• ”文革”の二重性;国家の罪と凡庸の罪

    by  • January 28, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣
    2014/1/17

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
    http://twishort.com/BbBec

    最近、宋彬彬(*共産党幹部の娘でかって紅衛兵リーダー)を主役とする北京師範大学女子付属中学の3期生が「文革謝罪会」をひらいたことによって投じら れた一石はおおきな反響を引き起こしました。もし、さらに多くの人が出てきて謝罪すれば社会の和解になると絶賛する人も少なくありませんでした。一方、こ れに対して、「NO!」という人々も多く、宋の謝罪の内容は一枚の大字報を張り出し、教師(*卞仲耘女史)が殴り殺されるのを阻止出来なかったという内容 で、自分を参加者から傍観者の立場に変えており、道徳的責任を買って出たものの、法的な責任は担おうとしておらず、その謝罪は深いものではなく、「ええ かっこしいだ」との声もありました。

    個人の謝罪を通じて社会の和解を達成しようというものの見方は、完全に”文革”の本質的な特徴を無視しています。それは国家の罪であり『凡庸であったことの悪』との結合であったということなのです。

    《”文革”のコインの両面;国家の罪と凡庸の罪》

    ハンナ・アーレント(*哲学者、独→米)のEvil of banality(*凡庸の罪)は専制国家での民衆の行為のモデルを分析するのに役に立ちます。「凡庸の罪」とは専政体制下で人々がイデオロギー的に無思 想、無責任な犯罪を強いられることを言います。これまでアーレントの他にこの大変困惑させられるテーマについて触れた人はほとんどいません。しかし”文 革”分析にはこの視覚が欠かせません。

    私はずっと”文革”はまず国家の罪だったとおもっています。”文革”中に発生した数々の暴力事件と中共政府が長年やってきたイデオロギー教育、政治動員 は直接関係しています。”文革”(と、その前後のは右派闘争”など)は、すべて国家動員に関連した政治的色彩のある違った類のない犯罪で、一般の自然人の 刑事犯罪とはハッキリ区別され明らかに指導者による国家の意思を体現したものです。

    中国の国家の罪の類型は多く、比較的分かり易いのは国家機関の直接行われた犯罪です。例えば”文革”中に領袖の意思やイデオロギーにどんな意味でも背い た人達、林昭、遇罗克、李九莲、张志新、王申酉は国家機関によって恥ずかしめられ処刑されました。これらの国家の罪は名誉回復されたとはいえ、政府が故意 に設置した障害の為に、全社会の範囲で本質的に理解されているとはとてもいえません。しかし群衆参加や群衆によって行われた他のパターンの文革の罪や過ち に対しては

    人々は容易にその特徴や国家の罪だということを見過ごしています。それは国家政権が長年のイデオロギー教育を通じて群衆をそのようにしたのだ、ということです。つまり”文革”には3つの普遍的な犯罪があり、それは国家の罪と凡庸の悪の共同構成なのです。

    第一類の犯罪は全国的に展開された大批判闘争で批判されない対象はありませんせでした。党内走資派、文芸戦線における封建資本修正路線、文教工作者、地 主、金持ち、右派等21種類の人々、各地のどこにも批判闘争で殺されたり辱められ自殺した人々(実際には『自殺と言う事にさせられた人々」を含みます)、 今回の 北京大学付属中学の卞仲耘女史はこの部類に属する受難者です。

    第二類の犯罪は都部地区の所謂「地主、金持ち、右派、悪人反対闘争」でその家族が集団屠殺されたことです。北京の大興県、湖南の道県と邵陽県等の大虐 殺。この暴行はみたところ紅衛兵と貧、下層中農の自発的な”革命行動”にみえますがしかし本質的に見れば、これは為政者が長年にわたって階級闘争を強調 し、「地主、金持ち、腐敗分子、右派」に階級暴力の実行を行って来た専制政治の論理的帰結なのです。

    第三類は家を略奪し「打ち壊し奪う」です。文革書記にこの種の行動は「古い4つを破り新しい4つを立てる」と称して紅衛兵が行動主体でした。丁大華の 「世界に稀に見る紅衛兵の略奪戦果展覧会」に、その額は四百億人民元、黄金は百万両(*両=50g)達したとされます。この種の犯罪は往々にして群衆が自 発的にやったので政府は無関係だとされます。しかし、その源流は中共の宣伝期間が1963年から始めた”階級闘争”で”無産階級が興り、資本家階級を滅ぼ す”や「封建、資本、修正」を批判すると関係があります。

    文革中に他人の家を襲い略奪した行為はすべてこうした旗の名の下に行われて例外はありません。けっして一般的な意味での群衆犯罪などではないのです。そ の”成果”が権力システムによって展示されたことでも十分これらの略奪の目的がその主旨に則ったものであることの説明がつきます。これはまた今に至るまで 政府がこの種の行為に対して沈黙している原因なのです。”文革”の後、中共は上述の三種の犯罪をツイ気宇しませんでした。かつて追求した「3種の人」は主 に全国にいた「造反奪権」活動の参加者です。

    例えば政府機関を攻撃して武器を略奪したとか、臨時に政府権力を奪取したとか等です。しかし中共はこの種の犯罪を追求する時でもわざと「’造反有理”の 呼びかけは毛沢東が発したもので、毛が国家の領袖と党の権威をもって 紅衛兵と造反派を動員し、自らの指導の元で政府に反抗させた、という一点は無視して きました。つまり毛沢東が”造反”に合法性を与えた、ということを、です。

