• 周・令・薄の3事件にみる中国政治の制度の呪い

    by  • December 27, 2014 • 日文文章 • 1 Comment

    何清漣

    2014年12月24日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/crohc

    令計画、薄熙来は政治局委員、周永康は「国家の指導者」級でした。立身出世の道は違っても功なり名を成した後、みないまや政治監獄の秦城におりその犯罪事実は極めて類似しています。どうしてこうなってしまうのか?これが中国政治の「制度の呪い」なのです。中国の役人の昇進の道はそれぞれ違いますが、失脚後に暴露される要素は基本的に同じです。引きずり倒されるまでの導火線は様々ですが、でも結局は「制度の呪い」に帰してしまいます。

    《中国政治の「制度的呪い」とは》

    周永康は中央政治局常務委員(総理クラス)でした。令計画は政協委副主席(副総理級)、薄熙来は政治局委員で出世の仕方は多少違っても、功なり名を遂げたあと牢屋に入り、家族も大部分は捕まってい、なぜこうなるかというとそれが「中国政治制度の呪い」だと思います。

    中国の政治は独裁政治で、三つの独占、すなわち政治的独占、経済的独占、世論の独占です。役人になって一定の出世を遂げればあとは担当地区を領地としてしたい放題です。山東省泰安市の元市委初期の胡健学はかつて「俺のこの一級という地位になれば、誰も止めはしない」といいました。この種のしたい放題には管轄地域の資源の勝手な支配やいかなる監督も受けないことを含みます。

    ですから、中共党内には簡単に利益によって区分された派閥の体系ができてしまいます。この種の利益の食物連鎖は地縁によって作られており、また業務分野別になっています。これが干渉を受けずに肥大すると、中共中央の集中権力にとって一種の難問題になります。中共は中央集権制度をおこなっていますから、最高権力者が握っている権力でもやはりそれは体制から付与されたものです。もし最高指導者が胡錦濤のように弱ければ同僚たちの好き勝手な行動に任せるしかなく「9匹の龍が治水する」といわれた胡時代のような権力の多元化が起こります。しかし習近平のような「冷酷で疑い深い帝王」が位につくと、こうした各種の派閥は遅かれ早かれ取り除かれます。この種の権力がいかなる制限も受けずに、体制内の権力配分の構造が勝手に変わるというのが中共の専制体制がはじめから備えている「制度の呪い」です。

    《第一の呪い;権力の資源支配が生む利益の派閥化》

    周永康は農民出身ですが、役人の道に精通しており、その出世の一歩一歩にはすべて巨大な利益ネットワークが形成されました。18回大会後に逮捕された48人の省・部級(本省の大臣クラス)大半は周永康の麾下にの三系統、石油グループ、四川グループ、政法系グループに属します。それぞれが自分が握っている国有資源を自分の家族や利益連鎖にかかわる人間たちに運んでいました。事件で明らかにされた初歩的な情報でもこうした役人たちはすべて数千万元から億元を優に超える額の資産を持ち石油系の中間管理職だけで45人を超えています。そしてさらに多くの中級幹部が中央規律委の摘発の網が閉じられる前に海外逃亡を果たしたのでした。

    令計画はメディアによれば山西籍の北京在住の高官たちの「西山会」に在籍しこの高官たちは膨大な権力と金力をもった帝国を地縁によって築き上げ、そのうちの大金主は「鉄道の大親分」であった劉志軍の協力者の丁書苗でした。令計画の二番目の兄の令政策は山西の同様の高官たちによる膨大なサークルの中心人物で、「山西幇」と名乗っていました。メディア人の羅昌平は「この種の政治「幇」は書かれた定款も組織規約もなく決まった場所や特別な組織秩序もなく、しかし全国のいたるところに存在し、通常はある地域や業界を目印として、たとえば業界のなかの石油幇、電力のトラ、鉄道の親分、また地域では湖南省の常徳、江蘇塩城、吉林の縁辺などがある、と言っています。

    周永康の傘下には三つの幇派があり、石油幇と政法系は業界別の組織ですし、四川幇は地域性の政治幇派です。こうした幇派が好き勝手におおきくなると中央の対策はおよばなくなり、それが勝手に利益を吸い上げて分配する構造に関与できなくなります。この種の幇派は中央陕西政治の嫌うところで歴代王朝も一旦力をつけたらすぐ平定しています。漢代の七王国の乱や、清の時代にも三藩の乱がありました。

    《第二の呪い;一家と国家の一体の利益丸かじり体制》

    周永康の家族のブラックマネーの話は、中国の官製メディアから漏れ出てくるお話だけでも、エネルギー、不動産、政界、各省のボスと国家計画民生エネルギーそして周一家とその利益関係者の間ではすでに国家とまるごと一体になった利益の丸かじり体制がうまれていたことがわかります。

    周永康の息子の周濱は裏社会にも通じており、その「3つの白い手袋」には外戚にはブローカーとして外資の設備を中国油化に売り込んでいる米国のラグナビーチの黄一家がおり、中国石油麾下には十数の省クラスの支社が8000箇所に及ぶ小売システムを情報化し、「中旭系」(周のエネルギー会社)の呉兵は大変なやり手で、もっとも大きな業績は中央級国営企業の五大電力会社の一つである中国国電グループ会社の手から大渡河ダムをもぎ取って、毎年9億元の収入のあるに電力販売を経営したことでした。周濱の同窓の米暁東は官僚世界の石油幇から利益をかじり取っていました。

