• 中空の”鉄の手綱”はハリボテ

    by  • October 26, 2015 • 日文文章 • 1 Comment

    何清漣

    2015年10月18日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/zFojc
    中国当局がまたもや「共産主義の理想」の宣伝を始め、北京大学で「21世紀第一回世界マルクス主義大会」を開き、中国馬車は再び真っ赤に塗られました。その首席御者は当然習近平です。朝も野もいまは習の手中の手綱の”材質”を知ろうと必死です。なぜならそれがこの馬車は一体どっちの方向に走っていこうとしているのかにかかわることですから。習近平のこれまでの数々の講話からすれば、彼の手中にある手綱の上には「共産主義」とデカデカと書かれています。でも、社会各層が本当に望んでいるのは”銭っこ”なのです。

    *「反腐敗」は権力闘争型から、広告宣伝型へモデルチェンジ

    この馬車のみかけは堂々たるもので、30を越す省、市、自治区の各種各様の「馬たち」がひっぱります。馬たちが頑張るかどうかはすべて御者がいかなる手綱を用いるか、どんなエサを呉れるのかにかかっています。馬たちも当然のことながら関心を持っていますが、それはこれまでに牢屋にほうりこまれた”馬”(つかまった汚職官吏)の最後をみているので、いつになったら再び前のように栄養豊富な”カイバ”にありつけるかを知りたいからです。

    最近結審した蒋洁敏、李春城(*周永康派の高官、禁固13年と16年の判決を受ける)で政府側の発表した彼らが受け取った賄賂金額は蒋が1400万元(約2億8000万円)、李が約4000万元(約8億円)でしたが、こんな低額の賄賂だけだなどとは誰も信じません。

    しかしこれまで「馬車を引っ張ってきた馬たち」はここに希望を見出しました。蒋や李の事件の結審はつまり周永康事件の幕引きであり、18大5中全会に報告する準備だ、ということ。つまり、中共の反腐敗キャンペーンはこれまでの権力闘争の様相を脱して、政治的アピール段階に入り、最高権力層における人事交代の膨大な危機が反腐敗キャンペーンによって取り除かれた。だから、今となっては腐敗の金額があまりにも巨額だと中共の体面にかかわるという配慮が働く段階になったので、この二人の受け取った賄賂金額がこんなに低く発表された理由だ、というのです。

    いわゆる政治的PRとしての反腐敗とは政権の合法性を保証するために執政者が自分たちは清廉潔白であると公に明らかにしなければならないということです。腐敗が極めて深刻で執政集団のイメージがボロボロので社会の風評はクソミソといったときには、一部の腐敗役人をやっつけてみせて民衆の恨みを減らし民衆の政治不信を解かねばなりません。

    江沢民、胡錦濤の指導時期、高層レベルの多頭政治構造は各人が各分野で利益をむさぼって汚職ネットワークができてしまっていましたから、習近平は権力を自身に集めるにあたってはそのようなネットワークの中のとりわけ大きく目立つものをぶった切ってみせる必要がありました。これは独裁政権の統治者が絶対やらなければならない政治行動です。

    しかし、習近平の犯した間違いは政治体制は変革しないという前提で反腐敗キャンペーンを堅持して、自分の一族をビジネス界から身を引かせて、自らが身をもってそれを示せば、統治集団内部の利益追求のメカニズムを変えることができるだろう、とおもいこんでいたことです。このような誤解はあるいは中共のイデオロギー形態の物欲の本質を軽視したことに源を発する、つまり中共の歴史的道筋に対する理解が浅かったことからおきたのかもしれません。

    *マルクス主義は物欲を誇張するが、物欲を節制する術を知らない

    習近平本人はひょっとすると意識してないかもしれませんが、マルクスの共産主義社会というのは実は高度に物質化された社会なのです。例えば、「必要に応じて分配する」という理想ですが人間の需要というものは外からの制約がなければ、稀に見る聖人でもない限り、大多数の人間の「必要」などというものは限りがありません。そして、プロレタリアートの政権奪取の目的は、例えば共産党宣言の「プロレタリアートは失うものは鉄鎖のみ」ということでより一層の物質をめざすものです。彼らが獲得するものは「世界のすべて」だというのですが、この意味は全世界を丸ごと支配する権力、という意味です。

