• 薄熙来事件の残した苦い果実

    by  • September 24, 2013 • 日文文章 • 1 Comment

    何清漣 @HeQinglian 氏

    2013年09月23日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/TNUdc
    2013.09.24

    8月から9月22日の薄熙来事件の済南(*中国山東省)法廷での裁判のプロセスは、中国当局、薄熙来おも法廷でのやりとりはすべて汚職腐敗を認めるか否かに集中し故意に薄事件の真の原因、即ち権力闘争の産物という点を避けて通りました。中南海が薄事件から政治権力闘争の色合いを極力消したということはそれ自体が中共の苦衷を表しています。
    《苦い結果の1;利益分裂と党内政治闘争》

    中共は「一党、一主義、ボス1人」の一元化政治を信奉しています。権力の伝承は前代の党のボス達が相談して後継指定するのです(だが、「人民が選んだ」と称するわけですが)。薄熙来が中共にとって許し難かったのはこのゲーム規則に挑戦したからです。更に面倒なのは薄熙来の支持者が党が目の敵にしている自由主義派知識分子や異議分子ではなく、党内の政治勢力、関係が非常に複雑に入りくんだ党の大きな支援を受けている新旧の左派だったということでした。

    特に中共を悩ませるのは、西側社会にも薄を褒める声があり、少なからぬ人々が薄失脚を惜しいと思い復活を望んでいる事です。党内の高い地位にあって薄熙来を支持しているのは陳元、劉源、張海陽等の太子党のメンバーでしたが、習近平はニンジンとムチ方式ですでに数百億元の資金を提供して薄熙来の「重慶方式」を支持した陳元を強力な国家開発銀行から引き離したり、または劉源、張海陽のように「英気を養うため」と退職させ、陳元と劉には別に国家政治協商会議の職務を慰撫のために与えました。これらの連中は薄を支持していたのですが、実はそれぞれが自分のソロバンを弾いていたわけで例えば薄熙来を支持していた劉源はずっと父親の劉少奇の新民主主義政治の復活を願ってさらなる出世を狙っていたのではありますが、一方では薄熙来が獄に繋がれる前でも、我が身の危険はちゃんと考慮にいれていました。

    NYタイムズの8月31日の「薄熙来は中央の命令で王立軍を切った」という記事は細部を暴露していて興味深いものです。「王立軍が北京に送致されてから、中央の命令で精神病検査され〜間歇性の精神上の問題があったと診断された。この話が広まれば王の薄熙来夫人の英国人謀殺に関する説明や他の告発もは疑わしいとおもわれるだろう。薄熙来はこの北京の病院を監督している劉源将軍に検査結果をリークするように頼んだが、拒絶されて、薄熙来は絶好の機会を逃したのだった」とあります。薄熙来に対する重刑はこれらの連中に対する脅し効果はあったでしょう。しかし党内の仲間争いを根底からなくすことはできません。

    習近平の悩みは他にも二つの評判があります。ひとつは薄熙来は政治的才能に恵まれているから、共産党は自らの前途を考え才能のある人物を起用すべきだというもの。もうひとつは薄は人民の利益を代表していた、というものです。例えばシドニー大学のKerry Brown教授は薄熙来の没落を大いに惜しみ、「中共は最も政治才能のある人物を失った。薄熙来はこの世代で最も権力をもつと同時に人民と接し対話できる人だった」「彼の遺産は簡単には消えず、彼の権力の浮沈への疑問は消えない。薄熙来の最後の挨拶は中国共産党の政治生活にとっては巨大な損失であり、おそらく数年後にこれを後悔するだろう」とまで述べています。

    この教授の「薄は人民と対話出来る」という見方は重慶で薄熙来が社会の支持と一定の成功を収めた事からきたのでしょう。しかしこの教授は中国が中共統治下の新しい独裁政権政治だという点を完全にお忘れです。この種の政治の最大の難題はまさに人材の逆淘汰システムと権力の交替の不確定性で、それが一緒になると結果はリーダーの質がどんどん代替わりするごとに低下する「劣性遺伝」になるのです。これは既にソ連であったことですし、中共と北朝鮮でも経験しています。教授が認めている薄熙来の個人的魅力と才能こそがまさに薄熙来を政治競争の中で禍の原因となったのです。

