• ウクライナ”革命”が変える地政学地図

    by  • March 11, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣氏

    2014年3月6日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/KQTec

    ウクライナの民族主義者がヤヌコビッチ政権を転覆させ、世界は「人民の勝利」と歓呼し「革命が政権を転覆させ」全てが叶うのではと沸き立ちましたが、し かしウクライナの民族主義者はごく短期間の革命的熱狂の後、この民衆が歓呼した革命が、自分達の国家を前途不明の危機に導き入れたことを発見したのでし た。

    《1;革命はウクライナの万能薬ではない》

    革命は万病に効く治療薬などではありません。ましてやすでに民主憲政の形式を備えていた同国の直面するのは以下の矛盾と混乱です。

    ①ウクライナの国際地政学的な特殊環境。
    ②ロシアとの間の数百年にわたる複雑な歴史的恩怨。
    ③ ロシアとそれ以外の国との矛盾が内部化したロシア語母語民居住区との矛盾。

    ウクライナはロシア帝国の影の下で数百年間もがき続けた歴史があります。ソ連が解体されたとき新たな選択のチャンスがおとずれました。それを可能にした 切り札がソ連解体後の核遺産です。176基の戦略核ミサイルと150の核弾頭で中には46基の55-24最新弾道弾もあり、米、ロに次ぐ世界三位の核大国 になったのです。米国とロシアの硬軟様々な圧力の下で理性と現実的利益が考慮されて1994年12月5日にウクライナ、米国、ロシア、英国がウクライナが 核不拡散条約に加入署名し、また「ブダペストメモ」としてウクライナが核兵器を放棄した後、3国が同国の独立と内政不干渉を保証する覚え書きにサインしま した。

    しかし覚え書きは正式な条約ではなく、一枚の外交文書です。外交史上には似た様な先例がなく合法性は大変微妙です。専門家はこの条約は国際法の規定下に 構成されたものだが、強制執行できるものではないと表明しています。今回の危機後、ウクライナは米英に救援を求めましたがそれはこの覚え書きに保証された 領土保全の承認に基づいたものなのです。

    ウクライナの民族主義者は成熟した政治家達ではありません。彼らは行動中は所謂革命がウクライナの問題を解決できないばかりか、却ってウクライナを引き 裂く局面を招きかねない事にまでは思い至りませんでした。ましてや東西両陣営の板挟みの真ん中にあるウクライナ政府が多くの場合主導的な選択権が無いこと など考えもしませんでした。

    《2;ウクライナは地政学上で特殊な位置にある》

    ウクライナの特殊な位置は独立したその日から影の様についてまわりました。米ソ冷戦終了でイデオロギーの張り合いが突出したモデルは歴史の舞台から消え ましたがこれにかわって一度は消えたかに見えた地縁による政治が取って代わったのでした。もはやイデオロギーによる線引きが不能の時代に地縁に基づく思考 が国家制定と国際戦略のキーになったのです。

    ウクライナの地理的位置とその他の権力の中心(ロシアと欧州)の関係がその「安全」というテーマを決定します。ロシアと直接国教を接している国家として ウクライナは重要な両者の緩衝国です。ソ連の解体はウクライナにあらたな選択の機会を与えましたが、地理的な位置はウクライナの特殊な運命を変えることが できませんでした。一面ではロシアに多くの、経済や軍事、政治でロシアに依存して、支持と援助を獲得しました。

    しかし、一方では「この世にただの昼飯などない」わけで、ロシアはウクライナを自国の安全の牆壁としてNATOに対抗させます。援助と同時にその”政治 的忠誠”を求めるわけです。つまり政治的依存です。こうした矛盾状態こそが直接前世紀の90年代以来、ウクライナ民族主義の勃興を刺激してきました。一部 の見通しの効く政治家は外部の力をかりてロシアとの間のバランスをとろうとしましたが、これがウクライナの親西側勢力をうんだ背景です。去年の11月から 始まる一連の危機の爆発した背景は親ロシアのヤヌコビッチ大統領がEUとの貿易協議にサインするのを拒否したことからはじまりました。

    《3;クリミアーウクライナとロシアのへその緒》

    ロシアとウクライナの恩怨の関係は1000年以上前からです。「恩情」の法は両国の文化の融合にあり、ロシア国章の双頭の鷹は9世紀のキエフ公国ーウク ライナ民族の最初の国家から受け継がれています。西暦988年、ウラジミール大公がビザンチン帝国のアンナ姫を妻とし、基督教を国教とし、以後、歴代ツー リはビザンチン文化の継承者を自任してきました。

