• 市場化で成功した中国・澎湃新聞社は自分で頭髪を引っ張り上げて空中に浮かべるとおもいますか?

    by  • September 10, 2014 • 日文文章 • 3 Comments

    何清漣

    2014年9月1日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/DQrgc
    今、ふたつのメディアが中国政府との関係で疑問を投げかけられています。ひとつは国内の澎湃新聞で「あれは市場化された中共メディアなの?」という疑問をもたれている点。もうひとつは「ドイツの声」(*ドイツの公費で運営されている国際メディア)で現在中国報道の価値観で5年前の北京五輪直前に同中国語部副主任だった張丹紅がチベットなどの中共施策を褒めちぎって批判された時同様、大いに主に自国メディアによって批判されています。

    二つのメディアは性格も国籍も違いますがある意味で同一の事情に直面しています。つまり中国政府との関係です。ドイツの声の中国政府への態度は少なくとも澎湃の本当に置かれている環境を理解する助けになりましょう。

    《澎湃が「市場化された中共の声の代弁者」にならないで済む可能性はあるのか?》

    澎湃の長所は自身が誇り、かつ同業も称賛し外部からもみとめられていることですが内容の豊富さ、読みでのある内容、独自ダネの豊富さで「時事問題、政治問題の分野では澎湃の集中報道とその量は確かに特筆に値するもの」なのです。澎湃がいま多くの非難を浴び得ているのは同時に発生した二つの完全に相反する方向です。一つは「思想のたいまつ」欄が発表した微簿で「党中央は直ちにその偏りを糾し、澎湃新聞サイトを厳しく批判した」です。二つ目は8月25日に「五月花」名で出された「澎湃のエコノミスト誌の翻訳は都合のいい所だけつまみ食いしている」という指摘でした。

    前者の非難は中共の宣伝方針から逸脱しているというもので、後者は、肝心の時には中共の立場に立っているというものです。いまや勢い盛んな澎湃新聞はたちまち論争の的となりました。つまり、澎湃は「市場化された党の代弁者なのか否か」ということです。その実、中国メディアはすべてどの社と言えども政治問題上では「共産党の代弁者」の運命を免れません。努力して「スレスレ」の報道をおこない、自分達を「人民日報」や「環球時報」や政府の様々なメディアの味気ない、憎まれ役にせず読者が自分達でお金をだして購読したいとおもってくれるような、政府のお金にたよらない「市場メディア」になることが最高の願いなのです。

    澎湃新聞の出現は東方早報グループがネット時代に適応して自ら変革してその責任者や編集・取材要員(皆、出資者です)の主要な願いとは実は「生存」と「拡大する市場化」で「生存」することであって、中国ではメディアの死に至る「自由化の道」ではないのです。彼らが鋭意突破しようとするのは政治的なゴールラインではなく報道手法の革新でより多くの人々を引きつけることです。ネット時代に伝統メディアが青息吐息の時、もともと手かせ足かせをはめられている中国メディアはとっくに過当競争に陥っており、市場のシェアをとろうとしたらこの道をあゆまざるをえないのです。

    新メディアのデビューにはまず目立たないといけませんが澎湃はこの点で大成功しました。同業他社や読者はおおいに焦り自由化への道をいく独立メディアが出現して突出しているとおもいかけました。しかし結局、同業者がわかったことは中共の政策や国内国際政治分野では澎湃もやはり手かせ足かせをはめられており、ただその手慣れたやり方、舞姿が柔軟でカッコいいという程度のものだったということです。いま同業者の関心は澎湃がまだまだ「遠く」へいくかどうかですが、

    これはもうその関心のあり方自体が存在しえない「偽命題」です。一に中共のメディアにたいする手綱は緩んでませんし、二には澎湃は世に出て行き様としているのであって自分から死のうなどとはおもっていませんから、その報道にはおのずと「自制心」があり自ら厄介事を抱えようとはしません。「思想のたいまつ」欄も問題の微簿を削除しましたし、澎湃が政治上どう「逸脱した」のかについても、その後、ニュースのつづきはいまのところありません。

    私の経験からいえば党はメディアに自分達のいうことをきかせようとするときでも形の上では色々なやり方を許します。それは太鼓でも田植え歌でも民謡でも詠嘆調でもなんでもいいんです。そのほうが「百花斉放」にみえて「民主的」ですから。ですから澎湃ニュースと当局の間の矛盾というのは決して自由化と反自由化のそれではなく、いかに踊ってみせるかという矛盾だけで、どうしたら少しは見栄えがするかという話で、当局が東を向けというのに澎湃が西を向いた、みたいな話ではありません。左右の激突、といった問題ではないのです。

    《中国のメディアはまだ「資本主義時代」ではない》

    澎湃が中国のメディア業界の注目を浴びたのは、もうひとつその資本金の出所が多元化している点にあります。現在、確定している投資者は3つあって、上海報業グループが53%、弘毅資本が20%、団隊20%前後。「団隊」(*記者、編集者等が自ら出資した分)を株主にしたのは責任感を高めメディアがうまくいくようにとのことだそうです。しかしメディアちおうのは大変特殊な産業で資本的な属性つまり利潤の追求と言う面はあるのですが、それだけで済む商売ではありませんでかならず第四権力としての職業道徳、真実を求め体現する社会的良識がともなわなければなりません。これはむろん西側のメディアの状況で中国ではそうはまいりません。

