• 中国政治舞台から消えゆく「紅二代」だが特権階級は消えず

    by  • January 2, 2016 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2016年1月2日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    https://twishort.com/kJGjc

    2015年の最後の日に中国国防部は元中国解放軍後方勤務本部の政治委員・劉源上将の退職を発表しました。劉の前途についてのあれこれの噂はここで終止符を打ちました。現在、中国解放軍後方勤務本部には一級指揮官が続々と着任し、その公表された名簿には軍に27人の現役「紅二代」の将軍がいますが、現時点では泰天(*故泰基偉上将の息子)が武装警察の参謀長になっただけです。このニュースは「紅二代」たちがいまや静かに舞台から去っていくことを表しています。このフェードアウトの過程は習近平が「年齢による自然退職」の力を借りて政界の世代交代をうまくやっているということで、江沢民・胡錦濤時代の「紅二代」が政界、国営企業、軍事部門で活躍した時代は終わりを告げたのです。

    ★江沢民・胡錦濤の20年が、紅二代の全盛期

    2013年10月15日、習近平が中共の権力を掌握してから人民大会堂で開かれた父親の習仲勋の生誕100年記念会には「中共紅色家族」(*中共の創建の功績のあった一族)の各家庭から代表が出席しました。そこでこれらの紅二代目はみな新しい政治権力に迎えられるのだろうと外部ウォッチャーも当人たちも思ったのでした。でも私は当時から変だなあ、と思い続けていました。というのは中共の党や軍事、国営企業のそうした人々の年齢から考えても、当時の情勢(習近平の必要性)をみてもこうした見方は極めて疑問だったからです。

    中共政権がスタートしたときから毛沢東は早くも「紅色の後継者問題」を考えていました。しかし高層の子弟の年齢により文革前に本当に後継者の序列に加えられたのは毛沢東の子供の毛岸英だけで、李鵬(*李硯勛の子。後の国務院総理)などはただの”ダークホース”で、本来技術専門家として養成されていたのです。

    毛沢東が長男の毛岸英に対する教育方針はすこぶる清朝の康熙大帝が自分の王子たちに「『下の方の世界』を見に行かせた」やり方に似ていました。ですから毛岸英の経歴は、ソ連・ドイツの戦争に参加したり、帰国後は共産軍が占領していた地域で土地改革を発動したり、情報部に属したり、さらに工場で管理職を経験したりしていました。しかし天は彼に寿命を与えず1950年に朝鮮戦争で司令部が空爆にあって戦死してしまいました。しかたなく毛沢東は娘の李訥(*中華人民共和国の政治家。毛沢東と江青の間に生まれた一人娘。1959年に北京大学に入学。歴史学を学び1965年に卒業。文化大革命中に北京市平谷県党委員会第一書記、北京市党委員会第二書記を歴任。1970年代初期に結婚し、一子をもうけたが離婚)と名の毛遠新(*毛沢東の弟で若くして殺された毛沢民の子)を育てるしかありませんでした。李訥は27歳で「解放軍報」の総編集長になり中共10回大会の全国代表になり、1975年に北京市委副書記になり毛遠新は27歳で省部級(*大臣級)となりましたが、毛沢東死後の政変で後継者にはなれませんでした。

    毛のやりかたがこうでしたから、毛沢東に従って戦った元老たちもこれを見習うことを忘れませんでした。ただ年齢の関係で文革時期にこうした「紅二代」たちは大学や、小中学校に在学中でした。しかし紅色二代目の願望は爆発の形で表面化しました。たとえば北京の高級幹部の子弟が作った紅衛兵組織「聯動」のスローガンは「父親が英雄なら好漢、父親が反動ならろくでなし」でした。後に江青の指導する中央文革が「聯動」を高官の子弟たちの特権思想を「生まれながらに紅意識が肥大したもの」として批判し反動組織だとしました。当時、紅色階級でもその真ん中から下の方では大喜びしましたが、しかし江青の中央文革がこれら高官の子弟の特権思想を批判したのはその両親が打倒すべき相手だったというだけで本気で特権思想そのものをやっつけようとしたわけではない、ということはわかっていませんでした。

