• 専制と革命の間にー「中国人・胡適」を読む⑵

    by  • September 5, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年8月10日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/SkLic

    《「民治」を求め続けた胡適》

    胡適は一貫して「民治」への啓蒙を主要な仕事としていました。それは「民衆の素質の向上が民主実現の不可欠な前提」と信じていたからです。ですから、大変教育を重視し、自ら多くの本や雑誌を出版し、民主思想を伝える重責を自らに課していました。

    胡適は「政治にもし人民が参加しなければ、本当の共和は決して実現しない。人類の自由の歴史において、人民が一滴一滴の血と汗で自由を勝ち取ってこなかった国はない。自由のために喜んで戦おうという人民がいないかぎり決して本当の自由は得られない」といいました。胡適はまず、市民の自由の権利を勝ち取って、次に政府の権力を制限するというこの二者はどちらも欠いてはならないものだと強調してきました。

    さらに見逃せないのは、胡適が民主主義の実践を民主理念を広げることと同様に重要なことだと位置付けたことです。彼は民治のおこなわれる国家では、政府の主要な責任はまず民衆を政治に参加させることだと信じていました。彼は、民治制度はそれ自体がひとつの教育であり、民衆は知識が不足しているからという理由で民主的な権利を与えないようにする政治家に対して「人民の参政に多くの専門的知識などいらない。必要なのは経験である。民衆を参政させないことこそ病いであり、だからこそ民治国家の大問題はいかにして民衆の政治参加を奨励推進するかである。彼らを参加させさえしたならば、一度目はよくわからなくても、二度目には慣れるし、一度は騙されても二度目には学ぶ。であるから民主制度はそれ自体が最もよき素質の訓練となるのである」と。このような主張は「胡適日記全集」(台湾聯経,2004年版)のいたるところにみられます。

    政府系の研究者と大いに異なるのは「中国人胡適」の二人の著者は民治に関して胡適の人権についての言及を極めて重要視し強調し、胡適の思想の深奥を読者に示していることです。

    《自由主義思想はなぜ中国ではいつまでも「時宜に合わない」のか》

    胡適は終生、「中国はどこへいくのか?」という方向性の大問題を考え続けており、中国は民治を特徴とする米国式民主の道を歩むことを堅持すべきであると考え、各種の圧力や時勢に応じた政治思潮のひしめくなかで、終始その志を変えることはありませんでした。はやくも「新文化運動」の時期に、白話運動に反対した黄侃(*当時著名な訓詁学者)が胡適を揶揄って「胡適って名前を変えて『どこいくねん』にしたらいい」といいました。中国語の古文では「胡適之」は「何処に向かうや?」の意味だからです。でも、この皮肉は怪我の功名で胡適の一生をそのまま象徴する言葉となりました。

    胡適より年齢が少し若い別の文化面での巨人は郭沫若であり、その生き方と比べると胡適のゆるぎない姿勢はさらに目立ちます。(*郭沫若は共産政権成立後、批判されるたびに始終『自己批判』したといわれる。)私の故郷には「右派」のレッテルを貼られて北京の某大学から追い出されて中学教師をしていた田舎の賢者ともいうべき人がいましたが、かつて教室で「私は一生でもっとも敬服するのは郭沫若さんで、その”過ち”を認めること、それを謝罪することの速さはおどろくべきもので、毎日違った観点をおもちになった」と皮肉を言いました。この話は郭沫若の一生を表して至言です。胡適と郭沫若はまさに中国文化人の人品の両極を代表しています。この教師は文革の時に各種の「反動的言論」を学校の紅衛兵に吊るし上げられて、耳から針金をいれて自殺を図り、終生、障害者となってその晩年は悲惨をきわめました。

    10数年前に、中国の誰かが「胡適を失って100年」との題で胡適の自由主義の政治主張がいまだに中国で達成されていないのを遺憾とする評論が発表されたことがあります。しかし、ある民族、ある国家がどんな思想であれ受け入れるには、実は「それまでの歴史の轍(Path-Dependence)」があります。現在中国の執政者は専制政治への回帰の傾向が日増しに強くなっており、民間では「革命に帰れ」の呼び声が日増しに高まっています。専制と革命というこの一対相同の遺伝子兄弟が再び中国に君臨しようとしています。まさにこの時にあたって改めて胡適の思想とその何が中国の「時宜に合わない」のかということは、1840年以来、今日に至るまでの歴史的路程を改めて認識させ、中国の未来の方向への洞察をはっきりさせるものです。

    胡適の主張した「自由主義」は、当時から「時宜に合わない」とされました。1920年代から30年代の早期には胡適にはまだある程度の追随者がおりましたが、「救国が啓蒙を圧倒した」(*五四運動の「啓蒙と救国」の目標がのちに「救国」一辺倒になったことを指す)時期以降は自由主義理念は中国ではまったく需要がなくなりました。30年中期、胡適の主催した「独立評論」は民主と専制の討論を行いましたが、胡適の友人であった、文江、、蒋延黻、钱端升らもみな「強者による政治」を認めるようになり、胡適が守ろうとした米国式の民主主義政治の主張には誰も耳を傾けようとはしなくなったのでした。

