• ★「未来の後継者」の呼び声高かった孫政才の失脚★2017年7月28日

    by  • July 30, 2017 • 日文文章 • 0 Comments

     重慶の中共市委員会書記で、第18期中国共産党中央政治局委員だった孫政才(1963年9月~)が失脚しました。世界の注目度も理解も、前任の薄熙来に比べると遥かに及びませんし、せいぜい、「重慶の呪い」だとか言われている程度です。メディアは、彼が高級時計をたくさん持っていて「腕時計オヤジ」と呼ばれていたとか、妻が民生銀行の”奥様クラブ”のメンバーだったとか、毎年の学費が7万米ドルもするコーネル大学に十数万人民元の年収しかないのに、どうやって娘を学ばせられるのだ、とかいった問題を”腐敗”としてあげています。でも、ほとんど全てのメディアは、彼が、「やがてこの国のリーダーになる後継者」の一人として、名前が上がっていたからこそ、こうなったというのが、本当の理由だと承知しています。

     ★”後継者”問題は2年前から予兆があった

     孫政才と胡春華の二人は、中国共産党第十八回全国代表大会(2012年11月)で、政治局委員になり、以来、習近平・李克强の任期10年が終わった後の「後継者」候補だと見なされてきました。もし、江沢民、胡錦濤以来行ってきた「後継者の階梯」による中共の登用制度が変わらないのであれば、今期の政治局には、孫政才と胡春華という、たった二人しかいない「1960年後生まれ」として、開かれる第十九回全国代表大会で、二人とも年齢と地位からいって、更に一歩上に出世して、第二十回全国代表大会の「後継者の階梯」メンバーになるはずだったのです。

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     しかし、世の中は分からないものです。2015年8月10日に、政府メディアに「正庁級( 中国官僚の十三级〜八级、地級市書記、市長クラス)の中共青年団幹部の”降格”はどんなサインか?」という記事がありました。そこでは、はっきりと共青団出身の幹部は、「早く偉くなるが、根っこが浅い。基礎訓練に欠ける」とされました。更に重視すべきは、この文章で、「共青団派」のリーダーとして、胡春華(広東省委書記)、周強(最高人民法院長)、陸昊(黒竜江省省長)ら、多くの「大物」が名指しされ、浙江の共青団書記の周艶(女性)が降格(2015年7月,浙江省地質勘查局副局長に)された例を挙げました。これは、中共トップの人事の新方向を示唆しており、「共青団組織幹部の顔ぶれに、前代未聞の深刻な変化が起きている」ということなのでした。

     これ以後、誰もが、胡春華は「皇太子」になる望みは無いのだと分かりました。また今、もう一人の「後継者」に名前の上がっていた孫政才が失脚したということで、中国中の官僚が、誰も口には出さないけれども心中、思っていることは、「一体、『出世階段』が変わるのか?それとも、『後継者育成制度』が変わるのか?」です。でも、事情がどう変わろうとも、実際には、これは中共政治体制の権力交代に関係するです。西側では、多くの共産党国家政治学の研究者が、この問題に大変興味をもっています。ただ、旧ソ連、中国、北朝鮮など共産国家の後継者問題はそれぞれ異なっており、未だに、これが共通ルールだ、とは言えません。ですから、ここでは、中共の後継者問題を整理して、検討しておきましょう。

     ★紅色専制政権の「後継者」選定とは

     世界で初めての赤色専制政権がロシアで誕生して以来、共産党の最高指導者の交代は二種類しかありません。①は、死ぬ前に後継者を指定。②は、最高指導者の死去後、闘争が起きて、最後に一人が勝ち残るか、集団による共同執政になるかです。もし高層で一致すれば、個人集権指導モデルになり、集団ならグループ指導になります。

     ソ連共産党では、最高指導者が後継者を生前に指定する方式はやったことがありません。レーニンは、死去する前にスターリンに対して満足していませんでしたが、結局、最後には最高権力はスターリンのものになりました。スターリンの死後、最高指導者は、交代を繰り返しましたが、しかし、どの最高指導者も一人として、真に個人集権指導モデルを作り得ませんでした。ですから、ソ連共産党はずっと長い間、集団指導型でした。

