• 習近平と曽慶紅の戦い;お飾りの「帝王」は真っ平だ

    by  • May 1, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年4月5日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/40Xhc
    3月下旬、国家安全部門の高官であった馬建の系統に属し海外逃亡中の商人の郭文貴が姿を見せ”反撃”したことは世界の注目を集めましたが、習近平王の、国家安全局の黒幕を倒してやるぞ、という意図を挫くまでには至らなかったようです。全体の局面を見ますとこれは習近平が胡錦濤のように「お飾りの皇帝」にさせられるのを打ち破るための最後の激闘のようです。

    《習王の方針は不変》

    「周永康3つの大罪で起訴さる」のニュースで人々はもともと6つか7つの罪名だったのが3つに減ったと錯覚する向きもあるようですが、よく読んでみるとそうではありません。4月2日と2014年12月5日の新華社の記事を詳細に比較してみましたが、列挙されている罪状は基本的には同じです。

    「職権を利用して他人の利益を図り」「違法に巨額の財物を受け取り」「職権乱用によって公共財産と国家、人民の利益に重大な損失を与え、社会に悪影響を及ぼし」「国家機密を故意に漏えいし、情状は特に悪辣であり、収賄、職権乱用、国家機密故意漏えい、その刑事責任を問う」とあり、省略されているのは「深刻な反党の政治規律、保秘規律、廉潔規律に反し、大量の収賄をし、多数の女性と姦淫した」「他の犯罪の容疑も浮かんだ」というぐらいです。

    これは罪の数が減ったというものではありません。党の規律違反というのは刑事罪ではありませんし、女性や金銭の収賄は「職権乱用」に含めることができます。もともとの6つの罪というのはどれも刑事罪に組み込めるものです。ですから、周永康事件は本来の方針でやはり裁かれる方向であり、郭文貴の「反撃」もつまりは「バックはまだ戦闘を続けている」ということを示すだけで曽慶紅の秘書だった施芝鴻が3月5日に人民代表大会で自分から、海外のメディアが「リークされた根拠もないくせに、勝手に中央規律委の『慶親王』(*曽慶紅を指す)の記事をネタに無責任な報道をしている」と噛み付いたのと同類で現在、権力闘争で劣勢にある側のはったりのようなもので「死んでも、おまえの好きなようにさせるもんか」といった強がりのセリフみたいなものでしょう。

    《『慶親王』のむかしの同僚が取り調べを受けること》

    周永康が起訴される前日の4月2日に中央規律委のネットで、中国海洋石油総公司の元党組メンバーで副社長だった呉振芳が重大な規律違反で正式な取り調べを受けている、というニュースが流されました。呉は2013年4月に退職しており、すでに邪魔になるわけでもなんでもない存在で、なぜ今頃になってこんな人間を調査の対象にした、というのでしょうか?

    呉の略歴をみるとその謎が解けます。呉は1952年生まれで1971年に石油業界に入り、遼河油田で仕事をし、1980から1993年に中海油南海西部工程公司社長を始まりに、管理職の出世階段を登り2004年に中海油総公司党組メンバー、副社長とずっと中海油で働きました。2013年4月3日「中国組織人事報」に61歳で退職し、「我が中国海洋石油の33年ー愛は永遠に不変」という文を書いて退職しています。

    曽慶紅と呉が同僚だったのは、1981年、曽慶紅は国家エネルギー委事務局の副所長で、1983年から1984年に中海総公司の連絡部の副部長、石油部外事局副局長、南黄海石油党書記でした。曽慶紅が上海政府の職についたあと、どんどん出世し、自然とその結構な関係は続き、やがて曽慶紅の息子の曽偉が「長期にわたり石油、エネルギー、化学工業を掌握した石油界の大物」といわれ さらに不動産業界にも手を伸ばしました。曽偉の石油関係の出世ではおそらく呉が面倒を見てやったのでしょう。呉が組織的な調べを受けているのはこのころのことで、おそらく曽一家との関連でしょう。

    《習近平は自らの王座を守るには、胡錦濤型のの『お飾りの帝王』ではいられない》

    習近平と曽慶紅の争いを、海外では曽慶紅が「キングメーカー」で、キングになった習近平との争い、と解釈するむきもありますがこの見方はほんのちょっとしか当たっていません。というのは習近平は別に曽慶紅の力を借りてのし上がったからではないからです。その経歴からいうと、表でいえば習近平は中共の組織部門の役人抜擢のコースを駄取っており、県、市、省、と順調に上がってきたわけで、舞台裏では江沢民・胡錦濤の時代の主要な人物たちに受け入れられてきたのが原因です。

    それはひとつには習近平は江沢民派でも胡錦濤派でもなく、どこにも属していなかったこと。そして「紅二代目」の名門の子だったことが北京で隠然たる勢力をもっている紅色貴族たちに「自分たちの仲間」という意味で期待されていたからです。

    薄熙来と比べると薄熙来は外にはっきり色をだし、押し付けがましいものでしたが習近平は帝位につくまではおとなしくしていて、鋭い爪をかくしていましたから江沢民や曽慶紅の目には、薄熙来よりコントロールするのにやさしい人間に映りました。