    さらに悲劇的なことには、胡適の自由主義理念は自らの言行で教え導いたはずの次男の胡思杜(*1921~1957年)にも通じなかったのです。胡適は終生、米国民主主義を賛美し、「帝国主義打倒」の必要性を否定する立場を堅持しました。その政治主張と文学主張は魯迅によってこっぴどく批判されつづけました。1949年、国共内戦に敗れた国民党が台湾に逃げた時も、胡適は依然として利益にまどわされることなく、他の人々のように「割ったスイカの大きい方」にと勝利者側に駈け寄らず、共産政権の独裁と国民党の権威主義政治のなかで「害の少ない方を選ぶ」と毅然として国民政府とともに台湾に去りました。しかし、息子の胡思社はその30余年の短い生涯を、精神的な「父親殺し」としての一生をおくり、時代の左傾傾向の影響をうけ、「反帝反封建」のスローガンに迷い、共産主義を信仰しました。米国コーネル大学での学習にも身が入らず、成績不良で米国を追われ、魯迅に傾倒し、1949年父親と台湾に逃れることを拒絶して大陸に残り、悲劇的な最後を遂げました。(*1957年、反右派闘争の対象とされ自殺。のち”名誉回復”された。)

    今、中国の執政者は依然として「憲政」の二文字を洪水や猛獣のように見なしています。今年7月26日の「人民日報」には一面全部「米国式民主の虚偽」と題し、「米国式民主の苦境」を展開しました。紅色貴族政治集団の一党の私利のために、多くの学者はいまもなお普段にあまたの手段で「民主」を避け、「権力に対する制御」という問題を避けて、「トップダウン設計」に貢献しています。7月上旬、「南風窓」を発表した清華大学の外国人教授・Daniel A. Bellは「中国の賢者政治の未来」(http://www.ddsjcn.com/12-8/12-8-2.htm)を発表し、中国には賢者政治の深い根元があり、調査の結果、大部分の人々が「面倒を見てくれる人にやってもらう政治」を選び、自由民主主義を選ばなかった、としています。「有能で賢い指導者が任命した役人達が社会の利益の責任を受け持つことができる」というのです。そして同時に、中国の中央政府の指導者はそのような賢者を選ぶ制度によって選抜されてるべきで、その下級政府の指導的役人は民主選挙によって生まれている、とはっきりと提起しています。

    中国の上層がどうで、底辺層がどうであるか、ということは、私は「”革命”の靴音は半分しか聞こえない(1)⑵」http://heqinglian.net/2015/07/05/china-revolution-1/
    http://heqinglian.net/2015/07/05/china-revolution-2/ で書きましたが、中共の数十年来のイデオロギー教育によって育てられた大量の貧しいマルクス主義者たちは現在の社会の一切の不公平のよってきたる所以はブルジョアジーによる搾取にあるとして、「搾取する者を搾取せよ」ということで、革命的平等(実は、全部貧しい社会)が達成される一番良い方法だと信じています。

    専制と革命の狭間のなかで、中国は胡適を見失いました。それは百年間ではなくさらに長い時間でありましょう。ひょっとすると今後20年を経て、地球上の「失敗国家」のリストにさらに数カ国がつけくわえられるとき、比較政治研究者たちは、いまはまだ政治的にはっきりしない新テーマ、つまりある国々は何故に民主と無縁だったのか、というテーマを付け加えることになるかもしれません。

    《胡適を再発見することは中国の光ある未来のため》

    この種の制度を選択する上での「それまでのその国の歴史の生んだ轍(わだち)」は、その文化・政治の慣性の大きさによって、その歴史の肝心な曲がり角において幾度も作用します。

    作者は本の結末で胡適が蒋介石、毛沢東、スターリン、ルーズベルトと天国で出会い、「自分が一生かけて話したことは誰も聞かなかったし、一生かけて教えたことは誰も本気にしてくれなかったし、一生をかけて書いた本は誰もよまなかった」と胡適になげかせています。これは自由主義が中国でたどった”過去”の話というだけではなく、実はその未来の命運にたいする予言でもあります。

    財新ネットでちょっとまえに、丛日云(中国政法大学政治与公共管理学院教授)が発表した文章で中国人が個人主義に対してもっている誤謬を分析して「中国では個人主義は私利私欲を図り、他人に損をさせ自分はトクをすることだ、とおもっているが西側での意味はまず社会における個人の地位、社会共同体の性質、個人と他人、個人と社会の関係の一種の本来的な認識である」と指摘しています。この文章をよんですくなからぬ人々が褒めたかもしれません。しかし、惜しいことに彼らは、実はこれは胡適が1910年代から1920年に普及させようと努力した自由主義の常識であることを知らないのです。

    まさに中国人が依然として「専制と革命」といういかがわしい「枠」の内に閉じ込められたまま彷徨っていることを発見したこの二人の作者は何年もかけて心血を注ぎ、この「時宜に合わない」本を書き上げました。それはテレビ連続劇のシナリオという形を通じて、一生、革命による社会変革という立場に対して反対を堅持しつづけた胡適を今日の中国人に知らせたかったからです。作者のひとり劉乃順氏は作家からビジネス界に転じて成功した企業家で、時勢を読める人です。しかし彼が読み取った時勢はひとりの人間の時勢ではなく、中国の未来の命運、という時勢です。だからこそ中国人の革命思潮がふたたび湧き上がり、中国の出版界、映像界がビジネス以外のことを考えられなくなっているこの時期に、時勢に逆らってこの「時宜に合わない」作品を出したのです。

    「中国人胡適」をじっくり読んで、私は劉乃順氏の苦心のほどを理解することができました。彼の心の奥には「この国家の政治生活をいかに軌道に、公開され、透明な、憲政にのっとった政府と民主法治の市民社会を生み出せるか」についての思考が、同書の前文に書かれた胡適への理解同様、存在します。その願いは私が歴史に対してもっているささやかな願いでもあります。きっとさらに多くの人々が私と同様に、同じ願いをもっていることとおもいます。(終)

    拙訳御免;
    何清漣氏の原文は;何清涟:在专制与革命的夹缝中重温胡适——读《中国人胡适之》⑵ http://www.voachinese.com/content/he-qinglian-blog-hushizi-doc/2909855.html

     

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