     しかし、中共指導者の「後継者問題」はもっと複雑です。毛沢東が「大躍進」をやって、全国が飢饉となり数千万人の農民が餓死した時、責任逃れに、後始末を劉少奇に丸投げして、自分は「第二線に退き」ました。1961年9月24日に毛沢東は、英国のモントゴメリー元帥と武漢で会見した際には、自分の後継者は劉少奇だと言いました。しかし、これは「煙幕」でしかなかったのです。実際は、劉少奇打倒の方法を密かに探っていました。「文化大革命」がまさにそれでした。引き続いて、毛沢東は、林彪を「後継者」に指定しましたが、2年後、林彪は非命に倒れました。毛沢東の死後、生前に後継者とされた華国鋒の地位は脆弱で、すぐ辞職を余儀なくされました。そして、鄧小平、陳雲、李先念ら一群の中共元老たちが、集団執政を開始しました。天安門事件の前に、江沢民が後継者に指定されましたが、しかし、江沢民就任以後、陳雲系の保守派の元老たちがうごめき始めたので、鄧小平は南巡して、「改革に積極的でないなら、引退せよ」と宣言したのです。江沢民の後継問題も一度は揺れ動いたのでした。

     ★中共の「後継者」のはしご段制度

     鄧小平の晩年には、中共は政権安定のために共産党国家の第一後継者の「はしご段」を制度化しました。これは10年から20年にかけて、最高指導者の後継者を作るための「出世はしご」でした。最高層のメンバーの任期を限定して、任期満了時に交代させる「候補者のはしごを登る人たち」を意識的に育てようとするものでした。胡錦濤が隔世で、江沢民の後継者として指定されたのは、この「後継者はしご段制度」によるものです。そして、胡錦濤は第二期にあって、これにならって、また「後継者の梯子段」を作り、胡春華と孫政才はその主要なメンバーだったのです。

     本来は、「紅二代」こそ、鄧小平時代の意中の「はしごを登らせる後継者」だったのですが、多くの「紅二代」は、文革時期に父親の権勢をコネにして、軍隊の中に隠れたり、「上山下郷」運動に行ってしまっていました。そして、全国一斉入学試験が復活した時には、軍隊の職場にあったりして、大学に行くチャンスを逃してしまいました。ですから、彼らの中で大学の学歴を持っている人間はそう多くなかったのです。更に、地方の基層レベルの職業の訓練過程で、ちゃんと出世できたのは、もっと少数でした。「政治マラソン」に参加できた限られた”選手”では、陳雲の息子の陳元が一番好調なスタートを切っており、二番手が劉少奇の息子の劉源でした。しかし、二人とも職場での評判がよろしくなく、途中でリタイアせざるを得ませんでした。残るは、習近平と薄熙来の2選手で、習近平が遂にゴールしたのです。今や、絶対多数の「紅二代」はすでに60歳の古希を迎え、昔、後継者レースに参加できなかったなら、当然、今やただ定年退職するしかありません。

     「後継者はしご」の「紅2代」不在は、共産主義青年団幹部にとっては、天与の好機となりました。胡耀邦総書記時代に始まった幹部の若返り、知識化という条件に合う多くの人々は、もともとは、共産主義青年団の幹部でした。ですから、共青団系統の幹部が、各級の役人の「後継者はしご」という「隠れた中共の規則」のメンバーとなっていくのは自然の流れでした。2015年8月になって、初めてこの「皇帝より与えられた地位」が揺らいだのです。

     ★個人独裁と集団指導の振り子運動

    2016年2月2日、程暁農がVOA(ボイス・オブ・アメリカ)の宁馨の取材を受けて、「習近平の導く中国の旗はどっち向き?」というタイトルの記事になっています。その中で、『振り子理論』という興味深い理論が提起されています。つまり、共産党の指導が「振り子」だというのです。この種の政権の指導モデルは、集団指導と個人指導の間を揺れ動き、その揺れは、勝手に動くわけではない、というのです。一般に、第一段階の共産政権初期には、往々にしてみな集団指導です。ソ連はレーニン時代、中共の1950年代がそうです。しかし、ハイレベルでの政治的なムードによって、最高指導者が自分への批判を許さず、異なった意見の持ち主必然的に粛清してしまい、最後には、個人崇拝が堂々とまかり通るようになります。そして、スターリンや毛沢東のような個人の権威と、個人の独裁が集団指導にとって代わり、第二段階になります。この個人独裁のリーダーが亡くなると、第三段階で、また集団指導に戻ります。フルシチョフからゴルバチョフ、華国鋒から鄧小平、胡錦濤へ、などは基本的にこうした動きでした。ソ連は第三段階の末期に解体してしまいましたが、中国は、現在、第四段階、すなわち、再び、最高指導者の個人独裁が復活しています。
     
