• 香港の抗議闘争は持久戦、急がないで

    by  • November 2, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2014年11月1日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/uULgc

    香港のオキュパイセントラル運動は一ヶ月あまりを迎え、習近平が香港に「妥協はならず、流血もならぬ」と要求したため、香港の特別行政区長官の梁振英はこの『火鉢』の側で、ただ早く熱が冷めてくれることを願うだけの状態です。この運動が始まってから北京は「時間は運動者の側の味方ではない」と計算していました。ただオキュパイセントラル運動は「中心街占拠」「非組織的」という特徴があるので、さらに一歩進んだ行動を取ろうとするとその集団行動の弱点が露呈します。

    ワシントンポスト紙の10月31日報道によると、「香港の学生リーダーは来月、中国で世界サミットが開かれるときに北京の指導者に民衆の訴えを表明しにいきたい」と表明したといいます。ウォール街ジャーナルは「代表派遣は抗議活動のエスカレート」と述べましたが、私はまったくそうはおもいません。香港の学生やWSJ紙の記者の中共に対する認識は当然のことながら、私たちのような中共統治下で長年暮らし、戦ってきた人間に及びません。北京が香港の学生が上京したら、だいたいどんな手を使って対処するかはだいたい次のようなものでしょう。

    第一の方法は、中共にとって極めて手間いらずで、香港の学生がサミットの半月前にまったく出発できなくさせて、その入関時にストップさせてしまう。これは技術的に中共が望みさえすればまったく簡単にやれることです。

    第二の方法は学生たちを北京にこさせる「誘敵深入」(あるいは敵、ではなく”相手”かな。ま、古語の4字成句ですから)、で目的地で網を張って待つ。香港学生が抗議地点に集まりスローガンを掲げたら「騒動挑発罪」でひっくくる。法律上では香港市民を大陸で大陸の法によって裁判できますから、中共は香港まで人々を捕まえにいく必要はないんですね。過去に多くの香港の多くが羅湖橋(香港ー深圳間の橋)を超えた途端に”失踪”し、後になって逮捕されたとわかりました。この例はやまほどあり、ちょっと年配の人ならみな知ってることです。

    第三の方法は最も面倒ですが、一番抗議側を悩ませることができる方法です。 それは学生を現場にこさせて、抗議も成功させておいて、中国政府側も動員をかけて「反セントラルオキュパイ」デモを展開させて「大陸の中国人の香港の運動に対する反感」を見せつけることです。これをやれば外国人には北京政府がまったく民意をでっちあげているとは判断できません。なぜなら大陸の人々は不完全にしか香港の運動のことを知りませんし、確かに少なからぬ人々が反対しているわけで、政府が動員さえすれば多くの青年が参加しましょう。

    私は三番目の方法は最も香港の学生が選んではならないとおもいます。なぜならそれは今ある優勢な立場を自分から捨て去り、まったく自信のないフィールドで競争するようなものだからです。ましてや現地で対決するのは政府の暴力だけではなく、反オキュパイセントラル運動の民間人らの暴力になるからです。

    《香港人がホームゲームの優勢を放棄したのちにくるものは》

    主戦場の優位を放棄すると直面する事態というのを考えましょう。サッカーでホームのアドバンテージというのがあります。一般には選手が自分の国や都市でゲームをすれば地の利、人の和といった点で有利で勝利しやすいのです。これがホームゲームの有利さです。香港のオキュパイセントラル運動がこんなに長く続けられたのもこれがあったからです。香港人の中に異なった意見があったとしても、しかし運動参加者はみな「地縁血縁でつながった香港人同士」ですから、それにくわえて香港はまだ法治社会です、香港政府が行き過ぎたとしてもやはり法律が気になりますから暴力といっても胡椒の子なや熱いスープ、引きずり倒すぐらいのところで大陸の暴力に比べたらまるで児戯に類するものです。

    ホームゲームの反対は「アウェー」です。アウェーゲームではホームのような人の和も地の利もありませんし応援団の声援だってホームのようには盛大にあるわけではありません。香港の学生は若いですが、年長者は決して忘れてはなりません。香港の学生は地の利、人の和、そして香港の法律があるホームから大陸という中共が一言言えばすべておしまいという「アウェー」の地へ行くのならまさに「孤軍深入」の愚です。

