• 中国現代化の陥穽と出口-著名経済社会学者・何清漣氏インタビュー

    by  • March 1, 2016 • 日文文章 • 0 Comments

    (博訊;2016年2月29日 )

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    https://twishort.com/Bbdkc
    ★暁の鶏鳴、人を驚かす

    何清漣さんは2015年5月8日、バンクーバーの学術会議の席上、「中国の株式は一ヶ月以内に暴落し、再起不能になりかねない、と予測されます」と述べました。その頃は中国株はまさに天を衝く勢いで値上がりしていたのですが、果たして一週間後には一瀉千里の大暴落となったのです。
    1997年、香港の中国返還時に、深圳で「中国の陥穽」という本が出版され(*訳者注;出版後、二ヶ月で30万部が売れる大ベストセラーになった。以下「陥穽」とします)、後に「現代化の陥穽」として中国大陸でも出版され中国内外で大反響を呼んだ(*のち、禁書になった)のですが、その著者が何清漣氏です。
    何清漣氏は湖南省出身で、1983年湖南師範大学歴史学部で学士号、1988年に復旦大学経済学部で修士号を取得しました。大学院生の時代に80年代の著名な啓蒙的学者たちが出版した「未来叢書」で「人口ー中国のダモクレスの剣」を著しました。1997年の「陥穽」の続いて「中国社会構造の変化の総体的分析」、「経済学と人類の関心」、「依然として遥かな星空を仰ぎ見る」を著し、どれも大きな反響を呼びました。
    中国の当時の関係部門では「陥穽」に対する三つの見方がありました。第一の反響はこの本は反動的であり全面的に改革を否定するもので、作者は懲らしめのために逮捕されるべきだ、というもの。第二は、これは改革の困難さと複雑さについての善意に基づく警告であって作者は愛国の熱情に満ちており、全面的に改革解放がもたらす可能性のある問題を予測している、というもの。第三はこの作者は独立独行の学術的著作であり別に驚くことはない、というものでした。
    汪道涵、(*1915年3月27日 – 2005年12月24日、現副総理の汪洋のオジ)は何清漣の「陥穽」を大いに推薦して贈り物として各界に配り、「中国農村改革の父」と呼ばれた杜?生老人(*1913年7月18日 – 2015年10月9日)は何清漣氏にあったときしっかり手を握って何度も何度も書名を「陥穽、陥穽、陥穽…」と繰り返したといいます。
    独立した思想、懐疑的な精神、批判的な勇気、悲しみ憐れむ気持ち、良識の担い手、自由な表現と観点と追求、こうしたものはすべて中国の知識人の魂の核心です。しかし中国は文化大革命を経て一連の政治的な弾圧事件が相次ぎ、知識人たちを黙らせてしまっており、嘘やデタラメがまかり通っていました。香港や台湾の知識分子ですら「売れ行き第一」とばかり大陸の経済文化と政治に対してはいささかの貢献もありませんでした。しかし何清漣氏は中国の経済社会学者として知っていることをすべていささかの留保もせず語り、その勇気はまさに得難いものでありました。ある有名な学会のリーダーは「何清漣はまるで黎明に鳴く鶏のように、人々から嫌がられたんだ」と書いています。
    何清漣氏の一連の経済社会の研究成果は国際的な名声を博し、北欧三カ国の大使が深?に会いに来たり、米国の駐中国大使がクリントン大統領の経済顧問とともに深圳を方もし、スウェーデン、台湾、米国などの学術機構が次々に講演を依頼してきました。しかし同時に中国国内では全く相反する職場での格下げから追放、居住監視、尾行などの目に遭いました。2001年、ついに監視下で生活することを諦めやるせないおもいで米国に”逃亡”したのでした。(*訳注;「陥穽」出版後、当局の監視下に置かれた何清漣氏は2000年7月、北京で息子と一緒に不可解な”交通事故”で足に重傷を負い、中国を離れる決心をして2001年6月に子息と渡米して現在に至る。)

