• 映画『帰来』;苦難辛酸の果ての生存

    by  • June 10, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2014年06月09日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/o58fc

    張芸謀監督の映画「帰来」上映後、中国国内の評判は山ほどあって、多くの批評が原作と映画の違いについてケンケンガクガクです。例えば見捨てられた小説の主人公・陸焉識が監獄の中で経験した苦難は映画では最後のちょっとだけしか採用されてませんし、家に戻ってから記憶を失った妻との団らんも陸焉識の自分の苦難の経験を平静に耐え忍び、それに対する訴えや反抗もない、などなどで、とある批評は「この作品は文革をネタにして消費しただけで、文革への反省がない」と言いました。

    《魂の死としての「平静」》

    この映画を見て私はこれは張監督と陈道明(*主演俳優)の2人が苦難を経て栄光に輝き、最後に酸いも甘いも経験した中国映画人として、苦難辛酸を嘗め尽くした中国知識人の一生を解釈したと感じました。中国の今の言論が置かれている状況では、四十歳、五十歳代の知識人だけが本当にこの種の無言の訴えを本当に理解できると思います。60年代かそれ以降に生まれた中国人は主人公の「平静」を理解することは困難でしょう。でも私は監督や主演俳優と同時代の人間として、そしていやになるほどこうした苦難を知る身としてこの映画が大変良く理解出来るのです。

    随分昔にある老人が文章の道を焼き物に譬えて「一番肝心なのは冷却だ」と言いました。冷却の工程がうまく行けば陶器は極上の焼き上がりに成る、というのでした。1人の人間の経験が豊富になればなるほど、その文章は落ち着きを増し、無駄な大袈裟な表現は消え、極端に走らず、胸中は千々に乱れようとその文章は平らな水面のよ静けさです。もし張・陳両氏が60余年の人生経験がなければこの映画はこの境地に達することはなかったでしょう。

    映画の中で、娘が大八車で荷物を家に運びながら、遂に父親にかつて父親を告発したのは自分だったと打ち明けます。娘の心はこれを打ち明けるまでに様々な苦悩と曲折があったはずですが、それを聞かされた主人公はただ淡々と一言「わかってたよ。奴らにそう言われたから」と答えます。

    主演の陳道明は「これは1人の知識人の過去の歴史に対する大きな寛大」と理解しています。しかし私はこの「寛大」の背後に潜む山の様な苦悩と心の傷跡がわかります。 なぜなら、文革中に親兄弟が密告し家庭が破綻したケースをやまほどみてきましたし、今に至るまで互いに許せない人々もしっているからです。

    ある種の平静さは心の痛みを訴える事ができないから平静なのです。なぜなら訴えた所で痛みは減りはしないからです。「北京の狼煙」の徐金戈は愛する女性に二度と苛酷な痛みを味わせない為に楊秋萍を射殺するしかありませんでした。そのような痛みは言葉では表せませんし、まして他人に訴えることはできません。主人公・陸焉識は罪無くして、政権、社会、そのメンバーによる数々の圧迫で粉々にされ残されたのは記憶を失った妻と蝸牛の殻の中の暮らしでした。この種の痛みを訴える術は無いのです。

    《陸焉識達には訴える資格が与えられない》

    映画の主人公の陸達はなぜ訴えないのでしょうか。即ち、毛時代の政治的賤民、政府からも政治上の”上の階級”からも人間として認められていないという歴史上の大きな隠された事実があるのです。この種の政治賤民とはすなわち反右派、反地主・富農運動における「出身の黒い5種類の人間達」です。陳道明の演技はその主役が置かれた社会的環境とその位置をしっかりと理解しているようにおもわれます。

    「傷跡文学」というのが70年代から80年代はじめに賭けて3、4年盛んだった時期があります。そうした作品の主役は二種類あって、ひとつは革命の知識分子出身の幹部、つまり早期に革命に身を投じた大学生や中学生等の知識青年。もうひとつは革命青年出身の作家や専門家です。

    こうした主役達の過去を顧みての反省というのは「かって自分は社会主義が素晴らしいと信じていたのに、なぜこんな政治的圧迫に会うのだろう?」「共産党は母であり父なのに、なぜ我が子にこんな残酷な仕打ちをするのだろう?」というもので、この種の反省の最も深刻な表現は「革命が我が子を呑む」、あるいは極端な例では「我々は龍のタネをまいたのに、ノミしか生まれて来なかった」です。

    80年代生まれ以後の青年たちは私が何を言いたいかわからないでしょうね。

    私が言ってるのは、1980年代、社会主義建設の中で出現した問題を「反省」するためには「資格」が必要だった、ということ。それは「革命隊伍」の内部の人間にしか許されなかった。

    しかし、映画「帰来」の主人公は1949年後の思想改造の対象となった人間で、革命隊伍に属してはいません。陸焉識は米国留学した博士でしかも毛沢東の目には全くの役立たずで利用価値のない文科系でさらに出身が悪かったので、ただ政治的な運動の清掃の対象になるしかないような存在でした。

