• ”シンガポール・モデル”への愛憎半ばする中国の朝野のお話

    by  • April 5, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年3月25日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/LQShc

    シンガポールの国父・リークワンユー(李光耀・1923年09月16日— 2015年03月23日)がこの世を去って中国のネットのソーシャルメディア上では「シンガポール・モデル」に対する激しい攻撃・口撃が起きました。ただほとんどの人が気がついていないのですがシンガポールはもうこの「シンガポールモデル」の存在を否定しているんですね。最近では今年の2月にシンガポール外務省巡回大使のビラハリらが米国ワシントンでのブルッキングス学会の講演で「シンガポール方式などは根本的に存在しないのだ。そういわれている政策は全てリクアンユーや彼のグループが時に応じてうまく作り出したもので、建国の総理のリクアンユーが実践してきた治国の理念が深く制度に埋め込まれているのだ」と言っています。

    ★中国が実践した”シンガポールの経験”が愛憎を生んだ

    鄧小平が1978年11月にシンガポールを訪問してのち、かつては中国の官製メディアが「米国帝国主義の走狗」と呼んできたこの都市国家はにわかに「公共住宅、庭園都市、旅行業の模範」と褒め称えられる存在になりました。鄧小平はずっとシンガポールの経験に惚れ込んで、その発展した経済管理の経験を絶え間なく学習のモデルとしました。
    鄧小平の改革の主な柱、例えば輸出選好型の経済特区や外資との合作などはすべてシンガポールから習ったものです。のちに中国政府は「シンガポール方式」を「強権政治プラス開放型市場経済」としてこれを一党独裁政権体制が国家を現代化させた模範としました。そして中国の役人をシンガポールの南洋理工大学に学ばせ、中国の「海外の中共党学校」と呼びました。中国政府が「学ぶべき対象」としたのは世界でもシンガポールが唯一の存在なのです。

    シンガポールのメディア管制体制はアジアでは北朝鮮、中国に次ぐ厳しさです。それに専制政治への憎しみが加わって世界の中国系の4大国家の中で、シンガポールは「民主はあっても自由のない国」と言われます。そしてその民主も「人民行動党の選挙ごっこ」と酷評されさらに中共がそれを学ぶべきモデルとしたことで、中国人はシンガポールを「世界で最も清潔で精緻な豚小屋」と罵ります。

    ひょっとするとそうした中国の自由知識人に憎まれていることを知ったせい…でもないでしょうが、シンガポールは「シンガポール・モデル」の存在を否定し始めたのです。2013年3月23日、シンガポールの聯合早報は中国のメディア人、趙霊敏の「中国はシンガポールを学べない」という記事を掲載し、その中の「中国の朝野はシンガポールモデルに愛憎半ばするが、どちらも自分たちの勝手な”想像上のシンガポール”に根ざしている。そして政治競争のない、廉潔で高能率のシンガポールなど実際には存在しないのだ」という言葉は有名になりました。

    ★シンガポールの輸出選好経験の中国での実践

    さらにシンガポールの経済発展の経験をみましょう。リクワンユーはシンガポールのトップを30年間以上勤め、任期内に経済的奇跡を成し遂げました。彼が成功した理由は彼自身とそのグループの実際に即した現実的な精神で、自国の環境条件に基づき、異なった段階でそれぞれに見合った経済政策をとり、社会保障政策と整合させ、経済発展の推進に成功したからです。

    建国最初の60年代、シンガポールは港町で化学工業などを主としていました。70〜80年代にはインフラを完全に整備して、輸出選好の電子工業やそれに見合う金融サービス、旅行サービスを作り経済をうまく離陸させました。当時の「4つの小龍」といわれたアジアの韓国、台湾、シンガポール、香港でしたが、他の3つが相次いで失速したとき、シンガポールは別の道を探し、IT産業の分野で急速に歴史の潮流に追いつきました。そしてさらに技術的な優位性をこれ以上保持していくのは無理だと判断するや各国の富裕層が税金逃れを必要としていることに着目しそれに対応する資本政策をとり、各国の金持ちたちをシンガポールに吸い寄せました。

    そのやり方は主に、個人所得税と企業勢の減税、資本利得税の廃止、2008年2月からは相続税の廃止、そして関連する銀行の秘密保持法で金持ちの収益を保証しました。この制度によってシンガポールは世界中の富豪が集まる土地となりました。たとえばFaceBookの共同創始者の一人・エドアルド・サベリンや中国の映画スターのコンリーらがいます。2012年アジア太平洋富豪リスト中3分の1がシンガポールを海外定住地に選んでいます。

    鄧小平はリクワンユーに心から傾倒しており、シンガポールのテイクオフ体験を学び、対外開放政策を実施し、中国経済の発展の礎を築きました。鄧小平の死後、中国は輸出選考型の世界の工場として10年の間、輝きました。ただシンガポールと違うのは、シンガポールはテイクオフに際し「理想的なまちづくり」をしましたが中国では環境生態と労働への過度の収奪によって世界最大の「血と汗の工場」になり、かつての輝きが去ったのちには技術的優位性もなければ、労働者も依然として貧しいままで、すばらしき自然は陸、水、空気の立体的汚染にまみれ、生態環境は崩壊の間際にあります。シンガポールは世界の富豪を惹きつける都市になったのに対して、中国は世界最大の資本流出国になりました。中国の富豪連が海外に逃げ出すのは政治的な危険性への心配や、環境汚染からの避難、子供達に質の高い教育を受けさせたい、などが理由です。

