9月19日、メルケル独首相はベルリンでの自党(与党、キリスト教民主同盟CDU)の敗北後、やむなく「もし可能なら時間を戻して、難民政策をやり直したい」と言わざるを得ませんでした。(参考;メルケル首相、移民政策の誤り認める-ベルリン市議選で記録的な敗北 bloomberg.co.jp../ODRIBS6JIJUO01)
私はこの一年間、ドイツをじっくり見守ってきましたが、このかつての「欧州の女王」の談話は、難民政策を本当に後悔から出たというよりは、自らの玉座への危機感からだと思いました。というのはベルリンは何と言ってもドイツ左派の大本営であり、2013年に結成されたドイツの政党「ドイツのための選択肢」(AfD;アーエフデー/ja.wikipedia.or..%8A%9E%E8%82%A2)が付け入る隙など、無かったはずでした。。キリスト教民主党の敗北はドイツの政治的転換点かもしれません。
★メルケルの難民政策は民意の基礎があった
ドイツの難民問題の苦境をメルケル一人のせいにする説もありますが、私は、ドイツが難民危機に陥ったのはメルケルの個人的な要因もあるけれども、彼女は決して「たった一人の戦い」をしていたわけではないと思います。彼女の難民政策を支持してきた力には、主にドイツの左派と、ドイツの公共メディアが、事実を見ようとせず、賛美して、それが彼女に自信を与えて来たからだと思います。それは欧米が長年、崇めて続けていまやイデオロギーとなった「ポリティカル・コレクトネス」(*「政治的な正しさ」/職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップなどに基づく差別・偏見を防ぎ政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない立場)と、世界中の左派勢力からのヤンヤの喝采です。彼女はこうした力によって、自分の頭の中に描いた空中楼閣で、輝かしいスポットライトを浴び続け、自己陶酔に陥り、舞台の下の冷厳な現実を見ようとしなかったのです。
メルケルが、難民受け入れを発表したのは2015年9月5日ですが、おそらく多くの人々はみな、その二ヶ月前に起きた事件を「忘れて」いたでしょう。7月16日、ドイツテレビの特番談話番組で、レバノンからきたパレスチナ難民のリームという少女がメルケルに陳情しました。一家がパレスチナからドイツに来て、已に四年たつが強制送還されそうだと。この時のメルケルの回答は「あなたのいうことは分かるけど、政治は時に大変残酷です。レバノンのパレスチナ難民は何万人もいて、もし私たちが『いいよ、みんなおいで』『みんなアフリカからいらっしゃい』といったりした、私たちは受け止められません。ある人々には帰ってもらうしかないのです」というものでした。この答えにリームは泣き出し、この2分間の放送はメルケルに対し、冷たい女だという非難が殺到したのでした。
8月24日、内政部の移民局は政府を通じて、難民個人の権利条項に対するドイツ基本法を適用せず、シリアの難民の申請には一人一人審査せず、すべてのシリア難民に対して庇護を与え、かつ移民局はこの内部操作を8月25日のツィッターで公開しました。このほか、ドイツはさらに、これまでのシリア難民を拒絶し追い払うという決定を取り消しました。9月5日に、メルケルは国境を開放して、すべての難民を受け入れる決定をしたのです。この決定はEU委員会の支持を得て、「欧州の団結という対局を尊重した快挙」であるとされ、全世界の左派からは歓声が湧き上がり、米国、カナダ、オーストラリアなどの多くの政府首脳も次々に、メルケルに敬意を表し、ドイツを見習って自国に難民を迎える旨の声明を出しました。
こうした世界中の山のような絶賛の声に、欧州女王のメルケルも冷静を保っていられませんで、無制限に受け入れることへの躊躇に対して、9月20日には自信満々に「我々はやれる」と宣言しました。ドイツ中で「難民歓迎の風潮」が主流となりました。民意調査によると86%以上のドイツ人がみな歓迎を表し、誰かが疑問を挟もうもののなら、たちまち「ナチス野郎!」だの「民族主義」など酷く罵られるか、軽くても「ヒューマニズムの心がない」とか批判されました。ドイツの専門家たちも、先を争って遅れを取るまいと
