• 大国のお殿様、欧州の夢の旅

    by  • April 2, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣 @HeQinglian 氏 全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi

    2014年4月2日 http://twishort.com/wndfc

    習近平中華人民共和国主席の今回の欧州旅行の収穫は頗る豊富だったですね。まずフランスで「眠れる獅子は目覚めている」といいはなち、次のドイツでは1735年の地図をプレゼントされました。その内容と国内メディアの地図に対する反応を見ると、まさにまるで一場の夢のような旅行でした。順序よくみてまいりましょうか。

    《中国という眠れる獅子一体何度目覚めたらすむのよ?ー》

    習首席が仏で「獅子の目覚め」を講演しました。この出典はナポレオンだということですから、中国元首がこの話をフランスでしたのはなるほど理にかなっています。習首席の話は「ナポレオンは『中国は眠れる獅子で、目覚める時世界は震撼するだろう』と言いましたが中国という獅子は既に目覚めています。しかしこの獅子は温和で親しみのもてる、文明的なライオンなんです」という内容でした。

    しかしこの話はどう読んでもへんな気がします。だってフランスはもともと西側の中で真っ先に中国(中共)と国交を結んだ(1964年)中国とは大変親密な国。それを、習首席がわざわざ口にだして(寝てようと目覚めていようと)とにかく「獅子」であることを相手に思い起こさせたわけで、こんなことをあえて言う必要のある場合の可能性は二つ。一つはフランスが鈍感で未だに獅子が目覚めたことに気がついてない場合か、もうひとつ考えられるのはフランス側が中国と言う獅子に対してどうも温和で親しみやすい存在だとおもってないのではないかと懸念される場合です。

    この二つの可能性はどちらも面倒のタネになりかねません。獅子が善良で親しみやすいといったところで、獅子は肉食獣ですから食料は襲って奪う存在です、その餌食となる対象は比較的弱い小動物です。ライオンの性は遺伝子配列でも変えない限り草食動物にはなりません。ですから、可愛いらしいかそうでないかなんかどうでもいいことです(^^)。ましてやフランスはこのライオンに対してずっと仲良し、かつ好かれようとしてきてて、米英なんかよりも親しみやすいとおもっている国なのですから。

    獅子が目覚めたという話がもたらす問題はほかにもありますね。もし一国の歴史と文明に連続性というものがあるならば、私達は中国という獅子がこの100年間に何度も寝たり起きたりしていることを発見してしまいますよ。どっちの期間が長かったかというのはなかなかはっきりさせられませんけどね。

    ところで、現在、中国のネットのデータちょっとしらべただけでも、中国と言う獅子はこの100年に三回目覚めています。目覚めさせたのは孫文、毛沢東、改革開放の鄧小平ということになります。

    《百年に三度呼び覚まされた獅子、起きたのはいつか?はなかなか難しいモンダイ》

    歴史を変えた近現代の人物では孫文が一番早く「眠れる獅子」に言及しました。1985年1月に香港滞在時、西洋医学を勉強したときの先生のJames Cantlieも香港にいて孫文にお金をだすかもしれないというので、現地の写真館経営者の金持ち・梅屋庄吉を紹介しました。そのとき、孫は梅屋に「西欧人はみな中国が眠れる獅子だというが、もし獅子なら起きてこそはじめて役に立つ」と言いました。

    ここから「眠れる獅子」という言葉は新聞、雑誌にしょっちゅう登場する流行語となって、民国建設、北伐戦争の開始まであらゆる革命はすべて「眠れる獅子を目覚めさせる行動」とされ、例えば北伐軍の軍歌には「♪同志よ立て!歌を聴け、危険をしらせる鐘が鳴り、眠れる獅子は目を覚ます♪」とあり、当時の言い方に従えば孫文が中国獅子を目覚めさせた最初の人であり、中国獅子もここで猛然と一度目覚めた、ということになります。

