• 畢福剣事件が見せた中国の「二重言語生活」

    by  • May 1, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年4月11日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/4JZhc
    国営テレビの人気者キャスター畢福剑が毛沢東を罵倒した事件(*私的な集まりでの余興的なものを誰かが撮影した画像がネットにアップして騒ぎになった)は政府と毛左派の巨大な圧力で”張本人”の畢が自ら微簿ネット上で謝罪してようやく終わりそうです。毛左派の面々は大喜びしていますが、この事件が中国の”二重言語生活システム”という陥穽の蓋を開いてしまって、いったん、こうした見せしめ吊るし上げの効果は毛左派自身を含むすべての中国人がいつどこででもこのようなトラップにハマりかねないという可能性をつくってしまったことには気がついていません。

    《中国の『漫談文化』とソ連の『台所文化』》

    畢福剑の「智取威虎山」(*文革時に毛が推薦した革命現代京劇の代表作。畢はこれをふざけて演じてみせたらしい)をネットでみました。ありていにいえば畢福剣はただ中国のテーブル宴席文化(*日本ならさだめし、料亭お座敷文化)でおおいに座を盛り上げようとひとり二役を演じて客を笑わせていたにすぎません。こうした宴席盛り上げの文化は20世紀の90年代中期から北京で始まり地方にひろがったものです。深圳のバーのマスターが客にふざけてみせるのも要するに活気をうみ楽しい雰囲気にするため。私も多くの宴席で体験しましたが、ただ北京ににくらべると地方のは質は品下がります。

    この種のものには政治ギャグや、エロギャグ、滑稽ギャグがあるのですが、北京は政治経済のエリートの集まるところですから、後者は主流にはなりませんで、おおに政治系が多いのです。もし関係が親密な集まりがあれば、それに政治的な裏話などが調味料としてふりかけられます。

    畢福剣の今回の出来栄えはべつにそうたいしたものではありません。90年代に私が北京で聞いたのは、毛らの老革命家たちをからかった傑作で、延安の洞窟で毛と江青が密会している色事を朱徳や劉少奇、周恩来が壁に耳をあてて盗み聞きするというもので、鄧小平は足が短いのでレンガを足元に積んで聞き耳をたてました。演者は巧みにこれら指導者の四川や湖南、江蘇の方言を真似て、やんやの喝采を浴びたものでした。江青らをバカにしたのはもっとありたとえば、「五常委」は「五子治国」(戏子疯子傻子聋子=*まあ、三馬鹿大将の五人版か)、江沢民が訪米中、クリントンから送られた地獄と天国と通じるケータイの話は有名で、地獄の鄧小平と話すというもので天安門事件をあてこすったものでつまり、「中国こそ地獄である」ということで、なかなかの傑作でありました。

    こうした漫談文化は、みんなソ連の「台所文化」とみなしており、さらに中国的特色と時代性が加わったという特徴がありました。スターリン時代後期からソ連では、人々は後悔の場所では教科書通りの嘘八百を話し、家に帰ってから台所で親しい友人たちとあつまったときだけ本当の話をし、様々な政治情報を小話や、暮らしに対するさまざまな不満を小話に託して流したものでした。ソ連時代の有名ななこうした笑い話(アネクドート)は大半が「台所文化」からうまれたものでした。

    《社会主義政治の虚偽と無恥が生み出す二重言語体系の罠》

    中国の生活人はほとんどみんな自由自在に二種類の”人に聞かせる話”を使い分けできます。すなわち公の場所では官僚的な型通りの本当には思っていないことを、親しい友人、家族の間でだけ、周囲の現実の物事に対しての自分の本当の気持ちを話します。これは中国の役所イデオロギーと現実の深刻さとの落差がうみだした悪い結果です。

    中国のイデオロギーのお話はマルクス・毛沢東、社会主義制度をひろく認め、これを宣伝しており、この制度の保証のもとで、中国は国が強く、民は富むという目標に達することになっています。しかし、中共の数十年にわたる統治がこうしたイデオロギーは他人も自分をも騙す言葉にすぎないことは証明されているのですが、当局はあいかわらず人民の思想規範としての重要な道具だとして各種の賞や懲罰とあわせて小学校から学ばせていますから、こうしたなかで二種類の言葉を使い分けることができれば「いい人」になって共産党に入ったり役人になれ前途洋々しっかり腐敗の旨みをいただいて、さらに運が良ければ、おおいに腐敗のお金をためこんでも牢屋にはいることなく、終生、栄誉に包まれてめでたしめでたしの一生を送れるのです。

    中共はずっと一貫して毛沢東を嘘の皮でくるんできました。たとえば、毛の指導下で人民は”3つの大山”を覆し、貧乏人が身を翻すことができる大救星だ、とか。しかし中共は1949年以来の統治実績はさして言うべきものがない、というだけでなく、反対に各種の中共自身がどうすることもできなかった暗黒面に満ち満ちています。反対派弾圧、反右派闘争、大躍進、三年大災害、文革、天安門虐殺といった毛沢東が始動した中共がつくりだした国家の罪と過ちはかくの如しです。現実の生活の中でも各種の社会矛盾腐敗、弑虐、環境の深刻な汚染、貧富の差のあまりの大きさなどなどは、前にも増して人々が中共のイデオロギーをいささかも信用しなくなるという結果となりました。

    それでも中共統治の合法性を保つために、中共はもっぱら自らの歴史に関する言論と研究を禁じてきました。しかし、こうした歴史は多くの中国人は自ら身を持って体験してきたのですしさらにネット時代、海外のデータを真剣に調べれば真相があっというまにわかってしまいますから、こうした現実と歴史の真相は、とっくに中国人がヒソヒソ話でする中身になっています。

