• ★尊厳の欠如—幻影の富では中国病は隠せない★ 2017年5月5日

    by  • May 5, 2017 • 日文文章 • 0 Comments

     たまたま目にした、李静睿(*リー・ジンルイ、女流作家)の「ペストの里の異邦人」(鼠疫里的异乡人)に、ツイッター上で大変有名な何人かの名前に言及しているのを読みました。中共裁判所によって判決の言い渡された弁護士・夏霖(*@xialinlawyer)、長らく入院を強いられている護憲人士の胡佳、牢屋につながれている許志永(*人権活動家。民間公益組織「公盟」共同創設者)です。作者は、こうした「プロテスター」の内心の葛藤を描き出し、最後は、「パラレルワールドは確かに存在する。光が差す側では、むだ話をして、愛情を享受しているが、隠れたダークサイドでは、反抗し、苦汁を飲まされる。私はシャトルのように、この二つの世界の間を往来するが、選択のすべは無い。なぜなら、私は平静と共に、尊厳をも渇望するから」と、淡々と書いています。

     歳月の変遷と、やるせなさが、落ち着いた文章の行間に溢れて、読み手の心を苦渋で満たします。中国では、人は権力を追い求め、蓄財を争い、知識でもって自分を充実させることは出来ますが、しかし、目標が異なっても共通している点は、人としての尊厳は得られない、という事です。

     

    平民は自尊心を守れたら御の字

     中国にいる人からもらった手紙に、かつてこう書かれていました。「もし貧しければ、9割の人があなたを避けるだろうし、政府に楯突こうものなら、元からの友達だって君を避ける」。

     普通の庶民は社会から尊重されず、守れるのは自分の自尊心だけです。しかし、役所と問題を起こせば、それさえも奪われてしまいます。「人民の名において」(*評判の連続テレビドラマ。★TVドラマ「人民の名において」に見る中国政治★2017年4月16日 参照)に名場面があります。訴えようとする庶民が、京州市光明新区の信訪(陳情.請願)局の窓口を訪ねる時は、半分腰を屈めるような屈辱的な姿勢を取らないと、窓口職員と話せない建物構造になっているのです。このシーンは虚構ではありません。河南省鄭州市の社会保険基金管理局の窓口がこうなっていると言います。社会保険基金管理局は、信訪局と違って、運良く中国の社会保険システムに入れた中国人だけが、用事を足しに行けるところで、そういった人々は、訴えようとする庶民よりは、はるかに恵まれた境遇なのに、です。

     知識を追求することは本来、自らを豊かにする事です。しかし、中国のような専制独裁体制下の国家では、少なからぬ人々が知識を求め、思想を豊かにしたが故に、最終的には異議を唱えざるを得なくなってしまいます。私が中国にいた頃は、そうしたプロテスターは、まだたくさんはいませんでした。とりわけ、深圳では個別的現象、といった感じでした。私は、許志永が2008年に米国に来た時、友人が彼に託したお茶を受け取りに行って、一度会ったことがあります。当時は、彼の仕事が絶好調の時で、とても元気でした。今でも覚えているのは、「あなたが中国にいた頃とは違います。(*何清漣女史は、2001年6月14日に米国へ、事実上の亡命)あなたは深圳で一人きりで、警察や国家安全部が監視していて、誰も支持する人がいなかった。我々には現在、自分たちのグループがあって、全国のサポーターもたくさんいます。何かあれば、国外、国内でたくさんの人が助けてくれます。我々は自信を持っています」と語ったのを覚えています。許志永の言ったことは全てが嘘ではありません。後に、彼が「脱税」問題で牢屋に入れられた時には、全国から義援金がカンパが寄せられました。しかし、2回目の入獄は、当局に「公共秩序騒乱罪」によって、4年の刑に処されてしまったのです。

     李静睿の文章に出てくる夏霖は、ツイッター上での「知り合い」に過ぎません。しかし、「伝知行出版」の「2008公民税収手帳」で、彼が作りたいと願ったのは、納税者が責任を問える市民社会だったと知りました。しかし、現実には夏霖の歩んだ道は、どんどん狭められて、「サークル内では、ますます彼に依頼する人が増え、ほとんどあらゆる人々が彼に弁護を頼んだのでした。(郭玉閃=伝知行社会経済研究所創始者=が勾留された時も、阿潘と夏霖の携帯電話の番号を確認していました)、しかし、彼自身が逮捕されたときに、我々は彼を弁護する人がいないことに気がついたのです。

