• 『紅二代目宣言』ー紅色政治と身分制社会の混合物ー

    by  • August 24, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2014年8月21日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/xZjgc

    最近、「紅二代目よ立ち上がり国家の危難を救い中国の政治大変革を推進せよ!」と題する奇なる一文が登場しました。ネット上では「紅二代宣言」と呼ばれており、作者の王小寧は紅二代目の共産党の姿勢に異議を申し立てている人物です。大変長い文章なので節約の為にその主張を簡単に書き出してみましょう。
    《紅二代目と清朝の八旗の子弟は同類項》

    作者は何度も「紅二代目の身分は特殊で有る」と強調しています。大体こんな感じです。

    ▼1;紅二代目の身分の特別さ;王氏は紅二代目を「中共が指導した民主革命と革命戦争の参加者の後代」で「解放前に革命に参加した幹部の子女と革命戦争年代に死亡したり犠牲に成った革命者の子女」と定義します。そして江沢民・朱鎔基や胡錦濤・温家宝の両代の中共のボス達の子女の「官二代目」の子女たちとの間には境界線を引きます。このラインは北京の紫禁城圏内に住むエリート紅二代達の「建国初期に政府内の地位が副大臣、軍なら少将以上」と比べると大分ゆるやかなものです。また作者は李鵬の娘を「官二代」として娘の李小琳ら兄妹を「紅三代」とは認めていませんが意図してのことなのかどうかはわかりません。

    作者の定義する「紅二代目」の身分の標準は、中共の現在は退職した老幹部の標準をその子女まで広げたものです。中共の特権はずっと等級別で、文革前には内部の身分識別は紅区(*共産党が軍事行動していた地区。毛沢東が代表)、白区(*地下闘争地域、劉少奇などが指導)に分かれ、前者が美味しい思いができました。制度上の規定では「38式幹部(1938年以前に革命に参加)」だけが「老幹部」と呼ばれました。改革後、1949年10月1日以前に革命に参加したものはみな老幹部として引退後も革命参加者としての待遇を受けました。

    ▼2;作者は「紅二代目の中には少なからぬ『本当に中共の思想と革命の伝統を受け継いだ者がおり、今も革命の理想と精神をもって天下に対する責任感もあり気概と使命感と政治的な危険をおそれない勇敢な精神がある」としています。紅二代目の”革命理想”とは何であるか、それが公衆の必要に合うものなのかどうかは説明していません。しかし紅二代がある程度政治的危険を怖れないと言うのはまんざら大袈裟な強がりとばかりはいえないでしょう。薄熙来(*紅二代目)が重慶のトップになってからやったことは十分この種の精神を発揮していました。

    王小寧もかってネット上で民主改革を主張し中国の一党独裁を批判していましたので、この点では政治的危険を怖れてないとは言えるでしょう。ただ平民出身の抗議者とはちょっと違います。紅二代目は自分の身分が政治的危険を減らしてくれるだろうとおもっていますが、平民の異議人士は真正面からの権力とのまともな衝突を怖れない、なのですから。

    ▼3;紅二代目の大半は不遇の思いを抱いている;

    「紅二代目には比較的多くの政治的才能のある人物がいるが多くの人は重用されておらず、どころかずっと巷間に埋もれている」「大量の紅二代目は役人にすらなれず商人にもなれず普通の人になってしまっている」

    ーーこれは興味深い言及です。どんな社会にも異なる階層にそれぞれ不遇をかこつ人はいます。なのになぜ紅二代目が政治上重用されないのが王の眼中には問題として映るのでしょうか?それは前提として暗黙のうちに「紅二代目は本来、重用されるべきで普通の人ではない」という意識があるからです。

    ▼4;「紅二代目は全体としては良いのだが、少数の腐敗した者がいる」「現在の紅二代目は専制独裁制度と専制統治、貴族資本主義が国家を呑み込み人民の財産を呑み込み、腐敗欲張りが紅二代を代表している」

    ーーこれは大体そのとおりだとおもいます。というのは王のいう「紅二代目」はその範囲が大変広すぎて、革命戦争年代の犠牲者の子女、たとえ江姐(*江竹筠、革命小説「紅岩」の主人公、拷問にあって殺されても秘密を守った女傑烈士の代表格)のような革命烈士の名流でなければ、せいぜい慰労年金をもらったり軍隊優先入隊できたりといった程度なのです。そうした「体制入場券」はそれでも平民なら大変苦労しないとゲットできないのですが、しかし全ての紅二代目が高い地位につけることを保障するものではありません。

    「中共革命隊列」は座席指定のピラミッド構造で、多くの底辺層の一般会員にとっては特権と高級官僚の地位は所詮は高嶺の花であり、そこいらで売ってる菜っ葉のように馬に喰わせるほどあるわけではありません。何十年の変遷を経て一部の紅二代目はうまく両親の「繁栄」を引き継ぎましたが、没落したものもいるわけです。中国歴史を回顧すれば確かに「紅一代」は中共の論功行賞の中から生まれた「特権階層」で、前現代的身分型社会の産物です。

