• 「習近平のスゴイ読書リストPR作戦」の失敗

    by  • November 2, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年10月29日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    http://twishort.com/lLsjc

    このところ数回にわたって習近平は自分の「愛読書リスト」を公開しました。これを考えた”中共国電通”スタッフたちはそれによって全能のリーダーというイメージをアピールしたかったようですが、しかし結果的にみて大失敗に違いありません。ネットには嘲りや疑問が起こり、習近平の光輝ある姿に光背を添えるはずが、却ってたくさんの疑惑がとびだしてしまいました。例えば本当に真面目にあれだけ本を読んでその思想人格に全く影響を与えないのか?とか、こんなことをした動機はきっと自信がないからでは?とかで、最後にはこうした疑惑疑問は習近平が青年時代を過ごした「陕西省富平県梁家河村図書閲覧室」に集中していきました。(*訳者注;このほど2014秋の文芸講話内容が1年後に発表され習近平が自分が感銘を受けた20冊以上の世界の名著、120人もの内外の著名作家の名前をすらすらそらんじた、というので話題になった。ネット上にはそのリスト http://ur0.link/oT72 も。しかし文革当時陕西の僻地中の僻地といった小村にいたはずの習近平がどうやって禁書だった世界の名著を読めたのだ?そもそもあれはまだ中国語に翻訳もされてなかったはずだ、とかネットで盛んに話題になってしまった。なお梁家河村は今、観光ブームの焦点になっている)

    ★独裁政治のリーダーの「全能」と毛沢東を模範に。

    多くの疑問の中で、これを習近平の個人的なイメージをアピールするためだとおもっている向きが多いようですが、独裁体制の指導者に対する必然的なプレッシャーだという観点をもつ人はあまりいませんね。

    独裁政治は政治、経済、宗教を含む文化、軍事の4つの権力を一つに集中しますから、その政治のトップリーダーはあらゆる天才であるということにしておかなければならないのです。そこで中共国の宣伝部が存在します。宣伝部の任務がすなわち嘘でもリーダーの素晴らしいイメージを作り上げることにありますし、中共国リーダーは当然「独自の確固たる思想」を打ち立てなければなりません。マルクス・レーニンには「主義」がありますし、中国の毛沢東には「思想」が、鄧小平には「理論」が、江沢民は「三つの代表」をつくりだし、胡錦濤は何度か変わりましたが最後にはその部下たちはなんとかなんだかよくわからないけど「科学発展観」とかをひねりだしました。習近平は江沢民、胡錦濤と違って自分を毛沢東の流れを伝えるものだとしていますから、その文武両道にわたって申し分のない素晴らしいところがなければなりませんし、江沢民、胡錦濤という前任者を凌駕しなければなりません。

    中共の歴代リーダーで陳独秀は大学者で、瞿秋白は読書家でしられ死ぬまで文人気質の人でしたし、王明は「資本論」を暗誦できたというマルクス主義の専門家でした。しかし中国の古典、とりわけ歴史となると毛沢東にかなう人はおりません。

    毛沢東の読書範囲は中国古典の経(経書)、史(歴史)、子(諸子)、集(詩文集)のうちのあとの三つに集中しており、とくに「資治通鑑」はもっとも精読して得るところのあったものでしょう。北宋の司馬光がこの書を編し皇帝にご覧にいれ、皇帝・神宗はこれを「往時にかんがみて、政治に役立てる」という意味で「資治通鑑」となずけました。以来、皇帝の職にあるものはこの本を必読の書としてきました。

    毛沢東の著述は軍事、経済、歴史、哲学におよぶ豊富なもので、その死後は多くの中共の元老級文化人らは「自分が毛の文章のゴーストライターだった」とかいいたがりましたが、最後には鄧小平が「毛沢東思想は中共の綜合智である」ということにして落ち着きました。しかし毛が博覧強記だったことは事実であり、常々、古典を引用して江青をふくむ臣下らを諭したことは中共党史にも明らかです。

    毛沢東は北京大学の図書館の館員だった頃、教授たちに侮られたことから知識分子を嫌っていました。しかし天下を取ったときの仲間は軍隊出身者が多く、インテリは少数でで、軍人たちばかりの”家来”に対して毛沢東は文化的な楽しみが足りないと感じていたのでしょう、1959年には羅瑞卿(軍人。中共第三代総参謀長、文革で批判され飛び降り自殺を図るが命は取り留める。病死。)に「三国志・呂蒙伝」を読むことを薦め「呉下の阿蒙」http://ur0.link/oTdI になるな、と言いました。羅は「呂蒙伝」を読み、人に口語文に翻訳させ毛沢東のお叱りの意味を悟って「呂蒙伝」を印刷し公安部門の各級幹部の学習用テキストとして毛の期待に応えたのでした。

