何清漣
2014年10月10日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
http://twishort.com/FVAgc
近年になってチベット、新疆、香港で起きた各種の反抗事件が表している通り中国政府は深刻な地域的政治危機に直面しています。北京中央政権はこの3地方の経済に地域に応じたやり方で力をいれてないわけではありません。また、治安維持の力の入れようも(香港に対してその求心力を高めようとしている様に)弱いものではありません。しかし結果はますます不安定になってきています。どうしてなのか?これは全体主義政権の一元化という特徴から論理的に導かれるものなのです。
《全体主義政治の高度一元化の特徴》
如何なる全体主義政治は全て「国家目標」を強調します。つまりその「理想社会」の代わりに現実社会をもってその「理想社会」に到達するために政治、経済、文化(宗教)の統一を要求します。異質な文化に対して全体主義はいささかも許容せず、一切の手段を通じて異質な文明を同質の政治文化に改造しようとします。もしそれが不可能な場合は相手を消滅させても、大同を求め小異を残す、などということはしません。
全体主義政治の一元化の特徴は一党による政権の独占に由来します。この政府は通常、一人の指導者によって指導されます。たとえ少数の集団指導、例えば胡錦濤時代の「9匹の竜」といった多数指導で権力が分散される構造になると集団の内部分裂を招きます。習近平は主席就任後、権力掌握に務めてきましたが、すくなからぬ論者がそれは彼個人の好みなのだろうなどと誤解していたのですが、実はそれは全体主義政治の内在するロジックによる必然的なものなのです。全体主義政権の最高指導者としてもしその大権が誰かの手に落ちる様な事があれば、他人からあれこれ掣肘をうけるだけでなく、自らの命も危険にさらされるのです。
この一元化政治には二つの政治的特徴があります。第一には生死を賭けた戦いによって権力を強固にし維持するということ。この種の闘争は社会を制するだけでなく、政治統治集団内部にも存在します。歴史上中共には11回の路線闘争があり鄧小平は二度にわたって総書記を廃しましたし、最近では薄熙来事件がありました。第二の特徴は法治を排することです。毛沢東は自ら「和尚が傘をさし、法も天もない」(やり放題むちゃくちゃやるんだ)と、文革時にきれいさっぱり公安局、検察局、裁判所を廃止してしまい、「最高指示」をもって法律に替えました。鄧小平と江沢民、胡錦濤などの中共指導者は表面上はみな法治国家建設を重視すると口では言いましたが、実際には政治権力が常に法律を凌駕していました。
この種の全体主義は必然的に少数民族地区の文化伝統と利益と本質的に衝突します。香港の異質な政治文化との共存も不可能です。全体主義と権威主義(Authoritarianism)は同じではありません。後者はおもに社会政治をコントロールが狙いで宗教に対しては往々にして寛容な態度を取ります。つまり「神のものは神へ、シーザーのものはシーザーへ」なのです。マルクス主義全体主義政治は実はこの種の宗教に大変近いのです。というのはマルクス主義政党は一面では宗教は阿片だとしながら別の方面では自らを一切の宗教に代わる”宗教”とします。これはマルクス主義が「社会科学」と称しながら他のいかなる社会科学とも違う本質的特徴です。共産主義を理想といいながらしかし永遠に実現するすべがないというのです。(ソ連人はかつて「人類は共産主義の理想からつねに5キロ離れているのさ」と嗤っていました)それでいて、それが終局的な真理だということを言い張るのです。
マルクス主義を信仰のご本尊とする中共は事実上、「上は天を支配し、下は地を支配し、中間の空気も支配する」全能の政権なのです。それはチベット人がダライラマを信奉するのを許さず、ウィグル人がアラーを信仰するのも許しませんし、同様に香港人が大陸の全体主義に反感をもち排斥するのも許しません。これが現段階、中国の地方の政治危機のよってきたる由縁なのです。
《政治支配の二つの鋏ー秘密警察と思想統制》