;難民はドイツの労働力不足を極めて大きく解決する。シリア難民の中には多くの医者やエンジニアなど良い専門教育を受けている、とか、ある報道には、国連の高級難民専門担当者の統計では、ギリシャのシリア難民は4割が大学教育を受けていたとも。多くが英語を話、生活や仕事の上でのコミュニケーションに問題は無いとも言われました。
しかし、実際はケームニッツ工大の研究によれば、自分から進んで能力テストを受けにきた高等教育を受けた難民で、ドイツ国民には「難民のエンジニア」と言われた人たちの実際の水準は、実科学校(*工業高校?)クラスでした。「ifo研究所」の境域経済学のWößmann教授の調査では、難民のうち高等教育を受けたのは1割で、その他は基本的に読めず、書けず、ドイツでは文盲に等しいとわかりました。
しかし、メルケルの名声はこの時、最高潮に達し、2015年のノーベル平和賞の呼び声が最も高い大ブームでした。
★「メルケルの客人」は治外法権の特権。誰が悪いのか?
難民を受け入れた国のそれに対するやり方というのは受け入れ国家の政府と民衆の接触とによって形成されます。難民が法の制約を受けないで居られるという特権グループになったのは、政府の主導ではありますが、かといって、全ての命令がみなメルケル自らが下したとは言えません。例えば、難民がお店から品物を持ち去ってお金を払わなくても窃盗にならなかったとかいうことは、これは各州の政府の決めたことです。また難民の、強盗、強姦、障害、窃盗といったことを含む犯罪行為を、メディアは「ポリティカル・コレクトネス」の立場から報道しませんでしたが、これは長年来の「ポリティカルコレクトネス」というお約束のなかから生まれた高度な自主規制でした。多くの地方政府が難民のための住宅を確保するにあたって、元々のドイツ人の住んでいた住宅(退職老人たちを含めて)、強制的に契約を解除させたのでした。こうした一切のことが、当然、「人道」の名の下で行われたのでした。
こうした現象については、★「政治的正義」が国家の安全より重視されてよいのか?ー独・ケルン事件を考える★ 2016年1月10日(heqinglian.net/..rmany-refugee-2)で既に書きました。難民たちはややもすれば、「俺たちはメルケルの客人なんだ」と言い出し、様々な不合理な要求をもちだし、医療関係者への暴力も起き、「アラーは偉大なり」と叫んで医師に襲いかかって、首を切ろうとしたり、重傷を負わせたり、病院では数々の暴力行為が頻発したために、ある病院では医者たちが集団で自衛のための武器を購入し、武器を持って手術室に入り、少なからぬ医者が出勤しなくなりました。(「手に負えない文件;避難民の暴力ーますます多くの医師が武器を購入」)。こうした全てのことはmただドイツ社会が彼らを甘やかしたために生まれたとしか言いようがありません。
もっとむちゃくちゃな「ポリティカル・コレクトネス」は今年24歳のドイツ左翼政党の青年責任者のシリン・グーロンが三人の難民に強姦された事件で、この1月、彼女は警察に被害を届け出た時に、「3人のドイツ語をしゃべる連中に強姦された」といいましたが、真相が明らかになった後、自分のFacebook上で、難民に対する公開書簡を発表し、「今回の事件で一番心を痛めたのは、あなた方が更に差別的な目で見られるようになったこと」で「私は民族主義分子が、あなた方を問題視するのを黙って見ているつもりはない」と書きました。一部の、高校生が、難民から性的な被害を被っても警察に届けないのもこうした配慮からです。
性的な被害を被った側が、強姦した側に謝罪して、それが人道的な配慮だとみなされるというのは、このドイツという特殊な政治的雰囲気のなかでしか起こりえない奇怪千万な出来事ですが、こうした女性たちが職業政治家になれば、おそらくドイツの正解はますますとんでもない左派政権になるでしょう。