    紅二代目グループが後継者になるという夢は、江沢民、胡錦濤の時期に全面的に結実しました。江沢民時期の始まりには中共中央の委員会、国営企業、軍隊の紅二代目は大部分が順調に出世を遂げました。当たり前ですがこの種の贔屓はべつにすべての「紅二代」だから官庁で局長やそれ以上になれたということではありません。様々な原因でそこまでもいけなかった人々も多いのですが、でも、それはだからといって紅二代が特別な「下駄」を履かせていたという事実を否定するものではありません。いかなる王朝時代でも権力のある地位というのは限りがあるのであって、皇帝の後継に子弟された人々でもうまくいった人もダメだった人もいるわけで、ましてや「紅二代」というレッテルが貼られていた階層ではなおさらのことです。

    中共の党政治部門や軍、国営企業に入れなかった紅二代たちにはまだ全国人民代表大会や政治協商会議がありました。江沢民の時期には政治的な配慮から毛一家や胡一家は政治協商会議や人民代表大会には入れませんでしたが、胡錦濤時期には、「朝廷の恩」がひろがって、李訥もやっと全国政治協商会議にはいれました。人民代表大会と政治協商会議はついに歴代の貴顕層の子弟が朝廷に招かれて式典に参加できる場となったのでした。

    江沢民・胡錦濤の二つの王朝はついに毛沢東とその戦友たちが理想とした「天下は我々のもの、国家はわれわれのもの。社会はわれわれの社会と俺たちがいわなきゃ誰がいうんだ?」という共同の理想を実現したともいえましょう。さらに誰もがあえて口にはしなかったことですが「俺たちがいただかなくて誰がいただく?」というのもありました。李鵬の娘の李小琳が「お姫様CEO」となって人民代表大会と政治協商会議に高級ファッションブランドに身を固める舞台になったころのことです。

    一部の紅色貴顕家族が巨富を築いた噂は江沢民・胡錦濤の時期には絶えませんでしたが誰もそれを調べてニュースとして発表するなどということはできませんでした。

    ★紅二代がニュースで話題になったのは中国国内、国外のメディアが権力闘争に巻き込まれたから

    江沢民・胡錦濤の時期に歴史はついに待ちに待った千載一遇のチャンスがやってきました。それはまさに十八回党大会後の権力闘争です。昔からこれまでこの種の戦いは一旦始まるととことんやるしかない戦いで勝負が決まるまでやめるわけにはいきません。この決戦勝負の最中に外国メディア(主として英文)と海外の一部中国語メディアは少なからぬ中共内部の最高機密を獲得して暴露するチャンスが訪れたのでした。

    ニューヨークタイムズは温家宝一家の蓄財の事実をつかみ、その報道記者は新聞回の最高名誉であるピューリッツァ賞を獲得しました。この報道とブルムバーグ社の暴露した習近平の姉の家庭の蓄財の他にも灰色の蓄財の話が幅広く明らかにされたのでした。2014年1月21日の国際調査記者連盟(ICIJ)の発表した「中国オフショア金融報告の秘密」には江沢民、周永康、曽慶紅ら少数の一家の子弟の企業の名前は載っていませんでしたが、習近平、胡錦濤、温家宝、鄧小平、李鵬ら新旧政治家五家族の常務委員やその他の上位100位にはいる中共の高級幹部子弟の企業の資料がすべて掲載されたのでした。この報告は中国国内では報道を封殺されましたが、しかしその意義は極めて大きく、はるかに「権力闘争の産物」という域を超えたものでした。なぜなら「中国オフショア金融の秘密」は世界に向けて中共政治集団が盗賊型の正体であることをさらけだし、中共政治集団の合法性について深刻な傷を与えたからです。(*世界に「盗賊型政権」を認識させた「中国オフショア金融報告」の意義 http://heqinglian.net/2014/01/28/capital-flight-japanese/