    第二位は毛沢東です。中共の政府側の宣伝によると毛沢東は「東の眠れる獅子を覚醒させた巨人」と言われます。文革の前と文革中、中国の5000年にわたる歴史はすべて暗黒の奴隷制と封建王朝といわれ、世界の3分の2の人民は塗炭の苦しみを舐めているとされました。つまり毛沢東の功績は眠れる獅子を起こしたという功績だけではなく、中華民族を5000年の暗黒から救い出した人物であり、世界の苦しみに喘ぐ人民の解放者だということに昇格させされました。

    第三位は「改革開放の設計師」鄧小平です。1978年以後、中国のある時期、新聞テレビの政治関係の報道はいつも「11回三中全会以来」を決まり文句にずらずらと改革の成果を並べました。で誰かが改革開放と獅子の目覚めにたとえましたね。ちょうど香港のテレビ劇「霍元甲」(*秘宗拳の武道家)が人気で、主題歌「血路を開け、手を挙げて、国家の中興を果たし、眠れる獅子を目覚めさせよ♪」が大流行になりました。

    ただその後、こんなに人気のあった「眠れる獅子」ですが、かの中共中央宣伝部(*中共イデオロギーの総本山、みたいな管理組織)はシンボルに採用しませんでした。で、中国は又「東方の巨龍」に戻りまして「龍の子孫達」という詩が全中国で人気となり「はるか東に龍が居て、その名を中国という♪」と唱われるようになります。龍のほうが獅子よりカッコいいシンボルですからね。

    ところが、今回、又しても中国のシンボルは龍から「目覚めた獅子」に戻っちゃいました。が、どうやらこの獅子は居眠りしていようがおきていようが、百獣の王というだけでは力不足で、時の権力者ののお墨付きがいつも必要みたいですね〜。その時々の権力者の方からみれば、”獅子”はいつもグースカ眠ってばかりいて自分が起こさない限り、目覚めない存在なんですね〜。

    《1793年地図の国内版》

    メルケル首相が送った1793年の地図に対する中国国内での『説明』は元のものからヘンシーンしております。捜狐ネットを例にとると、メルケルが送った1735年の中国地図 http://p.tl/OO9u の左右の下にドイツ語の説明がありますが読者にははっきりわかりません。

    困った事にはもしこの地図の赤線内が清朝の領土とするなら、今日のチベット、新疆、東北(清朝発祥の地)も赤線内にはありません。つまり赤線内の版図は清朝のものというより、明朝のものなんです。捜狐の担当者はこれでは読者が(*今の中国の偉大な領土を)分からないのではないかと心配して、メルケル地図の上に、乾隆帝時代の地図から作った別の地図を載せてこんな説明を加えています。

    「当時の中国の版図は北部極東の北はタンヌー・ウリアンカイ(Tannu Uriankhai)地区(*今のモンゴル西北)とシベリア、南は南海の千里の堤防と万里の浜、南沙列島のJames Shoaにおよび(これは、いまでいうなら西沙群島、南沙群島、西南はチベットのタワン、雲南の南坎、江心坡などビルマ北部、西はアラル海からパミール峠、今の新疆、中央アジアのバルハシ胡、東北は外興安嶺に、樺太、東南は台湾、澎湖群岛、尖閣諸島列島を含み、総面積は1300平方キロ。この他に周辺国家は朝鮮、ベトナム、ラオス、ビルマ、琉球、ネパール、シッキム、カリマンタンが清朝保護国でした」と。

    1735年とはどんな年だったでしょう?丁度、雍正帝が崩御し、25歳の乾隆帝が位についた年です。乾隆帝は中国歴代皇帝のなかでも最も運の良かった人です。文武に成績をあげ長寿を保ちすべてを持っていられた皇帝です。その最大の業績は領土拡張で中国史上空前絶後でした。その祖父の康煕帝は領土拡張だけでなく専門家を集め30年の歳月を欠けて中国歴史上最初の巨大地図《康熙皇舆全览图》(1717年)を編纂させ、この後も領土拡張は続き、乾隆帝の24年(1795年)新疆を平定し、大清帝国の版図は空前の大きさとなり、北はSaian(*モンゴルの北)から東北は外興安嶺、樺太、西はバルハシ湖まで空前の大統一多民族国家を形成しました。

