• たかが政治ゴシップ本になぜ伝説の「中央特捜班」が登場?

    by  • July 3, 2016 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2016年6月18日

    全文日本語概訳/Minya_J Takeuchi Jun

    https://twishort.com/omCkc
    習近平のセックスに関するいい加減な政治ゴシップ本と文革時の最大の最高幹部粛清秘密機関だった「中央特捜班」の組み合わせは実に馬鹿げていますが、香港銅鑼湾書店の失踪事件はこの二つが結びついた現代版中国ストーリーにしてしまいました。当事者の林栄基(*店長)が香港に戻って記者会見して事件と「中央特捜班」の関わりに言及したために大騒ぎになったばかりか、中国大陸で文革を経験した少なからぬ人々にかつての暗黒の記憶を蘇らせたのです。

    ★「中央特捜班」香港書店主失踪事件のキーワード

    8ヶ月に渡って失踪していた銅鑼湾書店店長の林栄基が数日前に香港に戻り、6月16日に記者会見で仰天のニュースを明らかにしました。彼は中国側によって強制連行され寧波に監禁されたことのみならず、それを実行したのが国安(中華人民共和国国家安全部)、公安(警察)、派出所や軍隊ではなく、「中央特捜班(中央专案组)」に属する連中だったと暴露したのです。

    このニュースが伝わるや世論は騒然としました。というのも「中央特捜班」というのは(*爺注;かつて劉少奇や彭徳懐、賀竜といった第一流の幹部たちを失脚させ、死に追いやったほどの)由々しき組織の名前なので、これによってひとつにはこの事件の関連と性質がはっきりしてきたのです。というのは銅鑼湾書店の失踪事件発生以後、各種の報道による推測はいろいろ出たのですが一体中共のどの方面の神経に触ったのかはさっぱりわからだったのでした。ふたつには中国のこれからの政治動向に関係して、中央特捜班が復活したということは中国の政治が文革に回帰に向かっているとみられたからです。

    現在、中央特捜班が本当にこの事件にかかわったのかという真相は「藪の中、みんなが違うことを言い合う芥川龍之介の小説『羅生門』的状態」ですが、そうさせたのは中国政府ではなく、やはりこれまた事件関係者の銅鑼湾書店社長の李波です。外務省のスポークスマンの華春莹は」李波が林栄基の発言を否定している」と質問に答えています。

    では、李波は何を否定したのでしょう。《苹果日报》6月17日は「圧力で反証言?李波のフェイスブックは「林栄基は自分から望んで中国にいったのではない」の中で、李波がFB上で語った話を引用しています。

    「本当はもう話したくないんだが、林栄基の話はやっぱりはっきりさせておかないと。①自分は銅鑼湾書店のパソコンをつかったことがないし、顧客リストを印刷したこともないから、当然公安にリストなど渡すのは不可能。②林栄基と話した時、彼は私がどうやって中国に行ったのかという話はしていないし、「自分が望んでもどったわけではない」などとも言ってない。③この間、私は寧波の警察と協力してきたが『中央特捜班」などという話は聞いたことがない」と語っています。

    この李波の言い訳は信用できるでしょうか?李波が失踪後に現れた時の一連の談話は「友人の援助の下にこっそり中国本土に戻った。だから帰郷証明書がない」「私は自分から中国に戻って調査に協力した。これは個人的行為で別に拉致されたのではない」「私は自分から英国居住権を放棄した」などですから、彼が圧力の下でこの否定的声明をだしたという推測は完全に理にかなっています。ましてや彼がこの事件でそんな話は聞いたことがないとしても、だからといって林栄基に誰かが中央特捜班のことを言わなかったという証拠にはなりません。それにこれまで李波は林栄基のことに話が及んだ時、自分も一緒にいたとは一度も話しておりませんから(*爺注;今になって急にこんなことを言い出すのは変、という意味)。

    ★中央特捜班–中国人は文革を思い出さずにはいられない

    中央特捜班とは一体どんな秘密組織なのか?文革体験者ならだいたいこの組織の存在を知っています。私の故郷の邵阳市(*湖南省の地級市)は毛沢東が「人民のために戦争と飢饉に備えよ」時期(1968-1970年)には「三級都市」として北京や上海から多くの大型国営工場が引っ越してきました。そして北京から来た青年と知り合って本の貸し借りで時々行き来しましたが、すぐ居住委員会を通じて誰かが「あいつの親父は中央特捜班の事件にかかわった反逆者だ。おまえは出身が悪いから(*知識人家庭)あんなやつと付き合うととんでもないことになるぞ」と警告されました。彼にいわせると同様に何人もの工場の同僚が事件がなにか互いにしらないけれども同様の境遇にあったそうです。彼の父親は軍の上司に連座したそうですが、具体的な事情は子供たちは全然わからなかったといいます。(*注;子供でもその存在を知っているほどどこにでも、こうした地方都市にも有名な組織だった、という意味。)

    1978年後、中国はいわゆる「文革の誤りを更正する時期」になり、その重要な仕事は古い幹部の名誉回復で、「人民日報」にはたくさんの自分たちがなめた苦しみを訴える文章が掲載されましたが、その最も有名なのは陶鋳(*文革で失脚した元副総理;wikihttps://ja…%99%B6%E9%8B%B3)の娘の陶斯亮と東海艦隊司令の陶勇児の文章で、どちらも「中央特捜班」について言及しています。しかし今ではこのかつて至る所に存在した「中央特捜班」はWIKI百科の中でも簡体字版では削除されてしまっています。繁体字版にはまだ説明があります。最後の更新は6月17日になっていますから、これは林栄基が公開の席で「中央特捜班」について話したから更新されたものです。紹介はきわめて簡単で短いものです。