    メディア業界のゲームのルールは中共中央宣伝部の思うがままです。中国が当初、WTOに加盟したときは外資にメディア市場を開放するようなことを言っていましたが2005年ごろにはその期限がきたときには同部の李従軍副部長はこういいました。「中国でのメディア企業はモデルケースに基づいて経営すべきであり、特にイデオロギー方面の中国の特性に留意し、タダシイ輿論を導く義務を負う」と。国家映画テレビ放送総局(国家广播电影电视总局)局長の徐光春はもっとあけすけに「いくつかの基準は永遠に不変である、すなわち「メディアの役割は党の代弁であり、党はメディアとメディアの人事を管理し、メディアは輿論を正しく導く責任をはたさねばならない」といいました。これはつまり国内メディアの企業としての経営も資本によってではなく行政権力によってルールがきまる、ということです。

    このゲームのルールは今に至るまで不変です。インターネットは高度に企業化された経営を行っていますが、政府はしっかりと巨額の資金投入を惜しまずそれを飼いならしました。言論制限という面では当局の介入の堅固さは人類社会の歴史上ナンバーワンでしょう。8月18日、習近平は中央全面深化改革指導小組第四回会議で「ネット上の思想を強化し、伝統メディアと新興メディアの優位性を互いの補い合う事によって一体的に発展させしっかりと管理して正しい方向に向け推進する必要が有る」と述べました。

    今の大陸の中国語で「正しい方向」というおのはつまり中共の一党専政を維持擁護する、という意味です。明らかに中国メディア市場はすでに資本による市場か経営を導入はしましたがそれがゲームのルールを決めるのではなく権力に跪かされるだけの話です。

    《外国メディアも同じ事》

    中国国内メディアが弱腰なら、西側のメディアはキリッとして本国でやっているような「第四権力」の働ができるでしょうか?実際は無理です。外資が中国で中国メディアより自由な言論を獲得できるかについては2003年に私が書いた『中国の嘘―恐るべきメディア統制の実態(扶桑社 (2005/02) 中文版書名;霧鎖中国)』で一章を割いて分析しましたが、研究の結果は中国は外国メディアの取材に対してきわめて詳細な禁止規定をもうけていました。かのメディア王マードックも中国進出に大いに智慧を絞り、中国人の妻をめとってまで「架け橋」を構築することを考えましたが結局失敗に終わりました。

    WTO加入時に北京が対外にメディアを解放するという約束は基本的にいまも守られていません。ただ一部の外国メディアが対外接待用のホテルに象徴的な存在としてあるだけです。外国メディアのニュースは今にいたるまで厳重な監視体制の下にあり、中国駐在記者のビザは厳しく審査され、外国メディアのニュースがはいってくるのを制限するのに使われていますし、外国映画、テレビ番組も厳しく審査されます。

    現在、ウォール街ジャーナルやNYタイムズなどの中国語ネットサイトがありますが、中国メディアがその内容を引用するときは中味は切り刻まれます。澎湃がこの度、エコノミストの文章を翻訳するときになぜ「自主規制」したかという原因はここにあります。外国メディアの記者が中国のニュースを報道する際、それが中国政府が気に入らない内容であった場合は各種の様々な度合いの報復、例えばビザの延長を認めない等、の目に遭わされます。米国のブルムバーグ社が2012年に中国トップ家庭の財産記事を掲載し記者はビザの発給を拒絶され、北京と上海の事務所は同日に強制捜査をされました。同社の重役達はやむをえず方針を変え、中国にひきつづき滞在することと引き換えに今後中国政治にかかわらないと公表しました。

    さらにこうした例が必要というのなら、ドイツの声が最近やったことも特筆に価するできごとです。8月27日、中国の国際放送局局長・王庚年と会ったドイツの声総裁の Peter Linmubogeは「ドイツの声は今後、経済、歴史、文化についての報道を増やす」と言いました。そして、放送内容も中国側の指導路線を尊重すると。(原注;中国側の言い方ではPeter Linmubogeはドイツの声は積極的に番組の中で中国とドイツの経済、文化、歴史の報道に更に力をいれ、相手側を尊重する前提のもとで客観公正な報道をおこなうと)「指導路線を尊重」などというのは、下級部門が上級の指令を受け取るときの言い方で、今日の中国ですら「人民日報」や「環球時報」などの中共報道機関なら口にするでしょうが、南方系列などの市場化されたメディアは無理矢理言わされても口にするのは恥じる言葉です。

    ドイツの声は中国のマイナス面の報道がこれまで多すぎて、また同社の異議人士・蘇雨桐記者 @Suyutong 解雇事件が結末を迎えないまえにこのような発言がおこなわれたということはこの放送局が北京の独裁者に跪いて恭順を誓ったということです中国メディアの置かれている厳しい生存環境をかんがみるに、外部の人間は澎湃がうまくやっていくことを希望するだけで、彼らに「自分の手で自分の髪の毛をつかんで空中に浮かばせる」ことを要求することは難しいでしょう。現在の中国で「市場化」は孫悟空がホトケサマの手から逃げ出すような近道はないのです。(終)

    拙訳御免
    原文は;澎湃能拔着自己的头发升天?http://urx.nu/bAY4

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    3 Responses to 市場化で成功した中国・澎湃新聞社は自分で頭髪を引っ張り上げて空中に浮かべるとおもいますか?

    1. Ian
      October 6, 2014 at 19:08

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