司法部門の難民の犯罪行為に対しても、罰することは大変少ないのです。ある22歳のエリトリア人が各種の犯罪行為で189回起訴されたのですが、いつも釈放され、少し前にまた捕まったのですが、検察官は法廷に190回目の保釈を請求しました。(「190回捕まって釈放されたードイツの司法が警察の邪魔をする」)
オーウェルの「動物農場」には「あらゆる動物はみな平等である。ただ、ある動物は他の動物よりもっと平等である」という名文句がありますが、難民の大潮流が流れ込んだドイツでは、この「平等」が実現してしまったのです。難民に対するこうした法律上の特別ゆるやかな配慮は、ドイツ社会をダメにし、またこの若者をダメにしましょう。犯罪者が自分の犯罪に対してなんの責任も課せられないのであれば、その結果は犯罪への道をますます邁進していくでしょうから。
世界を震駭させたケルンのニューイヤー集団痴漢事件(同じ日に、ハンブルグ、シュトゥットガルトなど10数カ所の都市やスエーデンのストックホルムでも起きた)、はこうした難民は何をしても罰せられないという社会的なムードの中でこそ起きたのでした。
★この事態を予言した人は「ポリティカルコレクトネス」によって失脚
民衆に見る目も、全体を見渡せる知識もないのであれば、専門的な素養のあるインテリ達がそうした責任を負わねばなりません。しかし、「ポリコレ」というイデオロギーの強大な圧力といったものが存在しており、インテリは顔を出したがりませんでした。社会全体を見つめ考える者としての責任を果たそうとすると、政界やメディア、民衆から三重のプレッシャーを受けて、木っ端微塵にされてしまうのです。私が「政治的正義病」にシビれる独メディア( 2016年1月6日「heqinglian.net/..germany-refugee)で書いた元ベルリン市財政部長の Thilo Sarrazin が出版した「Deutschland schafft sich ab(ドイツの自滅)」は統計データからこうした心配を「;大量の移民流入によって、ドイツは自滅に向かっている。」と書きました。この本を書いたため、彼はひどい目に遭いました。ドイツの各界は彼が書いたことが事実かどうかより、もっぱらこの本の「「ポリティカルコレクトネス」」だけを問題にしたのです。彼を攻撃した勢力の主力はドイツの政界とメディアで、ドイツ総理のメルケルが率いる勢力です。 Sarrazinはドイツ連邦銀行理事会から譴責を受けて辞職を迫られ、ユダヤ人団体も彼を歓迎されざる人物とみなしました。欧州の他の国家のメディアも激烈に攻撃したものです。
そして、わずか二十数日で、Sarrazinは社会的な名声、職場とユダヤ人グループの尊敬を失いましたが、それでも民衆の怒りは依然として強烈な波となって、「民族主義者」「黙れ!」と言われ続けました。今日、彼の予言はみな実現しましたが、でもドイツの政府も民衆も誰も彼に、謝ってはいません。
読者の皆さんに言わざるを得ないのは、「ポリティカルコレクトネス」とドイツ民衆の板挟みになった時に、ハンナ・アーレントが第二次大戦後にユダヤ人虐殺を再考した際に提起した「凡庸の罪」(the Banality of Evil)ということです。「凡庸の罪」というのは独裁政権体制の下で、人々のイデオロギーによって巻き込まれ、無思想、無責任になるという犯罪です。「難民歓迎の風潮」は犯罪ではありません。しかし、民衆のイデオロギーの流れに巻き込まれる中での一種の無思想、無責任な行為です。欧州の難民の大潮流を考え、メルケルを批判するに際しては、このイデオロギーが巻き込んだ「歓迎風潮」ということを忘れてはならないのです。(終)
この記事のデータはドイツのネット友達の野罂粟@WilderMohn女史の協力によるものです。感謝。
拙訳御免。
原文は;:德国的戏剧:默克尔王座下的民意基础 voachinese.com/..25/3524018.html
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