    ;「文化大革命の初期に中央特捜班は周恩来に率いられ、劉少奇国家主席や十大元帥の彭徳懐、賀竜らに対するものだった。それぞれの班は毛沢東と副主席の林彪に対して責任を負っていた。文革終結後に1978年、中央工作会議で組織の廃止が決まった。現在の「中央特捜班」は中共中央による専門工作グループのことを指し、異なった組織からのメンバーによって構成される党中央の指示を実行する」と書かれています。

    私は「炎黄春秋」に以前、中央特捜班に関する文章がでていた記憶があったのでネット検索してみたら幾つかみつかりました。

    一つは、「中央特捜班のメンバーが文革後に遭遇したこと」(《炎黄春秋》2014年第9期)で、作者の胡治安が1982年に公安部の粛清特捜班のメンバーになったいきさつと経過を回顧しています。これに重要な状況が描かれております

    ;1982年4月、鄧小平は「過去の特捜事案の再調査は原則的に現在の公安部員を追い出してから実行せよ」という指示をだし、彭真はこれに対して「鄧小平の指示後、よくよく特捜班の人員問題を再考し、林彪や江青の指揮下で迫害をうけた劉少奇らの老幹部の事案はみな公安部所属の人員によるものだし、いまや出世して重要な地位にいるものがいる。彼らにやらせたのでは何にもならない」と理解してそのように実行しました。
    この文章には「文革時の『中央特捜班』は周恩来をトップとして、下は三つの専従班にわかれており、ひとつは汪興が責任者で捜査員は局から部、課から選抜された軍人、ふたつめは黄永勝が責任者となって、捜査員は師、団、営の部隊から選抜された軍人とほんの少数の地方幹部、そして三番目は謝富治が責任者で捜査員の大多数は公安部の機関の幹部たちだった。軍隊の幹部は約3分の一をしめ、班長は第1級の幹部だった」と。関連する事件のファイルは秘密のままなので、筆者は「10年間の文革中、いったいどれほどの数の人間が中央特捜班で働いていたのかはしるすべがない」と語っています。

    別の「文革の特捜班にいた日々」(《炎黄春秋》2012年第4期)でも中央特捜班はもっぱら冤罪製造に精をだしていたことが証明されます。作者の徐兆准は自分がそこで仕事をしていたときを回顧していますが、そこには

    ;1968年から1972年の間、自分の知る限りでは特捜班の調査事項はだいたい以下の三種類だった。ひとつは昔のことをいろいろもう一度調べ上げる。ふたつめは解放後から文化に前にいたる言論や文章をとことん調べあげる。三つ目は文革中の5.16反革命集団事件を調べる、だった。階級隊伍を綺麗に調査する、という意味は、文学や歴史から現実にいたるまで全部、底からひっくりかえして調べ上げることだったが文革がおわってみれば、これはすべて何もないところでむなしい馬鹿げた騒ぎをやっていただけだった」。彼の中央特捜班に対する評価は「あのころの特捜事件とか、すっかり冷めたチャーハンをあっためなおすような歴史問題や言葉じりをとらえて新たな冤罪を作り出すだけだった」です。

    さらに陳虹が書いた「石で口を漱ぐような特捜事件に参加した話」(《炎黄春秋》2015年10月)があります。この三つの文章はどれも細かいことがいっぱい書かれております。拷問の話こそでてきませんが、劉少奇が死ぬ前の悲惨な状態から「調査対象」にされて酷い目にあわせる方法がやまほどあったことは推測できます。

    ★中国と米国の話

    中央特捜班方式で事件を片付けるという伝統はずっと存在しました。近くはこのあいだ幕がおりたばかりの周永康、薄熙来などの大物政治家事件はすべて中央特捜班によって処理されています。ただ今回の林栄基ら香港の書店関係者はみなただの市民で、これまで中国のトップにかかわる政治ゴシップ本を数冊だしただけです。それなのになんとわざわざ北京は中央特捜班を登場させたというのですから、外部世界は北京はきっと芋ずる式にこうした本を出版させようとした黒幕をさがしだそうとした、つまりこれは北京の最高レベルの内部権力闘争と関係があるのだろうとおもったのは無理もないのです。

    こうして今、この事件は終わりを告げました。北京は大々的に秘密調査部隊を動員して半年がかりで唯一の成果は海外の作者たちにこれは中共が国民の言論の自由を奪っているので中共指導者をからかってやろうというつもりで書いた「創作文学」にすいぎないと認めさせたことだけでした。

    しかし政治的な結果からいえば香港書籍商の失踪事件は国際的に有名な人権にかかわる大事件となり、香港人の北京政権に対する極度の反感を引き起こしてしまい、政治的な敗北だったと言えます。

    ちょうど米国でいま起きている話と比べてみたくなりますね。民主と専制に対する大変直感的な認識です。ヒラリー・クリントンは2016年の大統領選挙でさまざまなスキャンダル攻撃を受けており、その出処は雲をつかむようなとりとめのない「クリント夫妻と女性の戦い」という本です。そしてその素材の大半はDavid Brockという人物が以前に書いたことです。ところがこのブロック氏はいまやなんとヒラリーの選挙担当者になっております。中国人がきいたらむちゃくちゃだとおもうでしょうが、これはNYタイムズの「ヒラリーとトランプの戦いの背後にいる指揮者たち」という記事に堂々と書いてある話です。北京はこれを聞いてどうおもうんでしょうね?(終わり)

    拙訳御免
    原文は;中国故事:香港政治八卦书与中央专案组 voachinese.com/..17/3381731.html

    ご参考;銅羅湾事件については福島香織氏;銅鑼湾書店事件、「ノーと言える香港人」の告発 中国の強権に屈せず、香港の核心価値を守れ;business.nikkei../062100051/?P=1

     

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