• またゾロ『国家の敵』ですか?

    by  • June 22, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年5月31日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/RFsic

    5月下旬、人民ネットに「新華社記者」と称する者が「”超級低俗屠夫”の正体」という一文を掲載しました。(”超級低俗屠夫”=スーパー低俗豚殺し野郎、ぐらいのツィッターネーム、ネットで有名な反体制ツィッタラー)これをみて私は天安門事件以来、新華社と人民日報という中共を代表する報道機関が何人の『国家の敵』を産出してきたか考えざるを得ませんでした。国外勢力は当然、数も膨大で昨日の敵は今日の友、になったりしょっちゅうでこの両メディアによって名前を挙げられた人の数は膨大です。しかし、「内部の敵」として批判された人の数は指を折って数えられるぐらいしかいません。そして、この手の批判は往々にしてある時期の「敵情」に合わせてその代表的人物に対して放たれるものです。ですから、この過程を顧みて中国の内部の「中共の敵」の状況変遷過程を整理してみることができます。

    《中共の喉声による『国家の敵』とは時の政治の風向計になる》

    1989年天安門事件以後、「人民日報」と新華社は6月5日に「中共中央、国務院がすべての中共党員と全国人民に告げる書」を発表し、さらに20余名の「天安門のブラックリスト」を全国通知しました。人民日報は「方励之(*1936年2月12日-2012年4月6日、著名物理学者。米国亡命後に死去)は人民の願いに背くー中年知識人の書」を発表、方さんは当局お名指しのナンバーワンだったのでした。その後政府御用メディアには続々と批判する文が掲載されその後他の御用メディアも次々と批判文を発表し、1991年には「許寧然」なる人物によってその海外亡命生活について中国青年出版社から「亡命エリートその後の物語」が出版されました。当時、国内では海外の情報がなく、彼らに関心を持つ人々はその本の内容がロクなものではないと承知していましたが、それでも結構購入者は多く、よく売れたのでした。ただ宣伝ぶりは「人民日報」や新華社といった”超一流”どころには掲載されず、「最高度」とはいえませんでしたけど。

    1992年以後、鄧小平の南巡、全国の民営ビジネスのブームがおき、新華社と「人民日報」も数年間は「内部の敵」についての音沙汰はありませんでした。せいぜい艾蓓が1994年8月に新華社「父の重み」を書いて、自ら自分は周恩来の私生児だといいだしたさわぎで、新華社の記者が中共中央文献研究室の責任者に取材し、「艾蓓が周恩来の私生児であるというのはデマである」という内容の「艾蓓の身の上の真相」(約4000文字)を発表したぐらいです。さらに米国の国会の支持があった呉宏大や、法輪功の創始者を貶す目的で「李洪志の身の上の真相」が公安部研究室からだされて有名になったりして、多少の「国家の敵」は知識人から出ました。ただ当局も80年代の「知識分子はやっつけるとやっつけるほど人気がでてしまう」という経験に鑑みて、批判した相手が「却って有名になってトクする」などということのないように、命令もこっそりと下し出版禁止はしてもその名前などを雑誌や新聞に載せないようにしました。かといって新華社の批判文章の「規格」を緩めたわけではなく、艾未未や許志永、浦志強、郭玉閃らの行動者に対しては自分たちも行動(逮捕)をもって対応してきました。ですから、この度の「超級低俗屠夫・呉淦」が、”新華社記者”様の特別原稿で批判されるという待遇を受けたのはやはり護憲人士のなかでも破格の”厚遇”にあずかったものといえます。

    《”国家の敵”たちは今》

    上述の人々が新華社によって”国家の敵”となった理由はさまざまですが、その後どうなったかは完全にいろいろ違っています。なかの数人は歳をとって長年の亡命生活後、この世を去ったり依然として亡命生活を送っていたり、あるいは海外で例えば法輪功のように、あらたに広く世界に教えを流布するようになった例もあります。張艾蓓はハーバード大教授の杜维明と結婚したため、中共の”貴賓”になっています。新華社が張艾蓓とその作品を批判したのは、その当時の中共指導者の「清く正しく美しい」のイメージが国際社会において前代未聞の危機を迎えていたからでした。で、新華社が張艾蓓の作品を反撃の突破口としたのは当局が周到に考え抜いた作戦だったのです。

