何清漣
2016年6月1日
全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun
https://twishort.com/Ar7kc
いま、中国で人気を呼んでいるテレビドラマ「歓楽頌」(*「歓楽賛歌物語」ぐらいかな)はまだ半分ちょっとしか見ていませんが、堪え難いさまざまな重圧の元にある5人の女性登場人物たちをみていると胸が苦しくなります。中国の視聴者はこの劇の「自分たちの願いや希望をわかってくれてるストーリー」にこぞってチャンネルをあわせ、さまざまな思いにかられていることでしょう。中国の階層固定化とそこから抜け出せない絶望や、社会上昇の夢破れた中産階級、社会の拝金主義と権力崇拝をみてとったり、さらに自分自身の境遇そのままの姿をみて涙をこらえきれない人もいるでしょう。私はこのドラマの中から、拝金国家に住む人々の疲労と痛みをみてとりました。
★頑張りづかれ;「君とコーヒーを飲むために20年がんばって…」
登場人物では外資企業のHR(*広報?)の樊勝美(ファン・ションメイ)が一番成功しており深圳で10年あまり暮らしています。この種の美人で賢くて、ビジネスの才もある女性たちを私はあまりにも大勢みてきましたから、現代の北京、上海、広州のホワイトカラーの中にもいる女性像を大変よく描けてていると思います。地方の小都市からきた女性で美しく、人間関係を元手にして這い上がっていこうと努力し、世の中にもたけているが情もある人々。まさに彼女の身の上にこの階層が負うすべての重荷の疲労感が集中しています。
この重荷による疲労感というのはまずは物質的欲望や男女の愛情などは当然ですが、その上に山ほどいろいろあって、ドラマのはじめてに”おとなりのプリンセス(*胡同公主)”の簡単な現状描写があるのですが、美人で生活力もあり、情感豊かでも、気位も高すぎず低すぎずですが、「色白・裕福・美形」のうち、「裕福」ではないので、「背が高く、金持ちでハンサム」な相手を求め、言いよる並みの男を歯牙にもかけません。彼女を求める側もその「富裕」という条件を満たすことができないのでその夫候補に入れません。で、30歳になってもまだ誰も彼氏がいない状態です。
彼女の運命は中国の現在の現実です。改革開放は第1代の徒手空拳の起業家たちを金持ちにするチャンスは与えましたが、もうその時代はすぎて中国の階層は固定化しており、資産は子供に受け継がれていくシステムになっています。階層が固定化された身分型社会となって、すでにハイクラス層では「家柄に釣り合う結婚」という観念がうまれており、もう金持ちの王子様が貧乏な娘を嫁にするなどいう話は「都市伝説」です。夢は美しいけれども現実はそうではありませんから、男も女も結婚マーケットで効率良く金持ちの二代目を探し頑張り続けます。
金持ちの娘の曲筱绡は十分、財産の力を承知しています。彼女は邱莹莹のボーイフレンドの白主管をみてチョッカイをだしてこっそり自分の名刺をポケットにいれたら、男は「唯一君を愛してる小鳩ちゃん」とかいってた邱莹莹をたちまち捨ててしまい、邱莹莹が宝物としていた白への愛情はあっというまに金持ちの美女のお遊びでふっとんでしまいます。80年代には中国でもまだ多少のチャンスがあったので貧乏な男ががんばって自分た子供の頃、別荘にあそびにきていた綺麗な少女にあこがれ、必死でがんばって有名大学に入って海外留学して帰国後、金持ちになって「僕は君と一緒にコーヒーをのめる日のために20年間頑張ってきたんだ」と告白するといったストーリーがやまほどありましたが、中国が階層固定化身分型社会になるにしたがって、夢を実現する可能性はますますか細いものになってしまいました。
★心身の疲労感;偽りの自分にいやしを求め
樊勝美にとってとても大切なことは自分を成功した女性というイメージを人に与えることでした。このイメージににはふたつあって、ひとつは外観、もうひとつは成功してマンションをもっているふりをすることです。
女性にとっては外見や洋服に凝るというのは理解できます。中国社会はもう昔から中身より外見でその人の値打ちをはかりますから服というのは着ている本人の裕福度合い標識のようなもので、身分の証明タグでもあります。北京や上海など、お金が第一の土地では貧しい階層からの新人社員だってチラリと相手の服を見るだけでさっとそれを見抜く術を身につけております。キャリアウーマンの樊勝美が特に自分のイメージを気にするのは当たり前で、衣服も彼女にとっては特別な意味があるのはそれが各種の「ハイソ」さんとお付き合いする通行証ですし、自分の魅力もアップしてお金持ちの婿さんを釣り上げる重要な道具なのです。たとえ本物のブランドものが買えなくても偽物でもいいから買わなければなりません。ネット上で「樊勝美の洋服ダンスは彼女の精神の避難所」とからかわれたのもゆえなしとはしないのです。
