• 賈慶林の噂の再浮上と「企業皇帝」の再登場?

    by  • July 23, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2014年7月14日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/7LNfc

    前全国政治協商会議の首席で第16期・第17期政治局常務委員(序列No4)だった賈慶林(*江沢民派 日本語wiki参照;http://urx.nu/a802)の身に何か大変なことがあった、というニュースが7月11日の夜8時からネットの微簿上に流され、海外中国語メディアの最もホットなニュースになりました。たちまち共産党中央宣伝部が乗り出し賈慶林と郭伯雄(第16期・第17期党中央政治局委員、党中央軍事委員会副主席)に関連するニュースの削除命令がだされました。

    興味深いのは去年のブルムバーグニュースのたてた波風以来、姿を表さなかった大連万達グループの総帥・王健林(*中国長者番付1位)が姿をみせ、このニュースが流れたと同時に国内メディアの取材に応じたことです。

    《賈慶林のニュースの信憑性はどのぐらいあるのか?》

    ニュース発信者の程凌虚の微簿の内容は「信頼出来る消息筋に依ると100%確実なことだが昨日未明、前全国政治協商会議主席の賈慶林がフフホト市のSH監獄に収監された。このために解放軍38軍某部の五百人が動員された」です。このニュースは噓とは思えません。ニュース発信者の程凌虚はアモイ在住で新浪と騰讯ネットはどちらも実名認証ですから、その肩書きは大陸享房ネット(xiafun.com)総裁でルポライター、コラムニスト、独立不動産評論家です。

    こうした成功者は当然、中国では何を話題にしてはいけないかについては十分知っているわけで、この種のニュースを流すのは当然それなりの理由があるわけで、「お腹いっぱいで暇だからなんかオモロイことやってみたろか」ということではないでしょう。

    ここでこれまでの経緯をおさらいしてみます。

    賈慶林にはずっとこれまでも醜聞がつきまとっていました。頼昌星の遠華事件が全国をゆるがせたとき(*1994年アモイの運華集団の五百億元密輸事件、頼はカナダに12年間逃亡したが2011年に送還された)。賈慶林の妻・林幼芳も事件に関係したといわれました。しかし彼は”義理厚い人情家”の江沢民という主人がいたのでした。で、妻の林幼芳と頼の関係がやかましく論議されたときに、江沢民はみずから、北京市長に任にあった賈慶林を調べ支持を表明し、妻・林幼芳も鳳衛TVに出演して”潔白”を訴えたのです。

    林はアモイ・遠華事件との関係を否定して、同時に賈慶林との離婚の噂も否定しました。ところが一方、頼昌星は2006年に香港の亞州周刊のインタビューに応じ、はっきり時の政治協商会議主席だった賈慶林夫妻と周辺の連中との細かい交際のやりとりを語っています。また遠華集団は大量の輸出入業務をあつかっており、その当時、林幼芳はまさに福建省外国貿易局党委員会書記だったわけで、お互いに知らない筈などあるわけがないのです。

    2011年に頼はカナダから強制送還され無期懲役に科せられました。しかしいままで賈慶林は依然として安泰でした。ただ事件の資料の頼の供述資料は賈慶林の頭上にぶらさがっていた”ダモクレスの剣”になったのです。

    2013年賈慶林は海外メディアでまた脚光をあびました。ブルムバーグニュース社が書こうとした中国一の大富豪王健林の報道が当局の圧力で握りつぶされて3人が辞職したのです。このときのブ社の人間が当局に差し押さえられた記事は王健林と中国トップ指導層の家族の関係だったと証言しました。

    王健林の会社の株式のうち、2012年6月29日の「習近平家族財産は億を越える。貴顕家族の構造幾何学」の記事にあった鄧家の0.8%以外にまだ退職した常務委員の家族がいる、というのです。ブ社を辞したBen Richardsonはツィッターでこの人物の「朝廷経歴」を「かつて福建と北京で要職にあった退職政治局常務委員」としました。この条件にあうのは賈慶林だけです。賈は1985年から1995年まで福建省に長くおり省の党委書記になりました。1995年に北京市長に任じられ翌年市委書記に2002年11月の中共11期6中全会で政治局常務委員になったのです。

    ブ社の記事執筆時点ではまだその職を退いたホヤホヤでした。最後に公開の席に顔を見せたのは2014年5月。中国大学生在線(教育部系のネット)に「5月6日午前、元政治局常務委員、河北工業大学の校友・賈慶林が学校の党委書記の李強や校長と会った」とあります。

    中共の通常のやり口ですと、もし暫くその身に異常がないばあい、程凌虚の微簿が出たあとすぐに公開の場に姿を現し”無事”をあきらかにするはずです。例えば2012年10月の旧聞の「総理(温家宝)の家族の隠し財産」の話題が最近になって、連続半月の間に何度もNYタイムズの中文ネットでトップ回数閲覧され、外界では「この”風”は何処から吹いて来るのだろう?」と興味をもたれましたが、当の温家宝は7月6日に中国国家博物館でドイツ総理大臣との会見をセットされ、外界に「健在ぶり」をアピールしました。