    というのは中共トップ指導者の「清く正しく美しい」イメージが傷つけられたのは読者も本当か嘘かよくわからなかった張艾蓓の作品によってではなく、20年以上も毛沢東の主治医だった李志绥の著した『毛沢東の私生活』(*http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC/dp/416730970X )だったのです。この原稿は中国語で、デトロイト大学の戴鸿超が英文に翻訳し、コロンビア大学の黎安友が序文を書き、石文安(Anne F. Thurston)が編集にあたり、1994年、米国のランド出版から出版されるや数百万冊のベストセラーとなり、中国語に再翻訳され、同年には台湾時報文化出版社から出版されるや洛陽の紙価を高らかしめる売れっぷりでたちまち中国国内でも海賊版がだされ、艾蓓の本や「中国太子党」などとともに深圳の地下出版ベストセラーになりました。当時、レストランで食事しているといつも誰かがこの本を売りに来ていました。私はこんな安い海賊版がでたんなら、中国国内の読者はみな大助かりだわね、と思ったものでした。

    こうした本のなかで当然、破壊力の最大のものは「毛沢東の私生活」です。しかし李のこの本の内容には北京当局は正面から李の身分立場に対して疑問を呈することはしませんでしたし、当然、書中の事実にたいする反駁もしませんでした。ただ毛の「お側にいた人たち」を集めて、例えば李银桥夫妻、张玉凤らが”自発的に”偉大なる首領にたいしてなつかしさのあまりに集まったことにして”一部の連中がデマを流していて、我々はとても怒っている」という程度でした。

    また、張艾蓓が結婚した相手のハーバード大学の杜维明教授は中共にとってきわめて大切な統一戦線の利用価値ある「中国の老朋友」ですから、張艾蓓がその昔起こした”ちっぽけな騒ぎ”に対しては北京当局は”太っ腹”なところをみせて、「笑って水に流して」しまい、以後、夫と帰国してもただメディアには杜夫人ということで名前はでないだけでした。しかしそれも2004年9月に艾蓓と杜はその故郷の山東をおとずれ、9月30日に中共山東省常務委員会、省委宣伝部部長、山東大学校長などと会見した時にはメディアにその名前も掲載されこれで中国でも青天白日の身となったといえるでしょう。

    《なんでまた”超級低俗屠夫”の呉淦が”国家の敵”になったのか?》

    ”超級低俗屠夫”・呉淦がなんでまた新華社に名指しでやっつけられるほどの栄誉を得たのかというのは中国的政治時勢の他に、彼個人にも原因があります。2003年の孫志剛事件(*旅行証明不所持で派出所に連行、暴行され死亡)で護権運動に参加したのはこの時期の中国の反対運動の普通の形でした。数年前から、護憲権運動は当局の厳しい弾圧を受けました。この護憲人士のなかでも”超級低俗屠夫”・呉淦は「トコトン強行派」の代表とみなされていました。というのは彼は自分の経験から「豚をどうやって殺すか」というのを書いておりネット友のDR.Kによると;「現在の中国的特色過激主義を一番にもっておおり、公衆の利益を脅かす権力者、官僚にどうやって打撃を与えるか、というのが「豚を殺す」の意味で、その手段としてはネットでそいつに関する個人情報をすべての可能な手段をつかってそいつの家庭の情報や腐敗の証拠をあつめ暴露し、当局のやりくちや秘密のつながりを自分が中心になって暴露する非暴力抗争の最も過激なやりかたで、最も効果のあるやり方だから」と総括しています。

    ”超級低俗屠夫”・吴淦と、その前にあげた”国家の敵”の境遇は違います。前にあげた人々は批判された時、多くが海外に逃れていましたから、牢獄にほうりこまれるのはまぬがれたのでした。しかし、今回の吴淦は逮捕されたのは、おそらく当局はしっかりと準備を整えて攻撃しており、牢屋に放り込まれるのは避けがたいでしょう。さらに「”超級低俗屠夫”の呉淦」などというのが新華社や「人民日報」にまで「国家の敵」といってもらったわけですから、いずれ時間がたって公正な判決、がでることでしょう。なんせ劉少奇、鄧小平だってこれらのメディアによって「党と人民のパブリック・エネミー」と槍玉にあげられたぐらいですから。私の記憶違いでしたら、だれかが補足してくれるの歓迎ですよ。(終)

    拙訳御免。

    何清漣氏の原文は;八九之后,新华社批判的“国家之敌”都有谁?
    http://www.voachinese.com/content/heqinglian-blog-after-89-20150529/2799262.html
    何清漣氏のこれまでの論考日本語訳は;heqinglian.net/japanese/

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