• 上海女性は何故、田舎を一目みて逃げ出したのか?ー現代中国で個人の運命を支配する要素ー

    by  • February 27, 2016 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2016年2月20日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    https://twishort.com/0PYjc
    今年の旧正月期間、農村の現状と農村出身者の運命についての文章が特に目立ち、かつ内容も大変激しいものでしたが、これは話題になった上海の普通の家庭の一女性が江西省のボーイフレンドの実家(農家)に行って、その食事を一目見ただけで仰天して逃げ帰ってきた、というネット上の話が引き金になりました。この話は中国の最も”敏感”な社会の神経を逆なでしたのです。この話に関するいろいろな感想や真偽を疑う声など様々な反応が一段落したいま、私は中国というこの身分制社会にあって、なにが現代の中国人の個人の運命を決めてしまう要素なのかを分析してみたいとおもいます。

    ★身分型社会の特徴は「社会の階層を上がる道がない」こと

    もう十数年前に私は「身分型社会」という用語を使って中共統治下の中国を描写しました。この「身分型社会」というのはつまり一個人の社会的地位が血縁関係によって決まり、個人の努力で変えることが大変難しい、ということです。

    中共統治67年の長き間、鄧小平が改革開放を唱えた1978年から2003年の間だけこの身分型という特徴が薄まり、人々は自らの努力によって自分の運命を変えることができました。毛沢東時代は身分の逆差別があり、1949年以前の社会のエリートたちは政治的に賎民と貶められ、進学、軍隊に入ること、就職のチャンスなど一切の社会的上昇のパイプたるがこうした「賎民」の家庭出身者には閉ざされていました。

    1978年から2003年の時期には社会の中下層のメンバーでも高等教育を受けたのちに比較的良い就職先をみつけるチャンスがありました。社会的に上昇するチャンスが最も多かったのは1978年から2003年にかけての時期で、特に文革前に大学を卒業した人や、1977年から1979年の3回の「高考(*大学入試センター試験)」を経て大学進学した人の中にはすくなからぬ文革の十年の沈滞の中で溜まっていた人材もおりました。政治的に彼らはちょうど鄧小平が知識人を重用し、知識化、若返り、専門職化の三つの基準を唱えた時に雇用された新たな一世代でした。経済的にも彼らは1992年体制でビジネス界に入るチャンスに間に合ったのです。こうした人々の中からはのちに多くの成功したエリート層がうまれました。ここ数年、「反腐敗キャンペーン」で失脚した40年代生まれや50年代生まれの「苦学した青少年」出身の政府高官は基本的にはこの時期に上昇するチャンスを得た人々です。

    しかし、こうした全社会において上昇へのパイプが開かれていた時代は長く続きませんでした。新たなエリート層(改革開放後に形成された役人やビジネスマン層)が出来上がり、彼らの子女が大人になるようになると彼らは続々と社会の有利な位置を占め始め、社会的に上昇するパイプはどんどん狭くなっていき、中下層の社会出身者で上昇のチャンスをつかめるものはきわめて少なくなり、社会階層が次第に固定化される現象がおきたのです。

    農村出身の青年は大学卒業後も就職先を見つけるのがきわめて困難になりました。これは中国の都市化の特徴と関係があります。中国では不動産業回が都市化をリードしてきましたが、これは他の国と違っておりまして、一種の「偽都市化」なのです。つまり農地を収容されてどんどん減らされる一方で都市にはそれから生まれる労働力にふさわしい仕事の機会を土地を失った農民たちに提供できなかったのです。

    ★社会的地位を決定する重要ファクター

    社会が相対的に「安定」してしまった状況のもとで「資本」も世代を経て受け継がれていく構造がすでに出来ています。その「世代の資本移転」には「いかなる家庭に生まれたか」ということがその人の人生の路線を決めてしまうということが含まれます。

