• 1920年の毛沢東と2014年のイリハム

    by  • September 27, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2014年9月23日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/mK2gc

    9月23日、イリハム・トフティ(*中央民族大学教授、経済学者)は「国家分裂罪」で無期懲役と一切の財産を没収するという判決を受けました。この意味は中共が倒れなければ、反対者が”バスティーユ牢獄”を打ち破らない限りイリハムが自由を回復できないということです。この事件で私は1920年におおっぴらに中国の分裂を主張した湖南出身の一青年の運命をおもいうかべずにはいられませんでした。

    《中国分裂を初めて唱えたのは誰か?》

    この湖南の青年は中国の分裂を唱えただけではなく、典型的な歴史虚無主義者でした。その主張の一部を下記に紹介します。

    「中国は統一しないことでうまく行くのだ。今に成ればそれは明らかである。…中国の歴代24の王朝はすべて砂上の楼閣であり、みな倒れる運命にあった。即ちどれも基盤が無かったのだ。四千年の歴史は見かけ倒しでありいかに多くの政治家が政治を行い、研究者が論考しようとすべて見かけ倒しだった。どの王朝も数十年から百年ちょっとの平和があった。が、それは一つの条件によって得られたもので、即ち多くの人を殺し血を一杯流したからだ。人口が少なくなれば、お互いに殺し合う事が減り、平和になっただけでまったく真実の基盤にたったものでなかった」

    「…人類に中国人が必要なのか、不必要なのかなど大事な関係はない。その原因は「中国」という二文字で孫をしているから、すなわち中国が統一されているからだ。今、唯一の救済法は中国を解散し、統一に反対することだ。将来の本当の中国を建設するためには、その手段は現在の偽中国を打ち破るべきで、少なくとも最低限南北は一緒にするべきではない。一歩すすんで各省は自治自決すべきであり、それが唯一の本当の中国を建設するやり方である」

    「一定期間内に全国の建設をするのは完全に望みが無いと気づかざるをえないし、一番良い方法はきっぱり建設をあきらめることだ。 きっぱりと分裂することだ。各省がそれぞれ建設をおこない、各省で人民の自決主義を行う、22の省、3つの特別区、ふたつの蕃地区、合計27の地方を27の国にするのがよいのだ」。

    以上の話は最後の一段以外は「湖南建設問題の根本問題ー湖南共和国」(湖南『大公報』1920年9月3日)、前半の一団はどれも『統一に反対する』(上海『時事新報』副刊『学灯』、1920年10月10日)からで作者は毛沢東です。このとき毛は27歳。その主張の過激な事といい、現実に対する激烈な評価といい、イリハムの問題になった「当面の新疆民族問題の現状と建設」の遠く及ぶ所ではありません。もし当時の軍閥政府が今の中共政府だったなら毛沢東は「国家分裂罪」で無期どころではなかったでしょう。

    私達の時代、子供の頃から北洋軍閥と国民党政権の統治下の旧中国は「天は真っ黒、地も真っ暗」だと教育されてきましたし、とりわけ北洋軍閥の統治時期は「二十世紀中国の最暗黒の一頁」で腐敗、専制、独裁がその指標だったと。しかしそのような「暗黒時代」に毛沢東は次々に国家分裂論を発表し逮捕されなかったのです。96年後の今、イリハムのおとなしい意見は「国家分裂罪」で重刑が科せられました。これはつまり北洋軍閥の「暗黒政治」ははるかに中共統治より開明的であったことを証明しているだけです。さもなくば中共はどうして大きく育ち、毛沢東が中共の領袖になどなれたはずがないでしょう?

    《今日の中共政府は「青年毛沢東」を許容できない》

    中国の政府系歴史学における北洋軍閥統治時期の評価は国民党政府の統治時期より下になっています。ですからもう一度この時期に何が起きたのかを遡って調べる必要があります。事実は「この時期に多くの偉大な歴史的事件がおきて、とくに深くはるかに何度もその後の思想解放運動に影響を与えていたことはすべてこの時期に発生したのです。例えば、新文化運動、五四運動、マルクス主義のひろがり、中共の創立等など、です。

    少しでも歴史がわかっている人なら皆、承知していることですが、専制が緩んだ時にのみ様々な批判の声が出現し新たな考え方と運動をうみます。専制の最も暗黒の時期にはおおくの思想が芽をだしたとたんに消滅させられ、思潮や運動にはなりません。北洋軍閥の時期は上述の歴史的なできごとがおきるだけの社会条件があっただけではなく、政治的反対派であった毛沢東達にも活動空間が与えられていたのです。以下は『毛沢東年譜』の記述する毛の成長史です。

    1918年4月;毛と何叔衡、蔡和森らが新民学会を発起設立
    7月;湖南学聯会が「湘江評論」を長沙で創刊。
    7月〜8月;連続して「民衆の大聯合」の長文を発表。
    1920年8月初;毛と易礼容等が長沙で文化書社を発起設立、マルクス主義と新文化を伝える。
    8月〜9月;ロシア研究会準備会に参加。
    11月;何叔衡らと長沙共産主義小組を組織
    1921年;毛沢東が中国共産党第一回大会に参加。

