• 「政治的正義病」にシビれる独メディア

    by  • January 10, 2016 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2016年1月6日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    https://twishort.com/lyIjc

    2015年12月31日、ドイツのケルン中央ステーションで1000余人のアラブ系男子がグループにわかれて90人余りのドイツ人女性に対して集団痴漢行為や強奪に及び、同様の事件がシュトゥットガルトやハンブルグなどでも同様の事件が10件ほどおきました。こうした事件はネットの上では話題沸騰となりましたが、しかしドイツに山ほどあるメディアは「政治的な正義」から沈黙を守り、2016年1月4日、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙が「ケルンの性的侵犯事件、女性市長が緊急会議を招集」(Sexuelle bergriffe in Koeln Oberbuergermeisterin beruft Krisentreffen ein)という記事を掲載してからやっとドイツメデイァは次々に追随報道し始めましたが、この間、まるまる三日間メディアは声をあげなかったのでした。このような悪質な事件の発生でドイツのメルケル首相とドイツ政府の失態は遅かれ早かれ批判を受けるでしょう。しかしここではドイツのメディアが「政治的正義」にシビレてしまって、その社会的な危険性の傍観者になってしまったという面を考察したいと思います。

    ★難民によるドイツ女性にたいする性的暴行事件はこの大晦日に始まったことではない。

    ドイツ人というこの民族は第二次世界大戦で大変な「道徳的な重荷」を背負わされて、外部からその民族主義を指弾されることを大変恐れ、ある種のテーマについては「新ナチ」というレッテルを貼られるのをおそれます。これがまさにメルケルが今にいたるまで依然として難民の無制限受け入れを主張する背景です。

    難民が百万人も入ってくるようになって、多くのドイツ人は難民の数はすでにドイツ社会が受け止められる能力を超えていると感じていますが、しかし自分たちのそうした本当の気持ちを表明する適当なパイプがないのです。しかたなくFacebookの上に集まってそうした不満や懸念を書き込みました。しかしメルケル政府のやったことは政府の難民政策への疑問をすべてひっくるめて「暗黒のドイツ化」として、その言論をすべて「新ナチ的な民族蔑視の言論」とみなし、ドイツ版のネット監視システムが出現したのでした。

    2015年9月14日、ドイツの法務大臣のHeiko MaasはFacebookの代表を呼び、FBに民間社会組織とNGOによるチームをつくって、迅速に「ヘイト」発言を削除するようにするほか、そうした言論に対して反論するようにするように求めました。9月下旬、ニューヨークの国連大会の全体会議でメルケルはFBのザッカーバーグに対して、Facebookが難民について民族的発言が多いことに注意を促し、ザッカーバーグは厳しく取り締まることを約束しました。

    ですから、こうして難民はドイツでは「法の外にある”寵児”」になってしまいました。難民が50ユーロ以下のものを盗んでも政府がその代償を払うとも言われています。店主が警察を呼んでも無罪釈放になるというのです。ドイツ人やその他の国民はちょっとしたものを盗んでも処分を受けるのに、です。ここにあちこちでおきる難民による強姦事件も多いのですがメディアの主流がそうした「正義の調和を乱す」事件をニュースとして取り上げませんで、ただ難民の苦難だけを報道し、ドイツの面倒見の至らないところだけを批判しますので、こうした「正義の調和に合わないニュース」はドイツ人の間で口コミされるだけなのです。

    ケルンの12.31大規模難民の性侵犯事件の根っこを遡れば、それは欧州の左派政治が長期にわたって堅持してきたいわゆる「政治的正義」が引き起こしたものです。具体的に言えばそれはドイツ政府の当を得ない政策が引き出した結果です。この間、難民のもたらすマイナス面についてのニュースを無視する報道方針を続けてきたドイツメディアは、共犯とは言わないまでも、そうした傾向への勢いを助長したのです。こうした状況について現在、やっとメディアは考えはじめたところで、「ケルン性的侵害事件後;メデイァの機能喪失が社会秩序の脅威をいかにうみだしたか」という見出しの報道も登場しました。(http://www.huffingtonpost.de/anabel-schunke/koeln-sexuelle-uebergriffe-medienversagen_b_8911050.html ドイツ語)

    ★「悪い知らせを伝える使い」として抹殺されたティーロ・サラジン(*爺注;Thilo Sarrazinを音訳)

    私はずっと欧州社会の深刻な左傾的「政治的正義」だとみていましたが、ドイツ経済学者のThilo Sarrazinがひどい目にあったのには喉に刺さった骨のようにゾッとします。

    ドイツの移民の潮は第二次世界大戦以後、20数年の間に次第に高まって、一部の有識者の心配を引き起こしました。2010年、経済がkす艶ドイル連邦銀行の理事だったティーロ・サラジンは「ドイツの自己崩壊」(Deutschland schafft sich ab)を著しました。一連のデータの統計分析の手法で「大量移民の流入によってドイツは壊滅の方向にむかいつつある。中東からの移民の出生率は比較的高く、やがてドイツ本土の住民を超えるだろう、懸念を表明しました。筆者は以下の事実をあげています。

