• 3種のノスタルジアー毛ファン、民国回帰、ガマファンーの映し出すもの

    by  • September 5, 2016 • 日文文章 • 0 Comments

    何清漣

    2016年8月21日

    全文日本語概訳/Minya_J., Takeuchi Jun

    https://twishort.com/0zTkc

    胡錦濤・温家宝時代から始まって、中国では三つのノスタルジックなブームが続々と登場しました。時間順では毛沢東ファン、民国なつかし派、江沢民の蝦蟇さんバンザイの順番です。この3種類のブーム出現は10年程の間におきたのですが、共通するのはただ一つ、現実への不満です。現在を否定して懐旧の情で昔を理想化するのです。でも、この三つの理想社会はそれぞれ完全に違っていて、共存することはできません。

    ★毛ファンの理想は「人間動物園」の再来

    毛沢東心酔者の理想はつまり毛時代回帰で、社会層からいうとその主体は中国の社会底辺層、すでに退職年齢になった中共関係機関の幹部や、文革終了後に「三種の人間達」(*林彪や江青派など)と処分された少数派たちです。地域的には主に僻地辺区貧困地区に多くみられます。信頼できる全国調査はないのですが、ニューヨークタイムズの2014年4月16日付の「青い沿海、赤い内陸;中国政治分野調査」によると、イデオロギー的に「赤色」の保守的な省は大部分が貧困農村の内地で、豊かで都市化された「青色」省は沿海地区に集中しています。中国の保守主義者ーといっても実際は「共産主義教育」の影響を最も深く受けた人々、ということなのですが、そうした人々は強大な国家建設を支持しており、同時に政府が経済上でも強力に管理することを願っています。中国の自由主義者はより多くの自由を望み、資本主義的な自由な市場、より多くの性的な自由も望んでいます。調査によって上海が中国で最も自由主義の観念が強い地域で、それに次いで沿海地区の省である広東や浙江が続きました。相対的に貧しい内陸の省は往々にして最も保守的で毛沢東ファンが比較的多数なのでした。

    毛ファンの主流の意見は共産党の一党独裁は全く問題ではないと考えておりますが、ただ今の政府は腐敗が劣悪で、資本が労働者階級を搾取し、社会の在府の分配の不平等が各種の社会矛盾の根源だと思っています。ですから、彼らは毛沢東時代を懐かしく思い、公平で、清廉で、貧富の差がなく、人々にみな仕事があったという理想的状態が毛沢東時代の特徴で毛沢東時代に戻るように求めるように求めているのです。ネット上で流行した「今日、はっきりわかった。我らは半生を生き埋めにされているのだ」という文章は「30年前」というフレーズを頭にもってきて、作者の理想の「計画経済の長所」を列挙しており、また「もしお前達に金があれば」というフレーズで「市場経済の罪悪」を痛罵しています。こんな感じですね。

    「計画経済が『天国に至る道』になった」
     計画経済時代は住居も待たされたが、ちゃんと有った。市場経済では待たなくても良いが、買えやしない」「計画経済では医療費は無料。質は良く無かったがお金も不要。市場経済で質は上がったが、病院に行けなくなった」「計画経済下では学費は無料だった。市場経済では学校にお金がなくて通えなくなった」「計画経済下では職業選択の自由はなかった。しかし仕事は有った。今、選択の自由は有っても仕事は見つからない」「計画経済の下では仕事は安定していた。市場経済の下では不安定ですぐ失業」「計画経済の下では皆貧しかったが、貧富の差は小さかった。市場経済は貧富の差を広げた」

     多くの国営企業から解雇された工場労働者と毛沢東左派の中には、これと似たような説がずっと人気を博しています。私は2013年7月13日に「なぜ市場経済を罵倒するのか」(http://heqinglian.net/2013/07/15/unreal-carols-japanese/)でこのネットで流行した文章が、二つの大きな常識的な間違いを指摘しました。一つは計画経済下の中国の実際の状況とかけ離れていること。二つ目は、市場経済の影響は政治制度次第であり、政治制度が出来が悪ければ、経済の市場化推進の結果は、必然的に権力が強力に干渉する半人前の市場経済になってしまうことです。この文章が列挙している市場経済下の大多数の問題は、失業問題以外は民主国家の市場経済ではほとんど現れていないのです。また発展途上国でも珍しく、ただ中国でだけ深刻なのです。

