• 薄熙来裁判最終章;薄熙来はどうしてしくじった?

    by  • September 1, 2013 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣氏 @HeQinglian

    2013/8/28

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/WLLdc
    2013/8/29

    薄熙来は8月25日の法廷で「私の運命は既に悲劇で、妻もそうだ。諸君はもうこの調査を止めて我が家の最後の情愛のカケラまで奪い去らないで欲しい」と述べたと言われています。二代続いた”貴族”でありいわば地方総督だった家柄が最後に妻子離散、友人知己とはカタキ同士になるという結末で、自分は水滸伝中の妻と家宰の陰謀に巻き込まれた廬俊義の様になってしまった薄の現在の姿はまさに悲劇です。この悲劇の主人公がどうしてこんなになってしまったかを分析することは中国政治への解剖となるばかりでなく、すべての今、権力の地位にある人々に対し警告になるでしょう。

    《薄熙来の罪と罰》

    薄熙来が自分の「運命の悲劇」にどんなに傷心の思いだったとしても大多数の中国人観衆には無関係です。これは政治的大舞台の芝居であって、まず刑事事件からはじまり最後には「愛情悲劇」にまでなったなんでもありのお話なのでした。起訴されている汚職、腐敗、職権乱用罪については、他の本当の多くの罪ー重慶の「ワルイヤツをやっつけろ運動」とか「臓器移植」問題が罪に問われていない、と多くの人が不満に思っています。汚職の額がたった二千数百万元だなどとは誰も信じていなません。

    でも、皆さん、まさか「親愛なる党中央」が重慶の「悪人をやっつけろ」運動の被害者が法輪功の利益代理人になった(*爺注;正義を実現しようとしている)なんておもってないでしょうね?そうした被害を蒙った人々が何千何万にものぼる罪悪はすべて中共の「治安維持」方針によってうまれたものであって、薄熙来の功績などたいしたことではないのです。だからツィッター上で私がいっておきたいことはこれは中共党内の「家庭内の事」で、自分がまるで当事者のように思ったりしない方がいいですよということ。観客でいいのです。面倒を厭わないなら資料をあたって真相を調べてもよいでしょうがが、さもなければもうきっぱりと野次馬でいるのがよろしいかとおもいます。

    薄熙来の本当の罪は、「皇帝の座」を狙った事です。共産党内の組織原則では昇進したければひたすら努力(この意味はなかなか色々深いのですが)して、上の覚え目出たくなって推挙(形式だがゼッタイ必要です)を得るべきなのです。薄熙来は紅色貴族出身で特権もあったわけですが、あまりにも激しく威丈高な態度だったため”朝廷”の高官9人にヤキモキ、イライラさせてしまったのでした。

    冷静に考えたら胡錦濤はこの方面でよく自制したといえるでしょう。薄熙来に対して「絶対、トップの常務委員にさせない。そんなことをしたら椅子取りゲームで時限爆弾かかえるようなもの」と胡錦濤は内心思っていても表面にはみせず、しかし薄熙来がドラを叩き鉦をならして大騒ぎしてるうちに密かに策を巡らし、薄熙来の股肱の臣の王立軍が2011年に遼寧省でやった冤罪事件を調査する事でその責任者の王を不安に陥れて「囲魏救趙」(*一見違う狙いの行動で真の目的を達成する)を果たしたのでした。この後の事は真相は全部わかったわけではありませんが、実際に起きた事は知られていますから山ほどある資料のなかから多くの情報を拾いだす事ができます。

    2013年3月薄熙来が捕まって最初のうちは中共高層のある人物が「これは路線闘争だ」と言った事が有ります。しかしこれは党内の激しい反対にあいました。ロイターによると、5月始めの会議で胡錦濤は「薄事件は個別案件である」としてそれ以上の亀裂拡大を防止させ、同時に、薄熙来の支持者をさらに追求するのを停止させました。8月にひらかれた妻の谷開来の殺人事件と王立軍の事件では薄熙来のこれらに関する関与はもう最大限に薄められていました。

    2012年9月、中央紀律委は「薄熙来の重大な規律違反調査報告」を出し、罪名を定めました。それは王立軍事件と薄熙来・谷開来の英国人殺害事件における職権乱用における重大な責任、職権を利用して直接又は家族を通じて巨額の賄賂を受け取った事、多くの女性と不正常な関係をもった事、部下の管理不行き届きで重大な結果を招いた事でした。他に「薄熙来の他の犯罪容疑も調査中に判明」なる部分もあったがこれはただ「念のため」のつけたりでつかわれることはありませんでした。

    その後、中央紀律委員会の副書記兼薄熙来事件担当班の長だった馬馼が職を解かれ、別の人物に変わり、海外では各種の政府トップの家庭腐敗事件が相次いで報道されたことをみても、その間の激烈な闘争の様子がうかがえます。事件は結局この中央紀律委の文件よりさらに簡略化されて罪に問われたのは3つとなり、主に薄の妻と数人の腹心や友人に限定されました。これは中共の「出来るだけ関わりになる党内人士を少なく」という原則に合致したものです。

