• ツィッターに精神的脱出求めて 

    by  • November 18, 2014 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2010年5月31日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/CjUgc

    インターネットは一体人類をどこへ導くのでしょうか。未だにこの点については共通認識はありません。1997年、MITメディアラボのニコラス・ネグロポンテは「インターネットは国家間の垣根を打破し、あらたな世界の新時代を切り開くだろう」といいました。しかし中国政府は巨費を投じてグレートファイアウォールを築き 「うるわしい新世界」など幻想だということをわからせようとしています。

    《ツィッターに寄せられた期待は現実になるか?》

    インターネットが専制国家の市民に市民社会誕生への創造的空間を与えたことは否定できません。この二年間、FaceBookやツィッターなどSNNが一部の非民主国家で草の根の民主運動を担ってきました。例えば2009年のイラン選挙や中国の新疆7.5事件です。

    中国政府はこうしたSNNが非民主国家に対しての新用途に警戒心を倍加させており、ツィッターは米国政府が他国にカラー革命を起こす新しい道具でありグレートファイアウォールに閉じ込められるのを潔しとしない中国人が政治現象を語ったり、イランの選挙での働きをみて、西側の一部のウォッチャーの間では本来SNNが持っていない政治的な効用をみいだし「ツィッター政治」とか「ツィッター革命」という言葉が英語の世界の新語になりました。

    《中国政府はネット恐怖症からツィッター革命を恐れる》

    ツィッターは中国のネット友の住処となったのは、完全に中国政府の日増しに厳しくなる政治的チェックから精神的に脱出したいからです。それを西側社会がツィッター革命というのは彼らがネット上の言論の圧力が中国でも簡単に現実の圧力になりうるとおもっているからです。しかし、中国政府の心配は近年、罹患した「ネット恐怖症」からうまれた心配の方なのです。

    私の見方は以下の事実からです。

    ;中国のネット民は3.84億人、ネットの普及率は28.9%に達します。しかしその中で政治的なテーマに興味のあるのは最大でも5%、壁越えできるとなるとさらに少ないでしょう。こうして二つの違ったグループに分かれます。ひとつはネットにアクセスできる人とできない人。ネット上ではGFWを突破できる人たちとそうでない人々。
    となるとこうした違いは直接こうした人々が自分の居場所から社会を判断する際に影響を与えます。

    次に、web1.0と2.0時代の情報の違いです。前者においては新浪ニュース、新華ネット、人民ネットや他のニュースサイトは人間の検閲済みでした。大量の情報から政府に都合のいいものをトップにしたり掲載していましたからネット民はそうした濾過された情報を与えられていたわけです。受け取れる情報をコントロールしさえすれば受け手の思想や判断を簡単にコントロールできます。

    現在はWeb2.0時代で、特徴としてはユーザーがコンテンツを生みます。ですからネットのすべての情報が編集者の意図した内容ではありません。中国政府も管制の重点を2.0に移しています。3番目にネットは異なった観点をもつグループを分化する働きをします。これはWeb1.0時代からすでに見られました。例えば人民んえっとの強国論壇や烏有之郷(*左派毛派論壇)などでは大変強い同質性がみられ、いかなる異なった意見に対しても極端な敵意をもって排斥します。web2.0時代はその内容を個人が提供しますから、さらにこの傾向は強まります。

    一般的に言って社会メンバーの共通の経験、特にメディアの作り出した共同体験が提供したものはある種の「社会的粘着性」を持ちます。そして一つの異質な社会では人と人は容易に相互理解しません。共通認識に到達するというのはとても困難です。

    4番目に、ネット友が対象事物の分析能力と生活経験の相関性です。ツィッターの討論を通じて発見した現象なのですが、中国の情報はコントロールされているため、ネット友は自分が経験できる事物には比較的強い是非の判断能力があります。

    例えば、鄧玉嬌事件や役人の腐敗などについてです。しかしそれが自分たちの暮らしと遠い出来事、例えば米国の政治経済、米中関係などになると中共の長年のプロパガンダ宣伝が多くの人々の知的な出発点になってしまうのです。

    例えばプエルトリコと米国の関係ですがこの20年の民間アンケートではコモンウェルスという地位から米国の51番目の州になりたいと変わりました。2008年民意調査では7割が米国の51番目の州になることを選び、独立は2割未満でした。しかし2009年8月になっても、中国は相変わらずプエルトリコ人は米国の州にはなりたがっていないと国内向けに言い続け誤った情報を提供し続けました。

    学術の自由や思想の自由のない国では一人一人の思想形成は教育ではなく、個人的色彩の相当強い読書の経験や個人的経験からつくられます。ですから中国人は自分の生活経験外の事柄特に民主や自由に関係する価値判断は大変共通認識が形成されにくいのです。インターネットは互いに交流できるツールではあるのですが、この種の交流は長い間イデオロギーの毒によって教育された人々の何十年にわたる思想の慣性が生まれており、逆に大変苦難に満ちたつらいものになってしまいます

    情報の自由を渇望することと政治の自由を渇望することの間には長い距離があります。この距離は啓蒙活動によって縮めることができます。中国は現在まだ前世紀の80年代の啓蒙すら欠乏しています。

    私の結論は;現段階で中国ネット民はバーチャル空間の圧力グループであり、若干の具体的利益の問題では穏やかに不満や不服従を表明できる特徴がある。しかし、非政治組織であり中共が堅持するいわゆる「核心的利益」(つまり政権担当する地位)を転覆するような影響力はもちえない。ツィッタや微簿の流行はただごく少数のGWFの監視・管制することから逃れたいと願う中国人が自由に物をいえるプラットフォームを求めているのだ、ということです。(終)

    拙訳御免。(*2014年11月の「『中国型ツィッター革命』バブルの衰亡」http://biweekly.hrichina.org/article/22917 ; に先立って書かれた2010年の原稿翻訳。一部「衰亡」と重複する細かい経過などは抄訳しています)
    原文は;「寻找Twitter只是一种精神出走」;http://www.bbc.co.uk/zhongwen/simp/china/2010/05/100531_cr_twitter_by_heqinglian.shtml

    何清漣氏の他の論考の日本語訳は;http://heqinglian.net/japanese/ にあります。

    About

    Leave a Reply

    Your email address will not be published. Required fields are marked *