• 毛偲ぶ熱病中でも2種類の大べらぼう

    by  • January 1, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2013年12月30日
    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/Ih6ec

    中共トップの7常任委員が毛記念堂に詣でていよいよ毛追悼活動は狂熱の惑星自転状態になってきましたが、中でも二種類の大ベラボーが登場しています。即 ち、企業家と汚職官僚達です。この両者の発言はまさに中国の言喭にある「自分でも信じないような話で他人を欺こうとする」を地でいってるようなものです。

    《自らを欺く」;企業家が毛を”恋い懐かしむ”とは》

    今回の毛を偲ぶ活動で、企業家による「毛首席の管理方式に学ぶ」と言った文章が少なくありません。が、毛は生涯経済管理は全くダメだったのはさておいて も、社会管理の点でも社会を「プロクルステス(ギリシャ神話でベッドに客をねかせて、背丈が短いとベッドのサイズに引き伸ばし、長いと切り落とした男)の ベッド」として、人間を規格化産品として自分の思想を押しつけ合致しない人間を「反革命」としてきれいサッパリ”清掃”して、軽くても「思想改造」したの でした。

    毛が資本家を憎む事は甚だしく、資本家達には「制限、利用、改造」で、時期至れりとなると全部やっつけてしまいました。「新たな資本家階級」にはさらに 高度な警戒心をもっており、中国農村の集団所有制は元々、「社会主義公有制度」とも言える大家族制度のメンバーだったわけですが、文革中の「林彪を批判し 孔子を批判する」段階で、毛はレーニンの「左翼小児病」から突飛なアイデアを得て「小規模生産は常に時々刻々、自然に大量の資本主義と資産階級を生み出 す」という文句から手下の張春橋等に批判的論文を書かせて、かつ、当時の労働者階級や党員の一部にもそうした情況があると批判しました。

    それはプロレタリアートの中でも政府機関の労働者でも、すべて「ブルジョア階級の生活作風が発生する」として、「この問題をはっきりさせないと、修正主 義になってしまう」というものでした。その結果、「資本主義のシッポを切る」旋風が農村地区を襲い、村の市場ですら取り締まられたのでした。街では一切の 個人経営活動が消滅し、靴直しですら「やがてブルジョアジーになる」小生産者とされました。私の故郷でも劉という知識青年が1人雇って川砂のフルイを使っ ていただけで、「地下工場を経営するブルジョア分子」として逮捕され、獄中で病死しました。

    個人企業主が出現できたのは、理由は都市の就業問題の解決のその場しのぎの策でしたが中国経済改革後の一番の良い政治でした。1980年代中国経済学界 はさももっともらしくマルクスの経典から「8人以上人を雇ったら資本家だが、8人以下で自分も一緒に労働に参加している雇い主なら労働者を搾取していると はいえない」と”証明”してみせたのでした。

    こうして、かって紅衛兵の造反派のボスでも、”貧下中農の代表”でも生産隊長、工宣隊員でもみな毛左派の隊伍に加わって終日毛時代の神話で自分をも他人 をも欺きましたが中国の企業家はその仲間には入れませんでした。それは私営企業と毛沢東の関係で、毛がいるかぎり私企業は存在できません。私企業者は中国 の庶民から目の敵にされているのに文句を言ってますが、その元凶は毛沢東時代に中国人にたたきこまれた搾取論だということは忘れてしまったのでしょう。も し毛沢東が水晶の棺桶からまた這い出して来て玉座に上ったら、またしても「貧乏は革命、豊かは修正主義」の奇怪な思想で人を殺し、やっつけるとしたら、 真っ先にやられるのが日がな労働者を搾取する私営企業主でしょう。

    《毛時代の”裏口”が今日の”中国的コネ学”の根源》

    この”おなつかしや毛沢東様”ブームのさなかに、突然登場した奇文があります。汪华斌の「なぜ腐敗分子は毛沢東を懐かしむか?」と題する一文です。ネッ トを調べても別にどっかの汚職役人が実名で悔い改めたなどという話はありませんので、これは汪ナニガシが「毛沢東時代に汚職はなかった」という神話を利用 した奇襲なのでしょう。

    汪はこういいます。「これらの汚職役人は「自分が毛沢東時代にいれば絶対腐敗しなかった。だから誠心誠意毛沢東がなつかしいのだ。だって、毛沢東時代の 環境下ならすくなくとも年中ビクビクしないで済んだ筈だ」と。そして「ずっと改革開放で既得権益を得た連中は毛沢東が懐かしいとは思わないだろうとおもっ ていた。しかし腐敗分子は却って毛沢東が懐かしいという。まさに毛沢東の偉大さがここで分かるというものである」と揶揄しています。

    文革を経験した人ならどんなに忘れっぽくても「裏口からヨロシク」という言葉をわすれはしないでしょう。これは中国の「関係(*グヮンシ…人のツテ頼り で何でもオッケーな関係)術の最初の言葉です。当時の意味する所は極めて広汎でちょっとした物資、肉、食料、油、卵、布地など全部が定量供給制度下で、売 り子を知ってるとちょっとマシなものが買えたり、物差しで計る時にごまかして10センチほど余計に手に入るとかでした。或は、どこかで魔法瓶が数個売り出 されるとかのニュースをいち早くゲットできるとか、医者の肝炎の証明があれば砂糖を一斤買えるとか、いまからみると取るに足らないことにおもえますが、当 時は中国人の暮らしの喜怒哀楽を左右する大事だったのでした。