    これがすなわち中共が党内事務的にみた薄熙来の『罪と罰』ということになるのですが、ある人は「もし西側社会なら、薄熙来の性格と才能なら政治家として大成功したろう」と述べました。其の点では私は同意しないのですが、しかし、西側社会なら自分が総統になろうとしてそれが「党を乗っとる政治的野心が有る」とみられたりはしないでしょうい。堂々と総裁選に出馬して当選するか落選するかです。後者なら紳士的に相手を祝って次の機会を待つ。彼の演説演技なら人々に譏りを受けるのではなく選挙中の長所になったと思います。

    しかし、薄熙来の家庭とその家事と国事をごちゃごちゃにしたやり方は西側政治の中では絶対に深刻な問題とされて、勝利の望み等まったくないでしょう。薄熙来が悲劇だとするならその中には制度的要素があると同時に、彼の個性とその出身家庭の家業の背景という要素もあります。地方総督としてかれはその任地では諸侯王族のようなものでした。違いは部下の王立軍がその例だがが家臣であると同時に”朝廷の臣”でもあったことです。だから家庭内のことと、領地の政治が不思議な混じり方をして、すべてが奇怪なことになって大変タイミングのいい時間に発生して、安っぽい殺人事件が身の破滅の悲劇をまねくという貢献を果たしてしまったのでした。

    中国の伝統文化は士に対して「身を修め、家を整え、国を治め、天下を平らかに」を求めます。しかし薄熙来は「国を治め天下を平定する」に忙し過ぎて、「修身養家」のほうを忘れてしまっていました。彼が股肱の臣だとおもっていた王立軍は自分の熟知した古くからの部下ではなく、谷開来夫人が推薦した人物で、谷夫人に推薦したのはその召使いの徐明でした。だから薄が考える部下の基準は夫人の召使いの基準なのか自分の属官の基準なのかどっちかわかりません。

    「南都周刊」が2012年12月17日号で「王立軍と薄・谷の交遊始末記」の特集を載せており興味深い読み物です。谷開来は王妃や大官夫人というより、青春きゃぴきゃぴお嬢さんといったほうがいい作家の金庸の武俠小説によくでてくるタイプみたいな感じです。90年代中後期に中国メディアが谷は知性と才能あふれる女性と報道しましたが、あのころの報道とこの報道をくらべると、鬱病と無節制な海外生活、ドラッグなどが彼女に深刻な知的障害を及ぼしていたと私はおもうのです。

    こうした事情は薄熙来は知りませんでした。かって公職についたことのない妻が王立軍の執務室を視察するというのを止めなかったばかりか、王が毎日3号棟にきて谷夫人が「べったりくっついてます」と報告されても妻に問いただす事もしませんでした。2011年12月末には、王立軍が北京の会議に行ってるとき、谷夫人は留守中の王の事務所から60足の靴、7~8個の服、何十もの香水、タバコ、時計、金銀をかっさらって行ったのでした。靴の一部は自宅に持ち帰ったといいます。薄熙来はその靴は捨てさせたが、コトを調べようとはせず谷夫人とその取り巻きが省の執務室と王の執務室を引っ掻き回すにまかせていました。このような「家を治める」姿勢では事件がおきるのは当たり前の事でした。

    もうひとつ指摘せねばならない奇々怪々なことは、いかなる公職にもついていない谷夫人が公安局のトップ層の会議にでたり、王の会議に登場して指示を与えたりすることが重慶市の重鎮の間では当たり前になっていたのでした。

    これでわかるとおり、薄熙来の同僚はこの紅色貴族出身の上司を虎の様に怖れていました。これらの無茶苦茶な行為は中共の情報網なら中南海ではとっくに知っていた筈ですが、誰1人制止しようとはしなかったのでした。息子の薄瓜瓜の問題でも薄は基本的になにもしませんでした。多くの高官の子弟が海外に留学しているのですが、息子の瓜瓜のよからぬ動静だけが大きく伝えられていました。この息子と殺された英国人ヘイウッドの1400万英ポンドの仲介費が何処から来たかはいまも不明です。こうした事が薄熙来が法廷で「私は家人や部下をよく管理できなかった。私の大きな過ちである」と述べたことなのでしょう。

    薄熙来が、自分の妻や子供を取り巻くおつきとなったヘイウッドやフランス人建築士や、徐明、王立軍の類いが谷夫人の魅力にひかれたのではなく、薄自身の権力に魅かれたことをしらない筈はありません。利益という手段以外、谷夫人はこれらの連中をうまく使う能力はありませんでした。こうした権力に魅かれて産まれた複雑な人間関係はいったん、主役がコケたらたちまち逆に主役を殺す鋭い刃になってしまうのです。

    薄熙来の悲劇は中国トップ層の戒めの鏡でもあります。彼の悲劇はこの制度の放埒な権力の特徴によってつくられたものでした。太子党の身分で権力を欲しいままにして、この政治制度がまたかれに表に現れない特権を与えたのです。この制度が変わらない限り、中国の上層部の政治は永遠に腐敗を免れず、特権濫用と陰謀というこの特徴を持つ事件で、薄熙来が最後の例になることは絶対にないでしょう。(終)

    拙訳御免
    原文の「何清涟:薄案庭审最终章:薄熙来是如何铸成的?」は
    www.voachinese.com/content/heqinglian-20130828/1739038.html
    何清漣氏のこれまでの論評の拙訳は;Webサイト 清漣居・日文文章 heqinglian.net/japanese/ に収録されています。

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