しかし、マンション所有者のふりをするというのは極端な見栄です。彼女の昔の同級生の王勝川が上海にきて、彼女に思慕の情をうちあけます。ちょうど気持ちがうわずっていた時だったので樊勝美は自分が上海で成功したところをみせつけるためにマンションをもっているふりをします。上海の不動産価格はもう天井知らずで、100平米以下の小さなマンションでも500万から600万元(*まあ、その20倍で円になるでしょう)になりますから、「持ち家」はすなわち自分が上海で「すっごく成功しちゃってる」ことになります。樊勝美は虚栄心から自分がマンション持ちだと言ってしまったのです。で、王勝川は樊勝美が金持ちにしか興味がないと知り「お姫様」に自分がバカにされまいとBMWを借り出します。彼は事業をはじめたばかりでお金はいろいろ必要なのですが、何万元もするバッグや何千元もするスカーフを「姫」におくります。一人は家があるふりをして、もう一人は車のあるふりをして、二人の間のきもちが発展するには逆に障害になるわけですが、これはもう今日の中国の都市の一情景だと言えます。
樊勝美が「うわべをとりつくろって」、なんとか社会をよじ登っていこうという姿は金持ちの娘で他人に厳しい曲筱绡からみると「許せない女」にみえます。この女性も自分の容姿、さらには自分の家の財産にはしっかり自信をもっており、財産渇望症の樊勝美に容赦ありません。樊勝美の寝巻きのラベルをはぎとって偽物ブランドだということを暴くなどして冷笑し、王がBMWで迎えにきたときはわざわざナンバーから本当の持ち主を暴き出して樊勝美の誇りと自尊心をぶち壊しにかかります。まったくご苦労さんなことです。
★家族親戚が家族を搾取するいいわけ
しかし樊勝美にしてみれば暮らしがそんなに苦労に満ちている根源の理由は家庭にあったのです。 樊勝美の父母が登場するにいたって視聴者はついに 樊勝美がなぜこんなに拝金主義なのかがわかります。それは彼女の実家がしっかりヒルのように彼女からお金を吸い上げていたのです。 樊勝美はきわめつきの両親とどうしようもない兄がいたのです。
実際、樊勝美の両親は別に映画のなかだけにみられるような特別な存在というわけではありません。中国の農村やちいさな部落にはたくさん、こうした両親がいます。そしておおくの家庭が「男の子を大事にして女の子を軽んじ」、女は金のなる木だとして娘の稼いだお金をやくざな息子につぎこんでいます。樊勝美は千万も百万もにのぼる中国の女性の一人にすぎません。
中国の女の子はもし大都市やインテリの家庭、幹部の家庭にうまれたらまあ、幸運なほうです。というのはこうした家では娘でも息子でもだいたい同じように扱いますからね。しかし、農村や文化程度がそんなに高くない都市の家庭に生まれたならば中国の特徴というべき「男を大事に、女を軽視」という目にあいます。深圳にいたときに何十人もの性産業に従事する女性たちにインタビューしましたが、だいたいは農村やちいさな町からきており、話はおなじようなものでした。家に子供がおおすぎて、15.16歳でよそに働きにだされ、あっというまに経済的理由で性産業ではたらくようになって、家の「現金支払い機」になるのです。家族じゅうの家も兄弟が嫁をもらうにもすべての費用は全部、彼女が出すはめになるのです。話があまりに同じだったので当時は彼女らが嘘をついているのかともおもったほどでした。でもそのあとすぐそうした出来事がどんどん増えてきて、やっとこれが中国の底辺社会層のすくなからぬ女の子たちに共通する運命なのだと知りました。たとえ幸運にめぐまれて勉強ができて大都市で働けるようになったにせよちいさな部落や農村の出身の男女にとって家というものは大変重い存在です。私のよくしっている知人のなかにも何人もそれで結婚できなかったり夫婦仲がわるくなったケースがあります。
そうしたなかで一番有名な話は、山東省の煙台で米国で博士号をとって帰国して夫ともども父親に惨殺された趙慶香でしょう。自らの努力で大学をでて夫の魏涛の援助で米国へ留学し、5年間のアメリカ留学中もアルバイトで父親のかぎりない要求に応えてお金をおくりつづけました。何年もこうして家庭の経済をささえ、家を作る費用もだしながら、さいごに夫と帰郷した時に父親に夫と一緒に惨殺されたのでした。父親は娘をぶち殺した理由は簡単で、娘が弟の家を買う費用をだすのを断ったからだといいました。趙慶香とたの二つの極端なケースをあつめて「3件の真実の物語。娘か女奴隷か?」という本が出版されました。山東には12歳の少女を4人の大学生に供したという読むに耐えない話もあります。
愛情、家族の情は人類最後の現実の拠り所ですが、中国人の愛情は物欲の橋梁をへて、家族を搾取する口実になりました。このような社会を正常に戻すにはおそらく何代もの大変な努力が必要とされることでしょう。
中国というこの政治的自由と権利がない国柄では各種の政治的タブーに満ちており、この「歓楽頌」ドラマも当然、政治的な要素はのぞかれています。たとえば官二代目とか、貧二代目とかいったキャラは登場しません。しかしそれでも民情にぴったり密着したドラマとして人気になりました。この五人の女性とその心情、くらしぶりは階層社会の固定化状態にある残酷な現実を描写しており、中国人の「疲労」と痛みを、一個の社会のメンバーがより上にあがっていく道がみいだせない国情、政治的な権利をうばわれ、極端に拝金主義をゆるす社会では人間の性格がいかに捻じ曲げられていくかということを描き出しているのです。(終わり)
拙訳御免。
原文は;何清涟: 《欢乐颂》:拜金之国的累与痛 voachinese.com/..31/3356644.html