• 中国の「反腐敗」が最後には”「芋づる誅滅(瓜蔓抄)」になる理由

    by  • September 5, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年7月27日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/HMEic

    令計劃事件の終局が見え始め、周永康事件の余波は秘書だった大物役人・周本順の失脚に及びました。これらはなんの後ろ盾もない庶民の子弟が刻苦精励して位人臣を極める地位に登っても最後には”一族誅滅”の憂き目にあった封建時代の物語にそっくりだと嘆く人もおります。それも尤もで、今も政治的大事件に関わった人の末路は確かに王朝時代と本質的な違いはありません。この現代の王朝物語を分析することは中国政治の特徴と今後この種の事件はまだ起こるかどうかを占う一助になりましょう。

    《周永康・令計劃事件は現代の”芋蔓式誅殺”》

    薄熙来、周永康、令計劃の三事件は実際どれも「政治的規範を乱した」とされますが、渦中の人物が薄一家では夫婦二人が下獄しただけだったのに、他は「一族芋づる式誅殺」されました。周家では息子の周涵が生母の謎の死亡事件以後、父親と別れて完全に無交渉だったので自由の身でられるだけです。令一家の親子二代では令狐路线(三女/山西省运城市中心医院副院长)と令狐剑(*息子の令谷がフェラーリ事故で死亡後に養子になった)だけが自由の身でいられると言えます。この理由は当然、三人の出身身分が違うからです。薄家は「紅色上級貴族」の殿様の家柄ですが、周は卑賤の出で、令家は「革命家族」の尻尾にくっついていただけで紅色貴族出身ではありません。この周・令両事件で逮捕拘束された人数からみるとほとんど明の時代の永楽帝の「芋づる式誅滅」さながらです。

    なぜ「芋づる式誅滅」というのかというと、中国の封建王朝時代には昔から「当人を死刑にするだけではなく父系、母系、妻の一族の三族を誅滅(滅ぼす)」という重刑があって「族誅」といいます。考証によると一族を誅滅する、というのは秦の時代から発展して三族となり、五族となり、七族となりました。隋の時代に文帝がこれは残酷に過ぎると廃止しましたが、しかしその子煬帝になると復活して帰って九族にまで広げられました。明朝になると、一度「十族を誅する」というのさえあります。この十族には永楽帝が発明した「師友一族」という血縁とは無縁の関係を除き、その三族から九族は解釈はいろいろですがつまりすべては血縁関係を意味しました。

    ここでこの用語を使ったのは、明の人たちが永楽帝が帝位簒奪後、方孝孺(*永楽帝の帝位簒奪を認める書を書くことを断り刑死。その宗族・友人数百人も刑死)の故事から世人がその残酷さを憎み「瓜蔓抄」と呼んだから、というわけではなくその懲罰のあり方からです。もし現代政治用語でいえば「瓜蔓抄」は「周・令二人を中心にした利益集団の掃滅」とでもいいましょうか。

    細かく言えば現代版の「瓜蔓抄」は王朝時代とは違って、ひとつには中共政権成立後、宗族関係(*父系同族集団)は封建制度の残滓とみられて徹底的に無くされたこと、二つには人口が高度に流動的な工業化社会・情報社会では血縁関係の規範は弱くなっており、利益分配でこの種の関係が絶対考慮されるというようなことはもうありません。ですから、主に事件に関わるのは直系親族や甥や友人、配偶者関係で、「五服関係」(*昔、喪に服すべきと考えられた親族、一族関係者)といった血縁親族は血縁だからという理由だけでその中に入れたりはしません。むしろ「師弟友人関係」の現代バージョン、つまり役所の職場の利益の保護・被保護や、役所の上下関係のネットワークが打撃対象の主流になっています。

    周永康が官界で渡り歩いた職歴はきわめて多岐にわたっており、石油系統や四川省、政法系統での秘書となったり親しかった関係者は皆、今回の反腐敗で摘発にひっかかっておりますし、ここ数年に失脚した省や中央省庁クラスの官僚連中の少なくとも8割までは周との関係です。一方、令計劃の職歴はシンプルで、山西省から直接共産主義青年団中央にのし上がったので西山会(山西省グループ)とその直系親族が反腐敗の打倒目標にされましたが、官僚世界にあたえた衝撃といえば、彼より十年も年上で職歴の複雑な周永康にくらべればたいしたことはありません。

    《中共政治の硬貨の両面、「栄」と「辱」》

    一般的にいえば、封建王朝時代では「瓜蔓抄」は謀反大逆罪で多用されました。謀反反逆となればこれは当然、「一味」を作らねばならず一人だけの個人では無理です。「官僚として清潔ではない」とか「役人として芳しくない行為」とかいうのは副産物にすぎません。しかし、世界はとっくに民主主義時代にはいっており、世界第一の強国であるアメリカの大統領は「天下の回り持ち」ですし、中国も「共和」という名前を国名につけている以上、まさか世襲制度というわけにもいきませんし、当然大時代な「謀反反逆」などという罪名は表に出せませんから、別の、例えば「国家機密漏洩」とか「党内政治秩序破壊」とか「腐敗」だとかいう罪名にしているのですが、だからといってそれはべつに「瓜蔓抄」方式を使うのに影響はありません。

    《「瓜蔓抄」方式は合理的なのか否か?》

    今日の西側世界では、この種の「先に人を捕まえておいて、あとで罪を決める、という『瓜蔓抄』方式は起こりえません。妻や夫、父母や子供との間でも犯罪の共謀関係があって、一方が他方の犯罪からなんらかの利益を受けるということでもすべて証拠が必要ですし、判決を受けるまでは「推定無罪」という司法原則が尊重されなければならないのです。