全体主義は社会の様々な位相のビューロクラシーを通じて社会を制御支配するほかに、さらに社会のすべての隅々まで秘密警察とタレ込み屋を浸透させネットワークを張ることによって、その支配力を強化し社会メンバーを恐怖させます。この種のやり方は漢族居住区だけでなく、同様に少数民族地区や香港にもおよびます。
少数民族地区ではそのなかから親政府派の人間を養成して、他の人を監視し密告することを奨励します。香港では長期養成と利益誘導、一方通行移民などの方法で浸透し、香港のベテランメディア人の程翔の推定だと香港の住民700万人中中共の地下党員は40万人に達し、人口の5%を占めるだろうということです。このような方法は一定の期間、当局に便利でコントロールを容易にさせますが、長期的にみればこの種の密告と恐怖による専制統治は不断に中央政府と少数民族・香港の多数住民との矛盾を深めるばかりです。
全体主義政治は教育とメディアを通じて行動に発達したイデオロギー統制を打ち立てました。およそ当局と一致しない思想はすべて「深刻な政治問題」とみなされます。毛時代に何度も何度も「思想改造運動」が異なる思想の持ち主に対して発動され改革開放以来、政府は不断に「信仰の真空」だの「信仰の喪失」だのと強調してきましたが、実はなにも中国人が信仰を失ったのではなく、少なからぬ人々が政府のイデオロギーを信じなくなって、その一部が基督教やカトリック、法輪功、全能教などに改信したのです。
イデオロギーのコントロールのために中国政府は不断に異端思想の粛正をおこないました。チベット人に至ってはダライラマの肖像を外させ、中共指導者の画像を貼らせることまでやりましたが、チベット人は仏教信仰を捨てた事はなく、 新疆ウィグル人もまたイスラム教への信仰を捨てたことはありません。中共のこの種の同化政策や異質消滅策の政治的意図はもともとその聖典たるマルクスや毛らの理論からきていますが、更に大事なのは現実の権力的政治の要求だということです。
統一思想の為には全体主義政権の指導者はみな自分の理論を作り上げないとなりません。江沢民の「三つの代表」だの、胡錦濤の「科学発展観」がそれですが、習近平は主席就任後二年たっても、シンクタンクがつくりあげた「三つの自信」、「人民の中国」、「宇宙の真理」等の”理論”があり演説でも一時使っていましたが、しかし総体的にみれば習近平の”理論”はまだ製造中で形をなしてはいません。
全体主義政治は「理想社会」の建設にあたって政治暴力(武力鎮圧を含む)と思想コントロール以外に、さらに不断に各種の政治運動を起こさなければなりません。この種の政治運動は人民に対してだけではなく、統治集団内部に向けても必要なのです。例えば毛沢東の「文革」とか、現在の「身分別摘発」(太子党と革命第二世代は習近平の反腐敗摘発の対象外)とか、その目的はすべて思想統一と領袖に対する高度の服従を生み出す事です。
さらにこうした政治目的を達成する以外に、全体主義政治は必然的に「全国をひとつの将棋盤にする」ということを追求しそれによって自らの政治統治を支えようとします。このために中国政府はそれぞれの省の資源や条件の差を顧みずますます中央の財政から支出することによってこの目標を達成しようとします。この目標は20世紀の90年代には「地方格差の縮小」と呼ばれ、今世紀になると次第に「カネで安定を買う」という呼ばれ方になりました。しかしチベットと新疆の「『阻害状況」というのは深い政治と文明の衝突から生まれたもので、これらの地区で「カネで安定を買う」やり方の効果は一時的なものです。
それにそのためのお金はこうした地区の本当の広大な中・下層人民のために使われるわけではないので、結局この策略は失敗するハメになるでしょう。(終)
拙訳御免。
原文は;中国地区治理危机的起源•政治篇 http://www.voachinese.com/content/he-qinglian-20141009/2478953.html
何清漣氏のこれまでの論考の日本語訳はこちら;http://yangl3.sg-host.com/japanese/