    ★猿と敵と医者

    恐怖感を作り出し広め維持するのは独裁専制の常套手段です。密閉した液体に圧力を加えると一瞬にしてその圧力は全体に作用します。密閉された社会はすなわち容器同様、民意は流水のごとく、社会管理体制は水圧機です。

    一群の猿の群れを檻に閉じ込め、一匹の猿がバナナをゲットすると全体の猿が騒ぎ出して互いに殴り合います。一匹の猿がバナナを食おうとすると残りの猿がとびかかります。別に檻の外にいる人間が棒をもってひっぱたく必要はありません。その棍棒を持った人間があの世に逝ってしまっても、逆に檻の中に入れられてしまった後でもどのみち猿たちは以前同様に怖がるのです。人類ときたらこの猿以下で、さらに自らの思想言論行動において、自分からすすんで去勢してしまう宦官のようです。

    米国滞在が15年になった何清漣氏は、しかし心にいささかのおそれも怯むこともなく、すでに世界で著名な思想家、社会学者、経済学者です。しかし同時に自らの暮らしを愛する真面目な女性でもあります。彼女の普通と違うところは知識と知恵においてより考えること、そして責任感と使命感です。彼女は中華民族の優秀な女性の代表であり、私たち全世界の中国系の誇りであります。

    何清漣氏はこういいます。

    「『陥穽』出版後、一部の人々は私を国家の敵だといいました。私は当時の自分の予想が外れてくれることを本当に心から願っていたのです。なぜならあの本の中で予想したことがおきてしまわないように、とあの本を書いたのですから」

    「西側の国家には議会があって執政党と政府に対して批判があります。中国でも清朝末期には似たような議会の「諮議局』がありました。私たちは時代に、制度に、大国としての、大党としての自信を持つべきです。もし私たちがちょっとでも批判しようものなら、頑固な石頭たちがいささかも受け入れようとしないのでは何が大国としての崛起とか大国としての地位、なのでしょう」

    「私は独自の思考をもつ知識人はまさに愛国的だから自分たちの独自の学術的な視点をもっているのだとおもいます。もし嘘や阿諛追従、権力賛歌を唱えたり歌ったりしたくない人だからといって、はなはだしきは政党に対して宜しからず、というだけの理由でこうした独立した思想、懐疑精神と批判の勇気のある知識人を『国家の敵』としてしまうというのは彼らの悲劇であるばかりか、国家や民族の悲劇であり哀しみだとおもいます」。

    こうした知識人が我が国の貴重な『国を治す名医』であり、現代の扁鵲(*伝説の名医)だとおもっています。国家はこうした「国医」に対して、「医を諱んでこれをとうざける」愚をおかすべきではないとおもいます。
    香港、台湾、大陸の友人たちはみないま中国経済と社会の今日、明日に対して高度な関心をもっています。最近、私は何清漣氏のお宅を訪問して語り合うことができました。いかが私たちの会話です。どうぞお読みください。

    ★中国は「陥穽」に落ちた

    劉乃順(質問者);18年前にあなたは「中国現代化の落とし穴」を発表され、中国と国際的に大きな影響を与えました。今、ご著書の中で予想されたこと、もしあれが予言の書だとしたらその的中率はいかがなものでしょうか?

    何清漣;私が予言した「陥穽」に中国は避けようもなく落ちてしまいました。国の資産は深刻に流出し、土地の強制収容は社会を分裂させ、農村には悪がはびこり、ギャング社会がうまれ、人口増加の圧力は増え、失業の大波が押し寄せ、貧富の差は巨大化し、社会の分配は深刻に不公平で、生態環境の破壊汚染、権力の市場化による政治腐敗と社会矛盾と民族間の矛盾は激化、先鋭化しているなどなど、私が予想した最悪の結果がすべて実現してしまいましたし、どころか一部では私の予想をはるかにこえた深刻さになりました。ある人は「中国はあんたの予言通り、一歩一歩落とし穴にはいっていっちまった」といいました。

    ★最高の医者でも自分の手術はできない

    劉乃順;かつて予言された「陥穽」で、あのときに穴にはまらないような措置というのはあったのでしょうか?

