• 米国のカントリー精神と民治(上)

    by  • June 22, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年6月6日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/kgvic

    ー米国の美しい豊かさを知りたいならカントリーサイドに行け。中国の貧困と絶望を知りたければ農村へ行けー

    中国についての様々なニュースの中で最も心痛むのはこの十数年にわたる農村の悲劇です。「誰もが自分の故郷がみな零落し、東西南北中どの農村も、村のボスが横行し、ヤクザ化し、汚染は深刻で村の周りはゴミだらけ。仕事もなくなにもすることのない村人が増えつづけ、集まって博打をするのが村の生活となって、道徳は地に落ち、教育などの公共事業はめちゃくちゃ。田舎の崩壊の痛みのあまり、『昔の郷紳制度を復活せよ』と中共に消滅させられた村の昔の自治方式を懐かしがる声が社会の各層から聞こえる」始末です。(*郷紳;科挙合格したり落第したりした農村文化インテリ層、開明地主などの層)

    アレクシ・ド・トクヴィルが「米国のカントリーサイドの精神」といったのは米国の民治でした。私が住んでいるところは景色の良い静かで落ち着いた米国の田舎町です。中国で米国の民主主義制度が説明されるとき、言及されないのがこのトクヴィルが最も重視した「民治」です。ですから中国人に米国の自治とは何かをお話ししましょう。(*アレクシ・ド・トクヴィル;19世紀の仏の政治思想家。王岐山が愛読、推奨したともいわれる。もっとも推奨した理由は「悪い政治は改めようとする時が一番危ない」というところだと。何さんはそれを下敷きにしてこれを書いているとおもわれますな。)

    《米国式民主の精髄;民治》

    1863年、米国大統領・リンカーンのゲティスバーグ演説の有名な言葉に「人民の人民による人民のための政府は決して死なない」という言葉があります。これを中国語にすると民有、民治、民享(的政府永不会凋零)となり、短く“民有、民治、民享”となり、英語の深い味わいは無くなりますが、意味は通じます。政府の制度などから米国の政治制度、例えば選挙制度、三権分立、司法制度、報道の自由などが紹介された文章はやまほどありますが、自治という角度から米国民主政治の根本を紹介した本となるとこのトックヴィルの『アメリカのデモクラシー』(1835年)という二百年以上前にかかれた名著を超えるものはありません。

    彼の他の論者と違うところは単なる政治制度の面からの考察を超えて深く社会関係、人間の思想と感情と民情など社会を構成する状況から米国の民主を考察している点です。トックヴィルは米国での民主の良き発展は一連の自然、政治、社会条件によるもとだと考察しており、それには、米国の自然環境、法治と民情がふくまれており、しかし、その三つの中で最も重要なのは民情だと考えました。というのも素晴らしい地理的条件と素晴らしい法があっても民情がそれを支えなければ政治体制を支えることはできないからです。また民情は地理的に不利な条件や環境、そして最悪の法律がうみだす不利な影響を減らし、緩和することができるからです。

    トックヴィルがかの著書を世に問うてからすでに世界も米国でも巨大な変化が起きています。しかしトックヴィルが賛美した「米国のカントリー精神」は依然として変わりませんし、いまなおこの世界の超大国を支えています。米国在住の中国人はもしチャイナタウンに閉じ篭っていなければ、いたるところで、無数のアメリカの村や地域が広大な国土に広がっていることがわかるでしょう。そして地域の暮らしに参加したいと願いさえすればの力強い存在を深く知ることができるでしょう。すべての村や地域が「すべての人が皆自分の利益にかかわる事情については最も良き裁決を下せる人であり、自分の要求に一番ふさわしい満足を与える人である」という原則の上に立っています。

    彼らは村や地域の構成メンバーであり、そこで発生した一切のことは自分たちに密接に関係することであり、義務の履行は権利の行使と同じくとても重要なことなのです。これは別に深遠な民主理論ではなく、一種の民主の実践です。私自身、自分の住んで居る地域の公共事業についての討論に何度か参加しました。つまりかの「ロバート議事法」(*アメリカ議会の議事規則を元に、簡略化して考案した議事進行規則)の実践です。しかし、実際にはあの何百ページもある本を読んだなどという人はまずおらず、彼らがあの本を規則を実践しているというよりは、あの本の作者が米国の村や地域の自治の経験から出発して議事規則をまとめて本にしたのです。

    《小さな村の村人はなぜステーションを拒否したか》

    私の住んで居る地域の村には老人が住む静かで美しい一角がありますが、そこがかつて遭遇したお話をします。もし村人が自分の利益に基づいて集団行動をしなければそこは喧騒にみちたトラックステーションになっていたはずでした。村の一角に公有の空き地があったのですが、それに目をつけた企業がトラックステーションを作ろうとしたのでした。地方政府も経済振興と就職先が増えるといことで財政も潤うという点を強調して住民の賛成を得ようとしました。しかしそれには鉄道の引込み線を改修しなければならず、その沿線に住む住民は必然的に騒音の影響を受けます。

