• 90年前の「労働運動の星」が”再登場”?

    by  • January 2, 2016 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2015年12月27日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    https://twishort.com/GxEjc
    中国政府は広東の労働者NGO問題を処理するのに忙しく、最初の中国メディアによる報道では新華社が「広東警察は護権組織の7人を拘留、主犯は『労働運動の星』と呼ばれていた、と伝えました。これは広東には盛んな労働運動があるというだけでなくスター級の人物が居るということです。新華社記者 邹伟の批判記事を読んで、私は1923年に起きた二・七大ストライキの事に想いを馳せる気持ちを禁じ得ません。

    新華ネット広州が12月22日に伝えたところによると;広東警察は大衆からの通報によって「無料護権」を掲げ長期にわたって外国の組織から援助を受けて中国国内の労使紛争に容喙し、深刻に社会秩序を見出し、労働者の権利を踏みにじっていた違法組織をやっつけ曽飛洋ら7人の容疑者を逮捕した、とあります。

    この曽飛洋氏のやったことは、中国革命烈士の林祥謙(1892年10月-1923年2月7日)と「お前は俺か?」というほどそっくりです。

    1;どちらも「国外勢力」による指導を受けていた。

    人民日報が「二七烈士・林祥謙」という記事(2011年2月15日)で紹介しているのですが;「1921年に中共が成立してのち、武漢の党組織の責任者・陈潭秋、项英らが革命を宣伝しに同市の江岸区の鉄道労働者のなかに入り込んだところ、すぐに反抗精神に富んだ労働者仲間から大いに尊敬されていた林祥謙に出会いった」。

    革命教育の薫陶の下に育った中国人は当然、中共は国際共産主義運動の指導のもとに成立したことを知っています。1921年7月1日の成立大会上で共産主義インターナショナルの代表・マーリンと極東局兼赤色労働者国際代表のニコラスキーが参加しました。ですからソ連の指導下の共産主義国際運動というのはどうどうたる立派な「国外勢力」だったのです。

    新華社の記事は、林祥謙は1998年に広東の番禺出稼ぎ労働者事務局サービス部に加入し、2002年その責任者となり、一部の外国組織と外国在中大使館・領事館と密接な関係をもって外国勢力に中国の労働運動の現況を報告するという条件のもとに何度も国外にでて訓練を受け、帰国後外国の資金の支援を受けて長期にわたって「労働運動」を行ってきた、とあります。

    2;活動経費は全額「国外勢力」の資金援助

    中共の建設書記の革命経費は主にソ連から来ていました。政府はあまり多くを語りたがりませんが、多くの中共の党史研究にその証拠があります。

    党史専門家の杨奎松はモスクワで大量の資料を調査し、「中共)建党書記の職業革命家の活動経費の来原」で1920年代の歴年の経費の金額、用途などを詳しく報告しています。結論は;モスクワの財政援助は中共の歴史のなかにおける成長に極めておおきな影響を与えた、です。1927年を例にとると、中国の党市場最も有名な大行動、例えば上海労働者武装一揆、中共党学校解説、湖南農民運動、秋収穫期暴動、軍隊の建設、南昌一揆、京漢マカオ漢鉄道ストライク、広州暴動などすべての金額が列挙されてすべてモスクワの資金援助の下でおこなわれていたのでした。抗日戦争時期のソ連の援助は中共の重要な経費の来原でした。

    晓理は「ソ連経済援助は辺区収入の5倍」のなかで、国境内戦時期にソ連の中共への援助はさらに多方面にわたっていたことを詳細に報告しています。腾讯歴史チャンネルの「今日の話題」は2012年9月に「解放戦争中のソ連が中共にどのぐらいの軍事援助を与えたか」で詳細に消化していますが、その数字は不完全な資料による「保守的な見積もり」だとしています。つまりソ連の援助がなかりせば、中共が大きくなることはなく、さらに”新中国”が建設されることもなかったのです。

    3;ストライキが当時の社会に与えた政治経済上の損失

    人民日報による「1923年2月4日午前9時、林祥謙は労働総連合のストライキの指示を受けたあと、ストライキ命令を下した。汽笛の第一声が鳴り響くと江岸機関車工場のすべてのサイレンが鳴り武漢三鎮に響き渡った。京漢鉄道前線のすべての客車、貨物列車、軍事列車がすべて停止し、内外を震撼させた京漢鉄道の大ストライキが始まった。この大ストライキは帝国主義と反動軍閥への政治経済上深い打撃を与えた。具体的な数字は明らかにされていないが「深い打撃」にその影響の大きさがうががえる」とあります。

    新華社の記事は曽飛洋は何度もストライキをやらせて政治的損失を与えたとして「一部の国外メディア、ネットがすぐに大報道して写真を載せ、悪意のある煽りをおこない地方政府を狙ったものであった。経済的損失はおおきく、2014年12月以来、広州の番禺の利得靴工場での三回にわたるストライキは工場の操業停止で4000万元以上の経済損失を工場に与えた、と。