    過去一ヶ月、中共が香港に大量のオキュパイセントラル運動反対者を動員輸送して対峙させました。今、学生たちが「孤軍深入」の愚を犯したならどうして北京がそれを見逃すことがありましょうか?たちまち大反対のデモの号令をかけて香港の学生に目に物を見せてくれようとしないはずがありません。人数から言えば香港から学生が北京にいったところでせいぜい千、二千でしょう。中国政府が人海戦術をとうることなんか手のひらをかえすぐらいに簡単なことです。数万で十分でしょう。

    香港の学生に目に物を見せてくれようとしないはずがありません。人数から言えば香港から学生が北京にいったところでせいぜい千、二千でしょう。中国政府が人海戦術をとうることなんか手のひらをかえすぐらいに簡単なことです。数万で十分でしょう。

    《持続的闘いが自由への切符》

    香港の民主的運動は大変な艱難を経なければならない運命にあります。これは国際的な様々な経験をよく考えればわかります。全体主義独裁政権と戦うのは極めて高価な代価と犠牲を支払わねばなりません。大陸の80年、90年代生まれの青年たちはこの歴史をしらず、ただ一種の非現実的な夢、つまり全体主義統治が一晩で崩壊するんじゃないか、みたいな希望を持っていました。

    これは彼らが歴史の断片しかみていなかったからです。つまりソ連・東欧社会主義国家が20世紀の90年代に相次いで倒れたということだけをみて、歴史の全体をながめてなかったんですね。つまり共産党政権が倒れる前にはこうした国家の人民は犠牲を恐れず艱難に満ちたすさまじい戦いを続けてきたのです。チェコだろうとポーランドだろうとハンガリーだろうとソ連が大砲や戦車で社会主義制度を押し付けた直後から大きな事件、ハンガリーのナジとかポーランドの1956年10月事件、チェコのプラハの春とかは人々はなんとなく知っているのですが、そうした事件以外にまだまだ無数の血なまぐさい事件があったのです。

    ポーランドを例にみれば、1948年社会主義制度とスターリンの集団化モデルを実施したために国の資源と管理の問題が始終発生して、普段の政治抗争が起きました。1956年6月28日、ポズナニのセギエルスキの工場で16000人の労働者が抗議デモを行い、政府に待遇改善と減税を要求し、代表をワルシャワに派遣しましたがその人が逮捕されたことによって暴動化し現地の秘密警察の建物を焼き払い、政府は400両の戦車と1万の兵士を派遣して鎮圧し「これら暴民は西側の示唆挑発によるものだ」と宣言しました。

    これ以後ポーランドの労働者の反抗は絶えることがなかったのです。ポーランド共産党が崩壊したのちに「1956年事件記念碑」、別名「双十字の碑」が建てられ、碑にはただ数字だけが記されています。左側の十字架には「1956」の4文字が、内側の二番目の十字架にはより多くの、1968,1970、1976、1980、1981と。どの数字もそれぞれが大反抗事件の起きた年で、1970年のグダニスクのレーニン造船所での大ストライキ事件は「黒い木曜日」という映画にもなっています。この歴史は、1970年のクリスマスの2週間前に、ポーランド共産党が物価を値上げしたことが大ストライキの引き金になりソ連の圧力のもとでポーランド共産党がこれを残酷に鎮圧し12月17日(木曜日)に45人の抗議者が射殺されました。この事件後、ポーランドの労働者の反抗はさらに新たな段階に入り、労働者運動を指導する「連帯」が誕生します。

    「自由はダダではない」のです。自由への道はトゲだらけなので、必ずや茨の道を切り開く勇者たちが前のものが倒れたら後のものが続いてこそ一国家を率いてその道を完走できるのです。ですから私は心の底から香港の学生諸君が香港にとどまりホームの有利さを生かして今の闘争を堅持し、不必要な危険に身を晒さないでほしいと願っています。

    まして北京で逮捕されたら国際的な支援が増えるなどという言い分には、まずこの一ヶ月余の国際社会の運動に対する態度を参考にシミュレーションしてみればいいでしょう。そしてどれぐらいの支持、どのような支持が北京の強大な圧力に対して役に立ったといううことをよくよく考えてごらんなさい。なんでも予測を立て、無理なければやめることです。大きな運動はただ勇気だけあっても、それだけではぜんぜん足りないのです。(終)

    拙訳御免。
    原文は;何清涟:香港普选权抗争是持久战,非速决战 http://urx.nu/dEuh
    何清漣さんの他の論考の日本語拙訳;http://heqinglian.net/japanese/

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