• 中国の社会底辺層に『階層意識』はあるのか?

    by  • October 1, 2013 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣氏@HeQinglian

    2013年09月29日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/IiXdc 

    夏俊峰が処刑される前後の中国の微簿や国外のツィッターの雰囲気は、2011年のチュニス街頭で路上商人が焼身したときのようでした。そしてひそかに「当局は社会底辺層の人間同士を喧嘩させて殺人を挑発している」とささやかれました。殺された城管(*中国独特の都市管理役人)も同じ底辺層だからです。
    この種の悲憤慷概の気持ちはネットの世界で何度も遭遇したおなじみの感情で、結局は現実世界の政治を動かす力にはなりないものです。なぜでしょうか?長年かんがえてきたことをお話しします。

    《”底辺層”の利益は全体でひとつなのか?》

    「相互殺戮を挑発」は実のところ間違いです。城管役人は底辺層ですが、しかしその身分は体制内の「法の執行メンバー」です。夏俊峰を権力タテに殴打したのです。この事件が中国社会で大きな話題になったのは権力が弱い人々を侮り侮辱したからです。今、中国では民主憲政派、護権派、新旧の左派、薄熙来まで含め、すべて中国のあの厖大な社会底辺層を一種の政治的なパワーとみなしています。しかしそれぞれが付与する「政治的使命」の中味はマチマチもいいところです。

    胡温の時期に一次盛り上がった護権派は、例えば損害賠償や死亡事件の責任の帰属など、おもに個人の被害者の損害を解決することを重視しました。彼らは大変な思いをして、中国の法治の進歩を推進しようと願いました。自由知識人達を主体とする民主憲政派はまず真っ先に中国の権利の問題を解決すべきだと考えました。権利があって、はじめて社会底辺層の人々ははじめて「弱い存在」ではなくなると。彼らはいつも権利の価値の理念を普及させる他に、個別事案でも互いに呼応して、世論として支持をあたえたのです。

    「公共的知識人」(*まあ、日本でいう”進歩的文化人”に近いかなあ(・・?))達は最近、ますます激しくなった政治的反対者からの非難を浴びていますが、しかし夏俊峰事件やその他の事件でも彼らは常にひるまず「その場」にいました。こうした情況の下でこれらの底辺層のメンバーと護憲人士の合作の基礎はといえば、「護憲人士が自分から介入し、あるいは被害者が相談を求めたの応じる」「事態が目標に達したあと、この種の合作は解消する」わけです。

    そして被害者だった人達は、自分が助けてもらったからといって、自分もそれ相応に同じ境遇の人々にお返ししよう、という意識にはならないのです。夏俊峰事件でも、最初から最後まで瀋陽の同業者の影はみえませんでしたし、全国の同様に城管役人から酷い目に遭った被害者やその家族の応援もありませんでした。「弱者」というレッテルは中国の社会底辺層の階級意識の目覚めというより、彼らはこのレッテルが社会の支持と道義的なアピール力がより沢山得られると知っているというべきでしょう。

    《誰が本当に社会底辺層を引きつけられるか?》

    新左派(*中国の「左派」は例えば毛沢東派みたいな連中で権力反対ではない。この辺は梶谷懐氏の『左派と右派のあいだ─毛沢東はなぜ死な(ね)ないのか』──asahi2nd.blogspot.jp/2013/04/gendai06.html などをおよみください)は底辺層人民を自分達がデフォで代表してその代言人だと任じています。しかし”底辺人民”という言葉を使う特許権が自分にあるという意味でしかなく、その”底辺人民”が酷い目に遭った事件で何か自分達が努力した、というようなことはないのです。彼らは常にそうした場面では”欠席者”であります。中国人が環境汚染や食品安全問題で酷い目にあっていても、彼らは全力で「米国からの遺伝子組み換え食料が中国人民の健康を害する」と叫ぶだけです。

    現実の暮らしの中で左派と社会底辺層は別に行動の接点はないのです。上訴難民の被害グループも困難なときは、ただ護権人士に援助を求めますが、新旧の左派の周囲に集まるのはいくばくかの底辺層と、口先だけの同情を寄せる「怒れる青年達」でしかありません。彼らの重要な政治目的は自由派の知識人をやっつけることであって、つぎに「グローバルな価値感」と「アメリカ資本主義」を攻撃することです。青年達のつくる理論は混乱しています。唯一の行動といえば将来有望にみえた薄熙来をかつぐのに参加してみただけでした。

    長い間みてきて思うのですが、社会底辺層が集まって立ち上がるのは以下の様な時だけのようにおもいます。一つは共同の利益が毀損された時、土地の強制収容とか環境汚染とか、同じ村の人々が地縁血縁で結ばれている場合。これは凝集力がやや強く一定の時間持続するでしょう。もう一つの可能性は同郷の関係で共に同様の境遇で不満が爆発した場合。2011年6月の広東省増城市の事件(*下っ端役人が妊婦を殴り暴動に)、2013年5月の北京の安徽省の女子がビルから墜死した事件。この様な一時的な集まりは反抗気分があっという間に広がるが、しかし圧力を受けると簡単に四散してしまいます。