    アジア各国では日本が西側に学んで成功した模範で、シンガポールがこれに次ぎました。シンガポールの強権政治は中共のような一言一句マルクス主義を棒暗記するようなものではなくただ価値観を共有することを説くだけです。すなわち自分たちの文化と憲法諸制度を結合させたのです。日本の特徴が制度移植(この点では戦後、米国によって強制され、憲政がすすんだというメリットもありましたが)にあるとするなら、シンガポールは「制度創新」で、強権主義を手段として前身の植民地的な相対的に遅れた社会を管理によって整然たる秩序ある社会に導いた点にあります。

    「どこかの国に学ぶ」というのは自らの負けを認めることにもなりますから、中国は当然ながら日本から学ぶなどということは望みません。インドの民主主義は中国人にその質が最悪と批判されていますし、台湾の民主は中国政府によって「むちゃくちゃ」と宣伝されています。で、中国朝廷たる北京政府の態度とは、「我々は欧米には学ばない、しかし華人が主体のシンガポールの経験は学ぶ」でした。しかし、何十年学んできても、やはり「心はいけど、身は至らず」です。

    シンガポールの経験を学ぶといっても中国政府は半分しか身の入らないていのものでした。シンガポールの経験とは、北京が「強権政治プラス改革市場経済」と総括したもののほかに、もっと重要だったことは、中国語ではうまくその意を完全には説明しきれない「完善な法治」です。中国は強権政治にだけは夢中になり、「穏やかに安定した独裁」をうちたてたがるのです。そして「開放的市場経済」は中国では「独裁政府の管制下にある市場経済」に変わってしまいました。

    それは政府が国家資源を独占してかつそれに関する規則を制定し裁判し、ゲームに参加するという三位一体の政府コントロール体制でした。

 シンガポールが華人社会の長年の伝統だった「人治」の力からのがれたのは法治によってでした。これは植民地時代に残された政治遺産なのですが、この点は幸いにも中国の統治者も別に重視はせずに、シンガポールの植民地の法律構造を中国は借用したのでした。 ただ法治の肝心な本質は法律のさらに上の権威は存在しないということなのですが、結局、中国の「依法治国」とはすなわち中共が規則をきめ、指導し、範をたれる、というものでありました。

    シンガポールの苛酷な法律は(いまだに鞭打ちの刑まであります)、小はゴミのポイ捨てから、大は偽ブランド製品の生産に関わったら重罰というのまで、かつてはシンガポールの華人たちにはとても我慢ならないものでしたが、しかしまさにこの厳罰主義による「罰」こそがひとつの秩序整然たる社会を生み出したのです。

 日本を政府管理(他律)と国民の間の約束(自律)結合した社会とするなら、シンガポール社会の秩序ははやくから強権による管理体制の結果なのです。そしてそれがのちに教育と世代の入れ替わりによって、いまや他律と自律の結合した良好な状態にまでなったのです。

    これに対して、中国では統治者は権力を欲しがるだけで政治責任を尽くそうとはせず、官僚役人があまねく腐敗しているのと同様に、国民もまた権利と責任の二者の関係では権利だけを欲し責任をつくすという点ではまだ準備ができていません。今に至るまで中国の村々の衛生状態はむちゃくちゃですし、中国人にゴミを捨てたから入牢、高額な罰金などいうことは到底受け入れられますまい。黄埔江に病死豚の死骸が大量にプカプカ浮かぶ劣悪な『公共性』もありました。製造産品に関して言えばみんなが質の良い商品を欲しがりますが、しかし生産となると材料の質をごまかし、世界に名だたる『インチキ・偽物王国』です。食品生産まで「人は俺を害する、で、俺も人を害する」の相互に害を与え合う構造で、挙げ句の果てには中国人は世界中をかけめぐってなんとか安全な粉ミルクを買い漁る始末です。

    中国人が「シンガポール・モデル」をあまりよく云わないのは独裁が嫌い、言論の自由がないということのほかにこうした厳罰主義の他律的なところ、例えば好き勝手に唾や痰を吐いたり、ゴミを捨てたり、勝手に他人の知的生産権を侵害したり、劣悪な偽物を作ると重罰を科せられるとかーこういう点も「暴政」の一部と同じだとみられているのではないかとおもえます。ですから、自分たちの生活が深刻に汚染を被って、数々の嘘に騙されている中国人は、ふだんは自分で「中国はきたない巨大な豚小屋」と自嘲しながらも「全世界でも最も清潔でいきとどいた豚小屋」のシンガポールがどうも更にお気に召さないのかもしれません。

    以上のべたとおり、何十年もシンガポールに学んだ結果、中国は「トラを描いて犬になる」結果でした。中国人のシンガポールに対する愛憎半ばする気持ちは、それを理解しての上での嫌いというよりは、自国政府への恨みが『シンガポール・モデル』なるものへ反映したのだと言ったほうがいいのでしょう。(終)

    拙訳御免。
 何清漣氏の原文は;漫谈中国朝野对“新加坡模式”的爱与恨 voachinese.com/..23/2693141.html
    なお、シンガポールの鞭打ちの刑などについては;asiax.biz/biz/s..ort/law/223.php wiki.chakuriki…%88%91%E7%BD%B0 などがある。

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