    この「世代移転」は主に両親と息子娘の間が重ですが、また少なからず義父母と娘婿の間でもおきています。この方面の研究では「閨閥関係」が個人の成功に影響を与えます。とくにアジアの文化では国家に「人治」の色彩が非常に濃厚で、「閨閥」は大変重要な社会資本です。中国ではこの半世紀、「一人っ子政策」が実施されたためどの家庭もみな「少子化」していますから、中国というこの身分型社会においては「父の一族に頼る」方法で大いに出世を図るほか、優秀なものはさらに条件を広げて「嫁の実家の一族に頼る」って権威あるものに取り入る方法もさかんです。

    第一、第二線級の都市の官僚の家庭に生まれたものは条件が恵まれているために子女に高価な教育費用を支払い、それには中国における優秀な公立教育や私立教育がふくまれ、さらに高価な家庭教師にもつかせることができますから、子女をスタートラインから優位に立たせることができ、最後には留学させます。それぞれ異なったタイプの家庭出身の子で、またその資質には大差がなくても、教育投資が違いますから高校レベルで持っている「資本」にも違いがあり、それが有名大学などにはいれるかどうかを決定する要素になります。こうした家庭の子供たちは基本的には前途を心配する必要もなく、役人の二代目は家族というリソースをいかして仕事を探せますし、富二代であれば家業を継ぐことができます。

    もし出身が普通の都市家庭であれば、父母の素養次第ということになります。少数の容姿に恵まれたり賢かったりする子は父母の熱心な養育によってはひょっとすれば役人家庭や金持ち家庭の子供の伴侶となり、自国の有名大学に進み、奨学金を得て留学できるかもしれませんが、そのほかの子供たちはもうスタートラインから負け組になることが決定的なのです。数年前に多くの調査が北京大学や清華大学、復旦大学などの有名校で農村出身の学生がますます少なくなっているという報告がありましたが、その原因はここにあります。

    農村出身の青年であるかどうか、生まれたところが経済発展した地域か貧困地域か、家庭の子供の数が多いか少ないかなど、どれもが個人の未来を決定づける要素になります。まとめていえば、経済発展した地域の基礎教育は一般的にすこしはマシですし、農村青年の教育を受ける機会より多少多いのです。貧困地区に生まれて教育によって運命を変えるという可能性は経済が相対的に発展した地域にくらべてはるかに少ないのです。このほか、子供の少ない家庭は教育に投入する資本は相対的に多く、その逆だと複数の子供の中から相対的に賢そうな子供を選ぶわけですが、女の子や他の子供はチャンスを放棄させられます。

    ★婚姻が次に重要な要素になる

    「経済学帝国の最大の植民者」といわれるノーベル経済学賞受賞者のゲーリー・スタンリー・ベッカーの『家族の経済学』(A  Treatise  on  The  Family  [1981] )は家庭を主体としたマクロ経済学体系の基礎となる一時代を劃する書物とみなされています。同書でベッカーは人類の結婚、離婚、養育方法、児童教育方針などに標準となる解釈をほどこし、それによって広く経済学、社会学、人口学及び少数生物学、心理学者の注目を集めました。1992年、ベッカーはそのマクロ経済分析の領域を非市場的行為の人類の行為と相互作用を含む広範な領域に拡大した」という理由でノーベル賞を受賞しています。

    この本が集中的に論証しているのは婚姻市場における「まともな婚姻の組み合わせは似た者同士が結婚することが最も適切である」という基本定理です。ベイカーは「商品産出」は国民総生産の総価値にふくまれる生産が通常、商品のバランスを正しさとするのに対して、経済単位としての家庭が追求するのは子供の量と質、性行為の満足、及びそのほかの国民生産にはふくまれない”商品”である、としています。仮にすべての男女が自分自信の「個人としての『福祉』」(*自分の利益、私利)にしか関心がなく、社会福祉に関心をよせないとしても、自分の利益を追求するためにそれとは自覚しないでも婚姻というマーケットにおいて「みえざる手」によってみちびかれ、”生産総額”を最大限にするように行動するだろう、としています。

    中国の現在もっとも有名な「権力者の関係者と結婚して出世する」例では、鄧小平の孫の夫となった安邦保险CEO兼理事長が好例です。本人の能力も極めて高かった彼は2度の結婚で(*1度目は杭州市長の娘と結婚)そのたびに飛躍を遂げ、中国、台湾、香港、日本で「富豪の娘(役人の娘)を娶れば2,30年の時を節約できる」として知られていることは事実です。