     程暁農は、指導方式の選択と、統治の必要性には密接な関係がある、と見ています。スターリンや毛沢東は、どちらも急いで工業化を完成し、強大な軍事力を作り上げなければならず、そのためには、極端に資源を集中して、一般庶民の暮らしを最低限度まで引き下げなければならないと同時に、党内の民生重視派をやっつけて、異論を断たなければなりませんでした。ですから、指導者個人への崇拝と、大々的な政治的粛清に頼る政治モデルを作り上げたのです。スターリンや毛沢東が死んだ後では、後継者は往往にして、過去に粛清された人々の名誉回復を行って、民心を得なければなりませんし、多少の実際の恩恵も施して、政権後継者の合法性を打ち立てなければなりません。これは、フルシチョフも鄧小平もやったことでした。この過程の中で、政治エリートたちの、全面的な腐敗が不死鳥のように蘇ります。ブレジネフや江沢民、胡錦濤といった指導者は、つまりこうした腐敗を許すことで、官僚たちを従えたわけです。腐敗によって、つまり、大量に政府が握っている各種の経済的なリソースを消費することによって、政治的な安定を”買った”わけです。これがどの程度うまくいくか、最後に決めるのは経済条件です。つまり、当局の経済的リソースが無くなるそうになったり、改革を迫られたりしたならば、例えばソ連のように、あるいは、ネジを締め上げて、水漏れを防ぐしかないので、また個人に権力を集中したモデルになるわけです。

     ★強権政治の性格を変えないで、良い悪いを言っても始まらない

    現在、中国国内の、専制政治に不満な知識人は、中共の新たな個人独裁モデルに大変不満を持っており、これを後退だと見て、「9竜統治の時代」(江沢民・胡錦濤時代)の方が、民主化により近かったと見ています。しかし、これには、まず二つの問題をクリアしておかなければなりません。

     ① 個人独裁と、集団独裁指導の二種類はどちらも、共産党独裁体制の、「コインの両面」で、どちらも民主化とは、全く無関係です。ただ、独裁国家の指導制度の違いに過ぎません。習近平独裁を批判するなら、集団指導は独裁じゃないのか?という話になり、個人独裁だけが独裁になります。これは前にも書いたのですが、政治学上の独裁の定義は

      : 統治権限が一人、もしくは集団に独占され、さまざまな鎮圧体制で、その政治的な権威を発揮させる。第一次世界大戦以来、世界の独裁的な政治体制は、憲法による独裁、共産主義による独裁(プロレタリアート独裁)、反革命独裁、ファシスト独裁で、1960年代のアフリカ各国は民族独立解放運動後に、様々に異なる、例えば宗教、家族独裁など独裁体制を生み出した。(文革の毒の土壌は今も。きっかけさえあれば…だが⑴ ★文革の毒の土壌は今も。きっかけさえあればだが…(2)2016年5月18日)「中国2016 何清漣」参照

     ② 制度的な面で言えば、共産党指導もタイプが集団であろうと、個人であろうと、その間を揺れ動き、その専制制度のレベルには、別に変わりはありません。もし、違いがあると言うならば、主に、政策の締め付けが強いか弱いか、圧力が高いか、それほどでもないか、という違いです。集団指導モデルなら、多くの場合に、相対的にゆるいので、これが、中国国内の知識人が、個人独裁に反対する理由です。しかし、集団指導方式だからと言って、必ずしも緩やかな政策になるとは限りませんし、それは当局が政権維持の上で、何が必要だと思うかによって決まるのです。天安門事件の弾圧が良い例です。鎮圧前後は中共は集団指導体制でしたが、別にその前後で変化はありませんでした。集団指導体制モデルの下で、ゆるやかな政策がとられたのは、実は統治者が民心を再獲得しなければならなかったから、懐柔にかかっただけの話です。そして、いったん、民衆が民主主義をよびかけようとしたら、集団指導モデルの共産主義政権はいささかも容赦無く、残酷に鎮圧したのです。それも、法輪功やキリスト教家族協会のように、ただ民間団体の規模が大きくなりすぎただけで、別に政治的な要求をしなくても、同様に残酷に弾圧されました。

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     過去数年、中国国内では「9匹の竜による治世」とか言われてきた胡錦濤の権力分散の集団体制は、腐敗がトップにまで及ぶと言う証拠でした。現在、中国経済が衰えていくのは分かっていますし、金融危機が見え隠れしていますから、統治する側は、政権維持のために内部闘争をやめて、集権に向かって、役人達の「ネジを締め直し」、「逃げ道を塞ぐ」わけです。これは、昔の鄧小平、江沢民時代の懐柔政策の目的と、実は変わりません。どちらも政権延命からの発想です。そして、官僚の腐敗がシロアリのように政権の柱を食い荒らしているので、政権防衛戦が当局の主要な任務なのです。習近平は自分が、この紅色政権を守れる唯一の人間だと考えていますから、長年の「後継者はしご制度」は、おのずから第二線に「引退」するわけなのです。
     
    拙訳御免
    原文は;孙政才落马,“接班人”名份惹的祸?

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