    晩年になっても毛沢東は古典を引用して臣下をしかり諭すのを好みました。臣下が背くことを恐れた毛は何度も「晋書」のなかの人物の伝記、とくに二度に渡って主人に背き殺された東晋の大将「劉牢之伝」をもって中共の高層レベルは節操が必要だとときました。林彪の9.13事件以後は「劉牢之伝」をやめて、「詩経・大雅・蕩」の「靡不有初,鲜克有终」(*はじめはいいが終わりをちゃんと全うするやつは少ない)をもって家来たちに晩節を全うし、主人に二心を持つな、とさとしました。毛沢東の心中では林彪や陳伯達らはみな劉牢と同類にみえたのですね。こうした訓戒警告がはたして役にたったかどうかはその妻がのちに「反革命集団」の主犯となってその仲間とともに入獄したことで明らかでしょう。

    習近平の父親の习仲勋ら「革命時期のプロレタリアート革命家」はかつて毛沢東によってこうした歴史の古典で教えを与えられるという巧みな”帝王の術”によって指導されましたから、毛沢東に対しては崇拝と恐れの気持ちを抱き、まるで神のごとく敬っていました。こうした気分は言葉を通じまた身をもってその子供達に伝えられました。ですから、二代目たちの多くはかつて毛沢東がいかに自分の両親を虐待したかを覚えていると同時に、毛沢東を尊敬する気持ちも持っています。この種の気持ちには自分らの利益のためというだけでなくいささかの真情が含まれているのです。

    ★習近平が書物の題名を暗記して見せたのは批判に対する条件反射

    習近平の学歴には極めて強く彼と同時代の特徴がみられます。文革初期に卒業した50歳代の人々は全体的に受けた教育が深刻に不足しています。特別に読書が好きだというのならなんとか方法を探し出しもしたでしょうが、大多数の人々はみな毛沢東の「知識が増えれば増えるほど反動的になる」とか「一番卑しい人が一番賢い」といった言葉を金科玉条としました。しっかり読書を続けた人の多くは1977年に全国一斉大学入試試験が復活してから大学に入り、77.78.79の三期の大学生の一部となりましたが、大多数の1950年から1959年の生まれた世代は知識の上で言えばたしかにもっとも荒廃した世代です。(*習近平は1953年生、何清漣氏は1956年生)

    習近平が総書記になってからの講話にははっきりと個性がでていました。例えば反腐敗キャンペーンでは「鏡をみて、衣冠をただし、身を清め、病を治す」とか、「鉄を掴んで痕を残し、石を踏んで影を留める」とか。前者は毛沢東がいった言葉で、後者はあきらかに武侠小説からきたものです。はじめの頃はネット上でもこうしたイサマシイ言葉に対して別に批判的な風刺はありませんでしたが、習近平が周小平と花千芳といったネットライター(*インチキっぽい論で有名)を「接見」するにいたって、習近平の教養の浅はかさに対して風刺皮肉がどどっとあふれる「歴史の新段階」に突入してしまいました。”今上陛下”に対するこうした不利なお話が広まるのをなんとかしようとしたお付きの”中共国電通”の面々が考えたのが「習近平のスゴイ読書リスト」PR作戦だったのですが、事態は収拾に向かうどころか全く逆になってしまいました。

    実際、もし本当に良書を読めば自ずからその薫陶をうけて日頃の言葉や振る舞いにも自ずからその影響の片鱗が伺え、それがつまり「満腹詩書気自華」(詩書腹に満つれば自ずから華やぐ)というものです。温家宝は自作の「仰望星空」の曲だけでなくよく古典を引用し、2012年3月のNYタイムズが温家宝一家の蓄財を報道した時も「我敢于面对历史,知我罪我,其惟春秋」(《孟子·滕文公下》。我を知り咎めるものあれば、それは歴史ならんか」と孔子の言葉)を引用して答え、中国人は「お〜、さすが教養がある」と感心しきりでしたが、なに、1949年の中共国になってから生まれた中国人はこれが孔子の古典から出た言葉だと知ってる人はろくにいなかったのでした。