    何清漣;あった、というべきでしょうね。例えば「腐敗防止」の問題で私は中国で最も早く「反腐敗」という概念を提起したものです。1998年の夏、中央規律委員会が私を北京によんで反腐敗に関する問題で会議を開きました。中央規律委員会の副書記が主催したものです。私の観点は最高レベル層の自律と他律を結合させたものでした。最高レベルの指導者層は例えば自分の子供たちをビジネス界に入れないとかいった自律の部分と、外部からの監督制度を他律としてとりいれる、ということでした。というのは最高の外科医であっても自らを手術することはできませんから。自律も他律もできないとあらば反腐敗、というのは希望はありません。

    また、経済発展では公平を優先させるべきだということも「陥穽」の中ではっきり申し上げています。発展は公平を兼ねていなければならず、環境を絶対に犠牲にしてはならず、環境を赤字にしてはなりません。もし環境を犠牲にするなら非常に深刻な問題がやがておこり、それが起こってからではもう遅いのだ、と。しかし、当時の私の研究は重点は「陥穽」そのものに向けらていましたから、関連する対策措置についてはいちいちこうすべきだと書いていたわけではありません。ただたとえ、あのころ箇条書きにしてたとしても中国では実行できなかったでしょう。

    ★悪い知らせを齎す使者

    劉乃順;深刻なテーマですね。愛国的な女性が細心の努力をして集めた研究と専門的な判断で中国が陥穽に浜らないようにと願って提起したのが、結局、中国は陥穽にモロに落ちてしまったと。

    何清漣;「陥穽」は全国的に大きな反響を呼び、中共党内でも論争がおき、知識人の世界では話題の書となって論議され、多くの政府の役人も部下に読むように進めましたし、すくなからぬ大学の教師も学生によませました。みんなが自分たちの改革には問題があると思っていたのですが、だれもあえて指摘しなかったのです。まともな状況であったならみんなして欠点を探し、みんなで知恵を絞って対策を考えるべきだったのです。問題があれば正し、問題がなければ起きないように努力する、です。

    私の「陥穽」はすくなくとも改革の難しさと複雑さを指摘したわけです。しかし、政権政党の伝統として「悪い知らせを齎す使者」は好まれませんし、時にはその使者を殺してしまいます。悪い消息を齎す人は実は国家に対する責任感と良心にもとづいて忠告、警告を発するのですが、残念ながらそうした忠言、直言は往々にして反対に誤解され、あまつさえ別の下心があるからだとされます。我が国ではそういった教訓は大変深刻ですし、悲劇は枚挙にいとまもありません。

    ★「パスディペンデンス」理論と「公共用地の悲劇」理論の悲劇

    (*訳注;パス・デペンデンス理論;あらゆる状況において、人や組織がとる決断は、過去のにその人や組織が選択した決断によって制約を受けるとする理論。)

    劉乃順;今から省みて18年前の「陥穽」で予測されたことに関して不足だったと今思われる点はありますか?「中国現代化の落とし穴」は果たして避けがたいものだったでしょうか?

    何清漣;当時は中国の問題だけを研究していましたからやはり限界がありました。中国を離れて以後、視野がずいぶん国際的に広がりました。中国の問題を国際的な大背景の中に位置付けて、さらに中国と他の第三世界の国家の現代化の過程と一緒にみつめることができるようになって、自分の見方はずいぶん深まった気がします。なんというか一種の宿命感です。つまりかつての中国がなぜ今のようになってしまったか、という点ですが、制度性経済学者のダグラス・ノース(*1993年ノーベル経済学賞受賞者)の「パスディペンデンス」という学説をますます信じるようになりました。

    この考えは一国が将来どうなるかというのは、現在のその国の政治制度と文化のたどってきた経路、さらに伝統の影響などをみるべきである、というものです。この立場からみれば中国が今日のような様になってしまったのにはある種の宿命感を感じます。それは制度に関連することで、例えば環境生態の問題では、公有制度ではみんなのものだ、といいみんなが主人だと言いますが、結局のところそれではだれも大事にしなくなるというのが「公有地の悲劇」理論ですね。誰もが得られる、けど誰もが責任を負わない。資源の問題も実は「公有地の悲劇」です。財産は公有してはならず、権力は私有してはならないのです。中国の現実と経済社会学の原理はときに反対の方向に向かいます。中国の政治、文化、社会構造と中国経済の国際的な大環境における位置などがすべて中国現代化の陥穽を避け難くしていたのです。

    ★身分型社会と契約型社会

    劉乃順;文革と今日の社会の発展と進歩をどうみておられますか?