    毛沢東は理科系の留学博士は幾分重視しましたが、文科系の博士はとことん蔑視しました。多くの研究者がこの種の人々は1950年以後、何度も政治運動にさらされ大多数が徹底的におとなしく馴化させられ、何事にも誰にでもビクビクしっぱなしでした。少数の人々は内心深く独自の思考をもってはいましたが、口にだすすべもなく心のなかで朽ち果てていきました。

    なぜなら、中共は身内だろうが友人、同僚、近所の人同士の密告を奨励していましたから、所謂社会主義の指導者の本当に思っている事は秘密をもらせば必ず大きな災難が降り掛かるぞ、でした。今でも、中国人が”右派”の林昭(1932年12月16日-1968年4月29日、民主運動家、女性、中共に銃殺された)の死を悼めば当局に監視され攻撃されます。こんな状態で陸焉識に悲憤の訴えを期待するほうがおかしいのです。

    陳道明の父親、私の父はどちらもこの革命隊伍の外にある知識人であり専門家でした。この種の人々は1978年以後の文革時期には、極めて少数の幸運に恵まれた生き残りは、たとえ革命を顧みるにしても「革命が子女を呑み込んだ」「共産制度が人間性をほろぼした」などという角度ではありません。そんなことは中共が決して許すわけも無く、そんな反省、は存在の余地すらありえないのでした。

    映画中の陸の「平静さ」は実は中国知識人が経験した非人道的な思想的、肉体的な”改造”に翻弄され続けた結果の一種の疲れ果てたその極限としての状態なのです。これらの『ブルジョア知識分子』はどんな目にあわされても自分の不幸がどこからなぜ生まれたのか、などと問う資格はあたえられていませんでした。党の眼中には、右派のレッテルを剥がしてもらって家に帰れるだけで、それこそ大変な恩恵だったのです。

    苦難を経た陸焉識は「帰来」しても再び人生を始められる年齢ではありませんでした。陸焉識たちは文革で辱めと損害を蒙り、もはやいかなる人間の尊厳も、自由な思考も、自由な言論の権利もなく心に残るものなど何もありませんでした。

    唯一、心惹かれるものは家庭でありました。映画はこの陸の「帰来」後の暮らしを描き出します。月を重ね年を重ね、毎月5日に、記憶を失った妻を鉄道の駅に連れて行き、彼女が永遠に待ってもこない「あの人」を待ち続けるのでした。この蝸牛の殻の中で小さくなって「生きている」ということは心身の傷が癒えるのではなく、疲れ果てたまま”生きている”だけなのです。

    この種の疲労困憊した心は「ソフィーの選択」でソフィーが迫られて娘を死なせ、息子を生かすという選択をさせられたあとの涙も枯れ果てた生と同じなのでした。この気持ちは同様の体験をした人以外に決して理解できますまい。この一切を経験したひとだけが「陸焉識たち」がなぜ世間の荒波に翻弄され尽くしたのに、その制度の悪の原因を追及しようとする心がないのかを理解することができるのです。

    《権力と世間に迎合しながら生存する中国文芸》

    中国古代の伝統は「文を以て道を説く」で、文学や歴史作品の教化作用を強調しました。しかし、この士大夫の一種の道徳を受け持つもので、政治的な強制ではありません。ですから北宋の柳永のような軟派な通俗詩人でも生存出来る空間がありました。しかし、中共が報じる毛沢東の「延安文芸講話」が文芸創作の聖書となった後は、文芸はただ政治の家来になることが義務となり、それに服さぬ者はメシが食えない、ということになりました。

    そして改革以来、この金科玉条も多少弛み、当局の規定した政治に仕えるほか、もう一面、すなわち俗世間の体臭に迎合する、という道が商業化の波によって許され文学藝術、映画やテレビは、食、性、役人の出世浮沈などのお話をテーマに、どんどん増えて行き、中国映画、テレビはめもあてられない状態になっていきました。

    張藝謀の生活もこの環境の中で俗をまぬかれるはずもなく彼の映画はそのときどきの中国文学藝術の分野での変化と密接に関連して3つの類型にわかれます。80年代から90年前期には郷土文化の振興に伴い、「民間の地方の故郷ブーム」的な「紅いコウリャン」や「菊豆」「赤い提灯を掲げて」等ですし、90年代になると現実と現代歴史に踏み込んだ「生きる」「秋菊の裁判」になり、今世紀になって中国が低俗な商業化時代と成れば、張も大衆の俗に媚びるような「英雄」「十面埋伏」「満城尽帯黄金甲」から、見るに耐えない「三銃」に至ります。

    今回の「帰来」は、丁度二十年前の「生きる」に時を隔てて呼応するかのように「張芸謀の魂」の「帰来」ー精神を見失ったあとの「帰来」なのです。張芸謀とその同時代には多くの優秀な映画監督や俳優がいます。今の中国にはさらに素晴らしい撮影機材の類いは事欠きません。ないものはただ自由に創作できる社会環境です。

    ネコの爪で抑えられたカナリアは良い歌を歌えません。張芸謀達の悲哀はまさにそこにあり、またそれは私達すべての中国文化人の悲哀の存するところでもあるのです。(終)

    拙訳御免。
    何清漣氏の原文 电影《归来》:历尽劫波余生在 は http://www.voachinese.com/content/heqinglian-coming-home-yimou-zhang/1932350.html

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