• 毛沢東の二人の生徒、花マルの習近平とペケの薄熙来

    by  • February 24, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年2月19日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/yYDhc

    北京政府のイデオロギーコントロールは日増しに厳しくなり、現実の話の範囲から歴史の分野にまで広がってきました。2月中旬には133ものマイクロブログのサイトが「国の歴史や党の歴史を歪曲した」かどで抹消されました。この様な政治的強圧状態は、多くの人々に「習近平は薄熙来なき薄路線をおこなっている」として、薄熙来がまた話題に上がっています。習近平と薄熙来はどこが違うのか?習近平はまさかほんとうに薄熙来のヒソミに習うのか?こうした見方にたいする私の考えを述べてみます。

    《政治の上では習近平と薄熙来は相似形の三角形》

    薄熙来なき薄路線をとる、という見方にという見方に私はこれまで賛成しませんでした。なぜならば薄熙来と今日の政権者の矛盾は完全に政治思想路線の矛盾ではなく、政治利益上の争奪戦だったからです。中国の政治トップ連をみると、前総理の温家宝が2012年3月の両会の閉幕の記者会見で「路線闘争」という言葉を使った以外、誰も薄熙来をイデオロギー的な異分子とは認めておらず、せいぜい「政治的野心家」としかみていませんでした。習近平がいま行こうとしている道は「毛沢東式鉄腕」と「鄧小平式国家(権力貴族)資本主義」です。

    鄧式の資本主義の発展方向は二つあって、ひとつは国家資本主義、すなわち政府が資源や経済の命脈を握り、「国富」(但し富むのは政府)を達成する、二つには少数の共産党権力貴族階級を先に豊かにする、でした。習近平が現在やっているのはこの貴権資本主義がとめどもない好き勝手なやり放題で「国富」に深刻なまでに影響をあたえいているのを少しばかり抑制しようとするものです。

    しかし習には鄧小平がやったような「全国民を中産階級に」というスローガンで民衆を懐柔慰撫したりはできませんし、薄熙来の起債して社会底辺層の歓心を買うというやりかたに学ぶわけにもいきません。というのは薄熙来は国家という大鍋から重慶という小鍋にメシを持ってきたわけですが、習近平は現在まさに国家という大鍋のシェフなのですから、もっと大きい鍋がどこかにあるわけはないのです。

    耳障りな批判の声をやっつけて黙らせるという意味では習近平、薄熙来は別に違っていたわけではありません。ただ実行するときの力が違うだけです。薄熙来が全力を傾けて全国の少なからぬインテリや芸術家に自分を讃えさせることができても、反対の声を消滅させることができたのは重慶市という地盤の中だけでした。ですから重慶モデルを批判する声はその外側では絶えず聞こえてきました。

    しかし習近平は違います。全国的な一大権力を掌握していますから、マイクロブログを潰して、反対者を逮捕して、ネットを監視し、高校教師の思想を取り締まって、しらみつぶしに国内の各種の”異音・雑音”を消滅させうるばかりか、何重にもなる監視組織の隊列をつくり、大量の5毛を海外の中国語ネットにまで派遣して「言論の陣地」を占領させることまでやってのけました。習近平が薄熙来の真似をしたなどといえば、習近平はさぞ面白くないことでしょう。

    習も薄もどちらも毛沢東の良き生徒なのです。ただ一人は成功して玉座に登り、他の一人は獄中にいる失敗者だというだけの違いでこれはしょうがないことです。「成功すれば皇帝になり、失敗すれば匪賊になる」のは中国の古来不変の政治権力闘争の習いですから。

    《習近平は経済上では、毛にも薄にも倣えない》

    もし中国に習近平がもう一度”文革”をもたらすかという点では私はそれは不可能だとおもいます。社会条件が違うのです。歴史は往々にして勝利者の手によって書き換えられますがしかし、だからといって統治者がいかようにでもできるゴムのようなものではありません。毛の発動した文革派10年続きました。それを支えた社会条件は