    現在”人民の文革”を盛んに誉め称えている人々がいますが、実はおもに1966年11月から1967年6.7月の間の全国に出現した奪権行動です。文革が終わって後はこの種の行動は中共によって犯罪行為として追求されています。

    《文革”に誤って参加した人々は何故反省しないのか?》

    ”文革”のはじまったときわたしは十数歳でした。群衆の群衆が蒸しそう、無責任なイデオロギーに染まって狂った様に至る所で犯罪行為をおこなっている姿 は永遠にわすれることができません。資江河の数百の死体が漂う光景(邵陽県の貧下中脳が地主、富農とその家族を虐殺した”戦果”)をこの目で見た後、アー レントの本を読んで「凡庸の悪」という言葉を知った時強く共鳴しました。

    文革中に伝えられた「毛主席最高支持」は「良い人が悪人を打つ。当然。悪人が良い人を打つ、光栄。良い人が良い人を打つ、誤解」という言葉は当時の紅衛 兵や労働者、農民造反派が人を殴るときの口頭禅で、もちろん唱えられたのは一番目です。近所の”出身の良い”子供が”出身の悪い”子供を殴る時にもこの最 高指示を真似していました。今日、中国人の”文革”に対する知的混乱は、政府がわざとそうしている要素があります。

    例えば、政府は今に至るまで”文革”期間中に発生したあらゆる悪性の暴力事件が最高指導者の毛沢東が革命の名において指示し、煽動し、激励し、容認した ことや、中共政権が長期にわたってイデオロギー宣伝と広汎な政治動員をおこなった直接の結果だということを。政府がこれを検討するのを拒否しているのは当 然、政治的な合法性の見地からです。もし毛沢東の悪魔的な方法が深く暴かれたなら、また「毛、晩年の過ち」だとか「3割の間違い、7割の正しさ」といった 中共の政治的な「悪い所は切り離す」やり方をしなければ、中共政権は深刻な自分達の政治的合法性という点で苦境に陥ります。

    しかし、”文革”の犯罪に参加した人々は一体どの程度の反省や検討をしたのでしょうか?今に至るまで、ただ張紅兵が『母を密告して殺してしまった』と懺 悔し、陈小鲁、宋彬彬らが謝罪しただけです。そのうち宋の謝罪は真相からほど遠く被害者の家族らの受け入れる所とはなりませんでした。絶対多数の本当に悪 事をした連中は巧みに時代に責任をおしつけ、或はこの時代をさっぱりと見ない様にしています。

    道県の大量虐殺は現地の貧下層中農達は未だに反省していませんし、未だに被害者の家族達は加害者によって脅されています(最初匿名で発表された「湖南道 県屠殺人」による。同書は「血的神话——公元1967年湖南道县文革大屠杀纪实」として出版。)。邵陽県の情況も同様です。殺人に参加した者に罪悪感は無 く、政府の態度も言った人を捕まえるだけで、文革後に産まれた同地区の人々はそのような事件がかってそこで行われたことすら知らないのです。

    ”文革”のもうひとつの特殊性は悪行を行ったものたちの多くが責任を問われる事無く逃げていられることです。”文革”が毛沢東その人の個人的権威によっ て群衆を動かした政治運動で、毛は自分の必要に応じて常に運動の重点と方向を調整していたため、運動の流れが何度も逆になったりして、毛とその側近の江 青、张春桥、姚文元等少数の核心にいた人物を除いては、ほとんど大半の人が最初から最後まで”正しい”ことはありませんでした。

    毛のやり方は今日はAを使ってBをやっつけ、明日に成るとCをつかってAをやっつけさせるものでした。前の段階では革命の闘将でも、次の段階では「革命 の邪魔者」になりました。”文革”が終わってから、最後まで残った一群の”文革権力者”の4人組とその追随者達の他は、多くの人々がある自転で自分は被害 を受けたということができて、自分は被害者だったという一面だけを表明するのでした。

    ですから”文革”の清算、社会の和解達成にはかならずや2つの層面があるのです。一つは国家政権が国家の罪を懺悔し謝罪し、賠償すること。もう一つは参 加した加害者が懺悔すること。前者があれば中国人の”文革”に対する認識と反省がはじめて支点を得る事ができ、この二つが並行してこしはじめて社会の和解 が達成されます。アーレントが分析したアイヒマンと違う所は、アイヒマンは命令に基づいて行いました。本人は”職務行為”だったのです。しかし、中国の” 文革”で罪を犯した人々はほとんどが社会環境の誘発の下で自動的に参加しました。これは組織内の執行命令による職務犯罪よりさらに人間性の悪というものを あらわしています。

    中共当局は”文革”が国家の罪だったと決して清算しようとしないとき、個人が”文革”に参加した罪を反省し懺悔したことは中国人の”文革”に対して小さ な窓を開きました。しかしもし”文革”を個人の後悔レベルに捨象してしまい、国家の罪を無視するなら、それは歴史に対する極めて無責任な態度です。歴史の責任から故意に逃避する民族はやがて歴史の厳重な懲罰を受けることでしょう。(終)

    拙訳御免;
    原文は 「“文革”的双重性:国家之罪与平庸之恶」;www.voachinese.com/content/he-qing-lian-20140117/1832688.html

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