• ★「人民の名において」の「悪徳官僚」主人公の人気の秘密★ 2017年5月18日

    by  • May 18, 2017 • Uncategorized, 日文文章 • 0 Comments

    連続テレビドラマ「人民の名において」(「人民的名義」/監督・李路、脚本・周梅森)の放送は終わりましたが、まだその余韻で、色々な論議が戦わされています。最も同情された劇中人物は「漢東省」(*劇中の省名)の公安庁長の祁同偉(チー・トンウェイ)です。その成長、愛情、婚姻、そして手段を選ばずのし上がろうとして、最後に殺人を犯し、自殺するのですが、視聴者の道場が一身に集まりました。自殺する際の、「神様なんぞ糞食らえ」というセリフは、大いに聴衆の共感を得たに違いありません。理由は、単純でもあり複雑でもあるのですが、つまり、大多数の中国人は「中国人の8割は祁同偉と同じだ」と感じ取ったのでしょう。

     

    中国人の8割は底辺層で、上昇出来ない。

    祁同偉は、「家が貧しくて、腹一杯飯も食えない」生まれですが、これは中国の8割の下層民に属するということです(清華大学の李強教授の最新の調査レポートによれば、中国の下層民は人口の75.25%を占め、更にその上、下層と中産の間に属する人々が4.4%です)。21世紀の初めから、こうした家庭出の中国青年は、中産階級になるのは既に困難で、ましてや更に上に出世する望みなどありません。

     ドラマの中の祁同偉は、現実の「苦学生」の出身です。例えば、前中央政治局常務委員の周永康や、最高裁副長官だった黄松有(*汚職で失脚)、更には、今のところ無事の呉小暉(*安邦保険CEO、鄧小平の孫婿)、粛健華(*明天ホールディングズのオーナー。2017年1月27日、香港から失跡)等々の人々の出世物語は、中国の無数の青年たちのあこがれの模範でした。こうした青年たちは、祁同偉同様に、自分の力で自分の運命を切り開こうと夢見ていたものです。彼らが祁同偉に同情するのは、まず祁同偉が止むを得ず、屈辱的な思いに耐えて、名誉と利益を追う人生舞台にあげてもらったこと、そして不幸な結婚生活と、高小琴との恋への深い同情、そして当然、その末路への同情です。(★TVドラマ「人民の名において」に見る中国政治★2017年4月16日参照)

    あるブログの「中国人の8割は祁同偉」という文章には、筆者は、妻となった梁璐(リャン・ルー)父娘が、婿となる祁同偉に、思い知らせるために、大学の運動場で彼を膝まずかせ、自尊心を木っ端微塵にするシーンに言及しています。これ以来、祁同偉は、もはや世界を信じなくなり、世界を敵だと思うようになります。そして、理想に燃えた青年だった彼は、利益のためにはなんでもやる、自らの利益を堂々と他人の犠牲の上に求めるようになります。というのも、その世界で信じられているのは、弱肉強食であり、「やらなければ、やられる」世界で、自衛のために反撃しなければならないからです。これはフランスの文豪ビクトル・ユーゴの「レ・ミゼラブル」の、「世界が暗黒に満ちている時に、犯罪は犯罪者によってではなく、この暗黒を作りだす者たちによって犯されるのだ」という、そのままのようです。

     結婚を利用して人生を変えるのは、人類の古今東西、皆がやってきたことで、経済学には「資源(リソース)の世代転移」という分野まであり、そのうちのさらに一分野をなす、「妻の実家の力による経済学」は、貧乏な青年たちには極めて重要です。この種の夢を代表するのは、中国古代の戯曲にある、貧しい秀才が国家試験を受けに行くのに、金持ちの娘がそっとその費用を贈るというストーリーです。かつて、中国人が愛読した「聊斎志異」には、貧書生を応援する人間の金持ちの家の娘が、仙術を使う狐仙や、地仙だった話がたくさんありますが、現代に生きる私たちにとっては、文化大革命を経て、知り合いや友人にたくさん、こんな例を見てきました。こうした結婚では、男の方が十分力をつけて、自力で上昇出来るようになって、女性の方の親が引退した時などには、終わりを全う出来ない例も少なからずありました。そんな時の、女性側のセリフは「誰のお陰で、ここまで来られたと思ってるんだ」です。離婚の危機が迫ると、こうしたセリフもますますエスカレートして、ついに破局に至ります。でも、私の知っている役人のお嬢さんたちは、皆、結構誇り高いので、梁璐のように耐え忍んだりしないで、離婚の方を選びますけど。

