• ★社会変化に知識人が必要な理由 — 中欧4国から考える — 2017年7月8日

    by  • July 8, 2017 • 日文文章 • 0 Comments

     7月6日、トランプ大統領は、ワルシャワで今回の欧州旅行で最初の重要な演説を行い、ポーランドが共産党統治時期に失った自由と民主への願いが最終的に専制政府との戦いで勝利を収めたことを賞賛しました。チェコのプラハの春や、ポーランドのグダニスク労働者のストライキをご存知の方は、皆はっきりと、中欧4カ国が民主を勝ち取るのは容易ではなかったことはご存知でしょう。ただ、ではなぜ、1990年年代始めのソ連と東欧の共産党政権が崩壊後、中欧4カ国だけがモデルチェンジに成功したのか? そして、世界周知のロシアの専政回帰や、バルト海三ヵ国、バルカン国家、前ソ連邦メンバー国家の各グループは、カラー革命や戦争を経ても、皆、結局は形ばかりの民主国家にしかなれなかったのか、ということを考える人はあまりいません。

     その理由は、先に(「★共産主義の亡霊がまた徘徊しだした世界 2017年7月6日)
    述べたように、共産党の残した汚れや垢を一掃したということの他に、もう一つ別の要素があって、それが中欧4カ国の知識人達による、何十年間も続いた啓蒙の努力の成果なのです。

     

    ソ連と東欧共産国家と中共の知識人政策の違い

     欧州の社会主義国家と毛沢東の中国の違いは、文明・文化のレベルが違いました。一例だけ挙げますと

      : 1957年11月、毛沢東が中国代表団を率いてソ連を訪問した時、11月8日に会場で、即興で行った演説です。

     「核戦争なぞ、何も大したことではない。全世界の27億人の半分が死んでも、半分は生き残るではないか。中国人は6億人いる。半分死んでも3億人残る。われわれは一体何を恐れるのか」。

     この演説が終わった時、会場は凍りつきました。続く休憩時間には、様々に論議を呼び、チェコスロバキアの総書記は「中国は6億人かもしれんが、我々は2000万人しかいないのだ」とコーヒーカップを持つ手を震わせて言ったそうです。東欧国家の共産党指導者たちは、誰も、毛沢東が平気で3億人の死を語れるのか理解出来ず、以後、中共とは距離を保つようになりました。

     これに比べて、欧州の以前の社会主義国家では、毛沢東式の歴史の大反動のようなことは起きませんでした。反対に、中欧国家の共産党幹部は、ソ連の同業者たちと同様に、文化的なレベルでは、知識人によって影響を受けました。のみならず、1960年、1970年代に、中欧4カ国では、独立した思考を持つ知識人たちが、社会の上で次第に尊敬を勝ち得ていったのでした。西側の民主と自由をモデルにした、時刻政権への批判は、社会文化、暮らしの上で主導的な地位を占めるようになりました。ソ連でこうした現象が起こったのはずっと遅く、1980年代になってからでした。

     現代の国家は、高等教育を受けたテクノクラート官僚によって、様々な事務を管理させる必要があります。ソ連や欧州の共産党国家が誕生して20年前後で、次々にこうしたテクノクラート官僚が、職業的共産党幹部と入れ替わっていったのでした。そうした人々の抜擢の基準は、政治的忠誠心から、「共産党を支持する専門家」に変わりました。この過程で、平民家庭の出身でも高等教育を受けることによって、テクノクラートになることが出来ました。同時に、彼らは高等教育を受けていますから、知識人に対する敵意も比較的少なく、文化的にも彼らと知識人の間の距離もますます小さくなって行ったのです。

     中欧国家では、この過程は1970年代に始まりました。ポーランドでだけは、共産党は、労働組合の団結が社会に与える影響を抑えるために、労働者の中から幹部を抜擢しました。もっとも封建的で遅れた北朝鮮ですら、テクノクラートは各レベルの幹部の主体となりました。しかし、中国では、1978年以後、鄧小平が、幹部の知識重視と若返りを求めるようになって、ようやく幹部集団の教養や文化的な資質が変化し始めるまで、毛沢東によってこの過程は徹底的に断ち切られたままでした。その後、中共の知識人政策も、体制に取り込もうというやり方になり、江沢民、胡錦濤時代には、政府官僚にも一部の穏健な批判が許されていました。しかし、胡錦濤の時期になると、護憲活動の形が反抗を主とするようになって、知識人は草の根の反抗者として排斥されるようになっていきました。習近平時代になると、時勢を論じる「公共知識人」は、フイゴに閉じ込められたネズミのように挟撃され、政府側からは「党の飯を食わせてもらっていながら、その鍋を壊そうとする輩」とされ、草の根庶民からは、嘲笑の的にされて「チキン野郎」みたいな言われ方をされるのはまだマシな方で、近頃ではネット上で、「知識人の傲慢をやっつけろ」になっています。

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    知識人の言葉は、共産党の合法性にとっての危機を招く

     共産党官僚による統治には、専門的な役所用語システムがあります。公文書や、洗脳宣伝文書には、何をどう話すべきか、どんな用語はどういう特別な隠れた意味があるか、どんな問題は決して触れてはならないか等々です。例えば、社会主義の優越性と共産党の指導的地位は、いささかの疑いも挟んではならないといったことです。これ自体は、全ての共産党国家は皆、同じです。しかし、共産党の正式な儀式、会議だとか学校教育の場とか以外の、社会における人々の心の中では、一体どの程度、こうした話が信用されているか、というのは別の話です。

