• 中国農村の惨状⑵ー村はゴロツキが支配し地方小都市はギャング社会化

    by  • November 26, 2015 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年11月3日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    https://twishort.com/vG2jc

    村のゴロツキ化の過程は中国の地方都市の政治的なギャング化と歩みを共にしています。中国の地方行政権は中央、省、地(市)、県、郷(鎮=村)の5クラスにわかれますが、県クラスの政治は中国の地方政治状態のカギとなる存在で、県政府は郷、村の直接管理機構であり、県の政治状況は郷村の政治状況の上級版になります。

    ★湘北紅鎮;郷村社会ののゴロツキ化の見本

    「当代青年研究」に発表された「中国農村の未来への深い傷;留守児童が村でチンピラ化(《中国农村后代之殇:从留守儿童到乡村“混混”》2015/10/29)は、湘北紅鎮という村のフィールドワークの要約です。作者の明らかにした事実は、大量の留守児童が村のチンピラの主力軍だということです。

    紅鎮は湘(湖南省)鄂(湖北省)赣(江西省)の境界線にある資源のほとんどない、近年、賭博経済と高利貸しがはびこり、そこから賭博場にかかわり、その用心棒になったり高利貸しの手先になって取立屋になるなどの一連の「食物連鎖」が発展したのでした。こうした仕事に従事する若者は15歳から20歳ぐらいで、大部分は父母が出稼ぎにいき留守児童として残されていたものたちが「チンピラ化」しているというのです。

    彼らの存在は郷村にあったそれまでの秩序を覆したばかりか、郷村にあった価値観も破壊してしまいました。レポートによると、紅鎮では「チンピラの親分」の賭博場の支配人や高利貸し連の羽振りの良さ、チンピラの横行は村人に対して、すぐに効果がみえない学校教育への投資に対して疑いをもたせたばかりでなく、青少年たちにこうした連中のカッコよさに憧れて次々に真似するようになったのでした。「郷村内部にあった掟や圧力といったものが次第になくなってしまい、チンピラたちは村のそれまであった良き伝統を脅かすようになって、村はいまではチンピラになることは罪悪であるとおもわなくなり、チンピラ的な人生観は郷村における価値体系の主流的な地位をしめるようになった」のでした。紅鎮では一部の住民たちは農繁期の水争いなどのトラブルがおきると、チンピラたちを利用して紛争を解決させようとするようになりました。

    男の子はチンピラになり、女の子は売春に走ります。紅鎮の調査によると、中学の黄某教師は6年間教師をやっていて、教え子のうち100人以上が中学校を卒業せずアルバイトにいってしまい、まともに技術を学んで就職した者は10数人しかおらず、そのほかの村の少女たちは「不真面目な仕事」、つまり売春婦になってしまったのでした。子供達は「売春」という言葉も別に心理的な障害とはならず、中国少年児童基金会の「女子児童保護研究報告」(2013年9月13日)によると、女子留守児童の94%が性的な侵害をうけており、加害者の多くは同じ村の男性か、さらには親族である、といいます。

    レポートの筆者は留守児童がチンピラ化する主な原因は、「家庭における社会教育の欠如と、村の伝統的道徳、倫理秩序からの逸脱」と指摘しています。教育という角度からみた場合、家庭教育と子供への無関心という心理はどちらも健全ではなく、容易に少年を不良化させます。全国の農村留守児童は6102.55万、流動児童(*戸籍がなく都市でも農村でも教育を受けらない)は3600万で合わせると1億人近くになりこれは中国人口の14分の1になり、農村青少年の重要な構成部分となります。彼らが将来の中国社会にどのような影響を与えるか、紅鎮の状況は少なくとも一つの類型を示していましょう。

    紅鎮のレポートの結論は社会学用語を借用して書かれているので、矛盾した表現がたくさんみられます。例えば「一定の自制力のある紅鎮のチンピラ少年は相対的に隠性の社会である。この相対的に隠性の社会の一方面は村社会の秩序に対する侵食であり、また紅鎮の社会のなかにあきらかにみられる。別の方面では村民の日常生活と融合しており、村社会のなかに隠性として存在する」。このわかりにくい表現の意味は「裏社会は表の社会の秩序にはっきりし参与し、それも相当重要な役割を担っている」ということです。十年以上前に中国のブラック勢力が猖獗をきわめたとき、勢力のおおきな組織は現地では「第二政府」と呼ばれて、警察とブラック勢力が現地で共同統治しているという現象を示しておりました。

    ★郷村社会のならず者化と地方市政治のギャング化の似たような構造状態

    中国には県級政治地区が2860あり、そのうち1463県、117自治県です。県クラスの政治が劣化してひとつには特定の一族が政治を独占し、ふたつには政府とブラック社会が共同統治を行っています。

    1;県クラス政治の特定家族による独占

    2011年9月1日、「南方周末」が掲載した「中県”家族政治”現象調査」があります。2015年、この”中県”というのは河南省南陽新野県だとわかり、そのレポート作者は北京大学の社会学系博士の馮軍旗であり、かつて新野県に副郷長と県長代理として出向していたときに現地の各種の絡み合った根のような政治関係を観察するチャンスがあったのでした。
    この調査では作者はこの県クラスの内部の各家族の職務や地位を完全に網羅して記録しています。そしてそこにはなんと21家族の「大家族」(一族に5人以上の副科級《行政底辺の政治》幹部が存在する)、140の「小家族」(5人以下、二人以上の科級幹部が存在)の合計161の”政治家族”がいたのでした。