     少なからぬ「鳳凰男」(*貧苦に耐えた田舎出の苦学生)たちは、祁同偉に深く同情し、「孔雀女」(*都市家庭に生まれた一人娘)たちは、それぞれ異なった思いでしょうが、どうやって結婚を守ったらいいか、と考える点では、皆共通していると思います。

      

    祁同偉は、「郷土の好漢」

     中国の伝統郷土文化のことわざに、「名犬は3隣を守り、好漢は3村を守る」というのがあります。祁同偉が偉くなってから、遠い親戚や近所の人々の様子を見にきたのは、中国伝統文化の良き担い手だったと言えるでしょう。

    伝統文化には、「一人が道を得たら、鶏や犬まで天に上がる」という言葉もあって、これは「一族の誉れとなり、先祖の名を輝かせる」であり、これの拡大版が、「名犬は3隣を守り、好漢は3村を守る」です。中共の世になって、「家族一族の愛は、階級の友の愛に及ばない」という話になってしまい、家族より階級となり、誰もが「石の卵から生まれた」と同じことになってしまいました。多くの共産革命家の中には、大義親を滅す、で一族が滅んでも「正義」を貫くという形で、自分の徹底的な革命性を表明したりしました。その模範が、共産革命早期の彭湃(1896年10月22日-1929年8月30日、農業革命家、中共中央政治局委員、国民党に密殺された)です。文革時期になると、中共は更に広範に青少年を動員して、自分の両親を告発させたり、夫婦が互いに相手を訴えたりして、「一人が道を得たら、鶏や犬まで天に上がる」はしばし、影を潜めました。
     
     しかし、文革が終わると、文革中に打撃を受けた革命の老幹部連はやっぱり、「階級愛は、血族の愛のようには行かない」と突然悟ったのでした。そして、下放されて、農村に行かされた自分たちの娘息子たちが都市に戻って来れるように計りました。そして、陳雲(*中共八大元老の一人)が言ったように、「自分たちの子供が後を継いでこそ、自分らは安心できる」というわけで、「紅2代目」たちのために、役所や軍隊で、「裏口」を開けて就職させたのでした。官職に就かない場合は、ビジネス界に入って、父親の七光りを存分に利用して大金持ちになったりしたのです。こうした状況は、官僚たちには素晴らしい模範となって、彼らも権力を利用して、家族の利益を貪るというのが大流行となって、最後には、政治のトップ層の間に、むき出し赤裸々の「国家と家族の一体となった利益運搬体制」を作り上げました。例えば、李鵬の家族や、周永康の家族がその「傑出した見本」です。

     ただ、「鶏や犬まで天に上がる」中華文明の文化も、共産党文化によって、いささか割り引かれはしました。例えば、周永康は大官になった際、やる気になればきっと、遠い親戚や郷土に対して色々出来たはずですが、実際には、兄弟、甥姪などの近縁の一家と、子供の結婚相手の両親ぐらいしか、その余慶は及ばなかったようです。「財新」の記者が出身地を取材しても、別に周永康に世話になったとかいう話はありませんでした。むしろ、周永康が故郷に何もしなかったことに対する不満が感じられました。令計劃が「大いなる事務局長」(*党中央書記処書記)になって、兄弟姉妹はそのお陰で金持ちになりましたが、出身地の年長者や、遠い親戚、地元の人々には自分たちには別にいいことがなかったと不満そうでした。