     中国では、いったん「プロテスター」になってしまうと、個人としての尊厳を保つすべがありません。私自身が体験したのは、もう遠い昔ののことですが、最近では、知識人としては、そのキャリアではピラミッドのトップにいると言ってもいい友人夫婦が体験しています。彼らは、「プロテスター」として短期間、牢屋に入れられてからは、地元の国内安全保衛支隊員が、勝手に自宅に押し入ってきて、二度も捜索を受けました。あまり多くを語らなかったのですが、彼らの内心の苦痛とどうしようもない焦慮の気持ちが感じられました。それでも、彼らはまだましな方です。李静睿は「プロテスター」や家族の絶望的な状況を、こう描いています。

    ;「大部分の時間、「プロテスター」の栄光は、「微博」や友人たちの仲間内にしか存在しない。彼らの存在は、この国家ではこんな国でも、まだちょっぴりは、今の中国語体系では、例えば自由だとか、正義だとか真面目にいうと笑われそうな価値を守っている、そんな人たちがいて、私たちはそれをリツィートしたり、「いいね」とクリックするのが自分たちの道徳的な義務だと思っている。しかし、彼らは、本当にそうしたことを実践することで、もう後戻りの出来ない人生に直面している。彼らの痛みによって引き換えられるのは、氷で出来た刀のようなものであり、鋭くはあっても、「時代」はあまりにも熱いのだ。彼らは溶け去って、跡形も残さない」

     

    私企業のビジネスマン;役人から見たらゴキブリ…

     中国では近年、確かに世界的にリッチな実業界の人々が生まれています。しかし、誰一人として、自分が政府(官僚)の力を借りないでリッチになったと言える人はいません。最近、英国「BBC」が取材した、郭文貴の番組に、こんな話がありました。(郭文貴については、福島香織氏の「郭文貴のVOAインタビューを中断させたのは誰か」参照)

     BBC記者;「中国国内の腐敗、暗黒は、役人とビジネスの結託で説明出来ますか? )

     郭;「役人とビジネスの結託などありません。その言い方は、中国のビジネスマンを過大評価し過ぎてます。中国の役人とビジネスの関係を正確に言うならば、ナイトクラブのママとホステスの関係ですよ!」

     郭文貴の発言は、一時のうっぷんが言わせた言葉ではないと思います。彼はビジネス(自分のも含めて)と政府官僚と過ごした年月の浮き沈みと栄辱を冷静に省みての言葉でしょう。

     中国政府が、資源分配の決定権を握っているという制度構造は、分配権を握る官僚が、「キングメーカー」としての分け前を得られます。中国政治の高層レベルが、自分たちが握る権力構造によって、ファミリーと国家が渾然一体となった利益吸い上げ体制を作っていることは、もう何度もこれまで書いてきました。ここでは、中国の政商関係における商側の地位についてお話しするにとどめます。

     成功したビジネス界の実業家は皆、両面の顔を持っています。世間には財力と自分の力を誇示して、社会的尊敬を勝ち得ます。しかし、これは陽の当たる一面に過ぎず、陰の面では、官商結託の中で、持ちつ持たれつ、相手側の要求を耐え忍ばねばなりません。他人に自分の富を見せびらかしたい人ほど、陰では、自分の「キングメーカー」に卑屈です。これは中国人実業家の病気といえるほどの、見せびらかし病の心理的な根源です。しかし、最近、中国人の富豪の国際化につれて、陳光標(*実業家、派手な慈善行為でも有名)ら少数の人を除いては、自重するようにもなってきています。

     こうした成功した実業界の人々の、輝くような財産の裏側で舐めた辛酸のほどは、かつて、曽成傑(*湖南の実業家)が資金集め問題で死刑になってから、どよめきが起こりました。薄熙来事件で、多くの実業界人士が巻き添えを食ってひどい目に遭い、2年後の2015年12月4日には、「薄一家のお財布」といわれた実業家の徐明が獄中死し、実業界の大物の馮崙(*西安人、万通集団や中国民生銀行を設立)が「徐明の恥」を書き、こう言いました。

    ;「皆覚えているだろう、薄熙来裁判の時、徐明が不利な証人として出廷し、賄賂を贈った事実を証言したことを。そのとき重罪にもかかわらず、薄熙来は『奴はどんな身分だというのだ? 俺とはレベルが違うよ。もっとましな奴をいくらでも知ってる。あんなやつは話にならんよ」と言ったことを。こんな人を馬鹿にした話はない。ちょうど民営企業の恥の話というなら、薄熙来は本当の気持ちを話したんだ。中国だけでなくて、似たような体制の国では、民営企業の身分というのはこんなものだ。ある民営企業の大物が昔、こう言ったよ、『役人たちから見たら、我々は何のことはない、一匹のゴキブリのようなもの。ぶち殺そうが生かそうが、彼らの意のまま』だってね」