    何清漣;文革時期と文革前の政治運動の時期は中国の歴史上でも最も暗い時代でした。政治では最も反動的で経済的には最も遅れ、人々は愚昧でした。この時代は「逆身分差別」、つまり出身家庭と血縁関係で誰は右派で、誰は黒五類で、資本家階級の牛鬼蛇神だとか、先祖五代にさかのぼって批判したり、女性は学校にやらないとか、兵士にはさせないとか仕事をさせないとかでした。こうした政策は愚昧さを奨励し、教養も知識もない人間を主人にしたのです。鄧小平の改革のやり方は毛沢東の政策を覆し、中国人に新たなチャンスをあたえ、知識分子も労働者階級の一部であり、科学技術は生産力であると強調しました。特に大学入試全国一斉統一テストを再開して、「逆身分制度」の制限を打破し、政治的な賎民とされてきた「黒五類」の家庭の子供達にも社会的に地位をあげるチャンスを与えました。あなたや私はみな鄧小平が全国統一テストを復活させてはじめて自分の才能を発揮するチャンスを得たのです。

    80年代のエリートたちは知識化、若返り、専門化が必要とされましたから、平民の子弟の優秀な人々は社会的地位を上昇させるチャンスがあり、また高級幹部の子弟でも大学に入れなかったら幹部になれませんでしたから、機会は相対的には公平だったのです。それが90年代中期以降になって、教育が産業化して大学が募集生徒数を拡大したころから、、一部の合格できなかった役人の子弟も大学に入れるようになって、優秀な庶民の子供が良い職業に就く機会がなくなり、中国はふたたび身分型社会の明らかな特徴をはっきりさせてきました。身分型社会というのはつまり出身や血縁、財産、家柄といった力によって社会の中の位置や上昇できる道が限られてしまいます。契約型社会というのは自分たちの努力と能力によって、なのです。人類社会の進歩とはつまり身分型社会から契約型社会へ前進することでした。現在またお役人二代目様とか、革命家族の二代目様とかが、両親の”財産”を受けつぐ身分型社会に逆戻りしています。これは社会の退歩のあらわれです。

    ★鄧小平の信条(一つの石とふたつの猫、三つの魚と四つの鶏)

    劉乃順;「陥穽」の中で改革の暗い一面を暴露されていますが、中国の改革には否定的ですか?

    何清漣;改革に暗い一面があるからといって改革を否定するのは夜や日陰に太陽の光や熱があるのを否定するのに等しいでしょう。鄧小平はあの時代ではもっとも遠くまで進んだ人でしたし、鄧小平がいなかったら今日はありません。中国の改革が落とし穴に落ち込んで、社会問題や政治経済の問題が起きましたが、これらをすべて鄧小平のせいにするのは適切とはいえません。当然、批判的な見方から言えば、鄧小平が「総設計師」としてやったことは「一つの石と二匹の猫、三つの魚と四つの鶏」ということ(*鄧小平のスローガン。日本では二番目が有名)になりますし、鄧小平の改革政策は彼のプラグマチズムの精神の体現でしたが、しかし政治上においては無原則な国家オポチュニズムになってしまいました。その後継者たちもさらに一切をお金のために、金銭と実利一辺倒で政治道徳をかえりみなかったために、最後にはとうとう今日の中国のような社会構造になってしまったのです。なんといっても鄧小平は中国の思想と生産力を解放し、国家を大発展させたわけで、後に続く指導者たちは十分、改善していくチャンスもあったのです。

    ★国家発展の4本の柱

    劉乃順;中国の「陥穽」はどのぐらい深いものだとお考えですか?