    周永康が長年経営にかかわっていた石油系では「自分の家が天下で、天下は自分の家、両者に区別なし」で、名義上は「全人民のもの」という国家資源をもっぱら周一家とそれにつきしたがう配下たちが好き勝手にできました。個人の家と国が癒着して一体となった利益丸かじり体制は中国国営企業が海外でも中共支配層に奉仕するという仕事ぶりにも表れています。報道によると周濱の留学中費用から学校との連絡まで すべて中石の副社長の李華林が一手に手配しており、当時、李は米国・ヒューストンの副主任に過ぎなかったのが仕事ぶりよろしきをかわれてのちに大出世したのでした。

    この種の家と国家一体の利益丸かじり体制は、また「一人が得道すれば、その家の鶏や犬まで空に登る」ということです。周永康の二番目の兄は「五糧液」(*有名な酒)取次販売を人にやらせていましたし 三番目の兄はアウディの代理店を経営し中石石油ご液化天然ガスの合弁会社を経営し、地元の一部の商売を独占して、家族一家全員の財産は1000億元(海外は別だといわれる)にものぼるといいます。

    令計画の弟の令完成は兄の庇護下にあって、2008年に「匯金立法」を立ち上げ多くの山西商人の多くをふくむ「仲間」として投資ファンドとし、上場創業業をあたかも碁盤の星の数ほどにも全国大都市に手を伸ばしたとえそれほど人気のない企業でもなんとか上場させて、その分前の多さにはプロも仰天するほどでした。同社が投資し、上場に成功させた企業全体の富はすでに12億元を超えているといわれます。

    令計画の妻・谷麗萍もたいへんな辣腕で、協会や地方のもろもろの資源を整理統合して、かつて中国青年創業国際計画というのを立ち上げ総理事長となりました。海外メディアによると大中の外資企業はこぞって「敬意を表するために」組織成立の当日にはもう数億元が集まっていたといわれます。その基金は主として投資や逃税に便宜をはかり、主要な狙いは賄賂のやりとりを覆い隠すことだった、と報道されました。

    《第三の呪い;”二代目”たちの”権力の傲慢”》

    改革開放以来、中国のパワーエリート家庭の教育は第一世代の紅色貴族たちのそれとは大きな違いがありました。第一世代が中国建国を果たした時代にはまだ素朴な民を重んじる思想がありましたし、そのように子供達を教育しました。しかし、改革開放以来、権力もまた市場化して紅色家族が商売によって大金持ちになるという道を開いたばかりでなく、役人たちにも権力をつかって私利をはかりおおいに金儲けできるチャンスを与えたのでした。この二種類の人間たちの子供達は生まれた時から「金のサジを口にくわえて」いたわけで、権力のもつ傲慢さをまず自らの家の教えとして学び、次に社会の空気にから学び、そして最後にその家族に大きな不幸の種をもたらします。

    令計画の息子の令谷は北京大学在学中に「官僚二代目クラブ」を作り、その特異さを際立たせていました。その慎みのなさは、その集会で薄熙来の息子の薄瓜瓜と喧嘩したことでもわかります。2012年3月18日の午前4時に、冷谷のかのフェラーリ事件で、自らの命を失ったばかりでなくその父・令計画が事故隠蔽で、周永康と手を結ぶ羽目にさせ、家族全員が地に堕ちる禍根を作りました。

    薄熙来もまた同じです。息子の瓜瓜は母親の谷開来によって海外留学させられましたが、薄熙来はそれをかまわないままにしていました。海外の高官子弟のうち瓜瓜だけが動静が報じられ芳しからざる噂が絶えませんでした。瓜瓜と海伍徳の間の1400万ポンドをめぐるトラブルは最終的に谷開来が海を毒殺する事件となりました。微簿上で削除された書き込みには「一発の平手打ちで薄一家は滅び、一度の車事故で令家は覆る」と。この二人のバカ若殿達によってその一家が転覆した事例を語っています。

    周永康の息子の周濱は瓜瓜たちより年上ですが、父の権力を利用して金を稼ぐという「必然の道」を歩みました。現在、中央規律委が事件を調べるにあたっては、その海外の子弟が往々にして突破口となる、といわれています。周濱は周永康事件ではたしかにそうでした。「父の名において」と「周濱の父」はたしかに国内報道における重要なポイントでした。(*周永康を直接名指しできないマスコミが「周濱の父」という婉曲な言い方をしていた)

    中国の政治におけるこの三重の「制度の呪縛」は一旦、家と国家が一体となった利益丸かじり体制をつくれば、紅色貴族と官僚たちはたちまち「一人が得道すれば、鶏、犬も天に登れる」ですがしかし最後には少なからぬ人々が身を滅ぼし、一族全滅の羽目になるのです。周、令、薄の三人もまたこの三重の呪いをうけたその代表的な人物、というだけのことです。(終わり)

    拙訳御免。
    何清漣さんの原文は;从周令薄三案看中国政治的制度诅咒 http://biweekly.hrichina.org/article/24084
    何清漣さんの他の論考の日本語訳は;http://biweekly.hrichina.org/article/24084

    About

    One Response to 周・令・薄の3事件にみる中国政治の制度の呪い

    1. Pingback: 中国の「反腐敗」が最後には”「芋づる誅滅(瓜蔓抄)」になる理由 | 清涟居

    Leave a Reply

    Your email address will not be published. Required fields are marked *