    中国の「世界追跡捕縛指名手配100人リスト」の対象となった一人である程慕陽がいい例です。中国の裁判所は程は1997年河北省政府が北京で不動産を購入するときにブローカーとなって、仲間とこの価格を操作して280万元を私したとされます。(*その後カナダに逃亡)

    カナダ連邦裁判所のロイ裁判官はこう指摘しています。;カナダ難民局は2014年に程の難民申請を拒絶したが、これは程が犯罪者だと確信したからである。しかしながら、この証拠となったのはカナダ側が得られるものでなければ、はっきりしない第三者の手によるものであって、「何が証拠になって程が共犯だというのかさっぱりわからない」と「自分は証拠がないというつもりはないが、これらの証拠書類は資金が程の口座に移されたとはっきり示しているものはなく、中国の裁判所に詐欺だと断定できる証拠でもない」と。

    程慕陽は中共河北省委書記程维高の息子で、程维高は1990年から1998年に中共河北省委員会副書記、省長をつとめ、中共河北省書記は中共大十三、十四、十五期の中央委員会委員でした。中国人なら当然、程が父親の威を借りたのでなければ一文無しで企業して10年もたたぬうちに32社もの企業を内外に設立して資産総価値数億元にすることができるはずがないとはっきり知っていますし、2000年8月その父の秘書の李真が収賄、汚職事件を起こしたとき、程自身はうまく香港経由でカナダににげだせたことだって不可能だとわかっています。また当然、河北省政府から不動産売買のブローカーとして認可されるはずもありません。

    というわけで、程慕陽は「キツネ狩り計画」(*世界各地に逃げた中国の公金横領者追跡計画)のターゲットとなることは、中国では朝廷だろうが民間だろうが不合理だとおもう人はいません。これはべつに朝廷がボケ、民間がアホだということではなく、かねてから言ってる中共が中国のあらゆる資源の分配権限を握り、国家と一族が結託して自分たちの利益を図れるという体制が簡単に作られ、権力を握っておれば公共の財産をほしいままに自分たち家族のものにできてしまうという中共政治の通例なのです。こうした大権力をもった大物は自分の妻や子供、二号の子供を利用して富を築き、自分の保護者の役人と一緒に大儲け、です。

    で、そうした権力者が失脚したら、その家族がうまく奪った富もパアになり、その庇護下にあったネットワークも清算されるというのはもともと当然至極のことなのです。栄える時は一人が成功したらその家の鶏や犬も天に昇り、家族や使用人は「政治のコインの表」側の栄華富貴を楽しめる一面、反対に一旦、それが失脚すると失敗がもたらす辱めもまたともに担うということになります。

    この「キツネ狩り」計画が海外でうまくいっていないのは、べつにこうした汚職役人の家族や子供たちの灰色、真っ黒な財産が理にかなうものだから、と認められたからとかいうことではなく、こうした連中が逃亡先の文明国家の法律を使って自分たちをうまく守れているということです。それは、こうした文明国家が法律を制定した時に、かくも複雑な中国ファクターがかかわってくるなどということを予見できるはずもなく、さらには地球上に中国のこうした国家と一族が一体になって利益を貪れるシステムがある、などということはわからなかったからなのです。

    《制度は古くても、制度の呪いは依然として健在》

    前に「周・令・薄の3事件にみる中国政治の制度的呪い」(2014年12月24日 http://heqinglian.net/2014/12/27/power-struggle-japanese-2/)でも中国の「瓜蔓抄」現象を指摘しましたが、実はこれは中国の政治体制の制度的な呪い、なのです。この制度的呪いは三つのレイヤーからできており、ひとつは権力の資源支配が生み出す利益集団分派化が必然的に生み出す傾向。この利益連鎖の上流に盤踞したグループは、中共中央集権にとっては一種の挑戦であり、最高指導者にとっては一番不安なものです。次は役人が資源の支配権を握っていることから必然的に国家と家族一体の利益獲得体制が生み出され、家族の腐敗というの中共の官僚界の特徴。第三は二代目たちは「権力の傲慢」の特徴を持つことは避けがたい事実。二と三は中共政治ではべつに致命的というわけではありませんが、もし、一家の主人が「ルールに従わず、最高権力玉座を陰謀によって求める」という政治的な派閥争いに巻き込まれた場合、後者の二つはその突破口になってしまいます。

    封建時代の帝政と比べて、中共政治の特徴は、封建王朝の最高責任者は皇帝で、ですから皇帝は国難が相次いだ時には自らの責任をみとめて自己批判書を表し、民心を挽回しようとしますが、中共政治体制ときては誕生したその日から、責任は最高指導者にはおよばないのです。毛沢東は餓死者3000万人の大飢饉を一手に生み出したのですが、いかなる謝罪もしていませんし、あいかわらず「偉大な光栄と正しさ」はそのままとされて死んでは神に封じられて、罪と席にはその妻らが背負いました。

    中国政治のこの三重の「制度的呪い」はすでに国家とある家族一族が一体となった利益獲得体制を生み出し、権力貴族たちと役人が「一人が出世すれば、その鶏も犬も天に昇る」ようにしはしましたが、しかし、最後には少なからぬ人々が失脚して名声をうしない一族が覆滅させられる痛みともなります。薄熙来、周永康、令計劃の三人は中共政治制度のこの呪いを受けた初めての人々ではありませんし、当然、最後の人たちということでもないのです。(終)

    拙訳御免。
    何清漣氏の原文は;中国反腐最后为何多成“瓜蔓抄”? 2015.07.27  http://www.voachinese.com/content/china-anti-corruption-ending-up-purges/2879654.html
    何清漣氏のこれまでの論考日本語訳は;http://heqinglian.net/japanese/

     

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