    何清漣;深くて底が見えません。
    一国の生存と発展は四つの大きな柱に支えられています。
    第一の柱は生態環境と資源のシステムです。これは国家の生存の土台であり元手です。中国の水質汚染は大変深刻で、食品の安全は仰天させられるようなものです。8割の地下水が汚染され、67%の水は飲料に適しません。毎年空気汚染で死ぬ人々の数は数十万にものぼりますし、土地の重金属汚染は3億ムー以上ですし、軽度の汚染にいたっては数えるすべもありません。中国の生存資源はすでに破壊、消耗し基本的には壊滅状態なのです。資源は高度に輸入に頼っています。中国は世界最大の農業人口をもっているにもかかわらず世界最大の農産物輸入国になっており、小麦、大豆、トウモロコシの三大食料はすべて輸入によってなんとか保たれています。生存のベースという点で言えば、昔なら自力更生、自給自足も可能でしたが現在、輸出の扉を閉めたりしたら餓死する人がでるでしょうし、自給自足は絶対無理です。

    第二の柱は就職先の問題です。中国には9.6億人の労働人口がいますが3.24億人が失業人口です。失業率は33%にもなります。こんなに多くの失業者がいて平穏に日々過ごせるとは思えません。ムバラクのエジプトやカダフィのリビア、ベンアリのチュニジアはすべて失業人口の過剰が「アラブの春」を引き起こしたのです。

    第三の柱は、倫理道徳です。倫理道徳の核心的な作用は4つの層からなります。つまり国家の信用、政府の信用、ビジネスの信用、個人の信用です。

    国家の信用というのは制度の信用と言い換えてもいいでしょう。それは国と国の間の信任関係です。中国の国家としての信用は決して良いものではありませんで、多くの国家が中国を信用していません。中国は元は国際社会の仲間入りを望んでいましたが、今では国際ルールを主導したがっており、米国の反発を招いています。周辺の国家とも緊張が高まっております。

    政府の信用は政府と民衆の間の信頼関係ですが現在、中国の一般大衆は政府のいうことを一切信用していませんし、政府がつくりだした英雄や指導者に対してはもう信用しないだけでなく、様々な方法をつかってこれを笑いものにしてしまいますから、いわゆる「宣伝」はまったくアピール力が失われてしまいました。

    ビジネスの信用というのは企業館や企業と銀行間、企業と消費者の間の信用です。企業と銀行間の信用を例にとって言えば、中国銀行の不良貸付率は相当なものです。2015年10月、中国銀行監査会が発表した銀行の不良貸付率は1.5%ですが、国際金融業界のプロのアナリストの一致した見方では中国の本当の不良貸付率は政府のデータよりはるかに高い可能性があり、そのうちのリヨン証券の試算では8.1%に達する可能性があるといわれています。これは政府発表の1.5%の6倍にもなります。その意味するところは中国銀行業界が7.5兆元の資本不足であるということで、中国のGDPの10%になりますから、当然ながら企業の信用のなさから生まれたものです。

    企業と消費者間の信用もひどくまずい状態で、食品を例にとれば極めて不安全で、有害食品が氾濫しており、合格水準の粉ミルクさえ製造できていません。中国の倫理基本道徳の核心的な価値部分、すなわち信用が国家、政府、ビジネス界と個人の4つのレベルですっかり破壊されています。

    第四の柱は最後のまだ倒れていない支柱でそれはすなわち政治専制強権です。中国の政治強権は現在暴力と虚言によって維持されています。一個の国家がただただ暴力とデタラメによって、愚民政策統治管理でもっているというのは異常としか言いようがありません。

    ★教育と文化の上に掘られた穴

    劉乃順;中国の落とし穴の大きさについてはどう思われますか?