    この道理がわかれば、上海の女性がなぜ江西省の男性から逃げ出したかという背後に存在する「みえざる手」の働きが理解できるでしょう。

    ★「江西省の男」の家庭モデルの中国的特色

    ここまで読んだ読者の方の中にはこうした状況は別に中国だけが特別じゃなくて、ヨーロッパだって米国だってあるじゃないか、とおっしゃるかもしれません。

    若者が家柄に頼ってスタートラインに有利につくということは西側社会にだって普遍的に存在します。しかし西側と中国の違うところこそが一番肝心なのです。

    ;政治家の家の息子や娘が政界に入りたいというのであれば、かならずや民選選挙で選出されねばなりません。出身家庭が底辺であっても若者が努力さえすれば大変多くのチャンスがあります。米国のソロスやブリン(グーグル創始者のひとり)、バフェットなどの成功者はみな移民の子孫です。

    このほかに中国にくらべて米国の最大の相違点は
    ;米国は個人の責任を大切にして、個人が社会で奮闘することを激励しますし、ひとりが成功したからといって、「その犬まで一族が天に昇る」というようなことは必要ありません。例えばオバマが大統領になったからといって、弟はそのまま中国の南で放浪しています。(*オバマの異母弟の ” Mark Obama Ndesandjo ” は、中国の深圳在住で、中国人と結婚)中国ではひとりが成功するとその一家の鶏や犬まで天に昇らせる、というのが倫理的な責任となります。たとえば周永康はかならずその農民の兄や弟の一家が金持ちになるのを助けなければなりません。

    広東金融学院の財経メディア系の黄灯女史はかつて「農村の嫁がみた田舎の風景」(《一个农村儿媳眼中的乡村图景》)という本で自分が農村出身の夫とともに体験した家庭のさまざまな面倒なできごとを語っており、こうした問題がすべて老人問題、留守児童問題、農村教育問題、医療問題、農民の将来に関わりをもっていることを指摘しています。これらの細々した面倒ごとについて彼女は「家庭のメンバーが不幸や苦しさのなかにあるのに、自分だけそこからのがれて楽な暮らしをすることは不可能であり、血肉がつながった痛みを感じるし、ともに育った兄弟姉妹の苦境をみてみぬふりはできない」「そこからうまく逃れ出た家族メンバーがもしその力で家族の運命を変えることができないとしたら、その家族の命運はほとんど永久に変えることができない」と書いています。

    この点が理解できたならば、上海の女性が江西省の男性のもとの何から逃げ出したかが理解できるでしょう。農村は中国現代化の家庭で漏れて取り残された重たい尻尾なのです。その尻尾には中国社会のあらゆる痛み、貧困、汚染、精神から生態環境まで全面的に陥った破綻と苦境の中で受け難い家族の重荷が集中しているのです。

    中国では倫理上の責任から、婚姻は二人の個人的結合などではありませんで、ふたつの家庭の結合なのです。黄灯女史の故事が物語るように、農村出身の男と結婚するということは一生、その出身家庭に対して休むことなく捧げ続けなければならないのです。これが無数の都市の男女が配偶者を選ぶにあたって農村家庭出身者にたいして躊躇する原因です。

    どんな社会にも貧富の差はありますが、中国の特色は;権力貴族階級が非常に短い30年の間に権力の独占と資源配分の独占によって巨大な貧富の差を生み出し、社会的に上に浮上するパイプまで独占してしまったことがはやくも社会階層を固定化してしまいました。そしてこの種の社会はかならずや非民主的革命のもっとも良き土壌となっていくでしょう。(終わり)

    拙訳御免。

    原文は;何清涟:在中国,个人命运由哪些因素决定?http://www.voachinese.com/content/china-fate-20160220/3199556.html

    蛇足参考;この件にかんする中国語のページ;http://www.thepaper.cn/newsDetail_forward_1431143 (最後にそれでも女性を擁護する男性の健気な言葉があるよ!)

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