     普通の人は、徐明に対して、本来同情の気持ちなど持ちません。彼が刑期満了の9カ月前に突然、「心筋梗塞」で死亡した際には、様々な疑惑が起きました。誰かに「派手に生き、奇怪に裁かれ、謎の死を遂げた、政商結託構造の犠牲品」という風刺的な墓碑銘を書かれました。しかし、12月9日に、ゴシップの的だったガールフレンドで、元中央テレビ(CCTV)のアナウンサー・姜豊が「微博」上に、「生きるは別れの始め。死は別離。天は人の運命を弄び悔いることなく、名月清風おのずから従う。心の傷に痛みはつのり、我が心は散り散りになって蝶となる。願わくば君、天の彼方で幸せにならんことを」という韻文を書き込み、その心のこもった文章によって、徐明に対する悪口をやめさせるに至ったのでした。

     

    役人の尊厳も一皮剥けば…

     中国で、最も自分には尊厳があると思えるのは官僚で、それには小さな田舎の村長だって入っています。1990年代の中央テレビ「焦点訪談話」で、いつかある村長が、「俺は天地を管轄しており、更には空気だって支配している」と大言壮語して、その馬鹿げたおおぼらは、全国の笑い者になりましたが、同時に、いささか反省する気も起こさせたものです。

     しかし、役人たちの地位は、どうやって手に入れたのか、中国国内ではもう公然の秘密です。能力によって道が開けた1990年代中期は、とっくに終わっています。「男は金を、女は体を」が出世の秘訣で、メディアには、少数の役人は自分の美貌の妻を上司に差し出して、出世をはかったというスキャンダルまで報道されています。こうした話は、当然、役人たちの尊厳を失わしめ、官僚界に病的な人格を生み出します。上に対して媚びへつらい、下には威張り返って馬鹿にする、権力を手にしたときには、民衆を馬鹿にするようになります。しかし、いったん、腐敗によって失脚すれば(どうも役人の失脚は、これが唯一の原因のようですが)、威厳は見事に吹っ飛んで、自分は助かるためならクソでもなめるように、罪を認めます。大量の「自供書」や「反省書」は、彼らが牢屋に入れられた後の人格を映し出しています。連続テレビドラマ「人民の名において」に侯勇が演じる「下っ端の欲張り役人」趙徳漢は、中国官僚界の病的人格を鮮やかに演じています。

     近年、失脚した役人が受ける特別な取り調べ(*「双軌」と呼ばれる。中共の規律違反に関する調査)の厳しさや、苦しみが情報として、チラチラ報道の端々から聞こえてきます。威張り返った役人がのさばるのを、日頃、忌々しく思っている中国人は、普通は独自の見解を持っており、「太っ腹」で、そんなことはあまり気にしません。彼らが失脚した後で、ちょっとその「人権」を気にかけて、アピールしたというような話は聞いたことがありません。

     2014年8月に、「中央紀律委の尋問基地が『双軌』にかかった役人は3日で自供する、と明らかに」という記事が出たことがあります。そして、尋問された役人は、まず尋問室に入れられるのですが、そこの壁はスポンジなどで出来ており、防音と、自傷、自殺などを防ぐようになっています。問題を起こした役人は、この「双軌」を何より恐れており、通常、三日もしないうちに全部、ゲロしてしまう、と。こうした曖昧な描写や、「閻魔大王に会ってもいいけど、王様には会いたくない」(*下っ端の方が怖い)という言葉が伝わって、十分に「双軌」は恐怖の的になっています。

     政治犯の収容される「秦城監獄」では、身分の高い犯人に対しての物質的待遇は、やや恵まれているようですが、尊厳の破壊という点ではあまり変わりがありません。薄熙来は裁判を待つ間に、実業家の徐明を軽蔑していましたが、別にもう一言、「自分の命運はもう悲劇で、妻も同じことだ。お前さんたちが、もうこの調査を打ち切って、我が家の最後の情愛まで搾り取ってしまうのを止めて欲しい」とも言っていました。

     専制権力の下では、いかなる階層であっても、根本的には皆、人格の尊厳は奪われています。たとえ大変な苦労を積み重ねて、権力エリート層や経済エリートにのし上がったとしても、ただ権力や、金銭によってあがなえる地位や尊敬、繁栄を得られても、人格の尊厳はありません。地位を失ったら、そうしたものは全て失われて、世間から痛罵を浴びせられます。こうした金銭と利益によって結ばれているだけの社会は、必然的に、学者の孫立平の指摘する、「国家は方向感覚を失い、エリートは安心感を失い、庶民は希望を失う」といった苦境に陥ってしまうのです。(終わり)

     拙訳ご免。
     原文は;财富幻影掩盖不住的中国病:缺乏尊严

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