• 1989天安門運動は再びおきるか?ー6・4事件25周年に冷静に振り返ってー

    by  • June 18, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2014年06月12日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/yHAfc

    今年は6.4天安門事件の25周年記念で国際的な注目や活動規模も大きいものがあります。これは二つの要素、ひとつは中国がアジアにおいて攻撃的な姿勢をとり、世界はこれを国際秩序の「書き換え」の脅威とみていること、もうひとつは米国政界とメディアが全面的に参加していることによります。天安門事件の中国における意義という見方からすると認識は別に深まっていません。例えば「天安門事件は必ず、中国でもう一度起きる」というようなことをいう人もいますが、宣伝効果まらばともかく、中国の現実を考えると私はそうはおもいません。

    その理由を以下に述べましょう。

    《⑴ ;中国人の政治認識の分裂は深刻で、1989年の天安門事件時のような共同の訴えというもは形成されません。》

    1989年の天安門運動の主要な訴えた要求は「反腐敗、民主実現」でした。この訴えには当時、社会的な基盤がありました。当時の中国人の腐敗(役人ブローカーなどへの)に対する憤りはホンモノでしたし、民主も文革と反専制への本当の痛恨の思いから求められました。
    政府側も1981年の11期六中全会で「建国以来の党の若干の歴史問題の決議」を公表し、それは当時は国中が文革の政治的な圧迫と物資の極度の欠乏の中から解放されたばかりで文革を「十年の大災難」として国中の一致した認識があったのでした。労働者階級も政治的地位の下落不満はありましたが、収入が上がり生活が改善されてきており、文革と毛沢東神話をでっちあげるまでにはいたっておりませんでした。

    天安門運動に参加した中心は40、50、60年代生まれの世代です。彼らの文革認識は80-90年代世代と完全に違っています。中でも40、50年代前期の生まれの人々の多くは文革に参加し、ある者は被害者、あるものは加害者で、まず他人を傷つけ、後に自分が酷い目にあったのでした。この世代のエリートからは80年代の啓蒙運動(「未来へ歩もう」がその代表的なもの)の主体になりました。1960世代は文革は幼少時の記憶にすぎませんが、新啓蒙運動、家庭教育、社会環境ともに「文革は十年災害」だったという共通認識はありました。

    現段階の中国ではすでにこのような社会の共通認識は存在しません。文革と毛沢東の評価は社会メンバーの政治認識の上で深刻な分裂が存在しています。中国の国営企業の労働者階級は毛沢東の時代には既得権益層で、安定収入と福利厚生は政府職員に次ぐものでしたし、大型国営企業の場合、それ以上の者もおりました。90年代中期からの国営企業改革で大量の労働者が馘首失業して生活が困難になって、「毛沢東時代がなつかしい」という気持ちから不断に毛神話を新たに塗り替えて、文革時代は社会が平等で人々は無料の医療・住宅をもった黄金時代だと言い出しているのです。そして社会の貧富差が日増しに激化するなかで毛左派にどんどん加わる人が出ています。

    その主体となっているのは失業、反失業状態の底辺層の知識青年達です。中共当局はひとつには毛沢東からその政治的合法性を受け継いでいることと、もうひとつはこの左派を利用して自由主義思潮に対抗させようと、左派を一貫して指示し、激励する姿勢をとりました。これによって左派と毛懐かし社会底辺層はひとつの政治勢力になり、その特徴は世界の普遍的な価値(*民主主義や自由)に反対し、民族主義を鼓吹し、勝手気ままに西側民主主義を否定して中国の巨大な社会的不公平、例えば貧富の差や、紅色貴族の資本主義の横行などはみな西側資本主義の影響のせいだとします。薄熙来がかって「革命歌を歌いワルイヤツをやっつける」運動を出世の手段としたのもこの下の層の民衆の支持を得る為でした。

    ⑵ 《既に1989天安門時代の社会共通認識は失われた》

    1980年代、中国社会の階層は巨大な流動があったとはいえ、今の様に利益の分化は深刻ではありませんでした。天安門運動に参加したのはインテリ、大学生以外に多くの市民、労働者がおり階層の利益を越えての「反腐敗、民主を」の呼びかけがうまれた理由です。

    現段階では中国の階層利益分化は相当深刻で、当局はますます弾圧を厳しくし、ごく少数の民主の訴え以外には大部分の護権運動の目標は限定的です。 例えばそれは現地の企業の環境破壊とそこから生じる病気、農地の強制取り上げ、村幹部の腐敗、将来の環境汚染につながる石油コンビナート建設反対などです。

    腐敗問題一つとっても各階層で共通認識に達するのは今では困難です。体制に与する人々の全ては大方、腐敗に参加したいとおもっているわけで、体制に入れない人のなかには腐敗には憤っていても、必ずしもその根源に対してはそう思っていません。

    つまりいかなる社会の掣肘も拒否するところの共産党一党専制体制を拒絶するどころか、毛沢東時代を”理想社会”としているのです。ですからここ数年の中国の一部の局地的な護権運動は薄熙来支持者だったり、あるいは知識人がたまに民主要求を出しますが1989年のような共通認識に各社会階層が達することはほとんど不可能です。もっとも残念な事実は、多の人達のお陰で自分の状況が改善されるに至った人々(*民主運動の人士が、農民や被害者を支援した結果)が目的の達成後には知らん顔して「もう他人に利用されたく無い」と以後の協力を拒むことです。