    ちょっとおもしろいのは中国国内メディアも誰が知恵をつけたかはわからないのですが、このころ紅二代目のやっていることを「正面から取り上げ」はじめたことです。たとえば「中央企業のトップ層の紅家族の子孫たち’;保利グループ名誉理事長は鄧小平の女婿」(《中国新闻周刊网》2013年6月3日)では毛沢東の姪のこの毛遠建や李鵬の娘の李小琳もふくめた特殊身分の高級管理職を列挙しました。この情報がでたとき、すでに鄧小平の娘の邓榕の夫、賀平は退職し、報道で突出していたのは中でも軍企業の保利グループの名誉理事長で、読者には特にその連想を抱かせるものでした。李小琳(電力女王)は一貫してメディアの注目の的でしたが、2013年以来のプレッシャーのもとにすっかりおとなしい格好で人民代表大会に出席していましたが、2015年12月下旬、李小琳は中国電力公司の理事長の職を辞任しています。

    人民ネットの2014年12月22日に発表された「解放軍現役高級将軍クラスの紅二代」という記事には张又侠を筆頭とする27人のいわゆる「紅色の背景を持つ家族出身」の将軍たちを列挙しています。どの将軍もその父はみな革命業績があるとはっきりわかるものです。で、このときはまさに習近平が人民解放軍の郭伯雄と徐才厚(*ともに失脚した軍のトップ)退治の真っ最中だったのでした。

    紅色家族の蓄財の話はずっと北京や世間には流れていたお話だったのですが、メディアはそれは極めて危険な地雷原だと承知していました。「人民論壇」(人民日報の傘下)はたまりかねて2010第四期の「中国の新富裕家族」という記事でも言及はしたもののわずかに2009年の中国3000家族の金持ちリストのなかで「紅色家族」はその構成主体である、とだけでした。記事は「紅色家族はぶあつい政治的な資本をもち最初から容易に社会的資源を獲得できる。こうした紅色ビジネス一家の多くは許可の必要な貿易や基礎産業、エネルギー産業に従事している。不動産関係もまた多くが紅色家族のお気に入りの分野だ」と書いていますが、具体的な家族名はひとつも載せていません。

    中共の党政治の高級層の紅二代目の数は多くありません。私はこないだ「劉少奇の子・劉源、無念の退職」(http://heqinglian.net/2015/12/23/princilne/)で書きましたが、現在政治局常務委員の習近平と俞正声がいるといっても、二代目からみたらどちらも「太い幹」ではありません。習近平の父・习仲勋の西北グループは1962年に反党小説「劉志丹」事件で壊滅状態にさせられましたし(*毛沢東の刺客、といわれた康生に睨まれ反党小説とされた事件)、俞正声も父親の黄敬、母親が范瑾、兄が俞强声(*1986年,米国へ逃亡、米国に情報を流していたといわれる)という関係から長い間官僚界では浮かばれなかったのを、紅色後継者たちのさまざまな紆余曲折と”変数”のおかげで最後に浮かぶ上がった人物です。

    以上のべたとおり、紅二代が縦横無尽に国営企業、軍隊、ビジネス界で全盛だった時期は江沢民・胡耀邦の時代であります。習近平統治になってからは紅二代目は「夕焼けはとても美しいが、しかしもう黄昏だ」という状態です。というのは彼らの前に立ちふさがる障害は年齢というどうにもならない自然の掟であって政治局常務委員は65歳が定年退職で、これは鄧小平時代にだされた「幹部の若返り、知識化、プロ化」という方針が30余年をへてようやく「党内のルール」として結実してきたものなのです。専制リーダーはもちろん他人と権力を分け合ったりするのを嫌いますし、紅二代目に対してもこの年齢規則は彼らを平安無事に政治、軍事、ビジネスの舞台から退職させるに足る規則なのです。

    ただ紅二代たちはこうしてフェードアウトしていくにせよ、中共の政治、資源、世論の三つの独占状態には何も変わりはありませんから、必然的に独占的特権階級を生み出しつづけます。これが私が「紅二代目は消えていっても、特権階級は消えず」と題した理由です。ただ特権階級の構成が新たになって、また別の一群の権力貴族たちが登場したのです。(終わり)

    拙訳御免。

    原文は;中国政坛:红二代淡出,赵家人恒在  http://www.voachinese.com/content/heqinglian-blog-liu-yuan-20160101/3127857.html

     

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