    4;曽飛洋は林祥謙と施洋の二人の長所を兼ね備える。

    二七大ストライキの運動にはさらに英雄の施洋・大弁護士がいました。この人は共産党と国民党の両方の党員資格を持っており、共産党員としては項英の紹介で、国民党員としては孫文が紹介者でした。公益に熱心な関心を持ち、貧しい人々に同情し民国3年(1914年/大正3年)26歳で湖北私立法政専門学校法律科に学び、三年後一番の成績で卒業。「組織癖」があった施洋は故郷で建国国民学校と県農務会を組織し会員は1000人に達した。武漢に来て弁護士になったのちはまさに虎に翼を与えた大活躍で労働組合や社会各界に連合会などを作った。

    さらにおもしろいのは施洋は呉 佩孚(清末民初の軍人・政治家。北洋軍閥直隷派の有力指導者の1人)とともに「民族の精英」とされ、二人は互いに息があっており、互いに尊敬しあっていた。五四運動が爆発してから、施洋は武漢で学生デモを組織し応援した。5月9日、北洋陸軍第3師団師団長の呉佩孚は階級を飛び越えて徐世昌(中華民国第4代総統、袁世凱の親友だった。)に電報を打ち、学生運動を応援した。徐はなんと部下に呉の態度を考えなければいかんと部下に何度もいいきかせた。(*五四運動で国民党軍が学生運動を弾圧する側にまわらなかった、の意味かと)呉佩孚は1920年、施洋にあったとき、米国の「ワシントン法典」を送り、「ともに中国の民主政治を推進」することと誓い合ったのでした。

    施洋のすべてのこうした特徴は曽飛洋を彷彿とさせます。例えばサービス部の活動を通じて弁護士を手配して無料で労働者の訴訟にあたらせるとか、労働者をつのり派出所に集団で掛け合いにいかせるとか。”サービス部”のネット資料では曽飛洋はこう述べています。自分は1974年に広東番禺で生まれ、1996年に華南師範大学法律系で学び卒業後、南雄市の司法局で仕事をしましたが一年たたぬうちに法律家の事務所に転職し、以後専門的に労働者の権利を守る仕事をつづけました。呉 佩孚のような体制内の大物に出会ってともに励もうというようなことはおきませんでしたが、「南風の窓」(*広州日報傘下)に「あるNGO労働者が狭間に生きる」(2006年6月号)に発表されたことがあり、また曽とその仕事には極めて高い評価が与えられています。

    5;二人の労働運動のリーダーの歴史的地位

    新華社が掲載して批判した「労働運動の星」にはさらに酒や色といったたぐいの話もありましたが、これらは中共の林祥謙の物語には絶対に欠片もないです。でも孫文のさすらいの人生の革命物語には花街だの美女だのわんさと登場します。今日、中国革命映画にはぞろぞろベッピンの極地のような女性スパイがでてきますし、相手側陣営にはカッコイイ男がぞろって的中深くささった剣のような活躍ぶりですから、曽の話にもしまるきりそういう要素がなければ、本来の革命家たちの栄えある伝統に幾分、見劣りするではありませんか。(*あはは)。

    中共の偉大なる領袖・毛沢東はその語録に「階級闘争というのはひとつの階級が勝利し、ひとつの階級が消滅する、これが歴史であり、数千年来の文明史である。この観点から歴史を解釈するのが歴史的唯物主義であり、この観点の反対に立つのが歴史的唯心主義である」と述べました。

    中共は唯物主義歴史館を信奉し、すなわち歴史は勝者によって描かれ、その政治的な必要に応じて勝手につぎはぎされています。ですから、林祥謙の死は壮烈で1949年、中共が政権を立ててから革命烈士とされ、記念碑もたっており、その英雄的事績は小学校の教科書にものっています。2009年には中共はそのうえ林を「新中国成立に突出した貢献をはたした100人」に選びだし、その芳しい業績と名前は中共政権と終始ともにあります。

    人民日報の記事は「京漢鉄道大ストライキは中国共産党成立初期の指導の空前の規模と異常に激烈な反帝反封建の革命運動であり、中国労働運動と中国人民革命の歴史上に偉大な深遠なる歴史的意義がある。このストライキは政治闘争と経済闘争の結合であり、政治闘争をもって経済闘争を保証し拡大したものであり、中国労働者運動の新たなる段階のメルクマールとなって、中国労働者階級の反帝反封建の徹底した革命精神と高度の規律・組織性を十分に表しており、中国労働者階級が世界の政治舞台に躍り出たメルクマールである」と述べています。

    新華社の文章はしっかりと「労働運動の星」である曽飛洋の歴史的地位を決め付けました。曽の未来の運命はいくつかの可能性があるでしょうが、そのうちのひとつは26年後に(林祥謙が殺されてから26年後に中共政権誕生ですから)、中華民主共和国とかなんかそんな名前の国ができて、人物や運動の名称も、曽飛洋が指導した労働者運動の歴史的評価も変わる、というようなことになるとか、あるいは曽個人としてはもっとのぞましいのは、ある国の「開国元老」となってその子孫が革命二代目、三代目になっていく…。

    人は変われど、歴史はつねに繰り返します。12月26日は毛沢東生誕122年で、毛ファンは中国紅軍に熱烈にいれあげているのが証明するとおり、中国の歴史の歩みはひょっとすると再び同じような運命をたどるのかもしれません。(終わり)

    拙訳御免。
    原文は;何清涟:时光倒流90年:“工运之星”师承林祥谦
    http://www.voachinese.com/content/zhengfeiyang-20151226/3119767.html

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