    ❶毛は文革を通じて劉少奇らライバルを粛清を意図した。

    ❷毛は長年にわたって個人崇拝をつくりあげ、中共内では神に等しい地位を持っていた。

    ❸当時、中国は鎖国中で愚民化教育・洗脳を受けた中国人はみな、世界の3分の2の人民は塗炭の苦しみの底にあり自分たちが救いに行くのを待っていると信じており、毛を全中国人民の大救星というだけでなく、世界人民が熱烈に愛する革命のリーダーだと信じていました。

    ❹当時の中国の計画経済では政府がすべての資源の分配を支配して低い水準の上で全国人民を「なんとか暮らしてける」ようにしていました。

    これに対して、今の社会では、習近平が文革を行いたいいう主観的願望は十分とはいえませんでしょう。トップ層における政治的ライバルに対する粛清という第一目標はすでに「反腐敗」でうまくいっていますし、残りの3つの条件はひとつとてありません。

    全国的な資源の配分という点だけをとてみても、政府の力は毛時代とは全然違います。高級官僚たちは国営企業の資産を盗み、利潤をごまかし、海外の子会社をつうじてたくみに自分の懐にいれてしまうなどという行為に対しても英明なはずの中国共産党は全然ほったらかしですし、ましてや”周永康”の同類たちがまだまだこの盗みに参加しております。

    民間企業はいうことをききませんし、どこでも金儲けの機会さえあればどこからともなく嗅ぎつけてあらわれますが、党がピンチの国営企業の株を民間が一部引き受けるようにという号令をかけても聞こえないふりをしています。

    いまや経済状況が芳しくないとなると国内資本はどんどん海外に避難します。昔の毛沢東時代の大飢饉時代には大量の食料を輸出しながらミサイル、原爆、人工衛星を開発して高価な材料を購入し、一面では外国を援助してその支持をとりつける一方で民は大量に餓死していったのでした。

    いまやこうしたことは全部ありません。毛時代には常に「精神の原爆」は強力無比でしたがいまや、自分たちは「お金で安定を買う」しかないことをよく承知しています。自分たちも国民のイデオロギーにたいしての拘束力などとっくになくなって、残っているのは利益誘導だけ、ということを自らも知っているからです。

    薄熙来は「毛沢東を尊敬する」旗印を掲げ社会底辺層の支持を集めましたが、この支持なるものははっきり言えば金で買ったものです。西側では左派が福利と交換に選挙の票を集めますが、薄熙来はそれで自分への政治的支持をとりつけたわけです。薄熙来は毛沢東のいわゆる「建国の大手柄」もなく労働者、農民に高い政治的地位も与えませんでしたから、「タダのケーキ」を配って底辺層の実利に基づく限りある支持を取り付けるしかなかったのでした。そして虚実半々の毛沢東時代を理想化する歌を歌を歌ったのです。

    中共政府の底辺層に対するくらべるものなきケチさ加減にくらべると、薄熙来のケーキは大きくはなくてもしかし魅力はありました。しかしそのケーキ代は重慶経済の発展の成果からきたものではなく、起債によって得たものです。私は自分もふくめてずっと「黒をやっつけ紅讃歌」という薄の運動の巨額資金はどこからでるのと疑問におもっていましたが、「「国家開発銀行の重慶帳簿」(「ファイナンシャルタイムズ,20125月15日)に2007年から2011年末までの重慶市のすべての地方融資プラットフォームの残高は約4620億元で、国家開発銀行の借款はその25%、約1155億元とあります。つまりこのお芝居の脚本のコストはあまりにも高く、心ある者は誰も素晴らしいなどとはおもえない代物なのです。

    習近平は中共の主人として、通貨発行を続けるほかに、起債して人口の約6割を占める社会底辺層に「無料のケーキ」を配り続けることなどできません。ただ一部の人間を選抜して与えるだけです。それが思想コントロールに協力し、世論統制を行う不断に拡大を続ける「五毛」の隊列、中共のイデオロギー親衛隊なのです。周小平や花千芳を謁見したのもこの部隊に冠を与え、これまでになかった非正規軍的な業界を中共政府のイデオロギーコントロール軍隊に加えて、その仕事は主にネット上で「ちょうど良い加減の」世論を作り出し、異議雑音の輩を掃滅し、現在あるおいしい料理の卓をめちゃめちゃにさせないようにすることです。

