国基金は誰の手に落ちるか?」p.tl/y5L1 はNational Endowment for Democracyセンターのデータで2002年から2009年の間、NEDの対中援助が4億3000万㌦(香港、マカオ含まず)にのぼり、うち学術機関、政府部門、政府系NGOが44.01%、25.38%、16、6%、総額の86.01%を占めています。草の根のNGOはたった5.61%しかありません。それでも中国政府は米国のこの種の穏やかな民主化を促すやり方にも安心できませんでした。2005年、中国国家安全機構はこれらの協力プロジェクトは米側の「トロイの木馬」であり、目的は中国でも「カラー革命」を狙ったものとして、継続できないようにしてしまいました。

    EUは経済危機で中国に高度に依存しているようになってしまったためとっくに人権方面の努力を放棄していますし、米国もここ数年は人権対話をただの形式的なものにしてしまっています。笑蜀は許志永の「新市民運動」が「すべての中間社会」を代表しているとしていますが、高すぎる評価で、その運動は人数から見ても、政治的な訴求力からみても、とても「すべての中間社会層」を代表してるなどというものとはかけ離れています。張雪忠は「全ての道はローマに通ずー最近の政治について友人との対話」等の文章で 笑蜀、許志永の新公民社会に対して善意の批評をしていますが、私のこれに対する見方は今の中国のような社会的活動空間がほとんど無い状態の下では許志永らのような穏健なやりかたで政治的実験を行うのは当然アリですが、その場合少なくとも以下の3つの問題を考えるべきであるとおもいます。

    第一に、中国はすでに政治的認識を共有する中間社会を達成しているのか。もし無いなら第二の問題がでてきます。この中間社会は如何にすれば組織されうるのか、組織的力量がないならあまりにも強力な中共政権に大しての強制力はありません。第三にこの中間社会の力量はいかにして自分達以外の政治的力量の支持を勝ち取ることができるのか、ということです。この3つの問題は中国人が自らを組織化する第一歩です。如何なる形式の政治ゲームでも、この第一歩を果たすことなく、二歩目を踏み出す事などできるはずはないでしょう。(終)

    拙訳御免
    原文は;“中间力量”缘何成了政治夹心层?www.voachinese.com/content/he-qinglian-blog-20130810/1727524.html
    何清漣氏のこれまでの論評は;Webサイト 清漣居・日文文章 heqinglian.net/japanese/ に収録されています。

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