     毛沢東ファンは故意に、毛沢東時代の中国は毛沢東の暴政の管理下に巨大な人間動物園になっていたことを無視しています。毛は逆身分差別を使って社会底辺層の支持を獲得し、階級闘争を使って、億に達する膨大な人々を打倒弾圧し、恐怖社会をつくりあげました。「紅五類」という身分を持つ人々を中心とするグループで「黒五類」とされた階級を圧迫し、時には物理的に抹殺までして、社会を丸ごと極度の貧困化させ、生活物資は証明書に基づく配給制でした。ですから、毛ファンの要求する理想社会とは実は、「専制政治プラス財産・富の平等分配プラス政治的賎民への弾圧」です。中共の総書記の政治的理想からすれば、習近平時代が最も彼らの理想に近いでしょう。反腐敗キャンペーン、国有経済の発展、世論の絞め殺し等々で、もし習近平が更に一歩進もうものなら、政治権力を通じて金持ちと中産階級上層の財産を奪って、貧富の差をなくし、毛ファンはみな大喜びの理想社会になるでしょう。

    ★中華民国回帰の理想社会

    中共統治の60余年間では、1980年から1990年が比較的広い社会的な上昇ルートが開かれていた以外には一貫して、身分型社会の特徴(つまり個人の社会的地位が出身によって決定される)を持っていました。毛沢東時代には、社会エリート層に対して逆身分差別が行われました。21世紀の初めからは、中国社会の上昇ルートは次第に狭められて、自分たちの「資源財産」を子供に伝える「2代目現象」が生まれ、更に政府の世論言論統制も加わり、一切の社会的な団体の活動が圧殺され、そこで胡錦濤統治期間の後期に現れたのが、「民国回帰」の思想です。

    「民国回帰」を主張するグループは、中華民国の歴史について、主に想像でイメージを描いています。例えば北洋軍閥時期には地方で自治が行われ、民族資本主義の発展した黄金の10年であったとか、北伐の成功で蒋介石が中国を統一し、全国民が抗戦し、国共内戦とかです。どれもこれも社会の変化が多くの中底辺層の人間に上昇のチャンスを与え、共産党の存在、発展、労働運動、農民運動、学生運動、個人の経営する新聞社は民国社会が結社と言論の自由があったことを表しているとも言います。彼らの目には、中華民国時代の歴史絵巻は、あくまで美しいもので、限りない想像力によって、社会は開け、結社も言論も自由で、文人学者は政治権力を恐れなかったとか。更に古い写真に登場する民国時代の上流階級の人物は、皆男女を問わず着ていたものが、中共政権後にみんな中山服一色になって、まったくイカしてないのに比べてはるかにカッコいい…といった一種の政治的理想の姿に描かれてしまっています。

     民国の政権と中共の政権は、つまりは権威主義的政府と独裁専制政府の違いで、儲安平(*ジャーナリスト、文革で迫害され死亡)が「中国の政局」で「我々は現在、自由を得ようと戦っている。国民党の統治下ではこの自由は『多いか少ないか、どのぐらいか』が問題になっている。しかし、共産党が政権を取ればこの自由は『有るか無いか」という問題になる」と書いた通りなのです。

     民国回帰、の理想は、私有経済、民間社会の存在を基盤とする権威主義的な社会です。民国時代の政治的な緩さ、明るさという想像は、中共の統治期間にくらべての相対的なものであって、別にそれが民国時代の本当の姿ということではありません。