    「ムスリム移民はドイツ社会に溶け込むことに興味を持たない。彼らは法に依る税金をおさめたがらないし、社会に貢献したがらない。ベルリンで暮らす大量のアラブ人やトルコ人系の移民は多に野菜売りや果物売りだが、こうしたグループが普段に増えていくと、ドイツの全体の識字率や数学能力は大幅に下降して、ドイツは次第に「阿呆国家」になる。彼はドイツのムスリムグループに対して「ムスリム移民は欧州の他の国々からの移民グループと同じように現地社会に溶け込むことはできない。その原因は民族の問題ではなく、イスラム文化に深く根ざす理由による」としています。

    サラジンはこの言説よって袋叩きにされる災難に遭いました。その言動が「ドイツ連邦銀行の声誉を損なった」と責められたのです。8月31日、同銀行の理事会は社会の要求に応え、彼の理事の資格を取り消す証言委員会を開き、彼の発言の数々が民族差別にあたるとし、満場一致で理事を解任しました。これはこの銀行の歴史上、初めての要求でした。彼は強大な圧力のもとで辞職させられましたが、自職ではまだ民衆の怒りを和らげるにはいたらず、「民族差別主義者」とされて「黙らされた」のでした。また「ドイツ人民の敵」とされたばかりか、その他の欧州の国々でもメディアから痛烈な批判を受けました。英国のファイナンシャルタイムズに9月10日、発表された「欧州の政治家は移民についての文章を書くべきではない」と厳しくサラジンを批判しついで返す刀でオランダ、イタリーなどの”民族主義者”にも筆誅を加えました。

    ★言論の自由は民主社会が活力を保持していることが前提

    米国にも当然「政治的な立場の正義」というこの習慣はあります。しかし、「言論の自由」と「真理の追求」の間をわけるラインははっきりしており、言論の自由はすべての人が自分の意見を言え、この世界には永遠に異なった意見があるということを保証するという目的のためだけにある、ということです。それは決して、「その意見は”真理の声”だとみながみとめている」としても、だからといって皆が同じことをいうべきであるということを保証するためではありません。だからこそ今回の大統領候補者選挙でトランプという「政治的に正しくない発言」をしているのがあきらかな候補者が参加できるのです。ホワイトハウスはトランプが大統領候補として歓迎し難い人物であるにもかかわらず、しかしだからといってトランプの資格を取り消せと共和党に迫ったりはしません。

    米国新聞界の模範というべき人物であるジョーゼフ・ピューリツァーはかって「もし国家が海の上をいく船だとするなら、新聞記者はまさにへさきになって行く手におこる風雲や暗礁などの一切をみつめつづけ、危険を認知するや警報を発するものである」という名言をはきました。この伝統があるからこそ米国では「悪い知らせをもたらす使者」を殺したりしないで、メディアがスキャンダルを掘り起こすべきだと主張するのです。

    サラジンの事件はドイツのメディアが「不測の事態に備える観察者」としての任務をもつことを望むという点で欠けていることを表しています。2015年にメルケルが難民の受け入れに上限を設けないという政策とそれを一部のドイツ人が「歓迎」したことによりドイツには109万人の難民が押し寄せ大量の社会問題を引き起こしました。たとえば700件以上の難民キャンプ襲撃事件や巨大な社会福祉の圧力のもとで急速に社会んの安全が低下したこと、12月31日のコロン、シュツットガルトの集団性的暴行事件です。今、この困難な局面に直面したドイツ人がかつて政治に対する言論の自由を扼殺すべきではなかったと後悔しはじめたかどうか…。

    ドイツのメディアがこの先二度と報道を「メディア・ブラックアウト」させないことです。12月31日の事件の苦しみが過ぎた後にその苦しみを思い出して教訓をくみ取り、これまでの「政治的に正義」だからという理由で明るい面だけを報道するウグイスのようなことをやめ、「政治的に正義でない」とおもわれる意見にもちょっとは寛容になり、「悪い知らせを持ってきた使者」を殺すことのないようにと心から希望したいものです。政治的な正義」が幅を利かせている時、これを賛美するのはただ流れに追随しているだけの話で、批判こそさらに大きな勇気と良識が必要なのです。(終)

    (本文はドイツのツィッター友達である野罂粟@WilderMohnから調査資料をいただいたものです。感謝)

    拙訳御免。
    原文は;何清涟:德国的危机:“政治正确”下的媒体失灵  http://www.voachinese.com/content/heqinglian-blog-germany-20160105/3132550.html

    爺の蛇足;この事件は日本のメディアでも翻訳時点ではろくに報道されていませんでした。わずかに、http://blogs.yahoo.co.jp/tfjblog/57295281.html や http://2ch-news-2ch.livedoor.biz/archives/2820807.html http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2673399.html あたりに言及があるだけでこれらを参考にさせていただきました。

    Share Button

    About

    Leave a Reply

    Your email address will not be published. Required fields are marked *