    《⑶ 天安門事件後、統治集団は人民との関係を変え、社会管理方式を変更した》

    1989年以前、中共と人民の関係は表面上は今と同じ様にみえますが、実質上は完全に違っています。毛時代には「労働者を指導的階級として、工農が連帯して基礎と成る」とし、知識階級とその他の政治的賤民が被統治階級でした。労働者の経済的地位は今日の都市中産階級に似た政治上の指導階級でした。農民は貧しいとはいえ、しかし「労働者階級の信頼できる友人」で労働者階級とともに「多の階級を教育改造する」政治的特権をもっていました。この二大階級の文化水準と生活ぶりが紅色文化の一部となり多の階級を同化するのに使われました。

    改革開放の前期には知識分子の地位が高められましたが、知識人の実力ではなく、鄧小平が「知識人も労働者階級の一部で有る」と行ったからです。

    当時はまだ大雑把に言えば社会階層の中で多くの人が中共政府と軍は”人民のもの”だと考えていました。共産党の中にも、とくに革命初代の老共産党人はこれを信じて奉じており、軍の張愛萍らは弾圧に反対し、徐勤将軍は命令に従わなかったのは彼らは人民に銃を向けるのは間違いだと信じていたからです。徐勤将軍はかって人民に銃を向けるのは人民解放軍の名誉を汚すもの、と言いました。

    しかし、天安門事件後、中共は”人民の政府”は人民の敵になってはならない、という道徳規準を完全に捨て去りました。農民が税金や強制土地収用に抗議しようと、都市市民が強制取り壊しに反対しようと、環境汚染に抗議しようと政府はすべて鎮圧を以て対応し、反抗活動に関与した人民は排除し、そうした連中は「国外反中国勢力と結託している不穏分子」としました。その名目は多種多様です。

    江沢民は中共の治安維持の為に二大戦略思考を提供し、ひとつは一切の社会不安定要素は萌芽状態のうちに潰せ、でこれ以後、中共は異議の声には予防的弾圧で望むようになり、少しでも目にしたら徹底的に打ちのめしました。もうひとつは「政治問題の非政治的処理」で一切の政権批判者に対して政治的な罪名ではなく、その身分や、経済犯罪、買春、脱税や、国家機密漏洩等の各種刑事罰をもって挑み刑をあたえました。

    こうして今日の中国では1989年のあのような何ヶ月も続く広場の抗議活動は絶対に出現することはありません。中国政府は基本的に分割した利益誘導の手法で、事案発生を封鎖し、外界との連携を断ち、数日以内に問題を”すっかりキレイに”してしまうでしょう。

    《⑷中国の政治力の分化、どのグループが主導的地位に?》

    かっての台湾や韓国の民主化の進展では、米国からの圧力が重要な枠割りを果たしました。しかし、中国の民主化の過程では米国の圧力は役に立たないばかりか却って中共が民族主義を鼓吹する政治的口実となります。90年来25年間ずっと続けられたイデオロギー教育を経て、80、90年代の青年達は極めて簡単に中共の民族主義の主張(国家は強大で米国や西側は我々を滅ぼそうとしている)などの 宣伝に賛成してしまいますし、そのうちの多くが毛沢東と文革におおいに心惹かれているのですから。では誰が中国の政治的なパワーのグループの中で主要な役割を今後果たして行くのでしょうか?

    知的エリートや民間の経済エリート、ホワイトカラーを中心と刷る中産階級、それとも毛沢東左派と社会底辺層、これらの間には共同行動の利益への訴求力はありませんし、相互に不信感をもっています。民主憲政を求める知的エリート層と毛左派の未来への構想は完全に相容れないものです。経済エリートと中産階級の希望は安定ですが、これも社会底辺層の現状変革の希望とは相反します。

    しかしこれらの階層と政府の間にはピッタリ一致する点をみつけだすことも可能です。経済エリートと中産階級は政府が治安を安定させることを望んでいますし、毛左派は強権で「土豪を倒し田畑を分ける」ことを望んでいます。社会底辺層は政府が職業を与え給料と生活保護アップを願っています。

    政府に異議を唱える人士の間ですら、不断に中共党内部に自分達の”改革のアイドル”を探し求め、その呼びかけに応えようとするのです。国民がまるで大皿の中の砂のようにバラバラになっており、かつ己の利益をもとめて争うのを好むという特徴からみるに、中国政府が各界の人士と、内外の民権運動人士に対して異なった政策と、それぞれに似合う利益による懐柔策をもって対応するのはこれまで何度と無くやってきたことです。

    この点を理解しさえすれば中国政府が現在、南海において何憚ることなく挑発行為を繰り返し、また「全国民がテロに立ち向かおう」などというスローガンを掲げているかがわかるでしょう。今後10年以内に、中国ではいろいろな具体的な利益を求めて小規模な社会的反抗はおきるかもしれませんが、しかし決して1989年の天安門の運動のような大規模な民主運動は起きない、と予測できます。(終)

    (《中国人权双周刊》第132期    2014年5月30日—6月12日)

    拙訳御免。
    原文は;中国还会再现1989天安门运动吗 ——六四事件25周年后的冷反思 http://www.ntdtv.com/xtr/gb/2014/06/14/a1116372.html

    何清漣の他の日本語文は http://heqinglian.net/japanese/

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