    ★”ガマ蛙バンザイ文化”は冗談みたいなもんだがどんどん人気に

     前の二つの回顧熱とは異なり、今流行の「江沢民ガマ蛙バンザイ文化」(膜蛤文化)は中国人のブラックユーモアです。「江沢民時代を懐かしむ」をネタにして、あの時代はユルくてよかったね~、という冗談で、現在のいささかの風刺も悪口も許さ無い皇帝陛下の容赦無い厳しさを風刺しています。以下、この「江沢民ガマ蛙バンザイ文化」の起源とポイントを整理してみましょう。

     始まりは百度の李毅吧(BBS)から偶然でした。当時、このBBSは江沢民が2000年の10月27日に香港での記者会見で、香港の女性記者の宝華の質問に答えるビデオクリップを掲載したのです。この事件は当時、香港で大騒ぎになった話です。「香港の行政長官の董建華は、あんたの「勅命」で続任が決まったんじゃないか」と質問された江沢民の答えは、「お前ら、レベルが低いんだよ」とか「“I’m angry!」 、「Too Young,too simple,sometimes naive”」とか、「ハリウッドの連中となら話が出来るがお前らなんかと出来るか」とか言いたい放題でした。これは江沢民がトップにふさわしい度量の持ち主ではないという証拠の笑い草になったのです。しかし、いまやその後のリーダーである胡錦濤や習近平がちっとも面白みのない指導者なので、現代の青年たちには、その喜怒哀楽がモロにでている江沢民の姿に、「すげー、おもしれ~じゃん」ということになっ理ました。「偉大、光栄、正義」の類の話ばかりで、うっとおしい習近平に比べて親しみを感じたのです。

     2014年になって微信マイクロブログに、「江沢民選集研究会」が突然大人気になしました。「黄薄碼」というペンネームのエディターがこの現象を考察した結果、まじめくさった外観の下にユーモアを秘めたやり方を正式に「ガマ蛙バンザイ文化」と名付け、ガマ型メガネが流行ったほどでしたし。「江沢民=ガマ」です。中国では「ガマ」は毒があって、醜い代表なのですから、そのガマを拝む、というのはブラックユーモアです。いまや「ガマ、万歳」はますます様々なバリエーションで、内容も多岐にわたり、「われらのガマが政権をとってた時には経済発展はすごかった~」とか「政治的にも緩かったよね~」とか、「ガマ」が「我らのガマちゃん」みたいな言い方や、「ガマ長者」とかになって、今年は「ガマ長者生誕90歳祝賀ネット活動」まで行われています。

    ★三種類の「なつかしや」の内容は共存は無理です

    昔を懐かしむ」というのは、50歳以上の中高年老人の気持ちです。年をとるにつれて、中高年の人は残り時間が少なくなり、焦る気持ちが強くなります。過去の思い出は浄化されて不断に美化されて行きますから、ある種の刺激があれば、簡単に「昔懐かしモード」に切り替わって、それによって心の慰めの感情が湧いてきますし、そうしたことによって安全感も得られます。懐旧の情が、ある集団全体の気持ちになれば、普通は社会に様々な変化がおき、動揺しやすい時期になります。そうした時期には、人々は社会の危機が来るのではないか、未来は不確定な要素に満ちている、と深く恐れるようになり、懐古の情によって安全感、帰属感を求めるのです。

     上述の三種の懐古の情の出発点は似たようなもので、すべて現実の社会への深い不満の気持からです。しかし、3者は、それぞれ価値観によってつくられた社会認識を持ってはいるものの、その位相、方向も複雑に異なっています。毛ファンの理想が実現したら、中国は人間動物園になり、民国にはなりません。江沢民時期の半開明的な専制もありません。民国化したら毛ファンの理想はなりませんし、江沢民の「ガマ万歳」もなくなるでしょう。(終)

    原文は;中国的三种怀旧:毛粉、膜蛤与民国当归《中国人权双周刊》
    (第189期 2016年8月5日—8月18日)

    何清漣氏のこれまでの論考日本語訳は;heqinglian.net/japanese

     

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