• 米国のカントリー精神と民治(下)

    by  • June 22, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年6月10日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/18wic

    ーー「こうしたどこにでもある地域を単位としたあつまりは時間を超え、空間を超え、誰でもがその中に巻き込まれており、しかもエネルギーを消耗しませんし、時には自覚すらありません。人間を分けるのは地域やどこの国から来たかではないのです。米国人はますます地縁で緊密に交流し、ワイヤーロープのようなもので縛られるのではなく、暮らしの中の数々の瑣末なことをもって細かい網の目のように一体となります」ーーこれは歴史家・ダニエル・ブーアスティンの「The Americans: The Democratic Experience」著書の言葉です。

    《住民はどんなとき役所に行くのか?》

    米国では移民が帰化するまえに政府部門と始終やりとりするほかは役所にいくことはあまりありません。村役場でいえば、米国人は村役場に結婚届や不動産登記などの手続き上のサービスが必要なとき以外はほとんど役場にいくような用事はないのです。私はこの十数年の間にたった二回しか村役場にいきませんでした。そこは樹々に囲まれた目立たない灰色の平屋で、みたところもう50年以上経っていそうな質素な建物でした。一度は不動産謄本を取りにいきました。それがたまたま必要になって、まだ処理していなかったことに気がついたのでいったのですが、調べてもらったら村役場はとっくに処理して郵送していたのですが、私は受け取っていませんでした。どうしたものか?とおもったら村役場の職員は私を郡の登記所にいって証明書をみせればすぐコピーがもらえて同じことだといいました。で、夫と車でそこにいって身分証明書をみせ住所をつげると職員は謄本をさがしてコピーしてくれました。費用は8ドルで全部おしまい。

    中国にいたとき、ある友人が謄本をなくしてしまい再発行するのにはコネをたどり、裏口を叩き、大変な苦労をして数ヶ月後に手に入れたものでした。今は少しはよくなっているかもしれませんが、それでも決して数十元払っておしまい、なとどいうようなことにはなっていますまい。中国では上から下まで役所だらけで、人々はいつもその圧力を感じています。米国での最大の特徴は人々が普段、政府の存在を感じていないことです。人々の生活に一番近い存在は村役場(区役所支所)のようなものですが、どんなときに人々の暮らしにかかわってくるかというと天候が悪化して大雪が降りそうだとか台風が来そうだとかいうときに、村役場から録音電話がなんども住民の家にかかって、悪天候に備えるようにと知らせてきます。以前災害予報とその後の救助活動について述べた「ハリケーン・サンディ体験記」qq5qq.info/lEyF を書きました。これは何がサービス型の政府かということは米国の村役場規模の政府が最もよく理解させてくれるという例です。

    これに比べると、中国の各級政府は腐敗とか人民から収奪するということは別にしても、災害に対する対応という点だけでも両者の距離は計り知れないものがあります。中共政府はもし決心するにやぶさかでないならば根本的に政府の職能を転換させないといけません。政治、経済、世論を独占している全能の専制独裁政府をサービス型に変えていかなければ、ソ連同様の運命は避けがたいでしょう。

    《村の図書館》

    米国の多くの小さな村・地域集落(行政区画としての。数十戸の自然形成集落ではない)にはみな図書館があります。この図書館は一般にその地域の活動センターで村の「魂」といわれるのも大げさではありません。住民なら誰でも図書館で本や画集、音楽CD類を借りられます。設備の整った図書館ではパソコンと閲覧席は分かれています。借り出しも簡単で数分ですぐ手続きは終わります。貸出期間が過ぎると図書館員が電話で借りる期間を延長するかどうか問い合わせてきます。随分沢山の本を借りましたが、一冊としてページが破られたり、落書きされていたことはありませんでした。

    地域図書館の蔵書量はその地域の経済的な力と関係します。図書館の経費はその地域の納税者によるものだからで、蔵書の来源は一つには購買、ふたつには寄贈によるものです。寄贈された図書が図書館では不要の場合は「フレンドブックス」という書棚に一冊一ドルから最高10ドルまでの値段で譲られ、多くの良い本があります。私はそこで1945年から1954年の「国際先駆論壇報」の第1版をわずか9ドルで買いました。

    私の住んで居る村の図書館は実際素晴らしいもので周囲を樹木に囲まれ、モダンな二階建てで館内は広々としており、2~300人が座っても混雑しません。もっともそこには3度しかいったことはなくて、大抵はプリンストン大学の図書館で借り出します。ひとつには近いのと、ふたつには5年前にできたのですが、外側は法律で周囲の建物とバランスをとるために古めかしいのですが、中は大変現代的なもので、あの巨額の費用を投じて作られた 深圳の図書館でさえ規模の上では勝りますが、快適さ便利さでは到底比べ物になりません。蔵書量の豊富さからしても私の村の図書館よりはるかに良いのです。息子もハイスクール時代には大量の課外書籍を借りておりましたし私どもは毎年200ドルをカンパし、図書館は「グッドフレンドカード」を送ってくれます。これは地元住民と同様にこの図書館の(駐車料金も無料に)設備が使えるのです。