    大きな事がらの「裏口から」もありました。つまり子供の就職とか、職業募集、生徒募集、管理職に抜擢人事などです。七十年代になると五十年代生まれの青 年が数千万にのぼり、上は高級幹部から下は平民まで皆就職先が必要でそれぞれが「8仙人海を渡る」様に様々な神通力を発揮して、権力があれば「グヮンシ」 を通じて「ご挨拶」して、、所謂「底辺の推薦」は形式的なもんで私と一緒だった鉄道関係の幹部の指定は皆、この「裏口」で「推薦」されて大学や専門学校へ 生きました。

    権力はなくても、ちょっとした経済力があれば、ツテを捜してお礼を贈り、たとえば銘酒(手榴弾と呼ばれてましたね)とか、ギフト(爆薬と…)、腕時計な どを贈りました。100元程度でも、当時としては何ヶ月の給料で毛時代には大した価値がありました。邵阳市の知識青年関係主任の劉ナニガシは七十年代中期 に出世を踏み外したのですが、病気による都市帰還の認定の権利を持っていたので、男からは賄賂、女には強姦まがいのことをしていました。その賄賂を展示し たのをみたことがありますが、数千元の現金、四十数個の腕時計(当時は切符制でしか買えなかった)、百本以上の酒、コーデュロイやサージの上着100着と か。当時はめったいない一財産だったのです。

    文革当時の話をしなくては。当時、中共の高級幹部、特に軍隊の高級感部では大学に子供を入れるのが大流行しました。葉剣英も身近の職員ら20人以上を看 護学校や軍医大、国防大学にいかせていました。江青はこの点をとらえて「反ブルジョア法律違反」として毛沢東に、葉が裏口から大学に入れていると訴え、葉 は毛沢東に弁明の手紙をださざるをえませんでした。その返事に毛沢東はこう書きました。「剣英同志、これははなはだしいことで、支部から北京に関係してく る人達は何百万人もいて、裏口からでもいい人は来るし、表だってだめなヤツがいる。表面だけをみる形式主義にはこまったものだ」と。毛はなぜ葉の「裏口入 学」を弁護したのか?簡単なことで、毛は自分も喜んで同様のことをしていたのでした。後に毛が唐聞生、王海容に 言い訳したのは「裏口は、俺もやってる。 何人かの女の子を北京大学にいれたし。しかたなかったんだ。わしも小謝(谢静宜;*「毛主席の側で」の筆者、中央委員になった毛の愛人の1人といわれる) いれんわけにはいかんだろ。みな悪いやつじゃないんだから」と。毛沢東が葉への返信で「裏口からの者」が「支部から北京まで数百万人に及ぶ」と書いている ところに注意してください。

    毛沢東時代に腐敗がなかったというのは元々、毛左派の妄想した神話です。事実上、毛時代からとっくに腐敗はあったのですが、時代がちがいましたし、中共 政府の資源管理のやり方もちがいましたから、毛時代の腐敗の形がいささか今とは違っていました。前にも言いましたが計画経済時代は政府役人の手中の権力と 資源は何の市場もありませんでした。ただちょっといい家に住みおいしいものが喰えた程度でした。改革後、政府役人の握る権力と資源は変わらず、しかし市場 ができました。その権力と資源は市場を通じて金銭に変わったのです。その家族の子弟は各種の「グヮンシ(関係)」ネットワークを通じて官僚が権力をカネに かえる重要な相方になりました。

    改革開放は役人に大量のカネを海外に隠せるようにさせました。更に重要なのは文革時期には情報が厳格に管理されており、官僚腐敗行為があっても”噂”で 伝わったのですが、今はインターネット時代で不完全な制御しかできない外国メディアもあります。情報伝達の方式に質的変化がもたらされ、役人の腐敗を完全 に「秘密」にしておくことは難しく、暴露される可能性がかなりおおくなったのです。

    様々な毛左派が文字を通じて想像しているのは、いかなる個人資本も存在を許されず、大小の幹部は権力を利用して『裏口よろしく』がありふれた事に成った 毛時代をもって中国歴史上の黄金時代となしているだけなのです。そんなにこうした黄金時代に戻りたいなら別に難しくはありません。中国はすでに赤色億元村 として有名な南街村もありますし、また「紅色地区」をつくったらいいではありませんか?毛左派が申請をだせば習近平総書記はご承諾くださいます。毛首席を 最も熱愛する韶山(*湖南省中部の毛沢東の故郷)を紅色特区にして、毛沢東を偲ぶ私企業の経営者のみなさんはおおいに協力なされたらよろしい。

    懐かしい毛沢東の管理思想とやらを実践して、毛を愛する全ての人々とそこで日がな革命歌を歌い、毛語録を暗唱し、毛の詩を吟じて、毛時代のどの段階のど の時代にでもなつかしさにひたっておいでなさい。反革命や反右派闘争をおこなって闘争批判集会をひらき、なんでもやるがよろしい。ただ、全国の人民を一緒 につれていかないでほしいものです。(終)

    拙訳御免。
    (*原文「悼毛狂热中的两类荒诞出场者」はここに;p.tl/gnPa

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