    《王健林の新宣言;「政府の資源に頼らず市場に頼る」》

    中共政権の紅色貴族階級による権力私有化では、市場でその意を受けて動く「白手袋」(*手を汚さないで官僚にかわって株など裏で銭をもうけてくれる代理人)が必要です。ですから毎度、政界のトップが落馬するとほとんど必ずと言っていいほど 薄熙来が失脚したときは徐明の企業王国、周永康失脚で劉漢の漢龍帝国のようにどこかの「企業帝国」が潰れます。

    いま、中共は「玉や宮殿はそのままなのに、持ち主の顔だけがかわった」と南唐最後の皇帝・李煜が嘆いた様に(*構造はそのままで支配者が変わった)ようななものです。で賈慶林は江沢民に頼って遠華集団の禍いからは逃れたのですが、もし今回、賈慶林になにかあったとすれば王健林にもはたしてその禍が及ぶでしょうか?

    ネットで王について調べて見るとなかなか興味深いのです。

    王について言及したヒット件数は2014年と前年を比べて見ると奇妙なほど少なくなっています。しかし賈慶林に何かあったというニュースが大きな反共を呼んだ同じ日の「中国周刊」(共産党青年団刊行)が王訪問インタビューとして「王健林ー中国の民営企業の地位は低すぎるので糾さねば」という記事が掲載されています。

    その中味は大半が以前に話されている事ですが、このうち”新しい”のは序文と最後のところで、序文は「1978年後の第一台民営企業家は次々と外部の不確定要因でつぶれた」が王健林は「落ちずに残ったただ一つの大きな果実でしかも現役」とあります。つまりこの序文は世の中に向けて「王健林は依然としてピンピン健在で、関係ビジネス界の人士は変な噂に惑わされるな」と言っているのです。

    末尾の文章は王の話で「中国では経済基礎は政治体制によって決定される国有企業と民営企業の政治的地位と社会的地位、資本の分野での地位、すべて異なっている。だから私は我々は完全に市場に依拠すべきで政府の資源に依拠せず、世界の超一流企業をつくれるかどうかやってみよう」と語っているのです。

    しかし、以前の王健林についての報道をみれば、この宣言は実は「華麗なる大変身」だとわかります。これまでの王に関する報道の中心は「王がいかに政府部内に人脈をとくべつに沢山持っているか」だったのですから。

    王が自分の高度に政治的な自らを語っていることや、賈慶林との関係をみてみましょう。

    「王健林の秘密;企業帝王」(中国企業家ネット、2009年9月10日)にはこうあります。

    「父親が紅四方面軍の古い紅軍軍人で、チベット自治区の副主席や四川省委組織部副部長を務めた。王建林は軍に18年いて、吉林省軍区の国境防衛4団の幹部から転業、大連西岡区人民政府事務所主任を2年務め、中共17回大会代表から全国政協委員、全国工商連副主席、CCTV中国経済「今年の人物」といった経歴と3年連続全国慈善総会・中国慈善賞獲得が自慢だ。政治との関わりもお好みで大連から北京に引っ越してきたときBMW7シリーズから(*役人達が大好きな)アウディ8型に乗り換えた。万達の年末報告は政府報告に酷似し、パーティも政府の新年宴会と基本はそっくりだった。
    王の価値感も「体制内部」の色彩を帯び、全国政治協商会議の主席だった 賈慶林や上海市委書記の俞正声(*現中央常務委)主催の「非公有制度の発展について」などの大きなテーマの座談会に喜んで出席した。2004年6月には万達集団は永年収集した呉冠中(*有名画家)の作品70余点を世界巡回展覧会に出品し、中国を代表してパリの中仏文化活動にも大きな反響をよんだ。7月の中国美術館展開幕には賈慶林とともに出席した、

    と言った具合です。

    この7月11日に賈慶林が拘束されたというニュースと同時に、王健林の動向が明らかになったというのは、あまりにも”偶然”すぎです。取材のタイミングも、「ここに銀三百両、埋めず」の隠そうと努めて,反って馬脚を現わすお話を思い出さないわけにはいきません。

    王健林がこの記事で「今後、政府の資源に依存せず」と”宣言”したことはべつに以前も依存した事が無いということにはなりません。しかしブ社の情報からみると彼はきっとこれまでのように特定の個人1人に頼ることはやめて複数の人間に頼る事にしたのでしょう。

    薄熙来事件以来、王健林の大連万達が発展したのはまさに薄熙来が大連のトップにいたときですから、当時から王と薄熙来の関係はとやかく言われていました。王は色々なメディアでこれを釈明しており「万達と薄熙来事件は無関係、会社は”市場によって”成長した」には薄熙来が政府のプロジェクトを引き継がせてしかし、予算はくれなかったとか1998年にはサッカーの監督のことで罵られて部屋から追い出されたことを挙げています。

    何度もネコの爪を逃れて生き抜いたネズミはもう”ネズミ妖怪”のようなものです。中国と言う土地柄では、企業家が帝王になるのはとても難しいわけで、私はココロから王健林が賈慶林のもたらしたかもしれない悪運を切り抜け、本当に市場によって大きくなってほしいものです。(終)

    拙訳御免。
    原文は;何清涟:贾庆林传言又起 “企业帝”身影再现 http://www.voachinese.com/content/jiaqinglin-wangjianlin-20140712/1956357.html

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