    何清漣;中国は暴力をもって旧世界と本来の国民政府を転覆させました。政権をとる初期のある段階で自分たちの政治的合法性を宣伝するために暴力の合理性と必要性をアピールするのは理解可能です。しかし、世界中のどの国であっても、政府であっても政権をとって統治階級になってから、まだずっとマルクス主義イデオロギーの暴力革命を毎日毎日、宣伝し続けています。マルクスは搾取収奪を罪として、資本主義的労使関係を搾取と被搾取の関係とみなし、みんなが搾取階級を転覆させよと鼓吹しました。ですから長期的にこのようなことを教えらえれてきた社会の底辺層は一旦不満がたまるとそれでもって自分たちの境遇を理解しようとします。我々が貧しいのは金持ちたちが我々を搾取し、資源を独占しているからだと。我々が土豪劣紳をやっつけてしまえばよい日々がやってくる、と。

    底辺層は官を憎み警察を恨み金持ちだけならまだしも、ひいては技術で生産に従事している中産階級まで仇と恨みます。中産階級は本来社会の上層と下層を結ぶ橋梁なのですが、現在の中国における中産階級は経済的な圧力が大変大きく、政治上は全く無権利です。ですから自分たちを押さえつける高層に対してと自分たちの無権利状態には不満をもち、底辺層にはその恨みを恐れています。国内では毛左派が流行し、マルクス主義を信じ、搾取は有罪だと信じています。文革の亡霊はいまだに存在し、暴力革命と文化大革命のための土壌はそのまま残っております。これらはすべて政権政党が自ら堀った穴なのです。

    文化の価値は伝統文化の中で優れた要素を継承し尊重し思想的な多元性を尊重することによって、教育作用として人々の思考能力を育てるのです。大学教育は本来、人々の批判と懐疑の精神をやしなうべきものです。しかし中国の教育体制は中共のイデオロギー教育に貫かれており、伝統文化の中のもっとも大事な部分を消滅させ、さらに多元性をも消滅させ、教育のもっとも大切な自分自身の頭で物事を考えるという独立の、懐疑と批判の精神を全部去勢していまっています。

    中国は土豪劣紳を打倒し、田畑を分け、文化大革命を含む一連の政治運動経験してきてすでに徹底的に伝統文化を破壊し消滅させました。そして中国式教育は中華民族すべてを退歩させ世界の先進文明社会からの距離はますます遠ざかっています。

    ★階層と階級は天地の相違

    劉乃順;1938年、梁漱溟(*中国人民政治協商会議委員を務めた)はロバに乗って国民党支配地域、日本軍支配地域を抜けて延安にたどり着き、中国に階級は存在するか否かを毛沢東と夜を徹して語り合ったと言われます。梁漱溟は中国には階層はあっても階級はない、という説を強く主張しました。しかし毛沢東は中国にも階級はあって必ずや階級闘争を進めるべきだと主張しました。あなたは「中国社会の構造の変化と総合的分析」をお書きになっていますが、階級と階層はどうちがうのでしょうか?

    何清漣;あの「分析」は「陥穽」の続編というか姉妹編です。階級は政治的用語で、マルクスが作り出した概念であり、彼の剰余価値学説や労働価値論などを詳しく解説するのに用いられました。この「階級」という概念は生産要素と対立させるため、例えば労働が一切を作り出す、として労働の価値だけを認めようとして、資本と土地が生産要素の価値を持つことを否定し、資本家が資本の搾取を通じて労働者の剰余価値を搾取し、地主は土地を占有することによって農民の剰余生産を搾取するものとして、社会を引き裂き、対立を生み出そうというものです。マルクス主義に指導された共産主義の実践というのは人類社会の災難であり、また中国の20世紀の革命の悲劇の根源でした。

    階層は社会学の用語で三つのメルクマールがあり、一つは政治的地位、経済的地位、職業的な社会の声望です。西側社会は階層を好み、中国は階級を好みます。階級はお前が死ぬか、俺が死ぬか、お前が力をもてば俺は滅びる、という互いに生死をかけた対立する概念です。階層は社会身分の指標であり、社会に上昇できるルートがありさえすれば低い階層のメンバーでも奮闘努力によって上に上がることができ、上層に立てます。例えば米国の労働者や農民層はだいたい子供達には勉強して中・上層にいかせようとしますが、上層を打倒せよとはいいません。

