• 炎帝・黄帝の国はなぜ「炎黄春秋」誌を許さないのか?

    by  • September 30, 2014 • 日文文章 • 7 Comments

    何清漣

    2014年9月27日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/9L4gc

    「炎黄春秋」は3つの点で特異な雑誌です。特別な人々による、北京という中国政治の心臓部で、中共革命を直接体験した内部の人々の見聞した事を掘り起こしてきたからです。その存在は中共党史の本当の姿を還元して知る上で大変重要なものですが、しかしイデオロギー管理部門や一部のオオモノやその家族にとっては背中に刺さったトゲのようなものでなにがなんでも抜かないと済まないものでもありました。

    《”春秋”の深い内容をえぐり出す健筆によって書かれて来た》

    「炎黄春秋」は史談を主に、直接間接に時事問題にも筆が及びました。中共は党史に対して官僚以外の人々の容喙を許しませんでしたから、この雑誌は度々、禁を犯し、粛正されることはほとんど宿命のようなものでありました。2012年1月、ある人が数えたら11回も粛正を受けており、それから二年たった今、おそらく15,6回にはなるでしょう。今世紀にはいって中共の党史は「密教」から「顕教」になり、少なくとも二種の力が働きました。ひとつは一部の学者の長年にわたる努力で、高華や楊奎松のような人々による長期にわたる史料的な発掘により党史を公共の視野に供したものとふたつには党内の老人が各種のパイプを通じて回顧録を表しました。「炎黄春秋」はその重要な舞台として重要な役割を果たしてきました。

    社長の杜導氏は「炎黄色創刊20周年に思う」のなかで創刊の由来を語り1991年、萧克将軍が自分にこの雑誌を創設させ、その原則はひとつには実際に起きた事に基づいて歴史を論評することだったといいます。「炎黄春秋」は「実事求是の気風を推進し歴史に責任をもつ」とし、ふたつには鄧小平ら先の世代が主導し、胡耀国や趙紫陽らが押し進めた改革開放を正面から推進することで「雑誌は中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議(1978、改革開放)の路線を守る砦となる」ことでした。杜導氏はさらに2005年前後の雑誌がさらに現実に注意をより強く向けることに成ったことにも言及しました。

    外部からはこの刊行物は少なくとも3つの方面で大きな貢献があったと認められていました。一つは文革の否定、ふたつめは中共党史の源へ遡ろうとする努力、三つ目は多くの政治体制改革に関する文章を掲載して、中共のハイレベルにたいして「建設的意見」を提供すること、でした。

    少なからぬ人々が文革を回顧し、その細部から文革と毛の本性を読み取れることから、この雑誌は「烏有之郷」(*中共左派ナショナリスト達)や毛左派にとっては目障りでならない存在だったのでした。また改革開放の歴史の源の真の姿をはっきりさせることにおいても大変貢献しており、例えば「炎黄春秋副編集長が語る”胡耀邦脱敏感化”の過程」(鳳凰ネット)のという文章では詳細に描かれています。

    1994年に胡耀邦が死去して5周年の時、「炎黄春秋」は写真と詩を一編掲載しました。それから2006年11月、中共中央が胡耀邦生誕90年座談会を開くまで、春秋は前後30編以上の胡耀邦に関する文章を載せました。その間には何度も中央宣伝部の干渉を受けました。胡錦濤誕生90周年のときは雑誌の封印命令を受けました。しかしその十日後の11月19日、中央が胡耀邦生誕90年記念座談会を人民大会堂で開催し、ここに胡耀邦は中共党史と中国人の公共の視野に再登場したのでした。中共内部の人間による建設的な意見としては、2003年1月に掲載された「我が国の政治体制改革についての建議」があり、これは21世紀環球報道に転載されそれは差し押さえられました。

    2007年10月号の「我が党指導の改善に関する幾つかの考え方」、2013年1月の新年の挨拶で「憲法は政治体制改革の共通認識」は当局が飾り物の憲法を現実的な制度に変える様に呼びかけ、政治体制改革の本質は「護憲行動」だとしました。外界ではこの政治制度改革の文章が「炎黄ネット」の閉鎖の理由になったと考えられています。

    《炎黄春秋は”体制内の健康的な力の凝集”》

    この雑誌が1991年に創刊されて今日まで続いたのは中共内部の「健康な力」の存在があったからです。ある人は「春秋」の生存の道はひとつには編者、作者がみな高層指導部の退職者からなるエリートだったことで、政治上の「許容度」を知っていた事。そして読者の大部分が中共の老幹部や老文化人だったこと。三つ目は雑誌の後ろ盾が比較的強く、おおくの元部長級(大臣級)や指導者が編集委員や作者で手をだすと波風が立ちやすかったことをあげています。

    私はカギは一番目と三番目の理由だったとおもいます。中共の官僚は退職前と退職後では言う事が全然違います。だれかが「ホントの二つの頭」といいましたがつまり革命に最初参加したときの誠実さと退職後、反省してまた誠実になるということです。ただ革命の隊列中にいたときは立場上、「党の立場に立つ役割」を演じざるをえなかったということですね。この「二つの頭」の老人の多くは80年代中共党内の「改革派」でした。彼らは頭でははっきり自分達の「革命経歴」のどこに問題があったか知っており中国が平和的な方法で政治の進化を遂げる事をのぞんでいました。90年代の中後期には彼らは既に退職しており、中共党内の「改革派と保守派の闘争」も歴史の中の話となって、外からは「漸進改革派」であり「党内の健全な力」と呼ばれていました。