    「二種類の言語」はこうした政治的、社会的背景のもとに生まれたものです。中国人はこの二種類の話を「バカのふりをするゲーム」としてしまいました。表向きはみんなで中共イデオロギーを信じているふりをして、誰もがみんな堂々と役所のインチキなうそっぱちをくちにして、こうしたイデオロギーを信じているふりをします。が、私的な場では本当の話をして、こういうイデオロギーをバカにしています。まともに話すにはあまりにも重いテーマなので、人々は一種の漫談・漫才じみたいいかたでストレス解消をはかるわけです。

    畢福剣事件は中国の政治的な抑圧が日増しに厳しく酷なものになり、社会政治の傾向が深刻に左傾化するときに生まれた「超級のブラックユーモア」事件です。ビデオ録画がネットで広まったということはこうした中国に二重言語体系の暗い穴の蓋が開けられしまったということです。畢福剣自身は毛左派によってこの穴に放り込まれたのですが、中国の「漫談文化」はこれで消えたりするはずもなく、これからは、人々が私的にあつまった席では「畢さんの戒め」として、居合わせるみんなが携帯のスイッチを切るか、差し出して録画などされないようにして不測の事態に巻き込まれないようにするでしょう。

    《この事件の残したいくつかの点について》

    1;毛左派が強くなるのは中国社会では止められない;毛思想の主要な色合いは中国の農業文明時期の任侠世界の反権力精神で、言語系としては「マルクス主義プラス始皇帝」で、毛沢東は当局と毛左派によって「貧乏人の救いの神」とされ、土豪をやっつけその田畑を分ける(事実上はみな貧しくなる)というのが社会分配の教科書的措置でした。このイメージは社会の貧困化と社会の周辺にいる人々が大量に出現するときにはおおきな説得力を持ちました。権力崇拝と権力への媚び、独裁体制の肯定、資本家と西側価値観との闘争が毛左派の政治的生存手段です。

    西側諸国の新左翼の精緻な言語にくらべると、中国の毛左派思想はお粗末でその言葉は粗野で、弁論は罵声で、完全に文革の闘争精神を継承しています。彼らは中国が政治的異議分子を集中攻撃するときにどうやって当局に取り入るかということには精通しており、畢福剣の職業が「党の声」であるにもかかわらず、開国の指導者を侮辱し、解放軍を侮辱した、と「党に食わせてもらっているのにその鍋を壊そうとするやつだ」とせめたてたのは、まさに中共当局の政治的需要に迎合し、最後にはうまく当局と共謀して、畢に懲罰をあたえることに成功しました。

    中国社会の底辺層は膨大なもので、しかも社会の上昇するパイプはしっかり詰まってしまっていますから、おおくの底辺青年層は安月給で働くか、五毛になるか、多くの人が毛左派になり、専制政治の肥やしとなります。これがこのまま大きくなっていくならば中国の政治列車は大半が「反対派の頭をかち割る」(つまり独裁専制)の線路上を走っていくしかありません。かりに将来のある日に、幸いにして民主化の道へいくことになって「人数で決める」選挙制度になったとしてもこうした人々は容易にポピュリズムの影響を受け、中国をベネズエラのような道にみちびいていくことでしょう。

    2;この事件は中国の政治生態がさらに悪化したことを示している。ネットに映像が流れて、人々は誰がこれをネットにあげたのか、これは密告の一種ではないか、と問いました。もしそうであれば、この事件はこうした公開の密告が当たり前になる、ということです。密告文化というのはスパイ政治とともにあるならば、一国の政治は極端な暗黒時代と化すでしょう。

    これについては、「中国はオーウェルの『1984年』に向かうー大学内の情報員制度は王朝時代のスパイ制度の再現」で分析しました。もうひとつの推測として、撮影者とネットにあげた人物が別の場合がありえます。誰かが撮影したのが面白いから、と友人に送って、それをアップした、というケースです。これはまた別の問題が生じます。

    社会の価値観が深刻に分裂しているときに、社会各界はどう異なった意見に対処するか。畢の歌った京劇は小さなグループではみなが同意しても、全体の社会のなかでは却って、二重言語システムの犠牲となったというわけです。毛左派は勝手気ままに自分たちと異なる意見を集中攻撃しますが、これは別に中国では珍しいことではありません。毛左派だけでなく「私は君と意見は違うが、君の言論権は死んでも守る」というのは多くの中国人には決して理解できないでしょう。彼らは「俺の気に入らない意見をいうやつはみんなでめちゃめちゃにやっつけて、まず口論の唾で溺れさせ、つぎに食えなくしてやる」というのがやり方なのです。

    これは実は中共の言論思想統制の一貫した原則で、延安時代から今にいたるまで変わっていません。ですから、毛左派と権力はいかなる価値観でも目障りなものには協調しあうのです。たとえばネット上の争いがヒートアップしはじめるや、たちまち「中国規律検査報」(中共中央纪律检查委员会の管轄)が乗り出してきて、畢福剣は党の規約に違反したので懲罰されなければならない、といいだします。

    つまり官製メディアが公然と、言論の討論に介入して毛左派に加勢するのです。こうして中国の政治生態環境はさらに悪化し、全社会は一種の恐怖政治状態になっていきます。専制政治下で、人々はシニカルな姿勢で政治を傍観し、独裁専制のもとでは沈黙をしいられますが、それは決して服従を意味するわけではなく、その中で破壊的なエネルギーを蓄えてつつあるのです。(終)

    拙訳御免。
    何清漣氏の原文は;毕福剑事件掀开中国双重话语系统的井盖 http://www.voachinese.com/content/heqinglian-blog-bifujian-20150410/2715102.html
    何清漣氏のこれまでの論考日本語訳は;http://heqinglian.net/japanese/

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