    マルクスの階級闘争の観念は、階級の利益は調和しがたいもので、相手を打ち倒すことによってのみ自分が上等の階層に登れる、というものです。実際、中国の文化大革命を例にみても、多くのいわゆる学術権威や知識分子を打倒して、貧下層中農や労働者階級を指導階級にしましたが、しかし、彼ら自身がいい気持ちになれたという点を除いては実質上はやはり下等階層であり、特にその精神世界と文化水準はそのままなのです。

    ★中国の問題は世界の問題の一部

    劉乃順;「陥穽」に落ちたのは世界で中国だけでしょうか?

    何清漣;今日に至っては中国の問題はもうただ中国だけの問題ではありません。大変多くの国々の経済発展の夢は中国経済の繁栄による膨大な需要の上に立っているのです。中国は明らかに世界経済の要の位置におりますから、中国経済の衰退は全世界に影響を与えます。中国が基本的な商品、例えばエネルギー、鉄鉱石、農産物への需要を減らせば多くの国々の関連産業が打撃を受け、失業が増加し、生産は衰退します。ちょっとまえに中国経済の衰退で消えた資源国の発展の夢(http://heqinglian.net/2016/02/27/economic-recession/)という文章を書きました。全世界がすべて曲がり角にきており、中国の問題は今は世界の問題の一部なのです。

    中国は現在6つの大きな、逃れようのない苦境にあります。まず第一に世界の工場の凋落で産業構造の調整は困難です。第二に膨大な失業者の大群の就職を解決するのはむずかしいことです。第三に深刻な資源危機で、高度に外国に依存しています。第四に地方政府の底の見えない債務危機、第五は金融危機で不良貸付と通貨の超過剰供給によってうまれた巨大な流動性の過剰、そして第六は分配の深刻な不公平と貧富の差の拡大、です。

    EUの債務危機、難民危機、そして高福祉のもたらした全社会的な懶惰と想像力の喪失、中東のアラブの春はアラブの冬になってしまい、チュニジア、エジプト、シリア、リビアなどの国々は2011年におきたいわゆる「民主革命」によって前より酷い状態になりました。チュニジアとエジプトはもともと経済的な衰退で若い人々が仕事を見つけられなかったので革命がおきました。しかし革命後になっても失業問題は別に解決されたりしませんでしたし、就職先は増えませんで、帰って失業問題は深刻になりました。現在、世界ではただ米国だけがちょっとマシですが、それは農業大国であり、科学技術大国であり、資源大国であり、教育大国であり、工業大国であり、さらに軍事大国、経済大国だからです。

    ★中国が「陥穽」から抜け出す二つの道

    劉乃順;中国がいかに「陥穽」から抜け出せるか、もし今日、あなたが「中国現代化の陥穽から抜け出すには」という本をお書きになるとしたらどう書かれますか?

    何清漣;私はそのような本を書くことはできません。なぜならそのような希望は見いだせないからです。もしどうしても中国が陥穽から抜け出す方法を言わねばならないとしたら、ただ自然な過程に、何世代もの人々の利益を犠牲にしてゆっくりゆっくり解決していくしかないでしょう。もう一つの方法は当局が開明的専制というやリアkたで地方実からはじめてゆっくり民主の方向へ向かうことでしょう。

    劉乃順;人間の一生は一つの命しかありません。いかなる人の生命と暮らしもかけがえのないものです。ですから自然の法則に任せて何世代もの人々の利益を犠牲にして陥穽からでる、というのは犠牲になる人々にとって残酷すぎるし公平ではないと思います。国家と個人にとってもやはり開明的な専制による地方自治のほうがより妥当でしょうね。

    (終わり)

    拙訳御免。
    原文は;中国现代化的陷阱和出口:中国现代化的陷阱和出口 何清涟访谈录
    https://www.aboluowang.com/2016/0228/699491.html

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