    乾隆帝は新疆を測量させ《皇舆全览图》をもとに、《乾隆内府舆图》を作り、我が世の春を謳いあげていました。1792年に英国の全権代表マッカートニーが清朝を訪れたときも、乾隆帝は「我が国には何でも有るから国外の野蛮人のものなどいらねんだわさ」と大威張りでのたまえたのでした。(*ここを頂点に大清帝国の凋落がはじまる)

    メルケルが習近平就任時に、乾隆帝が皇帝になったときの地図を贈ったことについて、国内ではこれに大清帝国の地図と説明を付けて「当時の中国の版図は北極東、北モンゴルのタンヌー・ウリアンカイ、西シベリア、南は南海まで」としました。 しかし、いまでは極東、タンヌー・ウリアンカイ、西シベリアはみなロシアの版図で、さらに現在「クリミア半島ロシア編入」まで起きて欧州が頭に来ているときですから、国内のネットでもなぜ、メルケルがこの地図を贈ったのかその真意については議論百出ですね。

    中国のネット上にはまえから「中華の夢再び」というイサマしい詩文が掲載されております。「我に三千の勇士あらば、広大な中華を復興せん。黒海に馬を馳せ、バイカルに弓を張り、樺太の雪を賞で、ガンジスの水を飲み、インドシナ半島に古代をたずね、日本の東京を廃墟にして先祖の祭壇に捧げん。中華の漢旗の征くところ敵無し、我が中華を敢えて犯す者はどんなに遠くてもとことんやっつけるぞ!」 というものです。

    ただ、そうはいっても、バイカルや樺太はいまやかのプーチン大帝の支配下にありますから、そう簡単にはいかないでしょう。ですから、「漢旗の往く所、敵無し」の強国の夢は、現状では国内の新疆とチベット等少数民族地区で実現するしかないんですねえ〜。

    今回、メルケルから贈られた地図を切っ掛けに、愛国人士は樺太や周辺属国を奪回する夢みたわけで、習首席の訪欧旅行はまさに「国民に夢を与える旅」になりました。

    でもね、「神の中華の偉大な国土をきちんと治める」とかいったって、中国の土地、もう何重にも深刻に汚染されてるのね。だから、こうも言えるんですよ。「もし今の国土が人類が住むのに相応しく無い毒の大地になったなら、辺境を回復しても、どうなるの?」って。

    大清帝国時代の巨大中国領土復活の夢をみる同胞のみなさんに、南宋時代の詩を贈りましょうか。「*三分天下二分亡,犹把江山寸寸量。纵使一丘添一亩,也归不似旧封疆」って。

    (*うまく翻訳できないが、詩の意味は、多分、金や元に侵されて南の杭州に逃げた宋時代に「かって天下3分の計といわれた中国が今、3分の2を失った。たとえ残ったものを懸命に数えても失ったものはもどらない」といった意味かな?諸賢のご指導を賜りたし。)

    今の中国は軍備は再び盛んで、GDPも高いけど、人間の暮らしは新鮮な空気ときれいな水と土からはなれる事はできません。この3つを失って、大国の夢をみる旅を何度したって、それが一体何の役にたつのよ!(終)

    拙訳御免。いつもの何さんの理路整然たる文章とは違った皮肉とユーモアいっぱいの文体で、意訳が結構あります。力足らずご勘弁ねがいます。

    原文は;大国主君的欧洲梦幻之旅 http://www.voachinese.com/content/xi-visits-europe-20140402/1884368.html

    About

    Leave a Reply

    Your email address will not be published. Required fields are marked *