    しかし彼らの体制に対する力はもうすでにありませんでした。私がかつて弾圧を受けた時、李鋭氏(*元中共中央委员,中共中央组织部副部长,水电部副部长として三峡ダムに反対)は電話をかけて来て心配してくれ そのときいわれた言葉は今でも覚えていますが「我々爺たちはどうしようもないから、もっぱら君等若い人達をいじめるんだ」と。「爺達」はつまり党内にいる自分達の仲間で一定の経歴をもっているので自分達を守れる人々のことで「若い人達」はつまり私達の様な新中国にうまれて共産党の旗の下で育った思想的な反対者で、資格も経歴もなく自分達を守る力のない立場の人々のことでした。

    こうした「体制内の健康な力」の存在は党の外の人々に中共が次第に改革の道に向かうのではないかという幻想をいだかせました。彼らが誰かにあって発言した事が、海外のメディアに大報道されたことをみればあきらかです。(*あった、あった、爺も何度もだまされたぞ(^^;))最近、黎学文(*マスコミ、文化人)が「体制内の健康な力についての幻想病」という一文で朱厚澤氏(*貴州省書記など務めたオオモノ)が亡くなる前に「希望はない。君等が希望だとおもってるのは我々年寄りがまだ生きているからで、それで幻想を持つんだろうが、しかし我々自身は幻想は全く持っていない」と語りました。朱氏は問題をはっきり見通しており、その点私はかって何度か長い時間彼と話したことがあり私もわかっていました。それどころか、かれは私の関わった「中国近代5大政治集団の変遷が示す中国社会のならずものプロレタリアート化の過程」の記述を深く理解し賛同して、さらに書き進める様に激励してくれました。(今に至るまで完全には書いていません。部分的論述だけでも十分多くの人々が気を悪くしました)。

    彼が死ぬ前の遺言は「世の人につげねばならぬ。中国モデルは多くのひとを深く傷つける。我等13億の中国人は十分酷い目にあった。世界の他国に広げてさらに多くの人を苦しめては成らない」というものでした。しかし、彼らにしても語るときには「ちょうど良い頃合い」をしっかり見極めていなければなりませんでした。私は個人的にはとてもよくそれは理解できます。春秋の筆法でもなんとか生き延びなければならない雑誌と、痛快だが長生きできない雑誌では前者のほうが賢明なわけで、「炎黄春秋」がなんとか23年間生きて来られたのは、中共の体制下ではほとんど奇跡の様なものです。

    《炎黄春秋ー今の時代の齊に在っては太史の簡 晉に在っては董狐の筆》

    「炎黄春秋」は生存のために現在もその努力を続けています。たとえば習仲勋(*習近平の父)が創刊10周年の2001年2月25日に揮毫した「炎黄春秋は素晴らしくよくやっている」という言葉をもう一度掲載して習近平がその父と雑誌の交情を思ってリリースしてくれることを期待したり、微簿上でマルクスがニュースの検閲に反対した「マルクスによると検閲をうけた新聞などは他人の意志に屈した”宦官”のようなものだとしており、まさにこの意味ではマルクスはニュース報道の自由に対してしっかり検閲制度に強烈に反対し、その自由をしっかりと主張しており、それはいささかも妥協できない原則的立場である」「およそ正常なひとなら、メディアの過失や小さな間違いは許せても、政府がメディアをコントロールしたり弾圧したりする行為は許せないだろう」とかいった言葉を発表しています。これは彼らの戦いの策略であり、こうしてこの貴重な思想的な基盤となる舞台を守ろうと力を尽くしています。

    史書によると「孔子が春秋を編纂して乱心逆賊はこれを怖れた」といいます。中共はずっと自分達は中華文化の血脈をつぐ正しい後継者だと称しています。西安事件後、中共は1937年4月5日に公費で黄帝陵を祭り、毛沢東自らその祭文「昭告列祖」(先祖達に報告する)を書き、毛沢東みずから筆をとって「黄帝陵を祭る」文を書き碑文になって黄帝陵のある轩辕庙の西庭に聳えたっています。

    私は昔それをみたとき、文革のときに封建主義、修正主義を全部、打倒しようとした毛沢東が当時なぜ皇帝や天を祭るというやり方で中華の正当な子孫だなどといいたがったのか疑問におもいました。そんなことをするのであれば、文天祥の「正気の歌」の中で、正しい事を隠さず、誇張せず記録する中華史学の伝統を天地の正気の一にあげて「齊に在っては太史の簡 晉に在っては董狐の筆」(*正しいことを怖れず記録した昔話)と唱っているのになぜ中共は、歴史の真相を記そうという「炎黄春秋」を容赦できないのでしょう?

    この雑誌の運命は再び、中共統治したではただインチキな話ばかりが許されるということを証明するでしょう。そうであれば彼らは今後どの面下げて黄帝陵にて「ご先祖に報告」するのでしょうか?(終)

    拙訳御免。
    原文は;炎黄之邦不容炎黄子孙写《春秋》http://urx.nu/coyj

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    7 Responses to 炎帝・黄帝の国はなぜ「炎黄春秋」誌を許さないのか?

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