     1970年代から、中欧国家の知識人たちは、共産党政権にますます失望して、地下文学や地下出版物を出し始め、思想上のプロテスターになっていきました。こうして知識人の批判は、共産党幹部の談話へのチャレンジとなっていったのです。中欧国家では、民衆は政府の各種の宣伝に対して、極めて激しい批判的な姿勢や、あるいは全然信用していませんで、むしろ、知識人の批判的な言葉に耳を傾けたのです。こうして、民間には、批判的な言葉が、幹部たちの語るお話をひっくり返し、もし誰かが非公式な集まりで、政府側の言葉をそのまま語ろうものなら、嫌われたり、気まずい思いをさせられるようになったのでした。

     これは、ただの言語の分野での戦いというだけではありませんで、後に来たるべき、社会のモデルチェンジの、広範な基本思想となっていったのです。というのは、批判的な言葉は、思想を通じて、現実を変えて、どんな未来を作ればいいのかという青写真や、さまざまなモデルとなっていったからです。民間では、民衆の共産党官僚に対する批判は鋭くなり、共産党のエリートたちは往々にして、言葉を失いました。そして、そうした批判から身を守ろうとする、自分たちの言語にも、知識人たちが使う批判的な用語や術語を交えるようになってしまいました。そして最後には、批判的な言葉を用いる知識人の側が、共産党の政治エリートに勝利したのでした。この勝利は、共産党統治の潜在的な危機を反映していたばかりでなく、ある程度、政治危機そのものを生み出したのです。プロテスター知識人の起こした「言葉の革命」は、政権の合法性の問題を深め、最後には、その合法性の危機を作り出したのですから。

     中国の底辺政治プロテスターは、言葉の上でほとんど完全に中共モデルを受け継いでいます。かつて艾未未 @aiww が政治的発言を喜んでしていた頃、私は、「中国の政治的プロテスターと、彼らが反対している対象の共産党政権は、イデオロギー上、また用語の使い方では一枚の硬貨の裏表で、互いに依存し合っている」と指摘しました。艾未未は、当時この批判を受け入れませんでしたが、しかし、後になって彼が批判を受けた時には、似たようなことをツイートしていました。2017年4月以降、ツイッターでは、文革時代の用語が捲土重来し、何人かの著名な知識人が、ある種の人々の批判対象にされ、昔の文革時代の雰囲気が蘇っています。
     異なった言語システムの中では、言葉も異なった思想内容を表しています。中国では言語の革命を行わず、中共のイデオロギー用語を使っているうちは、共産党文化との決別し、民主主義の思想の礎を築くのは難しいでしょう。

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    民族主義で、共産党の愛国主義を克服した中欧4カ国

     第2次世界大戦以後に出来た共産党政権は、自国で起きた革命政権と、外来種の二種類に分けられます。自国の革命政権にとっては、愛国主義は民心結集の強心剤のようなものですが、外来種の共産主義政権にとっては、愛国主義は致命的な毒薬になります。

     革命の生まれた国で、共産党はいつも変わらぬ姿勢で言い続ける重点は、「共産党があってこそ、国家がある」です。ソ連とか中国にとっては、一般庶民がいかに共産党に不満であっても、共産党の宣伝文句の「外国の侵略を打ち破った」とか「独立自強」といった愛国主義スローガンを拒絶することは大変難しいのです。なぜなら、普通の庶民にとって、彼らが「祖国を愛する」ことと「政府を愛する」ことは違うのだという認識をはっきり持って、祖国への愛を、共産党の宣伝による「政府への愛」と区別せよというのは、なかなか難度が高いことだからです。ですから、共産党は常に、愛国主義のスローガンで持って国民の政治的な忠誠心を「拉致」してしまえるわけで、愛国主義は革命発生国の共産党政権にとっては、合法性の最後の支柱となります。こうした国家では、すべて「外部から来た悪影響」は、「敵対勢力」に関わるものということに出来ます。外国からの影響を心配する理由は、深く根ざした自分たちの疑心というばかりでなく、愛国主義の宣伝の上からも必要なことなのです。

     しかし、共産政権が「輸入品」の国家の場合は、完全に違います。中欧国家の共産党政権は全て、ソ連の戦車によって送り込まれたものでしたから、もともと、外国勢力のコントロールする存在であり、こうしたモスクワへ服従する共産政権は、実際に外国勢力の傀儡なのでした。ですから、中欧国家では、人々が自国政府に不満を持つと、簡単に共産党政権と売国主義は一緒になりますし、反共と愛国主義もつながります。チェコスロバキア、ハンガリー、ポーランドなどの国々では、歴史上、どの国でも自国の共産政権へ、大衆的は反抗やデモが起こりました。プラハの春や、Petőfi Sándorクラブ事件(ハンガリー動乱の原因に関係)、グダニスク大ストライキなどなど、どの反抗もソ連軍によって弾圧されました。人々は、自らの体験によって、ソ連占領軍が自国共産政府の後ろ盾であり、自国はソ連による長期占領下にあって、実際はソ連の植民地なのだということを知りました。ですから、知識人の批判的な思考の中で、愛国主義といえば、人々はすぐさまソ連占領軍に反対する事であり、民族独立、国家独立は往々にして、共産党統治を否定することに直接つながったのです。

     1989年から1990年の中央4カ国の「ビロード革命」の成功は、びっくりするほどの人々が集まった広場の大集会にあるのではなく、それ以前にこの4カ国における知識人たちの、何十年にもわたる頑張りがあったからこそなのです。この道筋をつけた中には、バーツラフ・ハヴェル・チェコ初代大統領のように歴史に名を刻んだ人もいますが、さらに多くの無名の人々が、民主への道の小さな一個一個の敷石になったのです。(終)

     拙訳御免。
     原文は;社会转型需要知识者的参与吗?—从中欧四国成功转型的经验谈起
    中国——とっくにクライシス、なのに崩壊しない“紅い帝国

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