    中共は政治的競争を許しません。それは党の分裂を意味し、全体の団結を害するするとみているからです。トップ層の後継者はトップ層の「集団会議の相談」で決まるのです。誰かが自分から争う姿勢をみせればそれは党の組織紀律を見出し、最高層の権威の蔑視と映ります。だから中共はなぜ薄熙来がこれほど長期にわたって干渉されずに「独立独行」をやれたのか、なぜ「重慶方式」がかって人気で党内の高官たちの人気をも引きつけたのかを公開の場で説明することはできません。もしそれをやれば党内分裂を激化させさらに大きな厄介事をつくってしまいます。だからやはり「反腐敗」を喧伝しておいたほうが手間いらずなのです。

    《苦い結果2;薄熙来の下の層の意見吸収は中共のイデオロギーにぴったり合致》

    薄熙来は「トップ7」入閣狙いの戦いで太子党メンバーの隠れた支持の他に、下層社会の支持をえようとし「革命歌を歌って」「ケーキを分けた」のでした。前者は左派の底辺人民を代表すると称し、資本主義の搾取に反対するような言葉で上辺を飾り、後者は自分のネットワークから、例えば陳元の国家開発銀行から巨額借り入れし、重慶の公共サービスや民生ー例えば交通巡査の新しい交番や治安改善、廉価賃貸住宅、福利金増額などの民生サービスを向上させたのでした。「悪を打つ(打黒)」は民営企業主に打撃をあたえましたが、そのうち多くが冤罪だったにもかかわらず、貧富の差が亀裂をうんだ中国社会では大多数の民衆はこれらの「原罪を背負った」企業家たちに同情しませんでした。

    薄熙来の「革命歌を歌い悪をやっつける」運動は、中国改革30余年に不断に蓄積された深層矛盾を堀り起こしてしまいました。その核心は社会分配の不公平と貧富の差の不断の拡大でこれらの矛盾は日ごと尖鋭になり毛時代の「皆平等に貧乏」時代への不断の理想化を産みだします。彼らの多くは薄熙来が自分達に福利を謀ってくれるリーダーだと信じています。これらの経済改革で損害を受けた人々、例えばクビになった工場労働者らは自分達を組織する能力を持たず、現実の政治生活の中では無数のゼロの集まりにすぎません。しかし、一旦、彼らが自分達の「1」(*代表してくれるリーダー)を探し得たなら、その数は厖大にいるわけで潜在的政治エネルギーはみくびれません。この点が中共の悩みのタネです。

    中共の歴史を知る人は誰もが、かって中共が「貧乏人の党」と称したことを知っているし、「搾取するものを倒せ」をスローガンにして底辺革命をやったわけです。中共改革以来の現実と党設立当初の約束した事は全く違うわけですが、中共はこれを見て見ぬフリをしてきました。中共の教育宣伝は依然として旧いイデオロギーのままです。薄熙来の「革命歌を歌い悪を打つ」は完全に中共イデオロギーの急所を突き占拠して、社会底辺層の「貧しいマルクス主義者」達を利用して自らの政治競争の手コマを増やそうというものだったのです。具眼の士には当然薄熙来はただ政治的なニーズに応じて下層階層の社会支持を取り付けただけだと見抜いていました。彼の「黒を打つ」は「闇からのコントロール」として、真の思惑は毛沢東の専政的高圧手段で中共の現体制を維持しようというものでした。

    問題は習近平が首席になってからやろうとしていることがつまりは薄熙来抜きの薄熙来路線、だということがますますはっきりしてきたことです。思想言論の厳格な抑制、民主憲政への反対、資本抑圧(習の場合、外国資本も)唯一の違いといえば、習近平は下層を慰撫するために福利を利用して公共サービスシステム改善へ力を入れるという気はありません。それは彼と薄の立ち位置の違いで、薄は例えば国家開発銀行の裏書きした巨額借款など朝廷のカネを使えたのですが、習近平は「主君」だから朝廷のカネをつかいすぎて、自分が失脚したら大損です。

    薄熙来個人の命運は決着がつきましたが、薄の残した苦い果実は依然として存在します。そしてそれは中国の社会生活の中で密やかにこれからも成長し続けるでしょう。いつそれが再び中共ののど元を締め上げるかはわかりません。(底辺平等主義は中国発展のもうひとつのボトルネックです)。今回、中共は無理矢理二つの苦い実をなんとか呑み込みました。ですが、次回にもそのような幸運があるかどうかは神のみぞ知ることです。(終)

    拙訳御免
    原文の「薄熙来案留下的政治苦果」は www.voachinese.com/content/he-qing-lian-20130923/1755644.html
    何清漣氏のこれまでの論評の拙訳は;Webサイト 清漣居・日文文章 heqinglian.net/japanese/ に収録されています。

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