    現代の政治で一国の政治的なパワー資源が一部の家族に独占されているとしたら、その社会はエリート選出という点で深刻な問題を抱えていることになります。中共政治の60年余の歴史では、20世紀の80年代から90年代前期にかけて出現した短い期間以外、ずっと血縁選抜という文化の旧来のパターンから抜け出したことはありません。「中国ではなぜ簡単に『政治一家』が誕生してしまうか」(http://www.voachinese.com/content/article-20110913-why-does-china-breed-political-families-129740593/787616.html 2011.09.13)でそのいくつかの原因を指摘しておきました。

    A;一族政治は中国の歴史にはるかさかのぼる。殷や周の時代にすでに完全な血縁関係制度があり、政治権力を等級に応じて分配し世襲していました。

    B;中共が政権を取ってからも本当の合理的なエリート選抜システムは作られませんでした。毛沢東の時代、エリートは血統に基づいて主に選ばれました。以前の血統原則が重視したエリートに比べて、毛は逆に草の根の底辺層の人を重視する「出身論」をとなえました。毛のいう「紅色後継者」での選抜基準で最も重要視されたのは出身という血統原則でした。1998年の高等教育産業の始まりから今にいたるまで、社会は「身分型社会」に復帰していく形跡をしめしています。中共の党政に関する職場は技術性がとても強い分野をのぞいて、一般に誰でもかわれるような非技術的な職業的地位は血統がどうであるかというのは明らかに重要であり、「二代目」現象は中国のエリート階層の深刻な退化を示しています。

    2;県級政治のギャング社会化

    今年五月、中国の小県におけるギャング化事情《中国小县城的黑社会江湖》という文章が大変人気になりました。この文章には「一つの県には数十万の人口があるが、しかし本当にそこで権力を握っているのは数百人である。その数百人の中にはだいたい200〜300人の行政底辺の幹部以上がおり、数十人の比較的影響力を持つ各分野の親分がおり、数人の顔が聞くヤクザがいる」。河南省の新野の状況から推定すれば、300以上の科級幹部のなかには必然的にすくなからぬ家族一族の勢力があるでしょう。

    この三種の勢力のなかで「公安局」(*警察)が「権力の交差点であり、情報の交差点である。そして行政地域内で唯一合法的な暴力機構を掌握している。公安局は唯一の全く障害なしに社会のどんな隅々までとでも接触できるということから、それ自体が一種の情報センターなのである」

    ブラック社会組織の親分たちは現地の経済圏では互いに顔なじみであり、権力サークルとも関係を保っており、公安系統はましてやブラック社会にとって必須の籠絡対象です。ブラック社会が組織経営しているのはホテルや娯楽施設、建築業ーというのは東南アジアや香港、台湾のブラック社会の商売とだいたい同じようなものです。こうした裏社会のには自分たちの組織内の内部だけの規則(殺人事件をおこさないとか政府には逆らわないとか秘密を厳守するとか)があります。内輪同士の競争関係から血をみることもありますし、そのなかで組織の興亡もあります。しかし一般的には秘密は守られ、背後の人物があきらかになることはありませんから、背後の政府系等の「傘」を差しかけている連中は安心して入られます。

    こうした話は2007年に「現代中国の官と黒の政治保護関係」で書いた中国各地のギャング社会の消長での分析と違いはありません。中国の県クラスの政治でも役人とギャング社会の関係というモデルはすでに固まった一種の政治生態状況になってしまっています。

    こうした奇形的な県レベルの政治生態に対して、そこに暮らす人々はすでに当たり前だと思うようになっています。2013年の旧正月期間に、江西省の載県の農民・汪金亮が現地の人々が県長の家に贈り物をする場面をケータイで撮影した結果、地元公安に「政治生態破壊」を理由に逮捕され、あまりに突飛な罪名で評判になりましたが、しかし別な角度からみたら、この奇妙な罪名はすでに現地の価値観が白黒正邪があべこべになっていることを示しており、こうしたお金のやり取りが「政治生態」になっているということです。

    すくなからぬ農村出身のインテリが近年、帰省して村の零落堕落ぶりを痛感しておりますが、それは村の基層組織から人間関係、村の教育の衰落が農民の道徳の衰落になっており(有毒食品から脅し、ごまかし、騙りなどのあらゆる悪事が当たり前)ます。それで中華民国時代の農村の郷紳(地主)による自治のほうがよかったと郷紳制度の復活の可能性も論議されています。

    しかし、郷紳自治というのは独立した政治形態ではないのです。それは王朝時代に付属する政治制度であり、たとえば科挙制度や退職した役人が郷土に戻って地主になって、とかそういった制度であり、経済的基礎は封鎖的閉鎖的な自然経済であり、人口の流動も極めてすくなかった時代のものです。こうした制度がなお国民党時代にその余光を保っていたわけです。しかし中共の貧乏人による地主の土地を奪う政策や、現在の郷村のギャング化、チンピラ化の後、そうしたチンピラを「紳士」に変えるか?というのはまず達成不可能な仕事でありましょう。(終わり)

    拙訳御免。
    原文は;乡村痞子化与县城政治黑社会化 – 中国乡县社会生态(2) http://www.voachinese.com/content/article/3034188.html

    About

    Leave a Reply

    Your email address will not be published. Required fields are marked *