    人類の歴史上「世界丸ごと」欲しいという以上の貪欲さがあったでしょうか?しかしマルクスはそればかりか、プロレタリアートがどうやって支配すればよいかという細かい点にまで及んでいます。マルクス理論の追随者のなかで最大の弟子は旧ソ連と中共で、この二大弟子はそれぞれの本性にしたがっておのずから「世界」の無上の権力を支配し、等級別に特権を享受ししかもいかなる監督も制限も受けないということになりました。

    中共はマルクス主義と中国革命の実践を結合させて「土豪をやっつけ田畑を分けろ」という強奪をニンジンにした兵隊募集のスローガンのほかに、「軍隊に入って嫁さんがいない八路軍、でも榆林城(*内戦で国民党側の陕北最後の町)を陥落させたら一人あたり女学生一人もらえるんだ〜♫」という歌(*知らなかったが中国国歌みたいな存在の「東方紅」の元歌の歌詞がこうだったらしい。三八枪,没盖盖 八路军当兵的没太太,待到那打下榆林城,呼儿嗨哟,一人一个女学生。三八銃には蓋がない。八路軍兵士にゃかあちゃんない〜 あいよ〜、でも榆林城落とせば一人宛に女学生一人だじょ〜、みたいな意味 http://lt.cjdby.net/thread-1860846-1-1.html )
    こうした土匪山賊行為と変わらない動員スローガンもありました。当然、後には「搾取者を搾取せよ」という理論と道義の「光背」を背負わせています。”革命聖地”の延安では「モノと女」は等級別に”配られて”いたのでした。

    中共政権ができてからは、あらゆる政権と同様自らの辿ってきた道を「神格化」させることになり、そしてそれには自分たちのかつての罪悪を”漂白”しなければなりませんから、そこで「革命烈士詩抄」や方敏の「清貧」、「可愛い中国」といった作品が大々的に宣伝され、中共革命はまるで清教徒たちの理想主義的な聖なる武勲詩のようになりました。紅色中国の「開国の元老」たちももちろん党と歩調を合わせて、自らの「サナギ時代」の数々の悪行醜行は深く隠してしまい、子供達には革命教育をほどこし、物欲は一切取り去って清教徒式の道のりだった、ということにしてしまいました。こうして共産主義革命事業に献身するということが、物欲とは全く無関係で共産主義的情操を陶冶した聖戦士たちの革命史になったのでした。

    革命聖戦士達の物欲と権力欲は革命の成功とともに満足させることができますが、しかし一般の民衆は革命を信じたからといって権力や経済的利益にありつくことはできませんでした。それどころか、反対に彼らは長い間「革命事業」のために苦労させらてきたのですし、彼らの経済利益は革命のエリートたちが配分しなければなりません。有るだけ分配して、それで飢えたとしてもそれは革命の未来のためだということです。ですから革命の宣伝教育の中では、刻苦精励奮闘努力、貧しきことは栄光なり、といった価値観念が生まれました。

    毛沢東時代には、毛沢東は経済に関しては音痴だったのですが、そのくせずっと「英米を追い越す」して、世界共産主義革命の聖人として最高の位に達しようと、一般庶民の血と汗でうまれた富を使っていたるところに軍事工場を建設し、また世界の『革命勢力』に対して援助を続け、その結果中国人の日々はなんと国民党の戦乱がなかったときよりさらにひどいものになってしまいました。それでも一般庶民に毛沢東式革命路線を信じさせるために、毛は「世界革命は民の暮らしより上にある神聖なる使命である」として、なんとみんなに信じさせてしまったのでした。人民たちは世界にはまだ三分の二の苦しんでいる人民が中国人民による解放の日をまちのぞんでいると信じて終始、刻苦奮闘させられました。

    鄧小平時代になると、鄧は現実の利益の一部分を一般庶民にも与えることによって民心をつかみ毛沢東の指定した後継者たる華国鋒の手から最高権力を奪いました。彼は「貧乏は社会主義ではないと宣言し、自由主義経済に向けて舵を切ることを核心とした経済改革をおこないました。一般庶民はながらく中共に奪われていた経済利益にありつきましたが、もっとも権力欲と物欲を満足できたのは革命エリートたちでした。毛沢東時代と違って中国にこのとき市場経済が出現し役人たちはついに権力を現金に換えることができるようになったのです。