    中国当局はといえば却ってこの社会底辺層を旨く取り込んでいます。「治安維持」に参加させているのだ。衆知の城管役人以外にも、ネット上の大量の五毛(*政府お雇いネット人員)の多くは職がないし、高校で「ネット紅軍」として密告をするスパイの多くは貧困家庭の出身です。 習近平の「唱红打黑」運動は、民衆の福利を改善するという、つまり底辺層が最も望んでいた「只乗り」行為、つまり自分では代価を払わず、権力者から恩恵を賜って、安上がりに賛美の声だけあげてればいい、ということ。でも、この種の”民心”は恩・謝の受恵関係にすぎず、政治的パワーになどなりません。

    中国の社会底辺層に階層意識など存在しないという証明は、以下の例が夏俊峰事件より更に典型的です。;2011年8月1日、四川省成都の双流県黄水鎮板橋社区で綿楽鉄道の建設の土地で地方政府の強硬取り壊しで死者がでる悲劇がおきました。この悲劇の中の強制執行した側とされた側は隣あった村の住民でした。なかにはお互いにしょっちゅう会っている顔見知り同士もいました。食うか食われるかの闘争をするに至った理由は政府が農民にカネをやって別の農民をやっつけさせたからでした。

    これらのなかには1日100元の日当にひかれて参加した女たちもおりました。これによってわかるように中国では社会底辺の支持を得ようとおもったら、民衆の権利意識を呼び覚ますというのではなく利益誘導だけが唯一の方法なのです。社会底辺層からすれば「権利じゃ飯はくえねえ」ということになり、永遠にご利益のほうが有難いわけです。中共はこれをしっかり知っており、有名な「あらゆる人民内部の矛盾は人民元で解決出来る」という名言があります。従って、知識人や中産階級の要求は人民元では解決出来ません。ですから、「人民内部の矛盾」ではないのです。(*「内部矛盾」でなければ「敵対矛盾」になるので、やっつけてもいい、ということになる(-_^))

    中共が昔、底辺層を動員しようとしたとき「世界のプロレタリアートは一つの家族。海よりも河よりも深い階級愛」といった階級意識は完全にこれは宣伝注入の結果にすぎず「地主をやっつけて田を分ける」という実益こそが革命で底辺動員成功の鍵でした。 今日でももし社会底辺層を政治動員しようとするなら、おそらく今もって利益に訴えるべきで、「色々な権利」に訴えてもダメでしょう。

    《真実の利益と幻想の階級意識》

    私はずっとマルクス主義の階級闘争理論に疑いをもっていました。この主義はいくつかの前提があって、「出身が思想を決定」する、とか、「全世界のプロレタリアートは家族である」とか、「無産階級が有産階級を消滅させた後、最終目標は全人民の平等が実現する」とか。この理論はまず革命後の現実によってウソと分かりました。中共は有産階級を滅ぼしまいたが、自分が却って特権集団になりました。続いて”改革”によって紅色貴族の一家が市場化を利用して爆発的な冨を得ると同時に、平民階級出身の官僚たちはやりたい放題淫逸に走る様子はなにも紅色家族にひけをとりません。

    この疑問は別に今に始まったことではなく、かって、「適者生存と有閑階級」(「読書」1998年10期)で、ウェブレン(*「有閑階級の理論」の著者)の偉大な功績はマルクスの階級闘争学説を否定したことだ、と指摘しました。「彼らはちょっと目にはみえないが、十分に確乎として管理者層と同じ態度をとると指摘し、例えば労働者階級は別に彼らの管理者達に取って代わろうなどとはおもっておらずその真似をしようと思っているが、別に自分が管理層の一員たろうとは思っていない」と。まさにこのような心のありようが社会のバランスを取り安定させるのです。

    実際、中国の歴史と現実はこのとおりでした。近代以前は科挙制度が貧乏な家の子弟に上昇できる道を開きましたし、晴耕雨読のインテリ達が誇りをもつ社会の伝統ともなりました。近代以後は大学教育がその上昇ルートになります。”上昇”とは利益に対してで、即ち社会的地位とよりよい職業です。歴史上のどの王朝も活気があったのはこの上昇ルートが開かれていたときで、中国の現段階は社会矛盾が尖鋭で、つまりこのルートがひどく詰まっています。

    利益こそがグループ行動の紐帯だということを認めさえすれば、人々はなぜ中国の強権治安体制の末端に、城管や五毛、維持人士監視員の国保(*中国の”ゲシュタポ”)のバイトが社会底辺層からきているかわかるでしょう。少年達を酷使したレンガ工場の主人とか各地のヒト買い業者たちは同じ社会底辺層です。その底辺層内では相対的な強者だから、自分達の利益を追求する為に同じ底辺層の”階級兄弟”や”階級姉妹”にひどい事をしたのであって、「階級意識」などありません。

    この文章は最初に言った「中国のネット世界の憤激の激情は現実の力にはなりえない」「当局の強大な治安維持力以外に、反対者の間には利益という接着剤は欠乏している」を説明しようという試みでした。社会底辺層に権利がパンより重要だと認識させる方法がない以上、今後も治安維持体制の下で「底辺層をお互いに殺し合う様に挑発する」という情況はつづくでしょう。(終)

    拙訳御免。
    原文は;何清涟:中国社会底层有无“阶层意识”? www.voachinese.com/content/heqinglian-jieceng-20130928/1759234.html
    何清漣氏のこれまでの論評の拙訳は;Webサイト 清漣居・日文文章 heqinglian.net/japanese/ に収録されています。

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