    このような活動がもし毛沢東統治時期に起きていたら、すべて「反革命罪」でどのひとつだけでも銃殺に処せられました。1990年以後、「陰謀(又は煽動)政府転覆罪」「国家安全危害罪」や「国家分裂罪」にもなります。これは別に大袈裟なことを言ってみなさんを驚かせようと言うのではなく、2001年北京大学の学生・楊子立ら四人のが青年読書会をつくりましたが、別に毛の新民学会のようなものではなく、文化書社のような政治宣伝目的でもなくたかだかただの読書会で社会に関心を持とうというもんでしたが、当局に「国家政権転覆罪」とされて8年から10年の重刑を言い渡されました。

    「毛沢東年譜」の並べている内容で毛が北洋軍閥の時期(1911-1927年间)に行った活動は、文章を書く事も行動もすべて国家政権転覆、国家分裂を目的にしていました。もし今日の中共政府でありえば事件は山よりも高く中共の法律の用語を持って言うならば「罪は実に大極悪にして、厳重に罰しなければ人民の怒りをおさめられない」でしょう。これでおわかりのように政治の開明性でいえば北洋軍閥の統治は今日の中共政府にはるかに勝り少なくとも、「青年毛沢東達」もつつがなく安心して各種の政府転覆活動にいそしめたのであります。

    《中共に比べれば国民政府も「半暗黒専制」》

    中共はソ連から巨額の活動経費を受け取っていましたが(杨奎松:中共建党初期の職業革命活動家の経費は何処からきたか」参照)。中共の統治下ではこれは「外国勢力と結託」という罪名に成ります。国民党は民衆運動を弾圧しましたがその程度は共産党にはかないません。1935年、中共組織がおこなった「129学生運動」は残虐な鎮圧に遭い、大勢の警察官が刀や棍棒、ホースで何も持たない愛国学生を襲い、百余人が負傷しました。この程度の暴力は中共が1989年に天安門の民主活動運動に出動させた軍隊やタンクに比べればまだ「文明的な法の執行」というべきでしょう。中共が国民政府を批判する基準で言えば、現段階の中共が「群衆性」反抗にもちいる暴力はほとんどすべて「残酷で暴虐な鎮圧」といえるものです。

    国民党と打ち時期にはニュースの報道管制もありましたし、しょっちゅう「白紙の窓」も出現しました。(穴埋め記事が間に合わず穴があいたまま発行)しかし中共に比べれば、このチェックはまるでガリバーと小人みたいなもので、共産党の袁水拍(1916-1982、詩人)を例にとれば、彼は長い間、国民党統治区で「新民報」「大公報」の職にあり300以上の山歌、民謡、国民党の腐敗や、経済崩壊
    社会混乱現象を諷刺し、その前後に300首からの1946年から1948年編成の「馬凡陀(*袁のペンネーム)山歌」正続編を発行しました。その一番有名なのは国民等政府の税金の苛酷さを唱った「♪これも税、あれも税、西も東も税、様々みんななんでも税、民国、バンバンゼー!」でしょう。国民政府は腐敗して真っ暗だったとしても、袁水伯という厄介事を引き起こす人間を許容する余地はありました。

    共産党は「英明で開放的と自称しましが、どこのメディアが袁のような面倒ごと製造人を容れるでしょうか?中共は正に自分自身の壮大な革命の経歴のなかで国民党が権力を失った教訓を総括して学んだのです。中共の元老だった陳雲はズバリと「国民党統治時期に報道法をつくったので我々、共産党は一字一句研究してそこに隙をみつけた、今我々が政権を執ってやはり報道法はないがよい。敵が付け入る隙をあたえないですむ。報道法がなければわれわれは主導的に好きにコントロールできるのだから」といいました。

    一国の文明の進歩を測るにはその核心となる指標は物質文明の進歩ではなく、政治文明の進歩です。今日の中共政府は技術と経済力の進歩発展の方面では国際的にただ乗りをしながら、西側の普遍的な価値基準と政治文明は厳しく排斥し、頑固に「鉄砲が政権を生む」という暴力統治を続けています。中国人の人権というのはただ国民を腹一杯にしておけばいい問題だとして、中国人の選挙権、言論の自由、報道の自由等あらゆる権利を剥奪しています。

    青年毛沢東が北洋軍閥の時期にいた経歴、イリハムが中共政治のもとで受けた取り扱いの違いは1920年から2014年にいたるまで中国の政治文明は進歩しなかっただけでなく、半開化状態から暗黒時代に陥ったことを証明するに足るものです。(終)

    拙訳御免。
    原文は;https://t.co/3fDEDgfQjP 1920与2014:毛泽东与伊力哈木遭遇了什么?

    ★関連ツィート;
    He Qinglian 1920与2014:毛泽东与伊力哈木遭遇了什么?
    http://www.voachinese.com/content/heqinglian-20140923/2460247.html ;… 日前我拿这两个年份做比较,有人质疑我以偏概全。我以《毛泽东年谱》及中共党史为据,论证只有在毛创立的共产极权体制下,“青年毛泽东”才毫无生存可能。(数日前に比較したら、偏ってるのではという人がいたので中共側の資料で、共産政権下では青年の毛沢東はまったく生存の余地がなかったことを、中共側の資料によって証明してみました。)

    He Qinglian
    估计这“一切财产”中,主要是北京的住房。过去,对某此不听话的人,都用此法,有的不是判刑,而是解职,解职后就没理由住在学校或者官方机构提供的住房里了,好赶人。(一切の財産の没収の中でも主要なのは北京の住まい。これは過去にも政府のいうことをきかない人に対して始終使われたやりかた。ときには裁判の結果もなくて、ただクビにしておいて、それを理由に学校宿舎などの住居をとりあげるやりかた。巧妙)

     

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