    しかし彼らの身分は前近代社会の王様一族や皇族と比べられるほどの恩恵を受けているわけではなく、せいぜい清代の八旗(*旧満州貴族階級)に比べられるぐらいで、どちらも特権を享受できる理由が建国に関わったからです。違うのは清の八旗の子弟は階級別に爵位の待遇をうけ、最低でも「铁杆庄稼」(*兵隊としての給料。満州人は労働はせず兵士になった)は死ぬまで貰えました。つまり、なにもしないでも「皇帝の食料」のおこぼれにはあずかれたのでした。しかし本朝における紅二代目の待遇はかなりそれに比べると落ちて、共産党入党、つまり体制にはいれる優先権ぐらいはありますが、「皇帝の食料のおこぼれ」に必ずしも誰もがありつけるわけではありません。

    《紅二代目の集団行動の可能性は?》

    こうした紅二代目の「グループとしての特徴」を挙げたあと、王は本題にはいります。

    「紅二代目よ立ち上がれなぜなら中国は大きな政治的変動を迎えており、この大事な時期にこそ二代目は政治の舞台から居りてはならない自分達のできることを発揮すべきである、局面を打開する時は来た。中国が今のまま行けば中共は人民に革命を起こして最後は欲張り、暴虐、恥知らず、嘘つき、人民をイジメと搾取で終わった政党ということになってしまう。中共は丸ごと歴史の恥として残り紅二代目もまたそうなってしまう」「すべての紅二代目は起こりうる結果を考えるべきだ。我々は民主を主張し貴族資本主義に反対し反腐敗の紅代を代表して共に歩むべきである」と。

    延々と記述してここで結論にいたります。全文の勢いからみると中唐時代の開国の功臣の子孫の徐敬業(’武則天時代の臣、唐を廃した武則天に反対軍を起こすも敗北)をおもわせます。徐は先祖の徐世勣が李世民に従ってつくった唐帝国を守ろうとしたわけですが、王小寧は中共のつくった「紅色の国」に「民主」の文字をつけて守ろうというのでしょう。

    しかしこれはやろうとしてもきわめて大きな困難に直面するでしょう。まず作者も認めているのですが「紅二代は特殊なグループで、ひとつの政治派閥ではない。その中の政治的立場の差異は大きく左右どちらもあるし鋭く対立している」からです。

    なぜなら、彼らはそれぞれ歩んで来た道が異なるからそれぞれ違う大人になったのです。人の社会的地位、経歴は思想、感情、政治的立場などを決定します。社会主義運動の法則によれば所謂グループ行動は第一にその共同の利益上に凝縮力がはたらくわけです。ならばこの自ら平民階級より上だ、と任じる紅二代目グループでも、それぞれ思想は異なり利益も違うわけですから、どうして王小寧の呼びかけに応えて「民主を主張し貴族資本主義に反対」したりするでしょうか?ましてや現在の紅二代目は貴族資本主義の中心で現体制の受益者で有るわけで、なにが悲しくて紅色貴族資本主義に反対する等という自殺行為をするというのでしょう?

    第二に、文章は「紅二代は中国の政治舞台から退出すべきでない」と言います。しかしまず彼らの大部分は役人にも商人にもなれず「普通の人」になったわけです。「普通の人」に落ちぶれてしまっては中共の政治の舞台には最初から席はありません。何処の舞台から「退出」するというのでしょう?ましてやこの文の規定する”身分”でいうところの「紅二代目」は父母が中共建国以前に成年になっていたわけですから、紅二代目の大多数は1950年代かその前に生まれていて、年齢も50歳誓いか60歳か、あるいは70歳近い退職年齢です。もし彼らが自然の掟を超越して中国の政治舞台に上がったとしても、インターネット時代前の革命用語でネット時代の中国の政治をあれこれいうというのはどんなにか奇妙な光景となることでしょう。

    《紅二代目;身分型社会と紅色政治の結合した識別符号》

    紅二代目というこの名詞は使う者のエゴに快いのでしょうが、これは中国社会の遅れている証拠のシンボルです。中国社会がいまだに前現代的な身分型社会の影の中を徘徊していることを表しています。中共が政権を執ってから中国の社会で比較的身分型社会の色彩が薄かった時期は1978年から1990年代末までだけです。1978年以前は出身階級が調べられ人類社会史上でもまれな共産国家だけにみられる「身分逆差別」でした。21世紀になってからは就職難と社会上昇へのパイプが詰まってしまい、中国人が成功しようとすれば親の七光りとか代々の家柄とかが再び成功への重用要素となり、官二代、冨二代といった名詞が生まれ使われる様になりました。その中で一番耳障りの悪く無い言葉が「紅二代」です。なぜなら「紅二代」は父親達が開国の功労者で、父親達の七光りでその特権は物質面だけではなく、さらに例えば言論の自由だとか政治参加だとかいった「ソフトな資源」も享受できるのですから。王小寧氏は紅二代目として度々、このグループは一般と違うことを強調し、だからこそ政治に参加する特権があるのだといいます。この宣言は共産党内の民主派の主張者達と同様、まさに中国の持っている強烈な前近代的身分社会の特徴を見せています。

    近代以来、あらゆる社会進歩はすべて身分型社会から契約型社会への移り変わりでした。21世紀に成って世界の大多数の国家がすでに完全に身分社会から契約社会へモデルチェンジしたのですが、中国は世界第二の経済体として、そして世界第一の人口大国としてその社会的特徴はまだこのように強烈な身分型社会の特徴を帯びているということはです。「遅れてるなあ」と言われてもなんとも仕方のないところでしょう。(終)

    拙訳御免。
    原文は;红色政治与身份型社会的混合物:《红二代宣言》http://biweekly.hrichina.org/article/20424

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