    そこで一部の住民は状況を理解すると互いに連絡をとりあって、自分たちの考えを話し合い、その結果、建設不同意で最後に意見が一致しました。中国人から見ると、まさか一部地区の住民が村政府の計画をやめさせることができるというのか?とびっくりするでしょうが、これは米国の法律が環境決定権への市民参加として保障しているからなのです。20世紀の中頃、米国人も環境汚染問題で苦労したのですが、ただ彼らは黙って政府がなんとかしてくれるのを待っていないで自治の伝統に富んだ米国市民として環境保護への市民参加を開始し、その圧力のもとで米国では1946年に「連邦行政秩序法」が成立し、当事者の参加と意見公聴制度がこの法律の核心部分となり、やがて市民参加尊重が環境政策決定の基礎となりました。

    数年後にまた村政府はステーション案を提出しました。もともと反対していた中核になっていた市民のかなりの部分がすでに引っ越していたので、市民はもう一度あらたに結集する必要がありました。こうして以前に反対した参加者がローカル新聞にこのニュースを「暗雲がまた頭上に立ち込める」という記事にしてこれまでの経緯を書き、住民に再度結集をよびかけました。ネット上での討論と、一次集会で参加者は、あの土地が空き地であるかぎり、村政府はいつもそこを”記憶”しているということに気がつきました。そこでどうしたらあの土地をもっとよい目的に使えるか、そしてそれが村政府にも収入をもたらし、同時にこの「トラックステーション」という”暗雲”を永遠になくせるかを討論しました。そしてこの事が再びローカルニュースとなり、そこでこの地区の影響を受ける人々は近くに住むひとだけだが、遠くに住んで居る人も参加して一緒に圧力をかけようという呼びかけがなされました。

    私もこれをみて、この地域の住民が村政府の案を否定するのを助けたいとおもったし、民意がいかにして民治になるのかについて好奇心もあったので参加することにしました。その会議ではある人が村には低価格の老人アパート建設公益債が不足していることを指摘し、この公益債を利用してこの土地に低価格老人アパートを建設できるといいだしました。どうしてかというと、ニユージャージー州にはどの村・地域にもかならず高、中、低三クラスの混在するアパートを建設して貧民街の発生を防止し、貧しい家庭の子供でも学校にちゃんといけるようにする、という規則があります。米国の税制では不動産税は地方税で主に教育経費となります。ですから不動産価格の高い地区では教育経費は必然的に十分あるのです。

    規定によれば私たちの地区は本来なら30棟以上の低家賃住宅を建てるべきでした。しかし老人アパートを建てることは低家賃住宅を建てる代わりになるのでした。これには専門的な複雑な計算が必要ですが、参加者がこれはいいということになって、メンバーの中の専門家がシミュレーション計算をおこなうことになり、一ヶ月以上かけて大変細かい実行可能な案を作成しました。そして地方政府に提出しネット上に3か月間公示され、地域住民の異議がないことがわかったあと、代表がこの案を村の議会に提出し、議会で決議されてこの土地の最終的用途が決まり、事態の解決をみたのでした。今、この土地の上には数十棟の小綺麗な独身者アパート群が建てられ、樹木、草花がおいしげり各種の鳥が飛び交い、周囲の環境と十分に調和した光景となっています。今回、参加してみて私は米国のこうした制度は村政府の政策より市民の利益になると実感できました。

    《村・地域の自治;千里の道も…》

    中国での流行り言葉で言えば、この小さな村のお話は住民が「環境護権」に成功した、ということになります。米国の環境保護は事実上、市民参加によって推進されています。中国ではただレイチェル・カーソン女史の名著「沈黙の春」が知られているだけで、米国での環境保護運動は20世紀の60年代に始まったと思われていますが、実際には1946年に「連邦行政手続法」が公布されて、環境保護には住民参加が尊重されるべきだと決まったのでした。これが基礎となって市民が環境政策決定に参加することが今の村や地域の自治の重要な内容になったのでした。

    中国の環境護権は20年近くたち、2003年には環境影響評価法、2006年には国家環境保護局が発布した「環境アセスメント市民参加暫定行政法」が決め地方政府は環境アセスの公告をだし、文書も、意見募集、聴取も行うようになり批判には答えるようになり、例えば最終報告に付帯意見をつけ採用、不採用の説明もあります。米国の法規と日隠しても条文は大して変わりないぐらいなのですが、しかしただひとつ最大の欠陥は(わざとそうしてるとおもわれますが)意見聴取の期間がわずか10日間(米国は州によって異なるが2月半から半年)なのです。中国人はもともと砂のようにバラバラで、さらに公共のことに参加する意識が欠乏しています。たとえ熱心な人がいたとしてもことの利害に関係する人々を集めてなにかする時間はありません。中国では少なからぬ人々が地域の自治は民衆が選挙権を持ってからの話だと考えていますが、私はそうはおもいません。地域の自治と民主を勝ち取るということは別に排斥し合うものではなく、相互に補完するものなのです。特に中国の環境生態が深刻な破壊を受けている今、中国の大衆はまず先に現在の制度を活用して行動してよいのです。

    例えば、先に述べた市民参加評価の法規や、意見聴取期間の延長、10日を60日にするとか小さなところから自分たちの生存環境の改善を努力し、最後に小さな努力の積み重ねの上に民主改革を迫る、といった具合に。(続く)

    拙訳御免。
    何清漣氏の原文は;无处不在的“美国乡镇精神”-漫谈美国的“民治”(上)
    http://www.voachinese.com/content/heqinglian-blog-us-china-20150605/2809994.html

    何清漣氏のこれまでの論考日本語訳は;http://heqinglian.net/japanese/

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