    プリンストンは世界的な有名校ですから、有名教授も多く、また各界有名人がよく訪問するので図書館ではこれに乗じて、各種の講師を招いて色々な講演会が開かれます。私の記憶では中東問題と国際関係問題の専門家の公演が開かれましたが、これは米国の田舎の小さな町としては極めて珍しいといえましょう。米国人が使える公共施設のなかには中小学校の図書館や体育設備も含まれています。週末や休日には学校図書館は地元住民の主宰する様々な活動の拠点となります。たとえばうちの村の中学校の図書館は特に条件がよいので、教育関連の地域活動は通常そこで開かれます。私も一度ある牧師の「反抗期における子女とのコミュニケーション」というテーマの公演を聞いたことがあります。この牧師さんは自分の3人の子供のほかに中東からの孤児二人を養子にしていて経験の豊富な人で、聴衆も大変たくさん、多分300人ぐらいきており喜ばれました。図書館を借りる条件はただひとつで、机や椅子を元の場所に戻し、飲み物や食べ物の包装はごみばこにいれること、だけです。

    《地区の委員会》

    さらに地域の管理のお話をしましょう。というのもかつて深圳の蓮花北村に住んでいましたが、ちょうどそのころ中国は国外から不動産管理の体験を学んだばかりで、中国的特色のそれができていました。米国では住宅地域に越してきますと、郵便箱にその一画の不動産委員会が小包を送ってきて、なかにはその地区のゴミの出し方、時間や住宅修理、庭の樹木の規定などが書かれた住宅手帳がはいっております。この委員会は自由選挙で選ばれた、それが不動産管理会社に緑化を担当させます。アパートやタウンハウスがおもな住宅団地区域なら植木の剪定基準を統一管理します。もし独立住宅であれば自分でやるか、造園業者をたのみます。私が住んでいるのは小さな地域で、委員は毎期5人で無報酬で完全に義務で住人が不満な時はいつでも交代可能でした。

    3年ほど前に管理会社と委員会が契約して住人に地域の道路をアスファルト舗装から耐久性のより強いコンクリート舗装に変えたいのでこれこれの費用がかかります、という通知をだしたところ、多くの反対にあい、住民集会開催が要求されました。そこには約150人の(住人の半数未満)人々が集まり、きた人たちはみな「引越しが多いのに10年先の舗装費用までは払えない」といいました。そこでコンクリート舗装をもとめていた委員会はその場で辞職し、住人はその場で新たに選挙をして新しい委員会メンバーを選びました。候補者は自分が何をしたいかを、例えばサービスの向上とか集金がもっと合理的な清掃会社や庭園管理会社と提携するとか三年間は管理経費を値上げしないとか述べ、そのあと住人たちは投票し、結果はただちに発表されました。

    中国の深圳にいたときは、その地区は全国の文明的模範小区とされており、その管理方式は全国の模範とされました。しかし、はっきり米国と違うところは;まず中国の戸主委員会は選挙で選ばれませんで、不動産管理会社と小範囲の戸主の相談で決まります。例えば管理会社が住人の意見を聴取するときは代表がその委員会に入ります。(今はどうなっているかはしりません)。次に米国の地域には専門の清掃人夫はいませんで、それぞれの住人が自分の家の前と車道の清掃に責任を持ちます。公共地区にはゴミがきわめて少ないのでこの十数年間、清掃人夫が仕事をしているのを見たことはありません。地域周辺の植木や河川は「持ち込んだゴミは持って帰る」という原則が守られており、比較的きれいで、ゴミやペットボトルを捨てる人はきわめてまれです。しかし、中国の小区では、清潔に保つというのは相当にしんどいことで、蓮花北小区でさえやはり清掃人夫が清掃にあたらねばなりませんでした。たまたまメーデーや国慶節で彼らが休みのときは各種の食品の包み紙や犬のフンだらけとなってしまい、たまには子供が行方不明になることもありました。

    《結論》

    このシリーズの文章の最初に申し上げたとおり、米国では地域住民は手を結び合っており、「いくつかの鉄のワイヤーで支えられているのではなく、生活の中の瑣末なことが細い網の目のようになっている」のです。このワイヤーというのは信仰や政治的圧力、経済利益などのことです。米国人はそれぞれが違った民族的出自をもっており、信仰も異なりますし、政治的信条も異なります。しかしかれららが地域の自治活動に参加する原動力は、自分たち自身の暮らしに密接に関連した「瑣末なこと」なのです。米国の地域の平静で秩序の保たれた暮らしというのは実はおもに自治によって達成されていて、各地域の自治は水平で上下ではなく、すべてそのメンバーの自立、自尊、自愛、に依拠しています。

    世界の潮流をみれば民主化は時代の流れです。独裁政権がいかに強大であろうといつの日かは命脈が尽きるでしょう。ポスト中共時代となった中国をどう建設するのかは中国人自身の課題ですし、中国人自身がやらねばなりません。制度がいまより良かったとしても、それでも中国人が実現せねばならないのです。私は米国の民治という観点からこうしたことを紹介したのは将来中国人がボトムアップに「自治」をできるようになって中国が落ちぶれるのを免れるようにと願ってのことです。あるいはいつの日か「革命」は成功するかもしれませんが、一人一人の個人が現代人として立つというのは、これはまた別の長い長い時間がかかることなのかもしれません。(終わり)

    拙訳御免。
    何清漣氏の原文は;「服务型政府与小区自治—漫谈美国的“民治” (下)」http://www.voachinese.com/content/heqinglian-blog-american-democracy-20150609/2815328.html
    何清漣氏のこれまでの論考日本語訳は;http://heqinglian.net/japanese/

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