    これ以来、各種の資源の分配権を握る役人たちはつまり、民間私企業の”恩人”となりキングメーカーになれたのです。また中共党内でも任命権を握る上司は下級の恩人となれるので、地位を買ったり、売ったりすることはあたりまえの習慣になりました。中国が「世界の普遍的価値」に頑強に抵抗するのはつまりは民主制度というのは紅色貴族階級が代々伝えてきた権力の地位を奪われるからなのです。当然、役人たちは反腐敗キャンペーンというのは民衆の怒りや恨みを和らげるためのアピール手段だと知っており、誰かがつかまってもそれはそいつが運がわるいだけの話だとわかっています。役人の世界ではとっくに「反腐敗は別に多く賄賂とったからという理由でやられるわけじゃない。目先が利かず利益を自分が独り占めして、分け前を上司とかそのまた上司とか、同僚の他の奴らにわたしてないのがやばいんだよ」という経験が伝えられてきているのです。

    *見かけは左で実質は右、という御し方は馬車がバラバラになると困るから。

    習近平のこの二年間の反腐敗キャンペーンは政敵の利権の連鎖構造につらなる人物の他に、ことのついでに一部の不運な役人も巻き添えでやっつけられたりしましたが、だからと言って習近平は別に紅色エリートたちの権力や利益をやっつけようというつもりはありませんでした。ただ習近平はこの警告をもって広大な中共の政治にかかわる幹部たちに「もうちょっと自制して、一般人が怒らないようにやれよ」というメッセージとしたかったのは確かでしょう。で、役人たちはといえば気持ちの上で理解はしても、しかし「あんたそういうけど、中身のないスープばっかりじゃ”革命”のエネルギーでねえよ」というわけでサボり始め、消極的なサボタージュをやりはじめました。習近平がさいきんやりはじめた焦裕禄(*1922.8.16 ~1964.5.14、指導者の模範、日本なら二宮尊徳みたいな人)式の幹部の模範については、役に立ちは表向きはハイハイと読んでるフリをしますが内心は「アホカイナ、何を古臭い」と嗤っているでしょう。

    この二年に人民日報の社説に度々出現している「政治に当たる役人がサボっていたら劇薬で治療せよ」「役人のサボタージュは賄賂より深刻だ」といった表現は、実は習近平の手中にある「共産主義の理想」なる「手綱」は実は紙のコヨリ製ともいうべきもので、役人を督励して働かせるには有って無きが如しです。習近平は底辺から官界をはいあがってきた経歴があり、自分は賄賂をとったりしなかったとしても役人たちの世界の慣習は十分知っています。ですから、彼がこんなことをしているのは他に手段がないからであり、こうやってやっていれば少なくとも馬車はバラバラにまではなることはない、ということなのです。

    言論に自由がない環境下においては、他の題材に借りた当てこすりのような文章が盛んになります。最近、中国で出版されたドイツ人のバウエルの「ナチスドイツの腐敗と反腐敗」という本は時機を得たというべきで、各種の書評はドドーッとでましたね。例えば「腐敗、ヒトラーの最大の政治武器」という一部には「ヒトラーがつくたハイレベルの腐敗”(黄金でつくった縄で政治的な高層を縛った」、とか、「老同士たちの腐敗と福祉」(国家出資のプロジェクト、つまり公共事業を老同志にやらせた)、全国民の腐敗の狂奔(全国民があまねく腐敗をうけいれ、ユダヤ人を略奪し、他の国家的経済資源をフツーのドイツ人にばらまいた」)とか。作者は結論として「ヒトラーの政権の別の一面を発見した。それは恐怖と暴力以外に、まだ金銭の贈与や買収というシステムで、イデオロギーによる洗脳以外に、まだ泥臭い物質主義というものがあるのである」と書いています。

    習近平にとって本当に面倒なことというのは、共産主義のイデオロギーの格調の高さと社会各層の物質主義的価値観の間における相克なんぞではなく、中国経済の衰えがすでにきており、不断に社会の各層を満足させる「金銭」が産まれてくる源泉がみつからないことです。彼の馬車をあやつる「手綱」には外側にこそ共産主義とかかれていますが、実は芯のないハリボテなのです。(終)

    拙訳御免。
    何清漣氏の原文は;习近平驭马的缰绳空荡荡 http://www.voachinese.com/content/voa-qinglian-he-xi-and-empire-20151017/3012352.html

    同氏のこれまでの論考、日本語訳は;http://www.voachinese.com/content/voa-qinglian-he-xi-and-empire-20151017/3012352.html

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