    読書リストを開陳するのは別に難しいことでもありませんで、だいたい10年ぐらい前からはじまって、1940〜1950年生まれの人々が老境に入り、青年時代のことを懐かしくおもいだし、それには本を読むことを禁じられた時期もふくまれます。そこで中国のメディアは中国人の読書の歴史を振り返りました。「新中国60年の最も影響力のあった600冊リスト」では、1949〜1966は「紅色経典(マルクス主義の聖典)閲読時代」で、1966〜1976年は「文化砂漠の探索時代」、1978年〜1989年は「黄金閲読年代」です。

    中南海の”中共国電通”がお定まりの手順で「読書リスト」を作ろうとして、「1960〜70年代の一般には禁止だが幹部や文学関係者は批判的に読む文学資料」の外国文学書リスト(灰色リスト)」や「白書」のたぐい、「懐かしの灰色リストの研究」あたりから適当に何冊かの書名をぬきだすだけで綺麗な「読書リスト」がすぐできちゃうのです。「これが中共総書記の読書リストだ」といえば普通ならヘヘーッとなって拍手喝采しかありえません。ところが、遺憾にも現在ではネット時代になっており中共国ネット管理部門といえども手の及ばない余地があり、そこではいかなる権威もネット民のノミ取りまなこの”検閲”をまぬがれるわけにはいかなかったということです。習近平の読書リストはネット民の興味をひき、国内メディアでは「素晴らしい」と賛美一色に染め上げられても、国外のネット上では嘲笑の的になってしまいました。各種の辛辣な感想は私も一二引用しましたが、多分、誰も皇帝の耳に入れたりはしないでしょう。

    まあ、そんなわけで全体的に見ると今回の読書リストPR作戦はうまくやろうとして却って失敗してイメージを悪くしてしまったといえるとおもいます。

    ★最高統治者はどんな品位が必要?

    中国では自分が教養があるころを見せようと思えば儒教の教養をビジネスマンも役人も軍人もみせなければなりません。アレキサンダー大王のように「詩人、哲学者、戦士」を一身にあつめた千古の英才ともなれば政界、ビジネス界全部オッケーですが、中国ではそうなれる「インスタント方法」もありまして、お金さえあれば学位も、地位も手に入ります。例えば別に教養などない王立軍(*薄熙来の懐刀でのち、重慶米国領事館に逃亡失敗)がブイブイ言わせていた時期には中国の各地の大学から「客員教授」として迎えられたようにです。中国には大変高い古典全集があるのですが、こうした「エリート」向けなんです。

    でも余計なことかもしれませんが、こんなことより皇帝にとって大事なことって、胸を大きくひらき、見る目をもって適材にまかせ、民情をよく察して、臣下の諫言を聞くということが一番だとおもうのです。才能がいっぱいあって国家を治めるのもきっちり道理がとおっていて、とかいうことができるのは万年に一人の名君であって、たとえば康熙帝ですね。この方は古典万端につうじていたほか、天文、地理学さらには西洋の学問もご存知でした。でもその素晴らしいところは皇帝にとってもっとも大切なことはたくさん本を読んだとか、詩を作ったとかではないとわかっていて、文才は別にたいしたことはないけれども実務能力にたけていた雍正帝を後継にしたところです。

    皇帝の師となった人々はみな、歴史上、才能が溢れるようにあった皇帝というのはみな亡国の君だと知っていました。たとえば隋の煬帝、後唐の李煜(りいく・937年―978年)、宋の徽宗らです。もし彼らの仕事が皇帝でなければもっと幸福な人生を歩んだでしょうし、その下におかれた民衆も別の評価を与えたことでしょう。

    孔子は「中庸の道」を説き、まつりごとの上では「ほどの良いところをわきまえる」のが肝心といいました。習近平は中南海の主人として外国訪問のおりに郷に入れば郷にしたがえとばかりその国の著名作家の作品の中からちょっと言葉を引用したり、詩の文句を織り込んだりしてホスト側の国に礼を尽くせばそれで十分だったのです。それが、文学青年と読書量の多さを競おうなどと欲張ったものだから却ってみっともないことになってしまいました。どうか中南海の”中共国電通”の面々がこんなおバカな真似をもう今後はおやりにならないようにと願うばかりです。(終)

    拙訳御免。

    何清漣氏の原文は;习近平晒书单:弄巧成拙的形象公关
    http://biweekly.hrichina.org/article/30293
    同これまでの論考日本語訳は;http://heqinglian.net/japanese/

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