    これはまた胡錦濤の第2期に、中央の大臣クラスの役人が後継者を推すときに習近平が同僚に推挙されたといわれる所以です。ですから、江沢民や曽慶紅は「キングメーカー」ではありません。ただ彼らは当時、胡錦濤、温家宝の後継について同意しただけなのです。

    薄熙来が「革命歌を歌う」運動をはじめ重慶モデルを鼓吹したのは次期皇帝候補が決まったあとに、その中央決定を変えたいとおもったからです。外側から江沢民、曽慶紅の薄熙来に対する態度はわかりませんが(二人が薄熙来を支持したことは表面だってはありません)しかし、薄熙来事件が起きた後では、もういかに頑張っても薄熙来を支持することはできませんで、胡温が薄熙来を打倒するのを支持するしか時の勢いの中での選択肢はなかったのです。

    ところで、胡錦濤の時期には中共独裁体制ではなかった、という見方をする人がいますが、これは完全に間違いです。一国の政治、経済、軍事、文化権力が一人、または小グループの手にあるならそれは独裁体制なのです。一人に集中しているなら個人独裁、小グループに集中しているなら寡頭独裁という違いだけです。

    ですから胡錦濤時代は寡頭独裁で、政治、軍事、文化などの最高権力は分散して それぞれの系統の責任者の手中にありました。こうしたモデルこそ江沢民、曽慶紅の大いに好んだ形でして、なぜならこのやり方なら自分たちの影響力をひきつづきもっていられるし自分たちは隠然たる政治権力を手にしていられて、なお自分たちの家族や利益共同者の収益構造を守れるからです。

    習近平と江沢民、曽慶紅の間の矛盾がおきたのは薄熙来事件の後でしょう。習近平は中共総書記になり、国家主席、中央軍事委主席の3職を一身に集めてあらゆる権力を握ったのでした。しかし、その職についてみると自分の手のうちは空っぽであることに気がつきました。政法系統は周永康の地盤で、軍事は郭、徐が仕切り、将校らはみなこの二人が抜擢した連中でした。国家安全部系統は馬建が一手に周永康と協力して支配し、いちいち掣肘をうけました。

    こうした状況のもとで習近平の選択は二つしかありません。ひとつは胡錦濤のようにお飾り皇帝の傀儡になるか、二つ目の選択肢は奮起一番、名実ともに最高指導者になるか、です。習近平は他人様の言いなりになるような人物ではありませんでしたから、「反腐敗」の利器を掲げて各系統の大ボス退治に乗り出したわけです。当然のことながらもうひとつそうしなければならなかったのは 中国国内の政治システムが腐敗の極みに達してここでなんとかしなければ、党そのものが滅びかねないほど深刻だった、という事情があります。

    今や、各系統の大ボスたちがみな失脚しました。周永康は裁判開始、軍の郭伯雄は取り調べ中ですし、同じく軍の徐才厚は晩節を汚しあの世へ旅立ち、「秘書団の王」だった令計劃も獄中に、国家安全部、スパイの元締めの馬建は獄につながれたばかりか、かつてのその仲間の 「権力ハンター」たちは逆に、自分たちが狩り立てられる側になっています。郭文貴のちょっとまえの「香港商報」のインタビュー記事から、この権力争いの前途はまだわからないという人もいますがしかし郭の混乱戦法から透けて見えるのは、実は郭のバックにしても自分の身の安泰をはかるカードはもう持ってないということです。

    中共は独裁政体であり、毛沢東は個人独裁でしたし、鄧小平の集団指導や江沢民の時期はすべて寡頭独裁でしたが、しかし鄧小平は決断する権限がありましたし、江沢民は「指導集団の核心」として依然として王権を握って入られました。胡錦濤の時期になってようやく江沢民や曽慶紅が黒幕のかげから政治に関与することができるようになりました。「9頭の龍」が治水にあたる、といいつつ、その実、最高権力の「王権」は分散していて、「見掛け倒し」だったのです。

    この二年、習近平はこうした各系統の「王」たちの手から権限を奪ってきました。これは権力の進化の論理とであり、古今東西、真のキングメーカーは自分が擁立した王との間においては最後には大部分が悲劇的な結末を迎えることになるのです。なぜならキングメーカーはみな王にたいするコントロール力を捨てようとはしませんから、王はそうした傀儡的な役割を受け入れるか、自分に力が十分についたときにこうした局面に終止符を打つかないわけで、終わらせるとなれば当然、平和的手段ではすみません。

    習近平と曽慶紅の争いはすでに最終段階にはいっており、結果ははっきりしています。はっきりしないのは負けたほうの側がどうカーテンコールに答えるかです。(終わり)

    拙訳御免。
    何清漣氏の原文は;习曾斗:破除“王权虚置”模式的终极战 http://www.voachinese.com/content/zhouyongkang-20150404/2707238.html
    何清漣氏のこれまでの論考日本語訳は;http://heqinglian.net/japanese/

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