    今おいしいテーブルについているのはおもに政治集団、経済エリートと知識教育者の一団です。前者は自分たちの仲間で当地の基礎を支え、経済エリートは本来、大小さまざまな馬雲や劉漢、曽成傑たちでその能力と財力は各クラス別に政治的エリートと無数の蜘蛛の糸のように利益で結ばれています。知識教育圏というのは政治集団にとってのサービス工具です。中共の習慣的用語ですと、政府が養う知識分子の隊列、でおとなしくいうことをきいていればテーブルにつかせてもらい、そうでなければ首にして飯の食い上げにしてしまいさらに五毛の大群を動員して包囲殲滅するのです。

    中共政府はやっつけなければならないのは少数の「政府の飯をくわせてもらいながらその鍋を壊そうとする連中」(権力の制限を求める聞き分けのない連中)だとはっきりわかっています。ですから毛時代のように「ひっくりかえした秩序をもう一度ひっくり返す」やりかたつまり、まず紅衛兵運動によって利益の円卓をふっくりかえして、ふたたび宣伝部隊をすべての企業、役所などに派遣して全社会を軍の管理下に置く、などということはしません。

    《中共政治のDNAは変わらない。つねに”辺境”の人々に頼って》

    中共のかつての革命は社会の周辺、中枢から遠い人々(毛流にいえばルンペンプロレタリアート)の力に頼ってきました。いまもうすぐ70年になろうとしていてもそれは依然としてかわりません。ここ数年の”五毛”部隊とネット監視隊伍の急速な拡大でこの隊列はどれほど大きくなったでしょう?外からではただ推測するだけですが、新華ネットの「ネット世論分析師(*高級五毛)は200万人と官側認める(2013/03/10)からもわかるとおり、少なくとも200万人の従業者がおり、もっぱら政府のためにネット監視をおこなって、そのサラリーだけでも2400億元に達します。高級でない方の末端の五毛の数はさらに多いでしょう。それに各地で養成された密告者のネットワークをいれたら思想統制要員の総数は1000万人をくだらないとおもわれます。中共は自分たちの利益の必要性から大量の底辺知識青年にその精神的汚染がどれほどかなどはかまうことなく飢えて死なない程度の「就職機会」をあたえたのです。

    五毛という業界は白を黒、黒を白といい、是非をごちゃまぜにして、デタラメを流すという業務でしたからこれまでは光をはばかる地下状態にあったのです。しかし習近平がその中の”傑物”たる周小平、花千芳を謁見したやりかたで、社会階層を上昇できる道を示しました。これによって正式に、中共は65年の執政の道を経ても、やはり山賊の大王という「DNA」はそのままでちっとも変わってないということを宣言したわけです。

    江沢民時代にはかつて「三つの代表」の理念(*先進生産力、先進文化、広大な人民の根本利益)が社会構造の重要部分だというようなことがいわれたのですが、しかし結局は社会の端っこにいる人たちに依拠するという中共の昔ながらのやり方に戻っていったわけです。

    その違いといえば昔はその人々を革命の主力として、国民党政府を倒し、有産階級を絶滅し、土豪を倒して土地を分けたのですが、いまではその「端っこの人たち」によって、社会良識とあえて本当のことをいう人々を包囲掃討し、お金をほんのちょっぴりあたえて参加するものを「生かしておく」ということです。

    私の結論は、全国民規模の文革は起こらない。それは政府当局の政治利益に合致しない。だから毛左派の夢想する「土豪をやっつけ、財産を分ける」「財産を襲って奪い取る」などの「チャイナ・ドリーム」は遥か彼方でしょう。

    しかし、思想粛正の分野では高校と関連機構などの定点清掃以外に、統治集団と「端っこの人々」は利益による連盟が結成されることはあるでしょう。ネットを組織して吊るし上げ闘争をやるのは指導層に「いうことをきくやつは可愛がって、そうでないやつはやっつける」というやりかたを可能にさせますし、また毛沢東左派の面々にも憂さ晴らしさせることはできるでしょう。(終わり)

    拙訳御免。
    何清漣氏の原文は;毛泽东的两个好学生:习“王”薄“寇” http://biweekly.hrichina.org/article/25612
    何清漣氏のこれまでの論考日本語訳は;http://heqinglian.net/japanese/

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