    両国の怨みはどうでしょう?ロシア支配を逃れる為にウクライナはずっと反抗を続けロシアの支配を脱却する努力を放棄しませんでした。1905年、ノーベ ル文学賞受賞者のシェンッケビッチの「火と剣を持って」はポーランド、コサック、ロシア、トルコ、タタール(蒙古)人のウクライナにおける数百年の争いを 描いたものです。黒海のクリミア半島こそウクライナの複雑な歴史の縮図といえます。その民族構成、地縁政治の遺産は度は現地と周辺国家の指導者の悩みの種 なのです。

    クリミアの人口構成ではロシア人が58%、ウクライナ人は24%にすぎません。クリミアとウクライナは同床異夢は各方面でみられます。ウクライナ憲法で はウクライナ語が唯一の公式言語ですが、クリミア政府の仕事では主要言語はロシア語です。現地人口の調査では77%のクリミア住民はロシア語を母語とし、 11.4%がクリミアタタール語、ウクライナ語は10.1%に過ぎません。1953年3月、ウクライナ中央政府はクリミア支配力を高める為に、ソ連を発生 源とする多くの動乱地区が出現するのを防止する為に、相次いでクリミア憲法とクリミア総統を廃止し、クリミア自治共和国をウクライナ中央政府の直接支配下 におきました。ウクライナの独立後、クリミアの親露傾向はウクライナのアキレス腱となりました。

    2010年の大統領選挙ではヤヌコビッチがクリミアで大量得票しました。今回の政変後は、多くのクリミア人がヤヌコビッチは被害者だと認識しており、ク リミア議会の分離主義者はウクライナ離脱の市民投票をやろうとしています。親露派のクリミア大統領アクショノフはプーチンに助けを求め、プーチンに平和を 維持を求め、現地住民の多数はロシアがクリミアに出兵すると楽観しています。

    《4;ウクライナ政変はプーチンが国際ルールを変更する口実となった》

    プーチンのクリミア派兵でウクライナの上に戦雲がたちこめました。ロシアと中国は国連安保理の常任理事国ですから、国連がロシアの派兵を譴責する決議は 不可能です。米欧はただ共同でいかにしてロシアに制裁を加えられるかを協議できるだけです。目下の所、ロシアはクリミア半島に1.6万の兵力を送り、プー チンは記者会見でウクライナに対する軍事行動は「最後の手段」だとしています。同時に欧米はただロシアの措置を拒み、貿易関係や国防関係の交渉を暫時停止 するとしか言えません。

    NATOの主要構成員の英国首相はすでに英国はウクライナに軍事介入しない、政治、外交努力で問題を解決すると明らかにしています。ロシアのクリミア派 兵占領は計画的なもので、ヒトラーがチェコのズデーデン併合の様なものです。ロシアのネット新聞「ブズグリャド」によると、「ロシア王者復帰。プーチンの ウクライナは兵はソ連時代以後の米国単極主義の終焉」としその出兵を称えました。ロシアは再び超大国の地位を回復し、かつウクライナをめぐる大規模戦争は 起こらないとみています。

    この記事はまんざらデタラメだとはいえません。今の国際情勢は1994当時のブダペスト覚え書きサイン時とは大違いです。プーチンは出兵前に欧州と米国 はウクライナ危機に対しその行動は政治外交手段に限られると読んでいました。原因は大変簡単なものでEUは経済困難のさなかにあり、まったくNATO軍出 動の費用を賄えませんし、米国経済は回復途上とはいえ、厖大な借金で米国人の過半数が米国が国際社会で「余計な事」減らす事を望んでいます。

    ウクライナは東欧の国でEUにとってロシア勢力を制する戦略要地です。クリミアがロシアに占領されることは純粋に「欧州内部事情」で、そのEUがやらな いのになんで遥か離れた米国が火中の栗を拾う理由がある、というわけです。ましてや米国は軍縮でシンクタンクも世界は「ポスト米国時代」にはいり米国は前 地球規模の厖大な軍事力をもつべきではないと提案しているのですから。

    ロシアと中国ははやくから「国際ルール」を変更したがっていました。中国は東海、南海で頻繁に相手の出方をうかがっていましたし、ロシアのクリミア出兵 は再び、世界に強国のイメージをあたえようという始まりです。そしてこれはロシアと中国が手をとりあってやろうとしている「国際ルール」の変更の第一歩で もあります。《中国人权双周刊》第125期    2014年2月21日—3月6日

    拙訳御免。
    原文は;乌克兰“革命”将改写地缘政治版图 biweekly.hrichina.org/article/15181

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