     祁同偉は、こうした高官連に比べると、郷土の人々の目には「3軒隣まで守ってくれる名犬」だったようです。彼は「漢東省」の公安庁長官になってから、郷里の遠い親戚などの面倒を見て、教育程度のろくにない親戚たちをも、公安庁に呼び寄せ「警備員」として採用し、従兄弟はそれを利用して、銭もうけをして、祁同偉もそれを助けました。妻の梁璐は、「ついでに、あなたの田舎の犬も連れてきて、警察犬にしたらいいのに」と皮肉を言いました。こうしたことは、当然のことながら、中共が宣伝している「全てを公に尽くす無私の共産党員」というスタンダードとは無縁です。でも、中共のトップレベルが公然と、「国家と家族の一体となった利益運搬体制」の同類拡大版ではあります。こうした「公のふりをして、私利を図る」というのは、中国の伝統文化の「鶏も犬も」文化にぴったりで、祁同偉本人も当然、「故郷に錦を飾って」「祖先の名を輝かせる」のに大満足なのです。それによって利益を得る郷土の親戚や隣人もまた、祁同偉は「出身地を忘れないで、よく面倒を見てくれる仁義を心得た人物」と思うわけです。

     

    「世界の誰も、私を裁く資格なんかない」

     この台詞も多くの論議を呼びました。しかし、そうはいっても中国国内で書かれた文章ですから、多くは、祁同偉の同様の不幸や、思うままにならない人生についての話で、一番強烈にアピールしたのは「人生を取り替えっこしてくれ」でした。

     この「世界の誰も、私を裁く資格なんかない」というセリフは、実は「祁同偉たち」、また当然、中国の一般庶民のものでもある、近年の反腐敗キャンペーンへの強烈な不満を表していると思います。それは、「反腐敗」の二つの限界、すなわち、「紅2代と、歴代中央政治局常務委員には及ばない」という方針です。「人民の名において」は漢東賞の省委書記の沙瑞金の口を借りて、何度も中共の反腐敗の決心を「上も下も限度なくやる」と言わせています。しかし、誰もが、近年失脚した役人と国営企業の高級管理職の多くが、平民の出身、つまり「苦学生上がり」であることを承知しています。紅2代にも腐敗の大鰐はたくさんいますが、腐敗が理由で失脚したものは決していません。薄熙来は紅色貴族で、周永康は元中央政治局常務委員でしたが、失脚した本当の理由は、別に腐敗していたからではなく、皇帝の座を争う権力闘争に関わったからです。

     「反腐敗」の基本が、こうした「選択的反腐敗摘発」である以上、腐敗で入獄した役人たちも、自分たちは親分の選択を間違えた、とおもうだけでしょうし、民衆もこんな反腐敗は不公平だと思ってます。これが、近年の反腐敗の成績が決して小さいとは言えないにも関わらず、さっぱり人気が上がらない原因です。人々が、おおっぴらにメディアの上で口に出せるの言葉が、「お前ら、権力を利用して、家族に公共の資源を盗ませている。どこに他人を裁く資格があるのか!」なのです。

     祁同偉は、テレビドラマ中の人物ですが、彼のような人物は中国社会の至る所に存在します。中国人の彼に対する同情は、実は、社会底辺層の上昇ルートが、詰まり切っており、政治トップレベルの「家族が国家と一体になって利益を運び込むシステム」と、「反腐敗」が決して触れようとしない「ボトムライン」への強烈な不満なのです。この3点は、中国政治の恥であり、中国人の心の痛みです。しかし、もう一度、中共大革命式の、天地が覆るようなことが起きたとしても、この中国の、広大な大地からあまねく山々の果てにまで、文化の根っこには、このドラゴンが依然として生き続けるだろうということは、認めなければなりますまい。(終わり)

     拙訳御免。
     原文は;「祁同伟触动了中国人心中的痛

    当Webサイト連載のブログ集改訳;日中両文収録 
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    「中国2016 何清漣」近刊予定。

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